らんかみち

童話から老話まで

おかげさまの一年でした

2012年12月31日 | 暮らしの落とし穴
 年越し蕎麦を打って配ったら猪の肉が届いた。来年は巳年だから叶うことなら蛇の肉を食いたかったが、いや、来年は蛇年を捨て、ではなかった、邪念を捨てて損長業に邁進する所存にございます。

 というか、今夜の除夜の鐘を聞くまで損長業は終わらないんだよ。業じゃなくて、ほとんど行だね。いやいや、紅白を数十年ぶりで見れるんだから、おかげさまでってこと。
 おかげさまなんだ、自分一人の力で生きていけるわけじゃない。誰しも多かれ少なかれ他人様の力で生かされているんだよね、だからきっと来年は蛇の肉が届くと思う。
 この一年、拙ブログにお付き合いくださった皆様方におかれましても、良き年が迎えられますように。

10大ニュースといわれても

2012年12月30日 | 暮らしの落とし穴
 今年の10大ニュースといわれても、自分のことだけで一杯一杯だったからなぁ。つらつら思い出してみるに、大津いじめ事件も陰惨だけど尼崎連続殺人が凶悪すぎて外せない。竹島とか尖閣諸島の領土問題がこれほどまでにこじれたのも知らないし、オスプレイの配備も沖縄だけの問題じゃない。愛媛の上空も飛ぶらしい。

 よその国の政権交代も相次いだけど大どんでん返しというほどでもないから、ロンドン五輪に軍配か。でも目を怪我して寝込んでいるうちに、あっという間に終わった印象だな。こう考えていくと、やっぱips細胞でノーベル賞に輝いた山中教授と、それに便乗しようとした偽研究者かな、個人的には。

 村においては、不幸事が相次いで祭りの存続が危ぶまれたこと。芸能人とかの他界もさびしいが、村人の他界はダイレクトに響く。来年はもっと厳しくなるんだろうな。
 去る者があれば来る者もあって、隣村に新しく造船所ができる。この不況下にあっては願ってもない話だが、島に多くの雇用が生まれるというほどでもなさそうだ。むしろ環境の破壊が心配されるけど、心配する人すらいなくなってしまうのが心配される。

 造船所の建造でタヌキの楽園だった荒れ地がどんどん掘り返されているけど、責任者に「白骨は出なかった」と尋ねたら、それは無かったらしいが、コンクリートの詰まったミキサー車とか建設機械が発掘されたらしい。
「当時は法律が無かったからね」というけど、掘り返したら金色や銀色の液体が出てくるってどうよ。
 
 開発って自然を壊す行為だと思っていたけど、200年前に開発されて50年前に閉鎖された塩田を再開発するというのは、全然OKだよね。むしろ訳の分からないものが埋められていたのを浄化できそうじゃないか。すでに来年の10大ニュースに思いをはせているけど……あぁしまった、年末ジャンボ買い忘れた!






円熟の同人誌

2012年12月29日 | 暮らしの落とし穴
「五嶋みどりがバッハを弾いた夏」というテレビ番組を見て、ぅおおおお、枯れてるやん! 40歳という若さで超がつくような巨匠の演奏みたいだ。技術的に衰えているということじゃないから、円熟したといえば良いのか。彼女が若いころのCDを持っている。今日と同じ曲だけど情熱的で研ぎ澄まされていながらもオーソドックスな演奏だと思う。
 今の演奏を誰かが真似して(できたとして)コンクールに出場したら、テープ審査で落とされるか、ダントツの1位かのどちらかじゃなかろうか。バッハの様式は守り、他の誰でもない「Midori」のスタイルを確立したんだね。



 同人誌「あまのがわ2012」をいただいた。みなさんプロ作家ないしそれに準ずる方々なので、同人誌じゃなくても良いじゃないかと思う。しかし「同人誌は、商業出版とも商業雑誌とも違う冒険が出来る場」なのだそうで、読み手も実験と冒険を共有できるという寸法らしい。
 短編をいくつか読ませていただいた。なるほど、実験的で冒険的な作風のもあるようだけど、同じ手法を長く続けている作品は達人の領域に踏み込んでいるじゃないか。円熟したんだねぇ、あやかりたいあやかりたい。

酔えない忘年会

2012年12月28日 | 暮らしの落とし穴


 500人規模の忘年会と10人規模の忘年会が重なってしまった。一月前に決定していた大きな方に出席するしか選択肢はないわけだが、それで幸せになれるってわけじゃない。
 今年最初の忘年会は1000人規模のもので、昨夜と同じ会場だったからビールのグラスや取り皿を片手に人々の隙間をかいくぐりつつバイキングの列に並ぶという苦行を強いられた。最後の忘年会はその半分の人だったので、ゆとりはあったものの料理の水準たるや、島にあるスーパーの惣菜売り場のそれに優るとも劣らぬ、いや、劣るとも……。いかんいかん、招かれているのだから贅沢を言えるか! 

 前回のように大勢の中から知己を求めてテーブルを渡り歩かねばならないかと危惧していたけど、えっ何であなたがこの現場に? と、恐らくは相手さんもそう思ったに違いない巡り会いがいくつもあった。
 奇遇なのか、それとも必然なのか、顔だけ知って名も知らぬ人と話してみたら人間関係とか利害関係が見えてきて、なるほどそういうことだったのかと驚く。今まで何も分かっていなかった。損長という今の立場ならこの会に出ないわけにはいかんな。

 このところどんな料理が通風に良くないのか分かってきたんだけど、昨夜のテリーヌはちょっと危険だったか、いやなんとかやり過ごせたみたい。ステーキは基本的に大丈夫だし、軟らかくて焼き具合も良かったので堪能でき、ありがとうございました。
 ああしかし、酔っ払って醜態を晒すわけにもいかないから、というか好みの酒もなかったからほどほどに飲んで済ませた。うちに戻ったら中途半端な酔い加減で、こりゃ飲み直すしかないよね……。

アーティチョークの味が分かってない

2012年12月26日 | 暮らしの落とし穴


 3種類のアーティチョーク瓶詰めを試してみたけど、後に届いたのが一番気に入った。初めに届いた縦長瓶のはオーガニックを謳っているけど、ちょっと固すぎる。丸っこい瓶のは小さくて軟らかく、食ったという充実感に欠ける。

 皿にたらした赤い液体はシラチャー・ソース。味付けが薄いため何か薬味が必要なのではないかと考えたわけだけど、合わなかった。それなら生七味は……だめだ。かんずり、これもだめだ、合わない。塩胡椒、マヨネーズ、醤油、ソース、食べるラー油はもちろん、亜流の食べるオリーブオイルも試したけど、ことごとく裏切られた。

 マヨネーズも醤油も悪くはなかったけど、マシだなと思ったのはバターソースだった。バターを何かの油で溶かしたものだけど、あえて薄く味を付けているアーティチョークの繊細さを損なうことはない。
 う~ん、まだアーティチョークの味がわかっていない……・

本日のアーティチョーク(根拠のない自信)

2012年12月25日 | 暮らしの落とし穴
 またアーティチョークが届いた。amazonさんの配送システムがどうなっているのか知らないけど、1日くらい待てるからまとめて送ってくれて良かったのだ。べつにクリスマスに間に合わせたいとは思わなかったけど、おかげさまでアーティチョークとボトル298円のスパークリングワインで、一人メリークリスマス!



 アーティチョークを連呼していたら、いつしかネットワークみたいなものが自然発生するんじゃないかと大まじめに考えている。そこで食べられることを証明するため、観賞用として栽培している人にアーティチョークの瓶詰めを食べさせた。
「タケノコみたいな食感やね。タケノコのマリネでもいいんじゃない?」と、予期したリアクションが。うんうん、ぼくもそう思う……って、違うんだよ、フレッシュなものは繊細な風味があるんだって、と実は確信の無い主張を繰り返したが、果たして自分の庭に生えているのを収穫して食べてくれるだろうか、いや食べさせてくれるだろうか。

「なんでアーティチョークなの? 島おこしになるのかぁ」と、朝ドラ「純と愛」の愛くんだったら逃げ出したくなるようなことを言われる。正直に告白しないといけないが、自分が食べたいから。島おこしにつながるかどうかは、ひとえにぼくの食い意地、じゃなくて情熱にかかっている。

「瀬戸内海の多島美、温暖な気候、種類が多くて美味しい魚、豊富なシトラスetc. これらを誇りに思って下さいよ。都会人の目から見たら素晴らしいものが沢山あるのに、どうして島の人たちはこれらを活用しないんですか。余所者、若者、馬鹿者の目になって島の良さを再発見しましょうよ」
 まちおこしフォーラムとかセミナーとかに行くと、こんな主張を散々聞かされて耳にたこができた。そういうことをおっしゃる先生方の多くは実際に島おこしに関わることのない行きずりの方か、コンサルタント料を懐にしたらどっかに消えてしまう方々なんだよね。

 地元の食材を活かした島おこしを実践している人は少なくない。だから上記のような話を聞くと、何のアイデアも持ち合わせていないことの裏返しじゃないのか、と邪推してしまうのはぼくだけだろうか。
 じゃあアーティチョークで成算はあるのか、と聞かれて、ある、絶対にある、あると思うんだよなぁ。どなたの言葉だったか「成功に必要なのは根拠のない自信だけだ」というのがある。ということでぼくも、来年あたりアーティチョークはサプリメントとして認知され始めるはずだと、そこはかとなく感じている。

アーティチョークの瓶詰め二種

2012年12月24日 | 酒、食
 出会う人ごとにアーティチョークの話をしているけど、味が無いといえば無いともいえる食材だ。味付け次第で凡庸な漬け物にもなるし、珠玉の逸品にもなる得ると思う。
 地中海原産の植物だからといってトマトピューレとか使わなくても、醤油で味付けしてしっかりと馴染んでくれる食材だ。タケノコの穂先のアレな感じと似ているわけだから、なんでもありといえばそうで、腕の振るいようがある食材なんだろう。

 あぁだけど、この繊細な味の食材を島の人たちにどうやって認知してもらおうか。まずは食べてもらうことだよな、と思ってネットで瓶詰めを買ったのは、今治では手に入らないと確信したからだ。
 今治の主立ったスーパーは網羅したと自負している、それでも手に入らなかったのだから仕方ない。WEB購入に屈した自分を許してやろうと思う。

 


 この二つの瓶詰め、食べてみたら全く別の食材ではないかと感じる。成長したものと若いものとの違いだろうか。なるほど、日本でこの野菜が受け入れられない理由が少し分かる。ぼくが今まで食べてきたのは、美味しいものだったんだ!
 

愛媛のアーティチョーク生産者

2012年12月22日 | 暮らしの落とし穴
 年の瀬を迎えて、やることは全てやったはず。自治会の書類などはもちろん、頼まれていた年賀状、自分の年賀状、神社関係……あぁ、寺関係がまだじゃないか、早くしてくれよ、お寺さん!

 やっぱりアーティチョークは今治での入手を諦めざるを得ないようだ。松山まで行けば手に入るが、ネットを駆使する方が費用対効果で優るのは明らか。どうしたもんか……いや、アーティチョークを食わなかったら死ぬというわけじゃないからどうでも良いことだが、矜持っつうもんが邪魔をしてねぇ。

 どんな味なんだと聞かれ、どう答えて良いか分からないアーティチョーク。例えるなら、タケノコの穂先のビラビラをしっかりさせ、オイリーにした食感だろうか。だったらタケノコを食っておけば良いじゃないかと言われて、そうかも知れないと揺れ動く優柔不断。
 でもアーティチョークのあの味と食感は、決して他の野菜で体感することが出来ない、したことがない。

 身もだえするような悪あがきに明け暮れていたけど、愛媛の産直市「愛たい菜」で生のアーティチョークをゲットしたという情報が検索できた。今年の6月らしいが、愛媛でも栽培は可能なんだ!
 もちろん育つことは承知で、ぼくもやっているわけだけど、商品になっているというのが心強い。年が明けたら生産者を訪ねてみようと思っている。

食文化圏ってものが災いするんだよね

2012年12月21日 | 暮らしの落とし穴


 今もっとも食べたい食品とか食材はアーティチョークで、次が郡上味噌。郡上味噌はまだ食べたことがないので、滋賀県に暮らす姉を頼って入手を試みたが「お隣の県の食品ではあるけど、無理ね」と言下に退けられ、そのかわりに『とりやさいみそ』を送ってあげようといわれた。
 
 とりやさいみそ、とわざわざひらがなで書くのには理由がある。とりは鶏のことではなく「取り」で、野菜を取るための味噌という意味になる。ではあるけど、味噌が主体となるのではなく、ひとつの鍋料理として当たり前に食べる料理であるから、味噌を際立たせる必要もないのだ。
 味噌を売るのに味噌を主張しないんだから、能登の人たちはなんて奥ゆかしいんだって思う。

 名古屋の味噌煮込みうどんだって似たようなところがある。ぼくたち外部の者は味噌煮込みうどんと呼ぶけど、地元の人は単に「煮込みうどん」と呼ぶんだろう。この場合は八丁味噌が主体であるのに、当たり前すぎて省略するしかない。名古屋の人の多くが、味噌煮込みうどんを自慢しないところもまた奥ゆかしいと思う。
 
 能登のとりやさいみそは米味噌を使っていると思う。名古屋の味噌煮込みうどんは八丁味噌という豆味噌だ。ここ愛媛の標準的な味噌は麦味噌なので、近年までどちらも受け入れられてこなかったのだから、まして郡上味噌など手に入らない。文化圏がとんでもなく異なっているからだ。
 
 金沢、福井、長浜、京都というのは、鯖海道で文化がつながっている。衣食住についても京の都を向いて生活しているので、たとえ隣であっても美濃や尾張を向いていない。
 なるほど、送ってもらった「とりやさいみそ」は白味噌が勝っていて、ニンニクや辛子は基本でも、京都寄りの風情に横溢しているといって過言ではないのだろう。
 
 ネットを使えば郡上味噌もアーティチョークも簡単に手に入る。どうしても食いたければWEBという伝家の宝刀を抜くわけだけど、それを潔しと受け入れられない。送料がかかるもの悔しいけど、食文化圏というものを蔑ろにして良いのか、と二の足を踏んでしまう。
 こんな美味しいものがあるんだよ、と皆さんを啓蒙したいのに、たいがいは「味覚がおかしいんじゃないの」と変人扱いされる。
 だからさ、ゆっくりやるよ、たとえばシュトレンがクリスマスケーキに取って代わりはじめたようにね。