らんかみち

童話から老話まで

季語と季味のずれ

2007年06月28日 | 暮らしの落とし穴
 先日のこと、場末の飲み屋で「てんぷらに何をかけて食べるか」で客同士が口論となり、危うく流血騒ぎに発展しそうになりました。事の発端は、ある客がてんぷらにソースをかけて食べるのを見た別の客が、「お前は鬼畜米英か」と言ったことに始まります。
 好きなように食うたらええやないか、他でもないここは場末の飲み屋なんやから、と思うぼくが居合わせた客からアンケートをとると、醤油派3、ソース派4、天つゆ派1という結果が出ました。
 
 ぼくは醤油派なので、天つゆ派というマイノリティーリポートは聞かなかったことにすると、醤油派とソース派はタメを張っているといえますが、これには正直驚きました。
 もちろん場末での集計結果など大した意味を持つとは思えないし、隣の寿司屋でてんぷらにソースなんぞかけたら「出て行ってくれ」とまでは言わないにしても、「オレの天つゆじゃ不足やと言うんですかい」と、大将のご機嫌を損なうのは火を見るよりも明らかでしょう。
 
 しかしそう考えていて、どちらの派閥の人も互いに自分達の嗜好の方がメジャーなのだと考え、他を認めたがらないのだということに気がつきました。
 同じ日本に生まれながら、ありふれた食べ物に何をかけて食べるかで、こうも意見が分かれるなんて不思議ですが、今日の童話教室でそんなことになる理由が少し分かった気がしました。
 
 教室には二作品が提出されていて、その一つ「アケビ」を登場させた作品を合評する中で、アケビがどんなものかイメージできない人に、「アケビとは種の周りの甘い部分を食べる植物」という意見と、「皮をてんぷらなどにして食べる植物」という二つの意見に分かれて主張されたのです。ちなみにぼくは前者ですが、ショックを受けたのは、蜜柑は冬の食べ物だと断言されたことでした。
 
 窓の外には雪がしんしんと降り、コタツの上では猫が丸くなり、蜜柑の皮をむきながら彼氏に「ア~ンして」などとやっている図は確かに冬以外のシチュエーションは考えられません。それでもなお「蜜柑は秋のものだ」などと言ったらそれこそ鬼畜米英のそしりを免れませんが、蜜柑どころの愛媛に生まれたぼくにとって、蜜柑は間違いなく秋の食べ物なのです。
 
 ティーブレイクにはサクランボをいただきました。何年ぶりで生のサクランボを食べたか分かりませんが、とにかく美味しかったです。
 盗難防止のために厳重な警戒態勢がしかれているらしいサクランボ農家の方々に聞いてみたいとぼくが思うのは、我々が考えているようにサクランボは初夏の食べ物なのかということです。
 
 愛媛の蜜柑は10月には露地ものが出回ります。秋祭りといえば青い早生蜜柑が付き物で、どこの家でも梨と蜜柑がセットみたいにして振舞われます。ですから、秋祭り=蜜柑=秋の季語と、ぼくには思えていけません。
 しもやけになりながら経験した真冬の蜜柑摘みを忘れたわけではないのですが、どうしたってぼくには蜜柑は秋の食べ物なんです。
 
 あ、そうそう、最近スーパーで買うてんぷらの多くには「抹茶塩」が添付してきますよね。味覚とか、それにまつわるイメージなんて人それぞれなんですね。