らんかみち

童話から老話まで

とんぺい焼きを作って思うこと

2014年07月31日 | 酒、食
            

 童話作家の後藤みわこさんが、「大阪に行って、とんぺい焼きを食べた」とフェイスブック上で発言しておられた。そういえば、ぼくも大阪市内に勤めていたころ退社してから仲間たちと居酒屋でとんぺい焼きを肴に飲んでいたよな。えっ、まさかとんぺい焼きって、関西だけの食べ物だったの?

 知らなかったなぁ、全国的に食べられているんだとばかり思っていたよ。明石焼きなんてのは、同じ玉子料理でも地名が冠されているから関西だけのたこ焼きっぽいジャンクフードって認識はある。しかも「明石の蛸は立って歩く」という伝説もあるしね。

 とんぺい焼きにノスタルジーを刺激され、さあ作ってみましょ、と思い立ったは良いけど、どんなものだったか覚えていない! たぶん会社の同僚にとんぺい焼きのファンがいて、彼のお裾分けを食っていたんじゃなかろうか。
 仕方ないのでネットを検索して、ああこれこれ、という風情のものを作ったのが写真のお好み焼きっぽい何か。

 豚バラ肉の薄切りを炒め、ちょいと塩胡椒で味を付けてから細ネギの小口切りを盛り、オムレツ風に焼いた玉子でそれを包む。作業としては滞りもなかったし、味も悪くはなかった。しかしこれって、お好み焼きソースとマヨネーズ、それと青のりミックス味で食べているだけじゃないか。

 とんぺい焼きも色々あるんだろうけど、B級グルメって、たまに食べるから美味しく感じるんだね。若いころならいざ知らず、自分の歳になったら一年に一度で十分かな。
 日本全土でB級グルメから卒業するころなんじゃなかろうかと考える。実際そういう流れになっているというしね。それが健全な先進国としての有り様だと信じている。

ゴーヤチャンプルーの幻影

2014年07月30日 | 暮らしの落とし穴
           

「おたくのゴーヤはなかなか大きくならないね」と、宅配に来たおばちゃんが宣う。さもありなん、金魚の餌が肥料では光合成もままならんのだろう。がしかし、それをおばちゃんに悟られて辱めを受けるわけにはいかない。

                 

「うちのゴーヤはあんたの好きにして良いから、あんた自身の愛情で育てたらどうかね。たとえば、帰り際に一声エールを送るとかさ」といったら、本当に声をかけていた。
「早く肥えてわたしの胃袋に入ってよ、待ってるからね。シャーコ、シャーコ」
 最後の「シャーコ、シャーコ」が包丁を研ぐオノマトペであることは想像に難くない。

 そんなわけで、ゴーヤは他人様にいただいたんだけど、同時に賞味期限切れのベーコンも添えてくださった。真空パックのベーコンなんて賞味期限切れだったとしても喜んでいただく。しかも冷凍されていたものだから、中国で売るにはなんら差し支えない。

 ということで今夜はゴーヤチャンプルー。母の子どものころにはレイシと呼ばれて食べていたというが、ぼくには記憶がないなぁ。
 それはそれとして、ぼくがゴーヤチャンプルーの味付けに使っているのは写真のメーカーのもの。市販のものを使ってもみたし自分でも色々と試してはみたけど、これを超えることができない。
 どうでも良いことだけど、食い物に逃避してみた。

ウナギなんて買うもんか!

2014年07月29日 | 酒、食
 ああ、ついに土用の丑の日がやってきたのか! この日ばかりはニュースなどを避けて過ごしたいと考えていたのに、新聞チラシには「ウナギ」の文字がデカデカと躍っている。そしてスーパーの店先ではウナギの蒲焼き実演販売が……買うもんか!

 買うもんかじゃなくて、買えるもんかが正しいかも知れない。もちろん金銭的にもだが、実は先ごろ巨大な天然ウナギを捕獲して他人様に進呈したのだ。詳細は割愛するけど、とても大きなウナギで、1mには届かなかったと思うけど握った感触が、なんだけこれ! 
 そんな立派なウナギだったけど、自分でさばくことはできないし、1週間は真水で生かしておかないと泥臭いという。なのでウナギのスペシャリストにあげたんだが、次の日の朝には死んでいて、臭くて捨てるしかなかったという。

 あたら命を無駄にした悔いは残る。人の胃袋に納まるなら昇華という考え方もあろうが、食う前に死んで捨てられたとなると、ぼくの行為は一体なんだったのだろうか。
 素人の悲しさで、捕まえ方やトリートの仕方に問題があったのは想像に難くない。全てはぼくの責任ということになる。

 まあそんなこんなで、ウナギに関するプチ・トラウマに憑依されたっていうか、「ウナギ、土用、かば焼き」みたいな言葉を耳にするたびに気分が沈んでしまう。
 鯛の活け作りみたいなのががイカンとかいうんじゃなく、命を粗末にしたというのがやり切れない。かば焼きなんて買えるもんか!
 あ、今はだめでも、めっちゃ美味しいウナギを食べたら奇妙なトラウマは払拭できるかもしれない。ああしかし、先立つものに不安が・・・。

誰だって猟奇事件を起こす

2014年07月28日 | 暮らしの落とし穴
 猟奇的な事件や熱中症で亡くなるニュースに接するたびに、こういう事件事故って昔からあったんだろうけど、表沙汰にならなかっただけかも、と訝しい。
「最近は子どもは宝というが、わしらが子どものころは口減らしの対象じゃったが」と振り返る爺ちゃん婆ちゃんは少なくない。

 第二次大戦中のアメリカにとって、日本人の命は木の葉ほどの重さだったに違いない。でなかったら、市街地に原爆を落として効果を検証するなんてことが出来るはずないだろう。昔の人の日本人の命は、今のガザ地区の命くらい軽かったかもしれない。

 紛争地域における子どもたちの命の軽さはいうにおよばないが、日本のように非戦闘地域にあって猟奇事件が多発するのが解せない。しかも低年齢化が進んだばかりか、女性の進出も著しいというのはどういうことか。

 成熟して倦怠した日本のような社会には徹底的な貧困層が少ない。食うために一生懸命な社会だったら、生きるために人を殺めることはあっても、「人を殺してみたい」という動機の猟奇事件なんて起きるだろうか?

 兄の入院している病院と、母の診察してもらう病院を走り回っているぼくは、それだけで疲れてしまうので犯罪にまで思いを巡らせられない。
「小人閑居して不善を為す」という戒めがあるけど、犯罪は極貧と倦怠の狭間に咲く徒花のようなものなのではなかろうか。人は誰しも、その危地に立たされる蓋然性を避けることはできないのだ。

開いた口が・・・

2014年07月27日 | 酒、食
           

 昨夜は友だちんとこで鯖の刺身と鰹のたたきなんかを肴に飲んでいた。余ったので包んでもらい、今日食べようとしたけど、刺身はさすがに断念。鰹のたたきは、こぴっと「漬け」に仕上がっているではないか。
 このままじゃ食えないけど、もったいないので鯖はフェンネルソース炒め、漬けは醤油炒めにしてみたけど、甲乙付けがたい不味さに閉口。開いた口がふさがるってのはこういう有り様か。

                       

 哀しかったので高給缶詰のねぎまを温め、ずいぶん前に買い込んでいたザワークラウトを添えてみたけど、まっずー! ザワークラウト風の料理は作ったことあるけど、本物はキャベツの古漬けじゃん。
 高給缶詰を謳ったねぎまは、猫缶詰に甘みを付けたような生臭さがあり、酒の肴にはならなかった。どれもこれも、開いた口が塞がらねー!