らんかみち

童話から老話まで

密造酒に命をかけるな

2007年06月30日 | 酒、食
 昨日のつづき
 ミードの密造法は簡単です。
 
 用意するもの
 
 蜂蜜250g(中国産の安物で可)
 ペットボトルの水1リットル(非常に入手が困難ゆえ2リットルを半分にしても可)
 ドライイースト小さじ一杯(味噌用の麹菌で代用可)
 酒税法に対する反骨精神(酒に対する意地汚さで代用可)
 以上です。
 
 製造法
 
 まずペットボトルから水を400㏄ほど抜き取ります。そこに250gの蜂蜜を入れます(このとき口の細くなったボトルが便利)
 蜂蜜は粘度が高いので、ボトルに残った蜂蜜にドライイーストを投入し、そこに抜き取っておいた水を加えて良く振り、蜂さんに感謝の意を込めて全ての蜂蜜を洗い流すように回収し、1リットルのミードの元とします。それはすでにクリーム色に懸濁しているでしょうが、気にしないで下さい。それをさらに親の敵とばかりに虐待を加え、放置します。
 
 そうして1日が過ぎる前に、ふたを緩めておいたペットボトルからは麹の香りが漂ってくるでしょう。臭くて眠れなかったら後悔してください。それを舐めてみたからといって蜂蜜の味も香りもしません。もうすでにミードが醸されているのです。
 発酵が始まると一日に数回撹拌したほうが良いかもしれませんが、激しく振るとシャンパンファイトが可能となりますので、注意が肝要です。
 
 ぼくはそれを二日目の朝に試飲してみましたが、朝から酔ってしまいました。日本酒ほどではないにしろ、すでにビールくらいのアルコール度は感じました。
 夕方になってそれを冷蔵庫に入れて冷やしたんですが、なんと申しましょう、その他の雑酒として売られているビールもどきに近い味わいですが、あくまでも麹の香りがしますので、好みによりライムなどを矯味としても良いかと思います。
 
 その結果分かったのは、蜂蜜400円、ボトルの水180円、イースト(忘れた)で、1リットルのミードを密造するのに500円以上かかりました。缶ビールにして2本分の費用と酔い加減ですから、市販のアルコールで酔い痴れているほうがはるかに安上がりですし、この上に酒税なんぞを追徴課税されてはたまりません。いかに現行の税法に憤懣を堪え切れなくてもミードの密造だけは得策でないようです。
 
 そりゃそうと、蜂蜜に含まれているボツリヌス菌はどこに行ったんでしょうか。ほとんど飲んだぼくはまだなんとも無いですが、ミードの密造なんて命までかけてするほどのことでもなかったようです。

酒を密造してどこが悪い

2007年06月29日 | 酒、食
 ミード(mead)を求めて二駅先のスーパーに行きたいのはやまやまだけど、何しろミードというのはスパークリングワインみたいなものですから、買ったは良いけど重さゆえにリュックに入れて持ち帰るのに難儀するんです。なので気合とタイミングがぴったり合致しないとなかなか実行には移せません。
 
 近場で酒の量販店とかデパートのワイン売り場などを回ってはみるんですが、ミードという蜂蜜から造られた酒にお目にかかることはできません。確か二駅先のスーパーには置いてあったと思うんですが、そんな糞甘ったるい酒が飲めるか、と忌避してきたので飲んだ経験はありません。しかし童話を書くために蜂蜜のことを調べた副産物として、ミードとは決して甘くは無い、ということを知ったのです
 
 そもそもミードというのは、その昔どこぞの国の蛮族が、新婚夫婦を1か月の間部屋に閉じ込め、蜂蜜酒造りに精を出させると、あら不思議! 部屋を出てきたころには新婦が身ごもっていたというのです。
 それにこじつけ「ハニームーン」と称して新婚夫婦に対する周囲の羨望、やっかみ、ねたみ、そねみ、といったもろもろの負の感情のカタルシスとして、新婚初夜から1月を「ミード造りの月」として奨励、あるいは無理強いしたのだそうです。(あくまでぼくの邪推です)
 
 とにかくそういった故事にちなみ、蛮族社会では現在でもミードは滋養強壮、精力増進に良いとされ、彼の国から遠く離れた当地でもその風説に惑わされて愛飲する輩がいるのだそうです。
 そういうわけで本物のミードを未だ味わっていないにもかかわらずいてもたってもおれなくなったぼくは、ミードを密造しようと企んだのですが、その成り行きは明日にでも報告できるはずですので、つづく。

季語と季味のずれ

2007年06月28日 | 暮らしの落とし穴
 先日のこと、場末の飲み屋で「てんぷらに何をかけて食べるか」で客同士が口論となり、危うく流血騒ぎに発展しそうになりました。事の発端は、ある客がてんぷらにソースをかけて食べるのを見た別の客が、「お前は鬼畜米英か」と言ったことに始まります。
 好きなように食うたらええやないか、他でもないここは場末の飲み屋なんやから、と思うぼくが居合わせた客からアンケートをとると、醤油派3、ソース派4、天つゆ派1という結果が出ました。
 
 ぼくは醤油派なので、天つゆ派というマイノリティーリポートは聞かなかったことにすると、醤油派とソース派はタメを張っているといえますが、これには正直驚きました。
 もちろん場末での集計結果など大した意味を持つとは思えないし、隣の寿司屋でてんぷらにソースなんぞかけたら「出て行ってくれ」とまでは言わないにしても、「オレの天つゆじゃ不足やと言うんですかい」と、大将のご機嫌を損なうのは火を見るよりも明らかでしょう。
 
 しかしそう考えていて、どちらの派閥の人も互いに自分達の嗜好の方がメジャーなのだと考え、他を認めたがらないのだということに気がつきました。
 同じ日本に生まれながら、ありふれた食べ物に何をかけて食べるかで、こうも意見が分かれるなんて不思議ですが、今日の童話教室でそんなことになる理由が少し分かった気がしました。
 
 教室には二作品が提出されていて、その一つ「アケビ」を登場させた作品を合評する中で、アケビがどんなものかイメージできない人に、「アケビとは種の周りの甘い部分を食べる植物」という意見と、「皮をてんぷらなどにして食べる植物」という二つの意見に分かれて主張されたのです。ちなみにぼくは前者ですが、ショックを受けたのは、蜜柑は冬の食べ物だと断言されたことでした。
 
 窓の外には雪がしんしんと降り、コタツの上では猫が丸くなり、蜜柑の皮をむきながら彼氏に「ア~ンして」などとやっている図は確かに冬以外のシチュエーションは考えられません。それでもなお「蜜柑は秋のものだ」などと言ったらそれこそ鬼畜米英のそしりを免れませんが、蜜柑どころの愛媛に生まれたぼくにとって、蜜柑は間違いなく秋の食べ物なのです。
 
 ティーブレイクにはサクランボをいただきました。何年ぶりで生のサクランボを食べたか分かりませんが、とにかく美味しかったです。
 盗難防止のために厳重な警戒態勢がしかれているらしいサクランボ農家の方々に聞いてみたいとぼくが思うのは、我々が考えているようにサクランボは初夏の食べ物なのかということです。
 
 愛媛の蜜柑は10月には露地ものが出回ります。秋祭りといえば青い早生蜜柑が付き物で、どこの家でも梨と蜜柑がセットみたいにして振舞われます。ですから、秋祭り=蜜柑=秋の季語と、ぼくには思えていけません。
 しもやけになりながら経験した真冬の蜜柑摘みを忘れたわけではないのですが、どうしたってぼくには蜜柑は秋の食べ物なんです。
 
 あ、そうそう、最近スーパーで買うてんぷらの多くには「抹茶塩」が添付してきますよね。味覚とか、それにまつわるイメージなんて人それぞれなんですね。

顔見知りの犯行と……

2007年06月27日 | 暮らしの落とし穴
 そろそろ散髪に行きたいけど、背中の蕁麻疹が顔に移動して来たので、かみそりを当てられるのも怖い。それに散髪屋さんって歩いて30秒のところにもあって、行くのに造作はないんですが、わざわざ歩いて10分のところに行くのです。
 ところがその途中に、この前までかかっていた歯医者があって、見咎められて診察室に引っ張り込まれてもかないません。
 
 それだけでなく、その歯医者さんの向かいは知り合いの経営しているたこ焼き屋さんで、そこに行くまでには何年か前まで行ってた歯医者さんがあり、その手前にはバイオリンの師匠が教室を構えている、といった風にあちらこちらで面が割れているので歩くのにも一苦労するぼくなのです。
 
 別に悪さをして片身が狭いのではないから大手を振って歩いてかまわないのですが、「どう、最近儲かってまっか?」なんて声をかけられたら、「ぼちぼちでんな」と返すのも鬱陶しいじゃないですか。
 特にバイオリンの先生なんて6年もの付き合いだったにもかかわらずろくに顔出しもせず、たまにばったり会ってあいさつする程度の薄情者のぼくなので、あわせる顔が無いというのが正直なところです。
 
 そんな中、久しぶりに歩いて1分のスーパーに行きました。最近店長が変わったせいか店内のレイアウトがころころ変わるだけでなく、品揃えやその他に不満を覚えて、歩いて30分のスーパーをこのところ贔屓にしていたのです。
 まあしかしそうはいっても他では見つからない商品もあって顔出ししたんですが、これまたレジのおばちゃんがなんだかんだと詮索してくるんです。
「久しぶりやんか、どないしてたん? このワイン美味しいの? 毎日一瓶飲むんやなぁ」
 といった風で、悪い人ではないんですが、ぼくの貧しい食生活を覗き見せんといておくれやす! と言いたくなるんです。
 
 でも明日からはそのスーパーにも、歩いて30分のスーパーにも行きません。食生活の嗜好が変わったので、電車に乗って買い物に行きます。この近辺ではそこでしか手に入らない物を買いに行くのです。これで仮に何かぼくが事件を起こしても、「顔見知りの犯行」なんて言われなくて済むのは確かでしょう。

水ナス専用醤油

2007年06月26日 | 酒、食
 何度も書いているように、ぼくは粗食にたえらるだけでなく、餃子は王将が一番で、マルゲリータはサイゼリア至高と考えておりました。ところがそれほど目をかけてやっていたにもかかわらず、サイゼリアはマルゲリータをメニューから削除するし、王将の餃子は翌日の口が変に臭いような気がしていけません。こういった憂うべき現状を何とかしたいと先日餃子専門店で食べたんですが、王将を凌駕しているとは言えない味でがっかりしました。
 
 カップラーメンを食いまくって、ミシュランよろしく五段階評価の星印をつけたことのあるぼくとしては、庶民の食い物こそが評価に値する味であり文化ではないかと思うのです。で、その根本を成しているのは塩であり醤油であり味噌なわけですから、当然ぼくは塩、醤油、味噌のフェチです。塩なんて出張する先々で買い求めたこともあるんですが、所詮は塩でして、味の違いが分からなかったので塩マニアは卒業しました。
 
 それで今は醤油マニアをやっております。たまり醤油、カツオだし醤油、昔ながらの手造り醤油といったものはもちろん、玉子かけ専用醤油、生醤油うどん専用醤油ときて、先日はセイロ蒸し蕎麦専用醤油なんてものまで味わってきましたし、今日なんか「泉州水ナスかけ専用醤油」なんてものまで買ってしまいました。
 味ですか? 良くできた水ナス漬けならどんな醤油をかけても美味しいですから、というか普通の味付け醤油(しょうゆ加工品)でした。
 ウルトラC級のグルメを自認しているぼくとしては、まあこんなものかなと納得しましたので、そろそろ味噌マニアを目ざしたいと思います。

嘘を見抜けない消費者が悪いのか?

2007年06月25日 | 社会
ミート社、産地偽装など不正13項目 農水省検査で判明(朝日新聞) - goo ニュース

 いや~非道いもんやな、砂糖入り蜂蜜どころの騒ぎじゃないなって思うのは、蜂蜜にも賞味期限は表示されているけど、2000年前の蜂蜜が食べられるんだから、問題の大きさが比較にならないからです。
 でもこの問題の本質にあるのは、世間で言われているように順法精神(コンプライアンスというのか?)の欠如にあるんでしょうか。
 
 順法精神の欠落と言うなら、日本だって時の権力者なんてのはみんな自分が法だと思っていたに違いなく、民衆をその法に盲従させるために儒教思想だの宗教だのを利用してきたわけですね。それを見習って、現今の日本人はみんな「1億総権力者」の道を目指し初めていると言えるのでしょう。そんな中からホリエモンだの村上ファンドなんて人たちが台頭してきたわけで、ようやくユダヤ商人とか華僑に伍して商売できる彼らの出現をメディアだって賞賛してきたではありませんか。
 
 マイクロソフトにしてもソフトバンクにしても、用心しないといけない会社だとは思いつつもそれに頼っているんだから、もはやああいった会社は権力者なわけです。
 商売人は平気で嘘をつけるもんなんだし、そうしてこそ権力者として成功するのだ、という前提に立って考えるとしたら、順法精神がどうのこうのと非難するのも結構ですが、その前に自分の舌を切磋琢磨する必要がありゃしませんか。
 
 とは言っても、ああいった平気で嘘をつく会社は断罪されてしかるべきだとは思うんですが、どうもメディアの取り上げ方に一抹の不安をぬぐいきれないんです。だってメディアも嘘つきじゃないですか。
 まあそんなわけで、メディアも信用できないなら自分の舌を信用するしかないのですが、ぼくに関して言うならこれが最も信用ならんのだから情けないです。
 
 実は先日ハンバーグを作ったんですが、間違えて豚肉のミンチを買ってしまったにもかかわらず、トンカツソースとウスターソースでごまかしたら美味しく食べられたんです。間違いに気がついてその次にはちゃんと合い挽きを買って作ったんですが、これまたソースでごまかして美味しく食べたんです。
 グルメ情報にしても何にしても、人が良過ぎると言うより、嘘を見抜けないぼくのような日本人が多いことが今回の事件の本質にあるのかも知れないのです。

瀬戸に朽ち果て

2007年06月24日 | 男と女
 前回のつづき
 
 金回りが良かったとはいえ、密漁に使うようなFRP船にはターボチャージャー付き高性能ディーゼルエンジンが搭載されていて、大きさは脱北用の舟くらいのものであっても、海上保安庁の巡視艇を振り切れる性能が要求されるといいます。
 
 そんな高価な漁船を手に入れるのは、背中の彫り物を見せたくらいで叶うものではないでしょう。当然ながら借金はあったに違いないのですが、家には何ら迷惑の及ばないかたちで処理したといいます。しかも父親が亡くなってからは人柄が変わったようにストイックな生活を送っていたそうです。
 
 しかし妹さんにとってはもちろん男にとっても不幸だったのは、「やくざ息子が保険金目当てに父親を手にかけたのではないか」という心無い噂が広まったことでした。それも、またとない良縁が妹さんに来たときでもあり、その縁談が根も葉もない噂で流れそうになると、男はあせりました。
 
 何しろ元やくざですから、彫り物をちらつかせて先方を脅かすのかと思いきや、
「当人たちの思いは熱いのだから、どうすれば縁談が成立するのか?」
と、意外にも「婚礼の席にも出ないし、今後は島にも戻らない」と、自らの身の処し方を確約して縁談をまとめたといいます。

 やがて身内だけのささやかな婚礼の日取りが決まると、
「宴の魚は全部用意しておいてやる。当日の早朝に舟に取りに来い」
という書置きを残して男は消えましたが、婚礼までの数日は海が荒れ、漁をする船はほとんどなかったといいます。
 婚礼の当日になると天候は回復し、書置きどおり港に行くと、男の密漁船には、鯛、メバル、アワビ、サザエといった瀬戸の幸がいけすにおり、大漁だったといいます。
 
 約束どおり男は婚礼の席には現れず、全ては滞りなく終ったのですが、船をそのまま港に残し、男の遺体が遠く離れた隣の島に打ち上げられたのは、それから何日も経ってからでした。
 酒やビールの空き缶が大量に船上に残されていた状況から、婚礼の前夜か当日の朝、酔って海へ転落した溺死、と警察は結論を出したのですが、婚礼の翌日、鯛のアラなどに混じって、
「兄ちゃんを許せ、幸せになれよ」
と、かすれたマジックで書かれた木片が見つかった話は、男の葬儀が終ってから聞こえてきました。
 また、「婚礼のその日、どこかの魚卸商が魚の盗難届けを出していたらしい」という話も聞こえてきましたが、噂の出どころや真偽のほどは、母には分からないとのことでした。

その男、なぜ死んだ

2007年06月22日 | 男と女
 母のしゃべったことを日記のネタにし、投稿して小遣いまで稼いでいながら言うのもなんだけど、母は本当の事を話しているのか疑問に思わないわけではありません。なぜなら同じ話を2回目に聞こうとしたら「そんな話をした憶えはない」と突っぱねられるからです。呆けたんだなあと思いつつ、こればっかりは人知の及ばないところなので、親不孝なぼくのせいじゃないよなと、いつも自分に言い聞かせながら田舎の母に電話するのです。
 
 心配するといけないからという理由で、母には入院していたことをひた隠しにしていたんですが、生命保険とかの関係で書類が必要になりました。そこでやむなく今回の電話で白状しましたんですが、母はぼくが何で入院していたかは問い詰めませんでした。というのも、田舎で何やら知る人ぞ知る事件があったらしく、その一部始終をぼくに語って聞かせることのほうに心血を注いだからです。その話とはざっとこんな風でした。
 
 一昨年の初めのころ、あるおじいさんが蜜柑山で亡くなったのに話は始まります。今にして思うと、おじいさんの死因には不審なところはあったにもかかわらず、転落死で済ませられたといいます。そして残されたのはぼくと同級生の男と、年のずいぶん下の妹さんらしいですが、いったいぼくの同級生は何人事件にかかわっているのか、いやたぶん母のでまかせというより思い込みなんでしょう。
 
 聞いたこともない名前の同級生は元やくざだったらしいのですが、このところの不況のせいか、属していた組がつぶれると数年前に田舎に帰り、魚を盗って(獲ってではない)口に糊していたといいます。早い話が密漁というやつで、モーターボートのようにスピードの出る漁船を操っては他府県の漁場を荒らしていると噂されていました。
 
 金回りは良かったらしいのですが酒癖が悪く、しょっちゅう酔って飲み屋で喧嘩していたといいます。そんな兄の無頼に迷惑をこうむっていたのは彼の妹さんで、30も半ばを過ぎ、良い縁談がきても、やくざな兄の所業を理由にことごとく流れていたのです。
「お前みたいなやくざもんがおるけん娘が結婚できんのじゃ、バカたれが!」
 酔ったお父さんが、これまた酔った息子をなじる声が夜毎のように響いていたと、近所の人の噂でした。
 
 長くなるので、つづく

焼き鯖寿司を食べた不安

2007年06月21日 | 酒、食
 三食インスタントラーメンで凌げるようなぼくなのに、食について口を開いては、グルメな奈美さんには軽んじられておりますが、その奈美さんが先日「焼き鯖寿司」なるものを食べさせてくれました。
 
 平安のいにしえより、福井県は若狭あたりで捕れた鯖を京の都に運んだ「鯖街道」周辺の名物とは「鯖そうめん」や「鯖寿司」で、それをつい最近まで知らなかったぼくは鯖そうめんを長浜市で食べ、鯖寿司を地元堺市でこの歳になってようやく食べることがかないました。
 
 鯖そうめんについては先日書いたので割愛しますが、「焼き鯖寿司」はバッテラとか柿の葉寿司に似てはいるものの、焼いている分だけそれよりもっと野趣に溢れる素朴な印象です。
 それがどうしたことか今は珍味のような扱いを受け、ネットなんかで高値販売がまかり通っているんだから不思議でなりません。たかが寿司飯の上に焼いた鯖を乗せただけのものなんですから。
 
 で、そのたかが焼き鯖寿司ですが、酢が控えめな分だけマイルドな印象を受け、
「これは絶対に焼いてなんかいない、あぶっているだけだ」
と、食べさせてくれた奈美さんに真っ向から喧嘩を売ったところ、
「フフン、HALごとき貧乏人が口はばったいわ!」
と、声には出さなくても鼻で笑われてしまいました。
 
 いや確かに彼女のおっしゃる通り自分の舌に自信があるのではなく、だからといって自分の舌には正直でありたいと思うので生意気いったまでです。でもネットで調べる限りにおいては、鯖を焼いている、といった情報が全てでした。
 しかしそれでもぼくにはどうしても「蒸した後で皮をガスバーナーであぶった」と思えるんです。そうでなければ、あんなさっぱりした味は出せるかな? と思うんです。間違いかもしれませんし好き好きあるでしょうが、ぼくはあの味が好きです。

またもグルメ記事にだまされて

2007年06月20日 | 酒、食
 蜜蜂の生態を夏休みの自由研究として……って子どもじゃあるまいし、とは思いつつもネットで調べていたのは童話を書くため。しかし調べれば調べるに従って疑問が増え、こりゃ養蜂家に弟子入りでもせにゃ分からんな、でも今から弟子入りしとったんでは童話公募の締め切りに間に合わんし、と切羽詰っていたところにグルメ記事に面白い店を発見。堺市に養蜂家と行動を共にして自ら採蜜し、自分の店舗で販売するという奇特な女性がいるらしく、その方の店を訪ねることにしました。

 それと、グルメ記事なんてほとんど信用ならん、と何度もだまされてきたにもかかわらず、なぜかフラフラと記事を頼りに出かけてはがっかりするぼくですので、蜂蜜屋さんだけで堺市内探訪を終らせるつもりはありません。相棒のテル爺とその彼女らしい、食いしん坊の奈美さんを誘ってみました。
 
 テル爺と奈美さんは蜜蜂なんぞに用はないだろうから、そこだけは自力で攻略するべく蜂蜜屋さんを訪ねると、あいにく店長は採蜜のために留守でした。そこで店番をするお姉ちゃんに、ハチミツを買うことを条件に蜜蜂の生態を聞き出そうとしたんですが、彼女はぼくの質問にはほとんど満足に答えることができませんでした。その理由は、彼女が蜂蜜屋さんに勤めて1年という経験の浅いこともあるんですが、ハチミツのことは別として、いつの間にか蜜蜂の生態に関してなら、ぼくはそうとうな知識を得ているらしいからです。
 
 好きでもないのに、くそ重たい蜂蜜を背中にしょってぼくが次に目ざしたのは、全国的にも名を馳せているらしい蕎麦屋さんでした。
 テル爺と奈美さんと合流して店ののれんをくぐると、店員さんは蕎麦の量だけを聞きに来ました。その店は熱々のセイロ蒸し蕎麦を、熱々のつゆに玉子を落として食べるメニューしかないのです。
 蕎麦はあっという間に出てきて、すでに茹で上がっていたものをセイロに入れて蒸したかのようなすばやさです。ぼくが思うにこの蕎麦のノビ加減からすると、麺を先ず3分程度は茹で、その上にセイロで30秒は蒸さないとこのような状態にはならないと思えます。
 
 つゆは昆布とカツオのだしで醤油を割ったものと思われますが、つゆそのものを味わってみると、単なる醤油に過ぎないと感じます。しかし玉子を割り入れるとその味は一変し、とても美味しく感じたのですが、
「これは玉子かけ蕎麦なんやな! いやそれとも玉子かけうどんか?」
という意見の一致を見ました。早い話がうどんとも蕎麦ともつかない奇妙な麺を、玉子醤油に浸けて食っている図なのです。
 ぼくはお腹が空いていたので、不平をかこちつつ1斤を平らげたのですが、グルメな奈美さんは危なくお膳をひっくり返すんじゃないかと思うほどムカついてる様子で、ほとんど残してしまいました。
 
 その後我々は腹立ち紛れに堺東商店街を散策し、立ち飲みに入って口直しの酒を飲んで驚きました。最後にテル爺が注文したのはざる蕎麦だったのですが、これがマスターの手打ち、蕎麦粉はぼくが愛用しているのと同じものということで、6:4くらいの蕎麦に思えましたが、きっちりと打ててあり実に美味しいものでした。
 
 その後も餃子など食べたんですが、案の定裏切られました。グルメ記事なんて当てにならないのは承知の上ですので腹も立ちませんが、グルメ記事を書くためにグルメ記事を読んで食べに行く記者にお願いしたい。
 そりゃ他人をけなす記事は書きにくいだろうけど、不味いとは書けないなら、事実だけを書いておれば良かろう。
「立ち飲み屋のマスターが打った蕎麦が美味しい」
 なんてコアな情報が無理なら、せめて正直であってほしい。そうでないとこの先グルメ記事なんてだれも信用しなくなるでしょう。