屯田物語

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入鹿の本名は林臣鞍作

2004年12月15日 | 
石舞台古墳は蘇我馬子の墓といわれています。
蘇我氏は天皇の外戚として権力を持ちながら、渡来人を支配して大陸の進んだ知識や技術を得たこと、排仏派の物部氏を倒したことからその地位は確立するわけです。
その結果、稲目、馬子、蝦夷、入鹿の4代にわたり、ますます強い権力を持つことになります。
それにしても、馬子、蝦夷(蝦はガマガエルの意味)、入鹿と生き物の名前がついていますね。
入鹿の本名は林臣鞍作(ハヤシノオミクラツクリ)といって、別称を子猿という呼び方もしていたとのことです。馬子から蝦夷、入鹿の名前は後世の歴史家によって悪人らしくつくりかえられたということはないでしょうか。
当時の名前は難しい、入鹿暗殺に加担した二人の刺客の名前はなかなか憶えられません。
二人は佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田のですが、いまもってきちんと読めません。
新春ドラマスペシャル「大化の改新」では、なんと呼び合うのでしょうか楽しみです。