らんかみち

童話から老話まで

瀬戸に朽ち果て

2007年06月24日 | 男と女
 前回のつづき
 
 金回りが良かったとはいえ、密漁に使うようなFRP船にはターボチャージャー付き高性能ディーゼルエンジンが搭載されていて、大きさは脱北用の舟くらいのものであっても、海上保安庁の巡視艇を振り切れる性能が要求されるといいます。
 
 そんな高価な漁船を手に入れるのは、背中の彫り物を見せたくらいで叶うものではないでしょう。当然ながら借金はあったに違いないのですが、家には何ら迷惑の及ばないかたちで処理したといいます。しかも父親が亡くなってからは人柄が変わったようにストイックな生活を送っていたそうです。
 
 しかし妹さんにとってはもちろん男にとっても不幸だったのは、「やくざ息子が保険金目当てに父親を手にかけたのではないか」という心無い噂が広まったことでした。それも、またとない良縁が妹さんに来たときでもあり、その縁談が根も葉もない噂で流れそうになると、男はあせりました。
 
 何しろ元やくざですから、彫り物をちらつかせて先方を脅かすのかと思いきや、
「当人たちの思いは熱いのだから、どうすれば縁談が成立するのか?」
と、意外にも「婚礼の席にも出ないし、今後は島にも戻らない」と、自らの身の処し方を確約して縁談をまとめたといいます。

 やがて身内だけのささやかな婚礼の日取りが決まると、
「宴の魚は全部用意しておいてやる。当日の早朝に舟に取りに来い」
という書置きを残して男は消えましたが、婚礼までの数日は海が荒れ、漁をする船はほとんどなかったといいます。
 婚礼の当日になると天候は回復し、書置きどおり港に行くと、男の密漁船には、鯛、メバル、アワビ、サザエといった瀬戸の幸がいけすにおり、大漁だったといいます。
 
 約束どおり男は婚礼の席には現れず、全ては滞りなく終ったのですが、船をそのまま港に残し、男の遺体が遠く離れた隣の島に打ち上げられたのは、それから何日も経ってからでした。
 酒やビールの空き缶が大量に船上に残されていた状況から、婚礼の前夜か当日の朝、酔って海へ転落した溺死、と警察は結論を出したのですが、婚礼の翌日、鯛のアラなどに混じって、
「兄ちゃんを許せ、幸せになれよ」
と、かすれたマジックで書かれた木片が見つかった話は、男の葬儀が終ってから聞こえてきました。
 また、「婚礼のその日、どこかの魚卸商が魚の盗難届けを出していたらしい」という話も聞こえてきましたが、噂の出どころや真偽のほどは、母には分からないとのことでした。