らんかみち

童話から老話まで

叔母の四十九日法要にて

2013年08月31日 | 暮らしの落とし穴


「納骨せんとは、どういうことじゃ!」と参列者に罵声を浴びせられながら、兎にも角にも叔母の四十九日法要を終えた。納骨ができるくらいなら、おれだってやりたいわい! 
 お勤めしてくれたのは若い副住職だったんだけど、このやりとりに驚いて、今しばらく待てば住職が戻る、と参列者をなだめてくれたけど、法要が終わると皆さん呆れて帰ってしまった。

 なんかもう、どうしたら良いのって、藁にもすがりたい気持ちだけど、戦前の問題なので、戦後生まれのぼくらには解決できんのだ。戦争と同列に置いて考えるわけじゃないけど、個人的な時間軸で考えたとき、かなり根深いところにある問題のようだ。
 で、問題の解決になる糸口だけど、全く思いつかない。ずっと悩んでいるけど、酒量が増えるだけでアイデアは湧いてこない。いや、酒量が増えるから考えが浮かばないのかも。

 野辺支度のセットや卒塔婆、遺骨や位牌を持ち帰ってみたけど、お寺に本堂にあった頃と比べたら寂しいもんだ。早いとこ何とかせねば、とは思うけど、できないことについて悩んでも仕方ないか。なるようにしかならないってことも世間には少なくないんだから。

バカッター画像に我が身を見る思い

2013年08月30日 | 暮らしの落とし穴
 ったく、バカ発見器、バカッター、とは良く言ったもんだ。冷凍庫に入るとか、線路内に立ち入るとか、万引きとか、ツイッターで犯罪を自慢するやつが次々登場するんだから、バカは無尽蔵なんだと確信した。

 そんなバカッター画像を見てたら、余りにもバカバカしくて笑ってしまうというより、こんなことやって何が楽しいんだろ、と気の毒になってしまう。
 だがまてよ、この連中のやっていること、どこかで見たことあるぞ……ありゃ~、これらは10年ほど前までの自分たちの姿じゃないかい!

 バカな友人と毎晩飲み歩き、居酒屋チェーン店で将棋をさすどころか、深夜の路上で将棋を指したなんてこともある。電車が無くなって、「近道しよう」と線路を横切ったこともある。帰りのバスに乗り遅れ、自動車教習所の送迎バスに、生徒に紛れ込んで送ってもらったともある。他にももっとバカをやったけど、あの頃に今のようなツイッターがあったら間違いなく炎上もんだったろうな。

 バカな友人が亡くなってからは反省してバカはやってないけど、バカッター画像を見ていたら妙にバカが懐かしい。酒を飲んで車を運転することに寛容だった時代ってこともあるか知れないけど、回りの連中もとんでもないバカをやらかしていた。今思えば、バカに寛大な時代だった。
 バカが咎められるのは当然として、身内まで糾弾されてしまう。企業が甚大な損害を被る。いつからか、バカが生きにくい時代になったんだねぇ。

ドラマ半沢直樹を観て反省

2013年08月29日 | 暮らしの落とし穴
 自分の親に飯を食わせるのすらままならぬというのに、足腰の立たない97歳のおいちゃんが家に帰ってきたら、どうすりゃ良いんだ? 昨日もイレギュラーな会議があって、はた目から見たらつまらぬことで大もめにもめた。
 だれのために村おこしなんぞに携わっている、おのれの利益やメンツのためにやっているわけじゃないだろうが。こっちはサラリーマンじゃないし給料も頂いてないボランティアなんだっつうの! 

「憂さ晴らしをしたいなら『半沢直樹』でも観たら」と勧められたので観たけど、面白いじゃないか。とてもスリリングなだけでなく、緩急が織り交ぜられていて飽きさせない。
 原作は漫画らしいけど、「この女に賭けろ(このひとにかけろ)」という漫画を思い出す。主人公は女性総合職なんだけど、利益至上主義の冷徹な銀行を舞台にしながら、人情を優先して問題を解決して利益に結びつけていく。良くできた漫画だったけど、ドラマ化されなかったんだろうか。

『半沢直樹』のただならぬ緊張感は、普通のサラリーマンが直面することは少ないだろうけど、某大手銀行系の病院に入院していたとき、隣のベッドに寝ていたのが銀行の支店長補佐かなんかだった。
 ぼくは長く入院していたけど、支店長補佐は一旦退院して再入院してきた。が、気の毒に、入院していた間に失脚させられていたそうだ。
「銀行員って、頭がええだけに悪巧みも大したもんや。退院したら席がなかっただけやのうて、不正融資の責任が全部わしに……」
 再入院した彼のその後は知らない。ぼくが先に退院したからね。ボランティアのもめごとくらいでカッカしているなんてね、命とられるわけじゃないし……。

原発村ならぬ、村おこし村の構図

2013年08月28日 | 暮らしの落とし穴
 某テレビ局のディレクターを名乗る青年が来て、「10月20日のサイクリング大会にちなんだ番組を作りたい。面白いネタがあったら教えてほしい」というので資料を渡して島を軽くPRしておいた。
 昨日のことなんだけど、改めて考えてみたらぼくは島のことを知らないなぁ。地元出身で島おこしなんかに携わっていながら、「多島美とぉ、新鮮な魚介にぃ、島四国八十八箇所……」と、既にメディアで取り上げられているネタを羅列したに過ぎない。
 
「ここには美しい海や豊かな自然があるじゃないですか。この資源に地元の方々は気が付いていない。なにも新しい料理を考える必要はありません。瀬戸内で獲れた鯛だけで勝負しましょうよ。都会の人たちに教えてあげましょうよ、私がやりますよ」ってこれ、村おこしのコーディネーターを名乗る御仁たちの常套句ね。

 コーディネーターの先生方は総務省あたりとパイプがあって、というより総務省の予算を管理している外部団体などとパイプを持っていて、少しくらいの村おこし資金を獲得するノウハウはある。
 地域おこしの予算を「審査」という名目で外部団体に任せ、そこが「専門家」と呼ばれる人たちの書いた企画書を審査して地方自治体に渡す。
 自治体は下請けとして働くするNPOとかに仕事を依頼する。NPOとかはボランティアを集めて仕事をこなす。

 総務省の村おこし予算を上手に使ったら大臣表彰をいただける。子どもたちをターゲットにした農業体験みたいなイベントをやったらメディアが取り上げ、村おこし予算に関わった全てのセクションが満足する。

 こういうシステムがいかんというのではない。発注先→受注企業→下請け→孫請け→労働者というパターンは有りだけど、地域おこしには適用できないと思う。
 孫請けともいえる我々は予算を獲得し、それを消化するのに一生懸命になり、島おこしという初心はどこへ忘れたの、ってことになりかねない。

 一連のプロセスの途中に介入して飯を食ったりエンジョイしたりする人たちがいるんじゃないか、と勘ぐる人はいる。こっちはボランティアでやっているんだ、本気で島おこしを考えていない人に口出しされたくない、と憤るボランティアもいる。

 なんというか、言葉を濁すわけだけど、原発村の構図には呆れたように「村おこし村」の構図も負けず劣らず世間の常識とはかけ離れた歪な構図をしているように見える。
 我々はお金をもらえるから村おこしをやるんじゃない。その逆で、不可解なプロセスを経たお金をやるというからモチベーションが下がるんだ!

選挙なんかやりたくないよ

2013年08月27日 | 暮らしの落とし穴
 イレギュラーな会議が招集されたかと思えば、またぞろ選挙絡みかい! 愛媛県知事選挙が来年に予定されていて、現知事に反対する勢力が刺客を送り込んでくるだろう、とぼくは睨んでいる。当然ながら知事サイドも危機感を抱いているだろう。

 現知事の仕事ぶりは素晴らしいと評価される一方で、続けさせてなるものか! と怨嗟のマグマを滾らせている勢力もある。そもそもは現知事側が最初に辛酸をなめさせられ、それを倍返ししたら十倍返しがきた、との図式だろうか。

 やりたくないよ、巻き込まれたくないよ。そう逃げ回りたいところだけど、義理と人情を秤にかけなくても、既に体が二つ欲しい立場に立たされてしまっている。金と力を秤にかける必要は無いが、どっち側に立つんだ、と迫られたら……できん、どちら側にも立ちたいけど、できん!

人は身構えていないときに遭難する

2013年08月26日 | 暮らしの落とし穴
 婚活に来て死ぬなんて! 水上バイクとプレジャーボートの衝突事故があった大崎上島というのは広島県だけど、うちの島からそう遠くはない。独特の文化が育まれた島で、ちょっと検索すれば面白い歴史を知ることが出来るだろう。
 警視庁の白バイ乗りだった女の子が移り住んで弾けているブログとかもヒットする。彼女、とある集会のパネリストとして参加していたけど、おじさん連中にえらいモテていたのを覚えている。

 あの島は船でしか行けないけどエネルギッシュでアグレッシブな若者が多いと聞く。一度だけ行ったことがあるけど、子どもたちが櫂伝馬の練習をしているところに遭遇した。立派な祭りができるなんてうらやましいなと思ったけど、婚活イベントをするってことは嫁不足ってことか。

 どんな婚活イベントだったのか詳しくは知らないけど、うちの島でも瀬戸内海という資源を活かして人を集める企画がある。皆さん盛り上がっているけど、やめておけばといいたい。
 穏やかな瀬戸内海といっても、ベテラン漁師が遭難して無人の船だけが走っているのは1年のうちに何度もある。海を現場にしたイベントもいいが、素人が簡単に手を出せるもんじゃないだろう。

 夏の海は楽しいけど、ぼくも死にそうになったことがある。台風一過のウィンドサーフィンでじゃなく、人の多いビーチで死にそうになった。人は身構えていないときに、あっけなく遭難してしまう。そういうもののようだ。

運命は成り行きだ

2013年08月25日 | 暮らしの落とし穴
 他のお寺のことは知らないけど、菩提寺に永代墓をお願いすると、人数にかかわらず100万円と1万円かかるそうだ。100万円というのは、石で出来た観音廟という場所に骨壺が三つほど入るスペースを確保していただくということ。一万円というのは、スペースの蓋に名前を書く石屋さんに払う手数料。これは高いのか、それとも寺が存続する限りお祀りしていただけるなら、安いのだろうか。ちなみに、質素な墓を建立しても100万円くらいの出費だそうな。

 墓の件は以上なんだけど、仏壇を菩提寺にて永代供養してもらうとなると、場所代100万円と小型仏壇費用が4万円かかるらしい。これもお寺が存続する限り安置されるという。〆て205万円なり~。
 墓だけでも仏壇だけでも良いし、両方をお願いしても構わない。墓を建てるというオプションは、だれが墓に参るねん、という一言で却下。ぼくの叔母さんではあるけど、墓を維持していくのは子ども、だけどいない。ということで、墓場は広くないんだ、祀らない墓なら撤去しろ、とやがては迫られるだろう。

 そんなことはいい、金で解決できるんだから。悩ましいのは、おいちゃんが家に戻って自活したいと駄々をこねているということ。歩けないんだから無理だろう、というのは簡単ではあるけど、勘弁してよというのがぼくを含めた親族の本音だ。
 まあ、そうしたいと願うならプランはあるけど、経験がないので不安だ。「お前のせいで早く死んだ」などと後ろ指さされるのも……いや、「早く逝かせてくれてありがとう」などと感謝されたら、もっと辛くないか? 心配してもしょうがないか、成り行きに任せ、抗うのはやめておこう。

贅沢は不満の始まり

2013年08月24日 | 暮らしの落とし穴
 当地はテレビの難視聴地域で、民放が2局ほど受信しにくい。それでも皆さん「仕方ないね」と現状を受け入れてきた。そんなところに大きな工場が建設されたもんだから状況は悪化、するかと思いきや「電波障害対策をさせて下さい」と、今年の前半に工場サイドから打診があった。

 で、調査に始まって長くかかったその工事は本日でフィニッシュ。これにより人の住んでいる全戸で共同アンテナとなった。2年前にすったもんだして共同アンテナにした数戸も全てやり直した。全局が見れるようになって皆さん喜んではいるんだけど、あの時のぼくの努力はいったい何だったの?

 屋根の上のアンテナは必要なくなったんだけど、共同アンテナの線は屋根の上に繋がっているので、下ろすに下ろせない。8万円もかけたのに、わずか4年ほどで不要になるなんて、いくら企業が無料で共同アンテナにしてくれたといってもスッキリしないなぁ。
 
 いやいや贅沢を言ったら罰が当たる。全く映らなくてケーブルテレビにした地域もあるんだから。そういう地域人たちがケーブルテレビに払う料金を総務省がくれるなら文句はないけど、自腹を切っているんだから気の毒でならない。

 地デジになって双方向通信ができるとか、テレビがインターネットに繋がるのは良いことなんだろうけど、アナログと同じ使い方をしているぼくなんかには地デジのメリットなんか無い。
 あ、でも画面は綺麗なんだ。アナログ時代はゴーストが出たりして、今よりもっと受信状況は悪かったはず。それなのに「共同アンテナにしたのに時々ちらつく」と村人からクレームをいただく。
 人って、贅沢に慣れてしまうと常に不満を感じるようになるんだな。自分自身も含めて、反省!

残されたぼくたちは、どうすりゃいいんだ

2013年08月23日 | 暮らしの落とし穴
 めっちゃ忙しいってわけじゃないのに、ストレス性の通風らしき症状が……。普通の通風ってのは克服したつもりでいたけど、ストレス性の通風というのはコントロールが難しい。

 亡くなった叔母の遺骨だけど、行き場所がない。今はお寺に預かってもらっているけど、49日が過ぎたらどうすりゃ良いんだ。
 叔母夫婦には子どもがいないから、もし新しく墓を建てるとして、だれが祀るのかという問題がある。
 おいちゃんの側の墓に入るのが慣わしだろうって言われるけど、それが出来ないので苦しんでいるんだ! 

 人が生きているうちは個人の胸の内に秘められていた歴史、言い換えれば「蟠り」とか「恨み」とかの感情に裏打ちされた歴史は「世間体」というビロードに彩られている。
 それがいったん死んでしまったら、遺族の生々しい感情が炙り出されてくるというか、秘めていた負の感情が溢れてくる。
「あっちの墓に入りとうはなかろが!」という感情は尊重してあげたいよね、でも残されたぼくたちが、どうしたものかと苦しんでいる。

県知事と飲みながら

2013年08月22日 | 暮らしの落とし穴


 村が長く抱えてきた問題の一部が、ようやく決に向かう。この日のために似合いもしない政治の世界に足を踏み入れ、ぬかるみにはまってもがいてきた。
 発言力や実力のある損長さんは労せずして問題を解決できるんだろうけど、うっかり損長になってしまったぼくなどは、「予算がございません」と、市に門前払いを食らったら話はそこで終わり。だったら県知事に頼もやないか。
 県知事に会って陳情出来るわけもないので、行政手続きを一段また一段と踏みながら予算を付けていただく。ここまで登ってくるのに3年かかったよ。

 政治家の力を借りる手はある。ツボにはまれば強力で、早く解決できるかもしれない。でもそれって「ヤクザと政治家に貸しは作っても、借りは絶対に作るな」という父の教えに背くことになる。
 それでなくても村は政治家の力を頼った実績があり、「先生の目の黒いうちは不義理できん」と、自らを縛らざるを得ない。恩義という重い十字架を背負い、村人は今も巡礼を続けている。

 写真は県知事陳情会が終わって懇親会のとき。芸能の世界に住む人のことは知らないけど、政治家というのは概ねサービス精神が旺盛だ。(写真はぼくじゃない)
 我々のテーブルに来られたときは、県知事も既にほろ酔いを通り越していた感じなんだけど、そつなく愛想を振りまいて下さる。昨年の衆議院選挙で敵対した人たちを相手にこれだからね、根性が座っているというか、命知らずというか、愛媛県は優れた知事を頂いたもんだ。