曇り空の下、おばさんの葬儀に参列した。あいにくPM2.5の空模様だったけど、春本番を思わせる温かさで、1時間半の道程も苦にならない。
正直言うと、おばさんのことは良く知らない。幼くして亡くなったいとこを病院に見舞ったときが初対面だと記憶しているけど、その後は法事などで会うくらいだったかも。母を連れ出せたら積もる話もあるだろうが、このところの下血騒ぎで厳しい。
葬祭会館は何度か訪れている。読経のこえをどこかで聞いたことがあると思ったら菩提寺のご住職だった、なんとこともあったな。でも今日の導師は、同じ真言宗でもかなり特異な読経の僧正であることは判っている。叔父さんの告別式で、初めてその読経を聞いてびっくりした。
読経は短調としたもんだろうけど、今日の導師の手にかかると、転調はあるし強弱も著しい。発想記号でいうと、そこをソット・ボーチェにするのか! おお、今度はエスプレッシーヴォじゃないか! ほかにも、休符はあるしフェルマータは多様する、というふうに読経に表情がある。
菩提寺のご住職は、地獄の閻魔様も震え上がらせるかと思うほどの迫力で沈鬱な読経をなさるが、今日の導師は、閻魔様も踊り出さんほどの軽快さで明朗な読経をなさる。読経は宗派によっても異なるんだろうし、読経に正解はないのかもしれないけど、今日の導師は個性派といえるだろう。
告別式を終えて拾骨を待つ間、いとこたちと故人の思い出などを語り合う。知られざる事実も明らかになったりして有用なひとときを過ごすことができた。なによりも、これからの付き合いが、途絶えてしまう寸前で繋がったのに意味がある。
遠い親戚より近くの他人ということはあるにしても、共通の過去を持った親戚って、やっぱり素敵なもんだ。
正直言うと、おばさんのことは良く知らない。幼くして亡くなったいとこを病院に見舞ったときが初対面だと記憶しているけど、その後は法事などで会うくらいだったかも。母を連れ出せたら積もる話もあるだろうが、このところの下血騒ぎで厳しい。
葬祭会館は何度か訪れている。読経のこえをどこかで聞いたことがあると思ったら菩提寺のご住職だった、なんとこともあったな。でも今日の導師は、同じ真言宗でもかなり特異な読経の僧正であることは判っている。叔父さんの告別式で、初めてその読経を聞いてびっくりした。
読経は短調としたもんだろうけど、今日の導師の手にかかると、転調はあるし強弱も著しい。発想記号でいうと、そこをソット・ボーチェにするのか! おお、今度はエスプレッシーヴォじゃないか! ほかにも、休符はあるしフェルマータは多様する、というふうに読経に表情がある。
菩提寺のご住職は、地獄の閻魔様も震え上がらせるかと思うほどの迫力で沈鬱な読経をなさるが、今日の導師は、閻魔様も踊り出さんほどの軽快さで明朗な読経をなさる。読経は宗派によっても異なるんだろうし、読経に正解はないのかもしれないけど、今日の導師は個性派といえるだろう。
告別式を終えて拾骨を待つ間、いとこたちと故人の思い出などを語り合う。知られざる事実も明らかになったりして有用なひとときを過ごすことができた。なによりも、これからの付き合いが、途絶えてしまう寸前で繋がったのに意味がある。
遠い親戚より近くの他人ということはあるにしても、共通の過去を持った親戚って、やっぱり素敵なもんだ。