らんかみち

童話から老話まで

獣食った報い

2012年10月31日 | 暮らしの落とし穴
 本日は段原神社の例大祭に海神社の宵宮祭、うちの村はどんだけ行事があるんだ! 高齢化して存続するだけで精一杯の限界集落にあって、行事だけは目白押しなんだよな。昔だとこの時期には、子どもが産まれた家で「亥の子さん」という猪の多産にあやかる行事もやってたけど、今はもう絶えてしまった。子どもが産まれなくなったし、行事の主役である子どもがいなくなったから。

 日本で人口が増えなくなったのはどうしてだろう。経済成長が不安定で生活の保障が無いから結婚できないというのは理解できるとして、高度経済成長時代を牽引したのは戦後に産まれた世代のはず。
 つまり戦争に敗れて厳しい生活を余儀なくされた時代が団塊の世代を育んだといえるなら、今現在だって生活の保障が無いほどの厳しい時代なわけだから、かつての例をひもとけば子どもが増えても不思議ではないはずだが・・・・・・。

 一方で、内戦の終結したコンゴ共和国では人口が爆発的に増加し、野生動物が人間によって食い尽くされようとしているらしい。牧畜ができない土地だから野生動物を食べるというのは理解できるとして、食い尽くしたらどうするつもりなんだろう。

「ししくったむくい」というのを漢字に変換したら、「獣食った報い」となるらしい。正直に告白すると、さっきまで知らなかった。冷凍の猪肉塊をもらったので検索して知ったという次第。これは、野生動物をむやみやたらと食ってはいけない、という教えなんだと思うけど、彼の国に教えてあげたい。

 一見すると遠いアフリカの事情と正反対に、猪とかの野生動物に支配されそうな当地だけど、実はこれこそが食い尽くした成れの果てなのではないか。
「猪なんか食わなくても、牛肉の方が安いし、ずっと美味しいよね」とだれもがいうけど、そんなことに安住しているから人間が増えないんじゃないのかね。

島を人の楽園にするために

2012年10月30日 | 暮らしの落とし穴
 アーティチョークの苗が本葉を出し始めたのを機に、あちらこちらに配って回った。その中の一軒で「お隣さんが植えていますよ」と教えてくれ、あっ正にこれ! というシーンがあった。もう一つの目撃情報も寄せられ、皆さん結構栽培されていることがうかがい知れる。
 ハーブバーバのジフィーに蒔いたアーティチョークだが、たった一つしか芽が出なかったという。うちと同じなんだけど、ジフィーとの相性が悪いんだろうか。うちの場合はジフィーからほじくり出し、挿し木用の土を入れたポットに蒔き直したら、いくつかは救済されたみたいだ。

 アーティチョークで島おこし、なんてことを本気でやっている、というより趣味というか食い意地が張っているからなんだが、島おこし協力隊の中には真剣に新しい食材について考えている人もいる。有機農法をやってウーフのゲストハウスなんかを目指したり、カフェや移動販売を目論んでいるメンバーもいる。給料をもらい、住居やバイクを貸与されているからプレッシャーは少なからずあるはずで、あと二年のうちに何か形のあるものを残そうと頑張っているんだろう。

 市側としては「あんな連中に血税を注ぐ必要があるのか」みたいな突き上げが市民から起きないよう、広報で彼らの活躍ぶりをアピールしている。まあしかし彼らなら何かやってくれそうな根拠のない予感はある。
 50歳前後の女性も何人かいるんだけど、既に目標を掲げて邁進しているようだ。男性は若い人が多く、良くやってはいるんだけど、なんとなく余裕があるというか、人生はまだ長いんだぞ、みたいな雰囲気を感じてしまう。

 今回のバラ祭りも盛況のうちに幕を閉じたらしい。B級グルメの威光も衰えを知らず、経済効果も少なくなかったろう。メディアで取り上げられることによって移住を考える人も出てくるにちがいない。しかし移住して来たは良いものの、まさかイノシシやカラスの楽園だったとは! 橋の通行料金も問題なんだけど、何にもまして鳥獣害対策が急がれる。これさえ何とかなれば、島は人間の楽園なんだけどなぁ。

こんな素敵な巡り会いがあるのなら

2012年10月29日 | 暮らしの落とし穴
 珍しいことに山口県からの来客が2件あった。「富山の置き薬ですぅ」って、あんた山口から来てるんでしょ! まあどこから来ても薬を富山で作っていなくても、置き薬屋さんは全て富山ということになっているんだろう。
 昔の家庭には置き薬の箱が二種類くらいあって、それぞれ異なる薬屋さんだったように思う。そのころは本当に富山から来ていたはずで、薬の補充と精算が済んだら紙風船とかのオマケをもらえたものだ。販売員のおじさんは昔からの顔なじみで、高校生になったときにも紙風船をくれたことがあって、ちょっと恥ずかしかった。ぼくが幼いころ、きっと物欲しげにしてたんだろうね。

 本日の請求は14000円。これって、病院へ行くよりずっと高くついてないか。レデイ薬局で買う方がはるかにリーズナブルだろう。しかし胃養丸(いようがん)という胃薬やノーチカという頭痛薬は市販されていない。というより、もっと良く効く薬が売られている。そういった事情で置き薬屋さんは衰退したんだろうと思うが、年寄りには慣れた薬がベターなのだ。その年寄りすら減少している村でいつまで商売が成り立つのだろう。
「一年後にまた来ます~ありがとうございました」と帰って行ったから、少なくとも来年は来て精算するのに間違いない。

 もう一件は「祖父を捜してまいりました」と、これまた山口県から若い夫婦が。駐在さんにでも聞いてぼくを訪ねて来られたのかも知れない。お祖父さんかもしれない方のの名前や出自、特徴をなどをおっしゃるので、どなたのことかすぐに分かったけど、最初は新手の詐欺かと警戒してしまった。
「100歳近いはずで、訪ねても迷惑かも知れない」と逡巡しているので、「そんなの行ってみないと分かりません」と、お祖父さんの家を案内してあげた。ぼくもしばし同席していたけど、親の写真とか持参しておられたので、ああこれなら間違いないだろうと席を外した。

 小一時間ほど経ったころ例の夫婦がもう一度来られ「やっぱり祖父で間違いありません。素晴らしい巡り会いになりました」と、目を真っ赤にして頭を下げた。孫は自分の子どもより可愛いというから、お祖父さんも喜んだことだろう。
 これって、ネット上のちょっとした記事からたどり着けた偶然で、もしお祖父さんがフェイスブックでもやっていたら巡り会いは必然だったろうか。各方面からフェイスブックを唆されているんだけど、個人情報がじゃじゃ漏れになりそうで踏み切れない。FB上で「あなたの友だちかも知れません」とアナウンスされるのも気持ち悪いという。「あなたのお子さんかも知れません」というのは、ぼくの場合は無い無い絶対に無い……はず。でも今日みたいな出会いがあるなら、オプションの一つに据えてみるか。

カマドンの嫁ぎ先

2012年10月28日 | 暮らしの落とし穴


 秋のバラとグルメ祭り2日目と、クラフト市場の日、アンド文化祭の2日目、おまけに「歩いてみよや、島四国」の日ということで、なんだかんだと忙殺された。写真はクラフト市場のシーンで、写っているよりも実際の人出は大したもんだった。特にパン屋のQちゃんのブースには長蛇の列ができていた。

 これには全く関わっていないけど、運営している人たちはみんな知り合いなので義理欠きできない。ちょこっと顔を出していくつか買わせていただいた。一応みなさんプロの出店という触れ込みなんだけど、う~ん、一部はノンプロと表現して良いかどうか……。

 秋グルの方にも顔を出さないといけないので、文化祭に出展していた作品の搬出がてらいくつか買わせていただいた。本来なら全てのブースに顔を出して謝意を表したいところだが、んなことやっていたら、あれよあれよという間に散財してしまう。

 文化祭には陶芸作品を出すんだけど、今年の前半が忙しくて陶芸ができず作品はピザ窯の「カマドン」しか出せなかった。そのカマドンだけど、売ってほしいというオファーが来てしまった。本当は春のバラ祭りで売る予定だった。なぜ今売ってはいけないかというと、陶芸クラブと関係のない取引になり、クラブの収益にならないから。そんなことにいちゃもんを付ける人はいないだろうけど、クラブの中で浮いた存在のぼくとしては気を遣うわけ。

 カマドンの嫁ぎ先は知り合いだったので価格は提示しなかった。買い手はレザークラフトの熟練者なので、代替案としてバッグを作ってもらうことにした。ぼくがデザインするバッグを作ってくれたらカマドンと物々交換しようという試みなのだ。
 カマドンには2万円をつける予定だったので、対価としてのバッグをオーダーするにはどっこいどっこいか。それはいいけど、カマドンを飼う人、いや買う人がこんなに早く現れるとは! 世の中、なにが売れるのかなんて分からんもんだねぇ。

王将の餃子に一歩近づいた

2012年10月27日 | 酒、食
 豚の挽肉に良い肉、悪い肉というのがあるのかどうか知らない。おっと言い方が悪いな。美味しい肉とそうでない肉の分類なんてのは無いのだろう。つまり高い肉とか安い肉の区別が店頭でされていないということ。牛肉ともなるとミンチになったら値段がガクッと下がるのはどういうことかいな。

 昨夜も餃子に挑戦した。こんどはキャベツの刻み方を荒くしてミンチ肉にラードを大量投入してみた。その結果キャベツの食感が柔らかくなり、ミンチ肉の食感の悪さが浮き彫りになる。安物のミンチ肉だったんだ!

 味付けは市販の餃子の素を使ってみたが、悪くない。ラードのおかげでキャベツに火が通りやすくなったのだろう、水分が抜けてラードと混ざり合っている。かなり脂ギッシュに感じたので、2回目に焼いたときはフライパンに油を引かず、仕上げにも油を使わなかった。その結果、うむ、王将の味に一歩近づいた気がする。

秋のバラとグルメ祭りを明日に控え

2012年10月26日 | 暮らしの落とし穴


 秋のバラとグルメ祭りの前日、テントなどの設営に汗を流しながら、今年のバラは見事じゃないか! と気が付いた。バラの管理をしている人はさぞかし頑張ったんだろう、明日と明後日は文化祭だけど、これぞあなたたちの発表会だね、みたいに労ったところ「そりゃもちろん仕事だから頑張っているけど、これだけ咲いたのは天候が良かったからでしょうね」と素っ気ない。いや、これぞ現場を預かる大人の対応か。プロはチャラチャラ自慢したりせんのだね。

 明日は天気にも恵まれ、バラを愛でながらB級グルメを堪能したい家族連れで賑わうことだろう。しかしB級グルメは酒の肴にならんのだよなぁ。量的には多くないので焼きそばでビールも良いけど、ピザで日本酒は飲めんだろう。
 というより、イベントの現場ってどうして日本酒のワンカップとかを売ってないんだろう。日本酒離れは言わずもがなだけど、日本酒飲む人=酒癖が悪い、という図式でもあるんじゃないかと思ってしまう。ワインもあまり見かけないし、ましてウィスキーなんて見たこともない。当局から「強い酒を出さないように」といった要請でもあるんだろうか。

 もしもB級グルメの会場でB級サカナを売るコーナーがあったらどうだろう。色んな屋台を引っ張ってきて、エスカルゴ屋さんにはワイン、ホルモン屋には日本酒、ラフテー屋さんには泡盛、ケバブ屋さんにはテキーラとかを置く。こんなのがあったら片っ端から飲んで回るけどな。
 ああしかし、帰りはどうするんだってことだよな。これで飲酒事故でも起きた日にゃ苦情が殺到して次から中止を余儀なくされるだろう。明日はスタッフとしてじゃなく、お客として自転車で……え、自転車も駄目? 歩いて行きますぅ。

近頃身に染みて思うこと

2012年10月25日 | 暮らしの落とし穴
 朝からお役人さんと企業を相手に戯れた。こっそり何かを始めていながら、内容をつまびらかにしたら村人の反発を招くとでも考えているのか、企業側は情報を小出しにしてくる。自分とこの工場内でやることを一々損長に報告する義務など無い、といえばそうなのだが、一度崩れた信頼関係を再構築するつもりは無いのかね。
 お役人さんは税収の期待できる企業の肩は持つが、限界集落の住民に目を向けても良いことはないと考えているのだろう。それでも罪滅ぼしみたいに、ぼくの出す要求はそこそこ聞いてくれる。

 朝食を抜いたので昼飯はガッツリと目論んで冷蔵庫をあさると、賞味期限の迫った冷凍豚ミンチが500グラム丸々残っているではないか。野菜室にはお百匠さま(農業の師匠)くれたキャベツが一つ。これはもう「餃子を作れ」という天啓に違いない!
 食えないものが出来上がったことはないけど、失敗もそこそこやらかしたので、今は低レベルで安定したのが出来るようになった。包み方は依然ぎこちないけど、理屈が分かったのでそれらしいものになったろうか。



 しかし味がなぁ……いや、市販の安物は凌駕していると胸を張っているのだけど、目指す大阪王将の味には遠く及ばない。肉は限界寸前だしニンニクも芽が出ているのを使ったから、ひょっとするとお百匠さまのキャベツを貶めたかも知れないが、キャベツの食感が気に入らないのだ。
 ラードを混入することによって熱が伝わり易くなり、舌触りを良くしてコクが出ると思って20グラムほど入れてみたが、そんなもんじゃ駄目なのかもしれない。王将のそれのように、口に入れたときに汁のジュワ~と染み出す感覚がほしいのだが……。

 なんかねぇ、何をやっても上手くいかない時期ってあるのかねぇ。ねずみ先輩じゃないけど、何をやっても空回りしているような足が地に着いていない感覚。
 腹立たしく思うのは、大企業が「本体が倒れたら本も子もも無いだろうが」と存続を理由に下請けを搾取し、雇用を理由に騒音やら不便といった忍従を地域に強いるということ。身に染みるのは、行政を当てにしてはいけないということだから、辛いよね。

英会話上達の秘訣は不純な動機

2012年10月24日 | 暮らしの落とし穴
 三回目の英会話レッスンなわけだが、少し聞き取れるようになった、というのは錯覚のようで、王子(先生)が今まで単純なセンテンスをゆっくりしゃべってくれていたに過ぎない。他の生徒は長く続けているとあって自発的にしゃべれるんだが、ぼくはまだ自分から問いかけるといったことができない。
 というわけでNHKの「おとなの基礎英語」という本を買った。この歳で基礎英語というのも恥ずかしい限りだが、長年ご無沙汰だと挨拶の言葉すら出てこないのだ。

「英語を学んで何に使うの?」と聞かれるけど、何にっていわれても……英語圏に旅行する予定も当面ないし、英語を話す女性をナンパするなんて度胸もないし(日本語でも無理)まして英語でビジネスなんてのはあり得ない。
 便利なことがあるといえば、スーパーでフィリピンのお兄ちゃんたちに商品の説明をしてあげられるくらいのことか。それとて彼らの日本語の方が、ぼくの英語より上達したみたいだしね。

 では童話を書くときの一助にならないか……あ、これはある! 王子のキャラを登場させて日本語をしゃべらせるってのはどうよ。朝ドラ「jun+ai」でもヒロインに下手な英語をしゃべらせて笑い(感情移入)をとっているが、あれの逆バージョン。主人公が王子の下手な日本語を聞き間違えて……。
 実際の王子は日本語も流ちょうだし漢字も書ける。彼女ができたらしいが、彼女の英語力は全くアップせず、王子の日本語だけがどんどん上達するらしい。何事であっても、動機が不純な方が力が入るんだね。

人が消えていく村で

2012年10月23日 | 暮らしの落とし穴


 造船所を作るための工事で、タヌキの楽園とも呼ばれていた塩田跡地が様変わりしてしまった。いつ変貌してもおかしくない、と前に書いた土地をバックホーで掘り進んでいくと、程なくして、お宝か! 
 軽トラックとか、実際の墓地に建っていた墓石やら、使い道のない岩石といった産廃が出るわ出るわ。

 どこぞの床下みたいに死体の一つや二つは出てくると睨んでいるんだが、遺跡と同じで発掘して公表してしまったら、ただでさえ遅れている工事はどうなることやら。
 それより何より、縁起が悪いじゃないか! 知らない方が幸せというケースはあるわけだから、ぼくが造船所の社長だったらきっと「極秘裏に処理して、私にも報告してくれるな」と、工事会社に頼むだろう。

 あ、でも駄目か。悪事千里を走るとも、人の口に戸は立てられぬともいうな。早晩「あそこの船は死体の上で組み立てられたらしい」などという心ない噂が流れることになるのだろう。そんなことになるくらいなら工事の遅れなど甘受して白骨の発掘を公表し、神主にお願いしてお祓いをするのが王道だろうか。

 さて、ねぐらを奪われたタヌキたちの末路やいかに……と心配していたら、なんてことだ、うちの庭先を闊歩してやがるじゃないか! 猫より少し大きく、丸々してて可愛いし、農作物を作っていないぼくとしては実害はない。餌を与えても良いかなと思うくらいなんだけど、「畑に入られた」という被害報告が相次いでいる。
 
 昔は人が多かったから里山が管理されてタヌキなど見かけなかった。目撃情報が寄せられたらテレビニュースになっていたほどだ。それが今やカワウソの絶滅するご時世で、イタチすら見かけることは少なくなった。
 イノシシの隆盛は言うに及ばず、タヌキやカラスのそれは人間生活との密接な関わり合いがあるのだろう。ではこれ以上人が減ったらどうなるのか……う~ん、たぶん外国人が増えると思う。

また童話を書き始めた

2012年10月22日 | 童話
 ちょいと童話などに手を染めてみようと書き始めた。夢で始まり、覚めてから現在進行を辿って回想シーンに入る、童話ではほとんど禁忌といっていい手法なのだが、時系列に沿って書き始めるより面白いんじゃないかと考えた。
 しかしだ、書き手の頭の中では整理されているから問題はないけど、子どもが読んだときに戸惑うだろうか。

 物語は「巻き込まれ型」で、主人公の女の子の何気ない一言で一家は離散の危機を迎えてしまう。「お手つき」を挽回しようと彼女は必死になるが、後手後手に回ったかと思うと勇み足だったりして、状況は悪化するばかり。
 ついには夫婦別居という決断が下され、弟は母親と、自分は父親と暮らすことになるが、引っ越し先には思いもよらぬ悪い事態が主人公たちを待ち構えていた。

 自分のせいで分裂した家族を再生しようと主人公は戦いを決意するが、数少ない味方は立ち上がろうとしない。しかし、身をなげうって苦闘する主人公に周囲は動かされ、やがて大きな敵に戦いを挑むことになる。
 梗概を書けば分かりやすいが、やっぱり時系列に沿って書いた方が書く側もやりやすそうだな。300枚の12枚まで書いたけど、一から書き直そうっと。