らんかみち

童話から老話まで

悲しみのロッソ

2008年08月30日 | 酒、食
 久々にスパゲッティ・ボンゴレ・ロッソを作ってみました。本当は半分の量でも良かった缶詰トマトですが、消費を待っているので応えてやろうと2回に分けて使い切りました。
 イタ飯ブームが起きたのは10年、いやもっと前でしょうか。ぼくがリーマンやってた頃、会社の近所にもトリコロールを掲げた店が続々とオープンしました。その中に小さいけど評判のいい店がありました。食べてみたいなと思いつつも、行列の構成員って通行人から見ると間の抜けたように見える、というより見られている気がして並べませんでした。

 そんなある日、時ならぬ出勤をしたせいか、昼時なのに当のイタ飯屋に行列がありません。チャンスとばかり同僚と二人で入りました。満席に近かい椅子に腰掛け、まわりを見回してびっくり。男性は我々二人だけで、
「あ、あのう、もしかして今日はノー・野郎・デーか何か?」
と、オーナーシェフの奥さんらしいウェイトレスさんに聞きました。
 もちろんそんなことはなく、本日のサービスメニューを注文して待つこと10分少々。意外に早いな、と喜んで食べ始めました。

 それが初めて食べたボンゴレ・ロッソで、こんなもんなんかな~と食べていると同僚が、
「パルメザンチーズを下さい」
と大きな声をあげ、厨房からはすかざす、「すみません、今日は置いてないんですよぅ」とシェフ。
「イタ飯屋のくせに粉チーズを置いてないとはどういうこっちゃ!」
と聞えよがしに言う同僚にぼくは、
「もしかして、ボンゴレ・ロッソにはチーズをかけて食べるな、いう意味と違うか?」
「そんなことあるかい、どないして食おうと勝手やないか」
 そんなやり取りしているところへ、先ほどの奥さんが申し訳なさそうな顔をして粉チーズを持ってきてくれました。
 同僚は筒状の入れ物の口の大きい方の蓋を開け、ボンゴレ・ロッソの赤を覆い隠すほどの量を降らせました。厨房の中にはその光景を悲しげに見つめるシェフと、それを気遣う奥さんがおり、二人の姿が目に焼きついて今も忘れられません。

 アサリの繊細な味わいを楽しむならボンゴレ・ビアンコでしょうし、ぼくもその方が好きです。ロッソも悪くはないんですが、チーズを振りかけたくなる気も分からないではありません。しかしそんことをやったらアサリは主役から単なる具に貶められ、先ほどまで潮を吹き、生きとし逝った彼らが哀れでなりません。
 早い話が、何度もボンゴレ・ロッソを作りながら、未だもって美味しいのが出来たためしがないことの言い訳でした、ハイィ……。

ムカデに気が狂いそう

2008年08月28日 | 暮らしの落とし穴
 お盆を過ぎたころから、体長2~3cmのムカデの赤ちゃんが我が家に出没するようになりました。ムカデの棲み家は庭の植木鉢の下とからしいですが、そこに害虫退治の薬を撒いたんです。それで外に棲めなくなったから家の中に入ってきて卵を産んだんでしょうか。それとも外の虫たちが死滅したので餌が無くなったということでしょうか。どちらにしても大きくなったら恐ろしいので、アースなんとかっていう燻煙薬品を使いました。
 
 あれから5日ほど経った今朝、ムカデの赤ちゃんがゾロゾロ出てきて死んでます。即効性の殺虫薬ではなく残留タイプらしいので、ゆっくり死んで長く効果があるようです。そのメカニズムは多分、汚染されたダニをムカデが食べて、沈黙の臓器といわれる肝臓を病んで苦しみながら死んでいくんでしょう。まるで枯葉剤でも撒き散らしたみたいな、うそ寒さを感じます。というのも、この2、3日どうも咽と鼻の調子が悪く、なんか変なものでも食ったかな~と心配してたんです。でも原因が分かってホッとしました。
 
 いや、本当にホッとなでおろしていていいんでしょうか。たしかにムカデとタイマン張ったら野郎どもは害虫でしょう。でもゴキブリを食ってくれるんなら、ムカデといえども益虫に分類せざるを得ないのでは? 床下のシロアリを食ってくれるのなら、ムカデの肩を持つに違いないのです。最近流行の外張り断熱とかって住宅工法は確かに省エネに貢献するらしいです。そのかわり床下や外壁の環境がとてもクリーンで害虫が棲めないとか。ということはシロアリ被害に逢い易いのだとか。
 
 何が正しくて何が間違っているのか訳が分かりませんが、少なくとも日本家屋が日本の自然環境に適応したものであるのは間違いありません。1000年前に建立された木造の寺社仏閣の現存が証明してくれます。
 ではあるけど、ムカデにかみ殺されても……。いや、殺虫剤の毒でその前に死ぬのか……。まてよ、シロアリだけを退治すれば……。あ~分からん!

火事も未来への架け橋

2008年08月26日 | 暮らしの落とし穴
山林火災、延焼止まる=ヘリで消火続く-愛媛・今治(時事通信) - goo ニュース

 本当に対岸の火事なんです。非常に広範囲な山火事ですが、火が海峡を渡れないのであれば何の心配もありません。とはいうものの、昨日うちの島でも畑火事がありました。どこぞの篤志家が自分の畑を焼いて雨乞いをした、と噂されているのは、今日になって本腰の雨が降ったからです。
 
 山火事で一番心配なのはいうまでもなく人命で、次に文化財ときて、山に住む動物たちのことに思いが至るのは、その後のことでしょう。きっとあの笠松山の生き物たちにも被害が及んだに違いなく、それで思い出しました。うちの島に本来いなかった猪や狸が闊歩するようになったのはつい最近のことですが、その原因が山火事にあったらしいのです。
 
 いまから10年ほど前のこと、うちの島と橋でつながっているとある島に、猪牧場なるものがあったらしいのですが、管理不能に陥った飼い主は80頭ほどの猪を山に放ったといいます。
 猪たちがその山でつつがなく暮らしていたある日、山火事が発生しました。追い詰められた彼らは橋を渡って近隣の島々に逃げ出したそうです。料金所の職員さんが目撃したといいますから間違いないでしょう。
 
 近隣の島々に逃れた猪たちは、初めのうちは平家の落人よろしくひっそりと暮らしていたらしいですが、いつの間にやら燎原の火のように、漢民族のように覇権を拡大して今に至るのだそうです。
 いや~、野生動物の生命力ってなんて強いんだ! と驚くんですが、そりゃそうでしょう。人間と違って余暇を楽しんだりせず、彼らは生きるのに必死なんですもんね。
 
 そんな経緯があって猪たちは増えたわけですから、彼らにとっても山火事って悪いことばかりでもなさそうなんです。笠松山の山火事被害は甚大で、金額にしてどれほどの損害が計上されるのか不明ですが、人にとってもまた悪いことばかりではないのでしょう。奈良の若草山なんてわざわざ火を放つではありませんか。あれは自然を保全する意味と、放火犯のカタルシスとしての役割があるんだとか。
 
 つまり、山焼きをすることによって保たれる自然や景観もあるということ。さらには放火犯が山火事を見てすっきりするので、他の山に火を点けなくなると……。
 後述の効果のほどは分かりませんが、10年前に猪を島から追い出した山火事は放火だったといいます。昨日の畑火事も実は原因が良く分かりません。けむたくて閉塞感のある日本ですが、花火でも観てすっきりして、山には火を点けないで!

サザエのつぼ焼き対決、電子レンジ対ガスコンロ

2008年08月25日 | 暮らしの落とし穴
 立派なサザエをいただきました。いつもならガスコンロでつぼ焼きにするんですが、そろそろ飽きてきたので、今夜は電子レンジとガスコンロの対決をさせてどちらに軍配が上がるのか見てみましょう。
 
 ガスコンロの方は弱火で直あぶりし、ぐつぐつと潮が吹きこぼれ始めたらその潮を捨てて醤油と酒を少々加え、サザエのふたが緩んだころを見計らって火から下ろします。
 殻が熱々ですから鍋つかみでふたを下にするように持ち、もう一方の手の平で受け止めるように打ちつけます。このとき片方の手の平に殻が当たると痛いですから、手と手を打ち合わせる要領です。こうすると火加減が正しければふたは簡単に取れ、千枚通しなどでほじくらなくても姿良く抜けるでしょう。
 
 方や電子レンジですが、やったこと無いのでまずは一分の設定で様子を眺めながら、吹きこぼれてきたら前述のつぼ焼きと同じ作業をしてみます。冷蔵庫に入れて寒かったのか、ふたが半開きで眠ってます。そこへ醤油をたらして網焼きしたんですが、うまく焼けました。
 ところが、電子レンジの方は、最初の一分を待たずして沸騰をはじめ、もう一度醤油をたらして30秒待っているうちに、噴火してしまいました。レンジの中を掃除したばかりだったのに、うかつでした。
 
 味の方ですが、どちらも同じにしか思えませんでした。大きいサイズのサザエって、ぱくりとはらわたまで一口で食べきれないから美味しいとは思えません。それにしても作業時間の短さは電子レンジの方が圧倒しますので、お勧めです。ただ濃い目の味付けにしようとすると、電子レンジでは爆発してしまいます。どちらも一長一短といったところでしょうか。

鳥の巣から

2008年08月24日 | 暮らしの落とし穴
 お盆を過ぎてから急に涼しくなって虫の声も高くなり、秋茄子が実り始めたということは、このまま夏が終わって秋に向かうのでしょうか。そんなもんじゃないと思いますが、なぜか物寂しいです。
 
 夏の初めからせっせと胡瓜と茄子を糠に漬けて食べてきましたが、猛暑に耐えて実った畑の胡瓜は既に枯れ、糠床は絶好調なのに漬ける野菜が無くなってしまいました。仕方ないからスーパーで胡瓜の代わりにズッキーニを買って漬けたんですが、苦くてまずくて食えませんでした。やはり糠付けは日本の野菜が合うようです。
 
 それにしても、なんでこんなに物悲しいのかな? と考えて分かりました、今年が4年に一度の夏だったからなんですね。鳥の巣から何が巣立っていくのか、何も巣立たないのか、ロンドン五輪が待ち遠しいです。

ジェンダーとか叫ぶ前に

2008年08月23日 | 暮らしの落とし穴
goo注目ワード ピックアップ・・・長めスカート女子高生(goo注目ワード) - goo ニュース

 見せるよりも隠す方が奥ゆかしいばかりでなく、長いスカートの方が、露出に慣れ切った現代日本男児の欲望の琴線を鳴らせる、と女子高生たちは気がついたのでしょうか。この記事を読む限りでは、もしかしたらと思いますが、そんなわけないですよね。
 
 スカート丈が長くなったのは、体操着のハーフパンツというんですか、あれを着用した上にミニスカート履いたって美しくないから、というより不細工じゃないですか。あんな格好するくらいならハーフパンツだけの方がよほどマシだからでしょう。その不細工さを隠すための長いスカート丈なのでは?
 
 そもそもセーラー服というのは水兵さんの着る服なら、スラックスとかハーフパンツの方が整合性が高いのも頷けます。スラックスかスカートのどちらを履いても良いというのは来年度からといわず、新学期からでも出来そうですよね。
 選択肢が多いというのは、制約された中に新機軸を見出そうとして開発されたルーズソックスなどに見るように、女子高生たちの創意工夫の精神を削いでしまわないか、といった議論もあるでしょう。
 しかしそんなことで彼女たちのファッションに対するあくなき向上心が潰えることは無いと断言します。スラックスも少しずつ短くなってサブリナパンツとなり、やがてはショートパンツに行き着くことでしょう。
 
 知り合いにスカートを履けない女性がいます。スカートを履かねばならなかった暗黒の時代を振り返って、毎日が苦行のようだったと述懐するので、ぼくは彼女に聞きました。
「そりゃ気の毒な学生時代だったね。でも、きみぃ、ブラジャーしてるよね?」
「はぁ、そりゃあ女ですから」
「ブラジャーするのは抵抗無いの?」
「ぜ~んぜん」
「すると、ジェンダーフリーとか何とかかんとかって言いたいんじゃなく……」
「えぇ、単にスカートが嫌いなだけです」

 とまあ、こんな女性もいる一方で、スカートを履きたい男子高校生もいるなら、スカートとパンツの垣根を取っ払っても構わんでしょう。また、羽織袴の制服があっても良いでしょう。今という時代は、制服そのものがターニングポイントを迎えている時代なのかもしれません。

生レバーなんて存在しないのか!

2008年08月22日 | 暮らしの落とし穴
 知人が、「ジーパン履く、入院する、麻薬をやる、生レバーを食べる。これだけは死ぬまでにやっておきたいね」と、馬鹿げたことを常日頃より口癖のように唱えておりました。世間並のことでも魅力的なことでも、社会通念とか潜在意識が邪魔をしてか、爺さんと呼ばれる今日までにできなかったらしいんです。
 
 ところがつい先ごろ、彼は急に患って入院してしまいました。そこでぼくは、
「悲願がかなって入院できましたね、おめでとう。残るはジーパンと麻薬と生レバーですね」とメールしたところ、
「ジーパンは既に履いたし、麻薬も病院で注射してくれそうなので、残るは生レバーだけです」
と返事がありました。
 事情を良く聞いたら、どうやら娘さんが無理やり彼にジーパンを履かせたらしいのです。病んだのはそのせいじゃないとは思うんですが、彼が一石三鳥を成し遂げるのに貢献した娘さん、金メダルをあげたいところです。

 そんな話をしたのは昨日ですが、今朝の朝日新聞、「私の視点」というコラムで細菌学者が、「牛レバーの生食、危険伝えよ」と題して、生レバーがどれほど危険な食材か認識すべきである、と訴えておられました。
 それによると、厚生労働省は牛馬肉の生食に関するガイドラインを策定しているものの、強制力が無いので、日本には「生食用レバー」なんてものは存在しないといいます。つまり本来なら加熱しなければいけないものを「生レバー」として供しているんだそうです。
 目から鱗、青天の霹靂みないな仰天話ですよね。知人の先見性というか直感がいかに正鵠を射たものであったか、今更ながら頭の下がる思いです。

 なんという賢人だったか、処刑に臨んで、「最後にタバコを吸うか?」と死刑執行人に聞かれ、「タバコは体に悪いからやらない」と拒否したといいます。
 死ぬ直前まで信念を貫いた彼の偉人とぼくの知人も一見すると似て、「死んだくらいでは直らない人」なので、生レバーだけは死んでも食べない気がします。いやそれどころか、生レバーなんてものが存在しないのだから不可能なんです。いずれにしろ、何事においても一生涯をかけて求め、貫くのはすごいことです。

大麻も所詮はこの世の善悪

2008年08月21日 | 社会
 煙たいついでに書くわけですが、大麻ってアメリカでは州によっては合法だし、自由の国オランダなんかでは当然合法です。タバコより害は少ないという説もあって、何の病気か、英国では治療薬として使っているケースもあると聞いてます。
 
 そうはいっても麻薬は麻薬。習慣性も依存性もあるわけで、シンガポールじゃ持っているだけで死刑という判例まであるそうです。
 そんなものがオランダで合法なのは、観光産業のアシストと、ハードドラッグの蔓延が大麻によって抑制されるからだそうです。アメリカの合法なんてのは、利権と衆愚政治の利害が一致した具体例らしいです。大麻を吸う人はタバコも吸うわけで、大麻を禁止したらタバコ販売にも悪影響が出るってことでしょうか。
 
 大麻を吸ったことが無いぼくが何をかいわんやなのでタバコの話になりますが、このところ会う人毎に、「タスポが導入されたとき、この機会に禁煙しようと思った」そうです。でも結局は禁煙に失敗して、「タバコ一箱1000円になったら絶対やめる」と心に誓っているのだとか。
 
 そういう方々に「チャンピックス」という薬を勧めてあげてます。ニコチンをガムから摂取する旧来の禁煙薬と違って、ニコチンの振りをして脳内のニコチンレセプターを騙すという画期的な禁煙薬なんだそうです。実際に服用している人の感想では、「タバコを吸いたい欲求があんまり起きない」んだそうです。
 
 ただこの良薬ですが、アメリカでは自殺との因果関係が取りざたされているようで、怖いですね! しかしその話がタバコ会社が流しているデマだと疑っている人もまた少なくないようです。タバコを吸っている人はある種の癌には絶対にかからない、という研究報告なんかも怪しいもんです。
 
 今の世の中、いったい何が善で何が悪なのか分かりません。仕方ないですよね、所詮はこの世の善悪。死んでから、閻魔様率いる地獄の裁判官「十王様」に判定してもらい、御仏の慈悲にすがるしかありますまい。

簡単な問題ではなさそうです

2008年08月20日 | 社会
若ノ鵬容疑者は解雇処分へ 21日、相撲協会が緊急理事会(共同通信) - goo ニュース

 この問題って簡単じゃないですよね。桐生第一高校の例に倣うなら親方は辞任が相当でしょうが、あの事件を起こしたのは未成年ということもあって真相が良く分かりません。なにも監督が辞任しなくてもって思うのが普通の感覚だと思うんですが、高校野球は特別なんでしょうか。
 
 若ノ鵬容疑者の解雇にしても、刑が確定しないうちから迅速処分ってのも良く分からないですね。一罰百戒を狙ってのことかもしれませんが、相撲協会の責任逃れの姿勢が見え隠れしてそうです。
 ここは親方が首をかけて若ノ鵬をかばうべきじゃないでしょうか。そうでなければ親方の威信が保てないばかりか、外国人差別の議論にも発展するかもしれません。そうなって困るのは協会ですから、出来レースの筋書きは完成しているのかもしれません。
 
 それにしても、部屋で大麻吸われて親方は気がつかないんでしょうか。大麻ってかなり変な臭いがするらしいじゃないですか。ネオシーダーっていう禁煙タバコとか、ハーフアンドハーフっていうタバコだって相当違った臭いがするんですよ。葉巻やパイプタバコはいうに及ばず、それに似たプロムナードっていう銘柄のタバコだってすぐに違いに気がつきます。吸った後でも分かるくらいだから、見て見ぬ不利をしていたと疑われても仕方ないでしょう。
 
 改革をカルロス・ゴーン氏という外国人に託さなければいけなかった日産自動車のように、相撲協会も大鉈を振るう必要に迫られてませんか。そんなところまで来ているような気がしてなりません。
 若ノ鵬容疑者については戸塚ヨットスクールでしばらく矯正してもらってから復帰っていう手もありそうです。部屋がそこまでになっていないことを願うばかりですが。

餓鬼に施してきました

2008年08月19日 | 暮らしの落とし穴


 盂蘭盆会(うらぼんえ)旧暦の7月15日に行われる仏事のいわゆる「お盆」の施餓鬼法要が菩提寺で行われました。当地では五か寺がそれぞれのテリトリーで15日を中心にそれぞれのご住職が協力して法要を乗り切ります。
 施餓鬼とは、父母や祖霊を供養するついでに六道のうちの「餓鬼道」に落ちた衆生(しゅじょう)を供養してあげようという習わしのようです。
 
 極善人、極悪人以外の大概の人は餓鬼道に落ちるらしいです。そこに落ちると、水も食べ物もみんな炎と化し、飢えと乾きは癒されることが無いのだとか。父母先祖の位牌の前にジュースやお菓子をお供えしたら、父母だけでなく餓鬼の供養にもなるんだそうです。
 
 昔は盆踊りも同時に踊られ、そりゃあ楽しい行事だったように記憶してますが、今年は夜店もアイスとタイヤキを売る屋台が一軒だけでした。
 この調子で行くと、ぼくが餓鬼道に落ちたころにはだれも供養してくれそうもありません。自分が落ちたときのためを思うと、前もって餓鬼どもに施しをしておいた方が身のためでしょう。