らんかみち

童話から老話まで

素人陶芸の受けるわけ

2014年05月24日 | 陶芸
           

 2014年、吉海バラ祭り初日。天候にも恵まれて大勢の人出でにぎわったばかりでなく、市長さんも自転車で来園された。「あの歳で三選を目指すのか!」という声もあるけど、頑張っているよね。

 我が陶芸クラブも、展示した作品が売れてしまって困っている。売上額が前年と比較して向上しているわけでもないので、展示作品数が減ってしまっているせいだろう。クラブ員が高齢化して、どうにもならないんだよね。

 陶芸って、重労働の上に複雑な作業が必要とされるので、男性中心の社会ではあるけど、アマチュアの世界でなそうでもない。「重たい作品をこしらえたから、あとはよろしく」みたいなことで立派な陶芸作品が焼き上がる。
 センスの問題なんだよね、おばちゃんたちが自分でこしらえた料理を載せたい器を作ったら、たとえ素人っぽくても受ける。あぁ、これもアベノミクス効果の所以か……。

バラ祭り向け陶芸作品

2014年05月19日 | 陶芸
                  


 吉海バラ祭りをこの土日に控え、陶芸クラブも窯焚きと窯出しに追われている。バラ祭のブースで作品を販売しようという魂胆で、売り上げの半分はクラブの運営費に供される。なので、手抜きは御法度。もっとも、要釉斎せんせいのように「こがなやり方はしゃがぢゃ!」と物言いを付ける重鎮もおられはするが……。

 販路さえあればクラブの運営費はまかなえるが、いったい誰が仲買になってくれるだろうか。100歩ゆずって、販路を開拓できたとしても安定供給はむつかしい。所詮は素人芸で、バラ祭のようなイベントに浮かれて財布の紐が弛めになった御仁の、ほとんど善意にも似た購買意欲にすがるしかないのが現状だ。

 ぼくが作るのは茶碗に似たものと酒器ばかりだけど、このところ鎖骨骨折やらなにやらで作品ができていない。ぐい飲みをいくつかこしらえて、今回の焼成は油滴天目に照準を合わせてみた。

 油滴天目は専用の釉薬が販売されているので、それを使えば間違いなく油滴の模様が出るはず。油滴のでる理屈は解明されているので、それなりの焼成をすればいいんだけど、他の作品を犠牲にしなくてはいけない。ということで、今まで一度も油滴が現れたことはなかった。

 他の作品を犠牲にするといっても、他が全くダメになるわけじゃない。発色が良くなかったりピンホールとかが出たりするだけ、というかそれが致命傷になる場合もあるんでね。今回もそうなった作品があったけど、油滴はちゃんと出た。どうにかこうにか、バラ祭で恥をかくことだけは免れたかな。

26年、大島窯・窯出し展

2014年05月12日 | 陶芸
                  

 人口8000人ほどのこの島に窯元が二つある。ちょっと前まで「呆丹窯」という優れた職人さんの窯もあったけど、残念なことに病気で亡くなられた。ろくろの技術はトップクラスだった、と気が付いたのは、彼の職人さんへのオマージュとして、作品を真似をしようとしたときだ。ちょっとやそっとで辿り着ける境地じゃないことが理解できて萎えてしまった。

 もう一軒は萩焼の流れをくむ窯で、白い釉薬が分厚くかかった梅花皮状の縮れを特徴としている。瀬戸内海の荒れた白波に見立てた荒々しさが魅力なのだけど、陶工さんにお会いしたことはない。作品を所有していないぼくが言うのも変だけど、根強いファンを持つ味わい深い作風だ。

 今回紹介するのは、陶芸界のどの流派にも属さずに活躍されている「大島窯」の窯出し展。この方のレベルになると、女流という呼び方は失礼でしかない。陶芸は重労働なんだけど、大きな作品を、練り込みという技法で焼き上げている。登り窯なので、さすがに窯焚きは専門職のアシストを仰ぐらしいが。

 こちらの先生ほどになると、もはや入選歴といったものは意味がない。陶芸というのは、有名公募で受賞したからといって食っていけるというほど甘い世界じゃない。どこかの会派に属して個展を開きながら名声を得るのが通常らしいけど、こちらの先生は体勢に迎合することもなく、作品も独自の技術と世界観を確立している。
 この窯の作品をひとことで表現するなら、似たようなものが無いということ。よって、非常に高価。大物はちょっと手が出ないわけだけど、目の保養のために出かけてみようと思っている。

少年式と陶芸クラブ、もうやめてしまえ!

2014年01月31日 | 陶芸
     

 中学校を挙げて「少年式」という行事をしているのは愛媛県だけらしい。「立志式」なと呼んでいる県もあるらしいけど、つまるところ昔の「元服」か。その式に陶芸作品を焼いて展示するのが当地の習わしで、我々陶芸クラブはそのお手伝いを長年してきた。
 とりわけ、クラブの「マザー・テレサ」を自負する要釉斎先生は、中学生たちに陶芸の手ほどきするのを天命としてきた。「金などは要らん」と、高潔な情熱を注ぎ、無償のライフワークと位置づけてきた。
 しかし、中学生と陶芸の一期一会について無理解なクラブ員や、無償の行為に不満な部員もいる。加えて、「生きておるだけで精一杯じゃ」というお歳なので遂に今年、陶芸指導から引退なさった。

 ぼくはといえば、鎖骨を折ってクラブに顔を出すのもままならない容態だったので失礼してしまった。せめて撮影などしようと作陶の当日に顔を出したところ、入門の手ほどきもせずに土いじりをさせるじゃないか。
 彼らの人生における最初で最後の陶芸となるかも知れないのだから、陶芸のなんたるかを5分語ったところでバチは当たらんのに。

 ごく基本の部分を教えていなかったのと、スタッフによる素焼きにも問題があったようで、例年になく爆発した作品が多かった。1個の作品の上と下で焼けムラがあったら、そりゃ破損もするわい。
 手伝えなかったぼくが偉そうにもいえないけど、「窯出しの儀」も執り行わないとはどういうことだ。中学生たち自身の手で作品を窯から出す行為。この瞬間こそが陶芸の醍醐味であり感動的であるのを知らないわけじゃなかろう。

 中学生たちも先生方も忙しいし、スタッフだって窯出しの儀に時間を合わせるのは面倒だろう。しかしそれをやらないと、陶芸の喜びを伝え切れるものじゃないだろうに。
 最近の子どものなかには、米が木に生っているとか、白い状態で収穫されると思っている子もいるらしい。刺身が海に泳いでいると思い込んでいるなら、それはお魚さんに失礼だろうが。
 土をこね、素焼きをしてから絵付けをし、釉薬をかけて窯で焚いて初めて作品に命が吹き込まれる。これを教えずして陶芸クラブの存在価値はない。
 こんなばかげたことことやめてしまうか、さもなくば要釉斎先生の指導要領を踏襲すべきだ。できないというなら、オレがやってやる。

陶芸指導のサクリファイス

2013年12月13日 | 陶芸
        
              

 陶芸指導は毎年のことながら、今年痛切に感じたのは、子どもの数が少ない! 2年生の全員で16名なんだと。子どもたちの作品は手直ししないといけないので、数が少ないと我々が楽ってことはある。でもそんなの喜ぶわけにはいかない。数年前に出生率0ってこともあったから、この先いったいどんなことになるんだろ?

 作陶指導は昨日だったけど、今日は彼らの作った湯飲みの手直しをした。これも毎年のことながら、陶芸クラブ仲間でもめるんだよね。その中心人物は、やっぱり要釉斎先生、齢およそ90。元教育者の先生としては、子どもたちに良い作品を残してやりたい、という一心でライフワークとして位置づけている。
 他のクラブ員たちは、ボランティアでしんどいことやってられるか、とモチベーションが上がらない。それに要釉斎先生ほどの技術もないから、万が一壊してしまったら、と腰が引けてしまっている。

 結局、最後まで残って要釉斎と共に手直ししたのは、ぼく一人だった。それもクラブ員の手直しの手直し。ま。ぼくだって最初の頃は要釉斎先生に手直ししてもらったんだから、だまってやらせてもらいますけどね。
 ただ、要釉斎先生の審美眼で手直しされて良い品になったとして、はたして子どもたちは自分の作品という愛着が湧くだろうか。

 ぼくが初めて陶芸作品を作ったのは、たぶん6年生のときだったと思う。班分けされた中に好きな女の子がいて、ずいぶん緊張しながら粘土をいじっていたせいか、どうにもこうにもならない。見かねた先生が手を貸してくれたんだけど、先生は自分の世界に没入してしまい、自分の作りたいものを作り上げてしまった。

 好きだった女の子は、後に美術の教師になったくらいなので、陶芸作品も上手に作っていた。焼き上がっても彼女の作品はとても良かったけど、ダントツでぼくの作品が……いや先生の作品が素晴らしかった。
 その作品はいま見ても優れていると思うけど、愛着は感じない。自分で作れなかったことも悔しいが、彼女の前で先生に手助けされた惨めで切ない思い出がよみがえってきて、見る気がしない。
 要釉斎先生をはじめとする我々が中学生たちの作品を手直しすることによって、ぼくのような犠牲者を生み出しているんじゃないかって、それだけが気がかりだ。

窯焚き一生というのが理解できた

2013年05月22日 | 陶芸


 窯出しの朝、要釉斎先生の作品が良く焼けていて驚いた。あの温度帯にあの還元では、とんでもないことになるんじゃないかと思っていたけど、老師は酸化も還元もほぼ同じ結果の期待できる釉薬を選んでいたようだ。作品を置く場所については、その位置をターゲットに温度管理していたらしい。

 ぼくの作品も入っていたが、全て焼き直しだったので大きな影響は無かった。しかし要釉斎先生の弟子たちの作品は散々だった。下の棚に温度を合わせたため、窯の特性で上の段に行くほど生焼けになっていた。だから還元の影響が無かったとも言えるのだろうが、作品の体をなしていない。
 どうやら、自分の作品さえ上手く焼ければ手下どもの作品など知ったことか、というスタンスらしい。そうか、だから窯詰めの時に老師から強い邪気が放たれていたのか!

 老師の暴走ぶりは、石原さんや橋下さんのそれを凌いで余りある。「土は自由自在に操れるんじゃが、女房だけは思うようにならん」という至言も今や語りぐさとなっているし、直近では「焼き物はロクなものを焼けんが、ピザは上手に焼けるじゃないかね」が受けた。
 老師の作品はエロチシズム満開で、ぼくが女性にプレゼントしようものならセクハラの嫌疑すらかけられるところを、実績と年齢で押し切ってしまう。曰く、「あの先生なら、しょうがないか」と。

 ああしかし、気の毒なのは手下どもだ。日頃は親方を軽んじているが、窯焚きで報復されるというか、軽んじられていることに気がついていないようだ。陶芸窯というのは常に一杯にして焼かねばならないから、老師は自分の作品を焼くためだけに手下どもの作品を窯に入れているのだ。なんだか、カッコウがモズに託卵するのを思わずにはいられない。

 写真は焼き直したぼくの作品。1回目の素焼きで割れてしまったので本焼きでくっつけようとしたけど上手く行かなかった。失敗した理由が分かったので、再チャレンジしてみたら、くっついた。手をかけた作品なのでとても嬉しいが、売ることはできないので自分で使う。
 他にもいくつか判明したことがある。たとえば古窯の方が窯変が出やすいということ、新窯の方が還元になりやすいということ。「窯焚き一生」といわれる所以だね。

陶芸窯もピザ窯も焼くよ

2013年05月20日 | 陶芸


 約束の時間に窯へ行ったら既に火が入っていた。要釉斎先生の手下たちが、彼らの作品を窯詰めしようとして早めに来たんだろう、もう100℃近くまで上がっている。早引きした埋め合わせなんだろうけど、あんまり嬉しくない。一から自分で炊き始めないと窯内の雰囲気を把握し辛いのだ。

 まあそんなことは500℃を超えることができたら関係のない話だし、昼ご飯を買ってきてくれたりと、気を遣ってくれる。窯詰めをしてもらったツケを払おうって昔気質は素敵だが、窯を一杯にしているのはぼくの作品群なのだ。
 それに、昼ご飯はこちらが用意している。すなわちカマドン(売れたはずが、キャンセルを食らった)による石窯ピザだ。石窯を一口に言うけど、ほとんどは耐火煉瓦で作られていて、カマドンのように耐火煉瓦の土で作られた陶芸作品も存在する。

 三つの窯を同時に面倒見るのは厳しいので、古窯は要釉斎先生とその手下に任せ、ぼくは新窯とカマドンに集中した。カマドンはガスコンロと薪を使う前提で設計(そんな、たいそうな!)しているので、薪だけで温度を上げるのは大変だ。
 それでもなんとか市販のピザ種を焼き上げ、さあ要釉斎先生、石窯ピザを召し上がれ。
「……うむ、うまい。君ぃ、君は、焼き物は、ろくなもんを焼けんが、ピザは上手に焼けるじゃないかね」
 当人を目の前にしてこの言い様なので裏側は無い人なのだろうけど、も、なんも言えねッ!

 まあそんなこんなで和気あいあいと窯焚きをしていたんだけど、先生、煙が出ております! 灯油窯を使っているので、1000℃を超えて煙が出るということは還元がかかるということ。酸化焼成を目指してこれでは、えらいことになるぞ!
 先生も対策に一生懸命なんだけど、口でどうにかできる問題じゃない。といっても給油量を減らすだけなんだけど、すぐに対応できなかった。ぼくの焼き直し作品も入っているけど、幸と出るか不幸と出るか、まそれが陶芸の醍醐味でもあるからね。

ボンゴレ・ロッソは陶芸のために食う

2013年05月18日 | 陶芸


 久々に陶芸の窯焚きで、要釉斎先生の一味と合同で素焼きを行う。派閥の領袖である要釉斎先生は齢90を迎え、もうどうにもこうにもいけない。元教育者ということもあり口は達者なんだけど、目も耳も衰えて窯焚きなどできる状況にないのだ。手下たちも窯焚きはボスに任せっきりだったので、どうにも心許ない。

 新窯に火を入れながら、一味はどうするんだろうと様子を見ていたところ、「旧窯は任せておきなさい」と要釉斎先生がまかり出たものの、ライターが無くて火がつけられない? 旧式の窯なので電気着火じゃないんだね。仕方ないから新窯の火種を分けてあげる。
 がしかしだ、途中で火が消えるわ煙はもくもく出始めるわでパニックになってしまった。「もういかん、バカになってしもうた」と、要釉斎先生がぼくに助けを求めてくるので、新旧両方の窯を焚いた。

 明日は一味を率いて釉薬かけに臨む。何事にも一家言ある要釉斎先生のことは適当にスルースしながら作業を進めるつもりだが、一味のために今夜はボンゴレ・ロッソ。丸ごと釉薬を掛ける作品がいくつかあって、釉薬が流れて作品と棚板がくっつくのを防ぐのに貝殻を下敷きに使うのだ。

 派閥ってのは面倒なもんだね。窯焚きくらいは引き受けるが、派閥を率いるのはお断りする。人間性は悪くないんだけど、アクの強い連中が派閥を牛耳って有りもしない軋轢を作り出すような不作法に荷担するつもりはない。
 いや、軋轢というより老害に傾いているのかも知れないな。有無をいわせないほと圧倒的な技術と知識を持ったメンバーがいないせいで群雄割拠の戦国時代を迎えているといっていい。抗争を終わらせてくれるターミネーターの登場を待ちたい。

大島窯・窯出し展

2013年05月07日 | 陶芸


 島には窯元が二軒ある。もう一軒あったけど、ご主人が亡くなってしまった。一流の技術を持っていた方だったので、制作現場を見せてもらいたかった。といっても、そう易々とは見せてもらえなかったろう。
 教室を開いている人は別として、陶芸家は概ね秘密主義者だ。レシピを公開してしまったら似たような作品が大量に焼かれ、自分だけのオリジナリティーが失われる。制作技術や釉薬の成分などは、いつか誰かが解明して作品は凌駕される日がきっと来る。それまではオンリーワンで食っていかねばならないのだ。

 今回窯出し展の案内を下さった大島窯さんもオンリーワンの作品を焼き続けている。お母さんと娘さん二人で作られているんだけど、お母さんの作品は練り込みという技法が中心で、これがマネのできるような代物じゃない。一作品で数十万の値が罷り通るのも頷けるというもの。

 我々の陶芸クラブもこの先生を頂いていたんだけど、先生は有名になるわクラブ員は減るわで、いつしか師弟関係は消滅。その頃にぼくが入会していたらなと残念でならんのは、教わった技術がクラブに正しく伝えられていないから。ま、練り込みの技法は教えてもらえなかっただろうけどね。

 大島窯・窯出し展:2013年5月18日(土)~5月27日(月)
          10:00AM~4:00PM 大島窯展示室
          TEL:0897-84-4326
 大島窯の店 http://www.ohshimagama.com/

京野菜を釉薬に使ったら

2012年09月12日 | 陶芸
 京野菜といえば京都は大原。しかし京都に行かないと京野菜が手に入らないというわけじゃない。好事家はどこにでもいて、うちの島でも万願寺唐辛子とかが作付けされている。それを京野菜と呼んでいいのかといえば、中国で収穫された南高梅を梅干しにして「南高梅」のブランドで売ってかまわないのか、という議論と同じだろうか。

 出口の見えにくい話はさておき、大原で採れた茄子や紫蘇の茎を焼いて灰にし、釉薬に使っている陶芸家が京都にはおられる。それがなんと、茄子の色なんでびっくりする。紫蘇はそれほど鮮やかな紫でもないようだけど、赤紫蘇の色といわれたら納得。
 茄子釉をかけた茄子形の器に焼き茄子、紫蘇釉をかけた紫蘇形の器に紫蘇巻きかなんかを盛りつけたら楽しいだろうな。

 もっと涼しくなってきたら陶芸を再開しようと目論んでいたところ、今はやめてしまった陶芸クラブの大先輩に会い、「わしの作品を見せてやる」と家に招かれた。
「これはねや、わしの窖窯(あながま)で5日間焚いた作品じゃが」と出されたのは、市販土に地元のが混ぜられた大壺だった。松の木と地元の蜜柑の木で焚いたらしく、焼き締めの生地に蜜柑色の自然釉がかかっている。重厚でありながらも雅、素晴らしい!

 だぁがぁ、この大壺の成形はどうよ、プロでもトップクラスの技術じゃないか。ぼくがいくら頑張っても到達し得なかった頂が目の前にある。持ち上げて内側に手を入れさせてもらい、しげしげと眺める。
 粘土の紐を積み重ねる「紐作り」の技法でならぼくにもできるかもしれないが、電動ろくろだけでやろうと思えば至難だ。削ることが許されるならできるのだが、目の前にある作品は電動ろくろから下ろした後は一切手を加えていない。

「こ、これはもしかして、○○窯の手のような、ですよね?」と質したところ、「正解!」だって。そう、OEM(相手先ブランドの製品供給)で、生地作りだけがトッププロの仕業なのだ。
 大きな作品に絵を描きたいけど生地が作れない、という人のためにぼくも時々市販の土で皿や壺を作ってあげるのだが、自分で絵を描き、市販の釉薬をかけて焼いたらその人の作品といって良いのかもしれない。
 聖護院大根とか賀茂茄子をうちの島で栽培しても他の呼び方ができないのと同じで、京野菜には違いないのだ。