らんかみち

童話から老話まで

ゴミ発電所を夢見て

2011年07月31日 | 暮らしの落とし穴
 上の姉が母の見舞いに来てくれ、2泊3日で帰って行きました。家の掃除や洗濯をサッサカこなしてくれたばかりか、「あんたらの食事」と、地元企業の横暴にも似て、料理をたんまりこしらえてくれました。おかげでぼくの料理のバリエーションも増えたし、メタボも増進でき夏バテ知らずです(燃やせるゴミがどっさり出た)。

 母の方は姉の顔を見てご機嫌で、明日のレントゲン撮影の結果次第では退院が早まるかも知れません。早く帰ってきてくれないと、草引き水やりとかの畑仕事が忙しくて、かなわん。
 思えばあれだけのことを母はよくぞこなしていたものだと感心するのですが、ゴミ出しはもう母にやらせるわけにはいかないでしょう。分別することが難しいなら、自分たちでしっかりやっていかねば。

 当地では「燃やせるゴミ」とか「軟プラ」とか分別するんですが、どうやら投入する焼却炉の能力によって、高温になるゴミと比較的低温で燃やせるゴミに分けているようです。
 今治市も新しい焼却炉が必要なのですが、今ある焼却施設の周辺では、「もうこれ以上は勘弁してほしい」と、別の場所に建設するよう求めているようです。

 ゴミの焼却場についてはどこの自治体も苦労しているはずで、大歓迎してくれる所は無いでしょう。ゴミ発電所がどれほどの能力を持つのか知りませんが、電力各社にゴミ発電所を建設してもらうわけにいかんのでしょうか。
 先日も焼却施設から「事業所から出る生ゴミは水切りをしっかりやって下さい。燃料代が高騰しているのです」と指導されましたが、処理施設では恒常的に発電出来るんですよね。元々ゴミ焼却炉として建設されてきた施設も、今ではかなり発電効率が高くなったと聞きますから、核のゴミを出す原発からゴミ発電に方針転換してほしいな。

持たざる者は幸いなるかな、戦えるがゆえに

2011年07月30日 | 暮らしの落とし穴
 地元企業によって午前中に開かれた説明会は大荒れでした。
「地元のために数千万円をかけて行っている」などと、住民が望んでもいない工事を恩着せがましく強行する理由が、だれ一人として分からない。住民が激高するのも当然だ。
 住民が平穏に生活したいと願うのは、企業の発展と矛盾するわけではないし、むしろ雇用が生まれるのは歓迎しているのに、住民の生活を脅かしたがる企業の姿勢を問いたい。
 
 当地は塩田と海運業で隆盛を成した地域ですから、造船所があって何ら不思議はないのですが、造船所があった所に家を建てた、いわば企業城下村ではないのです。村のある所に企業が進出して来られたのです。
 塩田の衰退によって失われた雇用の受け皿として造船所は歓迎されたし、規模が小さかったので公害も限定的だったから、甘んじて受け入れられたのです。

 でも今や生活の安定と、生活の安寧を天秤にかけることが出来ない企業活動のレベルになってしまった。戦うことすら叶わぬ限界集落だと見越しての横暴だとしたら、本意ではないけど村のために戦わざるを得ないでしょう、だってぼく、失うものないしぃ……。

戦いの前夜

2011年07月29日 | 暮らしの落とし穴
 猛暑猛暑と警告されていた割にはエアコン使わずに過ごしてます。風呂上がりに汗をかきたくないので、夜に1時間ほど頼るだけで、朝まで扇風機無しでもなんとかなりそう。

 ですが、この一週間ずっとバトルのようなことやってまして、明日も村人を率いて地元企業との折衝。これがまた熱くなりそうで、今宵はアルコールもほどほどに鋭気を養う所存にございます、とほほ……。

心霊写真専用デジカメ

2011年07月28日 | PC WEB
 邪剣に操られて殿様を刺した刀鍛冶が我に返ったとき、自分のしでかした所業に恐れおののき、邪剣を殿様の胸に残したまま逃走したでしょうか、いや邪剣を以て自刃したと考えるのが妥当でしょう。
 この事件によって人の血の味を覚えた邪剣は、時の権力者に重用され、あるいは彼らをそそのかしては戦を始めたことでしょう。やがて戦を終息させるべく、聖剣に選ばれた勇者が立ち上がり、邪剣に勝利する。

 どっかで聞いたような梗概ですね、こんな物語書いているようじゃぼくも邪剣の露と消え……そうではなく、心霊写真の話でした。この日撮影した写真は、この絵のように登場人物から強い邪気が放たれていただけでなく、ことごとく霊が写っていて、さすがは大浜八幡大神社! 
 震撼したのも束の間、カメラのレンズを見ると微細な傷がある。小さいけど爪に引っかかるほどの深さで、逆光にすると霊が写るようになってしまったのです。

 そこそこの値段で買った高性能コンパクトデジカメですが、2年も経つと陳腐化した印象はぬぐえません。大した写真も撮らないんだし、携帯のカメラ機能で十分だろうと思いました。
 その携帯も古くなり、そろそろスマホにしようと調べてみたんですが、毎日充電しないといけないなんて、まだ買い時じゃない。
 スマホは来年まで我慢ということになると、やはりデジカメを買い換えるべきなのか、しばらくはガラケーのカメラを駆使しながら結論を出します。

観刀図の妖気

2011年07月27日 | 暮らしの落とし穴
    

 郷土史研究会の勉強会で、今治市大浜にある大浜八幡大神社にお参りしました。15名ほどのツアーでしたが、宮司さんが神社の歴史や故事来歴を熱心に説明して下さいました。
 ここに奉納されているこの絵馬は、今治出身の絵師、沖冠岳(おき かんがく 1817文化14年~1876明治9年)の作で、「観刀図」というらしく、「申請すれば国宝」だそうです。

 この神社は、自然の地形を活かしたのか、お堀の中の城といった趣の設計で、あたかもテーマパークを散策するかのような楽しさがありました。それがなんと1400年の由緒といいますから、半端じゃないですね。この神社を守り続けてきた地元の情熱に思いを馳せながら写真を撮影。
 ところが、絵馬に心霊写真のようなものが写り込んでいるではありませんか。向かって左手の刀鍛冶の顔にそれはあるんですが、判りませんよね。

 この図は、中国のとある刀鍛冶が二振りの剣を鍛えたところ、非常に素晴らしいものが出来あがったので、その片割れを殿様に披露しているシーンなのだそうです。
 殿様の装束がヤケに簡素なのは、刀鍛冶に気心を許しているからでしょうか。それにしても刀鍛冶の目つきは鋭く、今にも殿様を殺めんとしているように思えてなりません。
 二振りの刀の片方は恐らく聖剣であるけど、この図に描かれているのは邪剣の方で、直後に殿様は貫かれたに違いありません。なぜなら、稀代の絵師が、「殿様、ええ刀でっしゃろ」とやっているような、暢気な日常を描くとは思えないからです。

 つづく

バトル健康法ってあるのだろうか

2011年07月26日 | 社会
 この炎天下の中、村の揉め事解決のため数時間も話し合っておりました。その結果、この問題は解決できそうもない。子どものけんかは自我の未発達がために起きるケースが多いと思うけど、大人になってそれをやっちゃあ、おしめぇよぅ!

 大人の喧嘩はお金がからんでいることが多いと思うけど、このケースは子どもがお金のことで喧嘩しているように見え、女がからんでいないことが唯一の救いでしょうか。ぼくにお金があれば解決してみせるけど、ちょっとやそっとの金額ではないのです。

 ったく、疲れたぁ! バトルをライフワークにできる人っていると思うんです。怒っていないと元気がなく、怒っていると機嫌の良い人。生きるために喧嘩するのか、喧嘩するために生きるのか、それが問題だみたいな御仁と付き合うのは、ほどほどにしたいです。なんたって、損長はボランティアなのですから。

働くヲジサンたちの食い方は質実

2011年07月25日 | 酒、食
 長く関西方面に住んだ甲斐もなく、兄は串カツ専用ソースの味が薄いと愚痴る。串カツというものが分かっておらん。同じカットレットでも、豚カツは洋食屋さんで食べるもの、串カツは飲み屋でかぶりつくものだとぼくは認識しております。

 なぜ串カツ専用ソースが薄味なのかというと、壺のソースにジャブ漬けするからです。普通のソースにジャブ漬けすると辛すぎますな。どうしてジャブ漬けなのかといえば、大阪の働くヲジサンたちが仕事を終えて飲み屋に入りますと、「きょうの現場はきつかったのぅ。キンキンに冷えた生ビールと、串は豚にウズラに牛とシシトウ、二本ずつな」みたいな注文をなさいます。

 まずビールが運ばれてきて、「プハー! ビール発明した人に一億円やりたいのう」と快哉を叫び、「どこに一億円あんねん」みたいなやりとりしているうちに串カツが来ないと、働くヲジサンたちは機嫌が悪くなりますな。ですから揚げ油の温度は180度か、やや高めに設定して急いで揚げるわけです。

「来た来た、まずは牛からいったろか、アチッチッチィ!」と、串を持つ手をやけどしそうになりますな。そりゃそうだ、揚げたてだから串もカツも100度は保っておるはずです。そいつを手にティッシュなんか巻き付けて持ち、ソースの壺でジュ~と冷却してから、がっつくのがヲジサン流ですな。

 こういった手順を踏まないと、揚げたての本当に美味しい串カツを食うことはできません。京都辺りのお公家筋の御仁がカツを串から外し、おてしょう(小皿)のソースにちょこんと浸すなんて優雅なマネ、大阪の働くヲジサンはやらんのです。「手ぇで食わな、串に刺しとる意味ないがな」というわけですな。
「ものの食い方に正解なんてあれへんやろ、食うて美味かったらそれでええねん」という大阪の働くヲジサンたちの質実は、意外と正鵠を射ているのかも知れませんね。

要支援から要棺桶まで

2011年07月24日 | 暮らしの落とし穴
 来週は予定がつながっており、叔父夫婦の入院騒ぎで一層面倒なことになりそうです。しかも地元企業の乱暴狼藉に対し、ぼくんちに怒鳴り込んでくる人があり、それらの協議にも追われるでしょう。

 大荒れを予兆を感じて本日は嵐の前の静けさを堪能したく、朝から飲んだくれようとスタンバイしておりましたが、兄の方が先に飲んだくれ、母の見舞いにはぼくが運転するしかありませんでした。
 まだ母の要介護度は決定していませんが、来週からは第一三共の認知症薬メマリー錠が処方され始める予定です。

 母の要介護度が心配なのはもちろんですが、兄の要支援度もかなり不安です。世間からは認知されないかも知れませんが、兄は何かの支援がないとやっていけないタイプなのです。

 人からの支援が当てにできないとなれば、機械に頼ろうとするので、足元を見られたような役立たずの機械を買うことになります。カーナビなどに関してはまあ譲るけど、風呂の掃除をしようとしてバスなんとかの薬品類を買い集めるのはやめてくれ。そんなもの買ったって、置いているだけでは風呂は洗えないの。

 餃子包み器を百均で二つも買ってしまったぼくがいうのもナンですが、役に立つのかどうか吟味して機器を買わないから物が増え続ける。どなたか断捨離いうもんを兄にたたき込んでくれんだろうか。



 で、餃子包み器ですが、案の定使えないものでした。何か一つ行程を省けるならありだけど、包むスキルをアップする方がナンボかマシなのです。
 いずれぼくも要支援→要介護となるでしょうが、出来ることなら人に頼らず機械に頼ったあげく、要棺桶となりたいものです。

昼のお酒は目に見えぬ、見えぬけれども酔うんだよ

2011年07月23日 | 暮らしの落とし穴
 とある会合があり、直会(なおらい=会食)をいただきながら昼間から飲んだくれてやろうと目論んだものの、諸事情により現場で飲むこと叶わず、折り詰めを持ち帰りました。

 飲む構えで出席していたのに出鼻をくじかれた格好となり、ケジメを付けるために家で飲んだくれて眠ったところ、近所に住む叔父さんの入院騒ぎで妙な時間にたたき起こされ、アンタビュース。

 あまつさえ「冷蔵庫にエビがあるから始末してくれ」と、病院に付き添った叔母から電話で頼まれ、冷蔵庫を開けたら既に腐敗臭が……ゲロ吐きまくって、やんぬるかな!

進水式における出産の哲学

2011年07月22日 | 暮らしの落とし穴
 和風の出産、欧風の出産、ユーラシア風の出産というのがあるかどうか知らないけど、欧米風の進水式というのはYoutubeで見たことがあります。やや小ぶりの船体を、横向きにして海に放り投げるような印象でしょうか。

「欧米風の進水式は水しぶきを上げ、豪快ではあるけれど、趣に欠け、いただけません」
 高台に佇み、造船所に向けてカメラを構えていると、日傘を差したおばちゃんが隣に来ておっしゃいました。
 おばちゃんによると、進水式にも様式というものがあり、君が代斉唱に始まり、船名を覆う布を取り去る命名式を済ませた後、満を持してシャンパンを船体に打ち当てるのが良いそうです。

「さあ、もうすぐ白い旗が上がりますよ」
 進水式初心者のぼくとして、どのタイミングでシャッターを切って良いのか、あるいはビデオを回して良いものやら分からなかったので、このアドバイスはとてもありがたく思いました。

     

「進水式とは、いうなれば出産でしょう。しかし産み落とすだけでは子どもが育たないように、進水式を済ませたあとに必要な時間は、進水式までに要した時間と同じなのです」
 つまり下請け工場に船体の各部、ブロックと呼ばれるものを発注し、それらをくっつける時間が約40日で、進水式後に海に浮かべて艤装(内装とか)する時間も約40日なのだそうです。進水式の後は船の子育てってことですね。

「ウンコじゃあるまいし、ひり出したらそれで終わりではないのです。欧米風のものは、進水式に限らず情緒というものを欠いています、そう思いませんか?」
 うんうん、いわれてみればアメリカのアダルトビデオなんて、格闘技を彷彿させるハードボイルドで、恥じらいもなければ慕情も垣間見せず、ほとんど解剖学的な実習を観ているイメージですね。
 あんなもの和風の作品に下克上を食らって当然でしょう。すなわち、劣情を促すためには、行為に至るプロセスと一連の所作に重きを置くべきだと、ぼくは主張したいのです。

「船の真下で観覧するのも迫力があって良いのですが、高みに俯瞰する美意識は歴史絵巻のそれに通ずるのです」
 おばちゃんはこの後も、それぞれの造船所における様式美を哲学的見地から解説してくれました。
 なるほどなぁ、しかし下世話なことに、そういった伝統や格式は、ごく一部かもしれないけど、下請け業者や地元民の犠牲の上に成り立っているのですよ。
 造船所が雇用を産み出して下さるのはありがたいのですが、地元住民が耐えられないものは改めていただきたい。戦うというより、お願いですね。