らんかみち

童話から老話まで

20枚作品なんとか終了

2010年03月31日 | 童話
 20枚物語の続き、朝目が覚めたら夢で完結してました。へぇ、そんなふうになるんだったの、と予定調和でありながらちょっと変わった収束でした。でも書き終えてみたらあんまり面白くない。それもそうだし、中間部が自力の上に史実をそのまま使ったので、もしかしたら問題になる部分かも。
 ああやってしまったものを悔いても始まらん。運を天に任せるしかないんだし、今回は小説っぽく仕上がったからとりあえず満足としますか。ああ疲れた。

ラブストーリー転じてホラーとなす

2010年03月30日 | 童話
 尾道公募に向けて書き始めた20枚作品も、残り7枚のところまできました。ストーリーに破綻は無いと思うけど、実際に見た夢を元にライトなラブストーリーで収束するはずが、いつの間にやら「尾道、ちょっといい旅」みたいな、テレビの10分番組の原案と見まごう紀行文なってしまいました。
 
 これではいかんと軌道修正しようにも、続きの夢が見れないので自力に頼って書いたところ、これがどうならい! いうような沈鬱なホラー物語になっておるじゃないですか。やっぱラブストーリーは苦手やわ。
 そんなこといまさら嘆いても始まらんので、明日はラブストーリーらしい収束を念頭に置いて、がぶり寄ってみようと思っとります。

窯出しに、おののいて次の一手

2010年03月29日 | 陶芸
 窯出しの日、といってもぼくの作品は一つもありません。陶芸クラブで最もアクティブな派閥の窯出しですから、どんな釉薬をかけたらどんな具合に焼い上がったか見ておきたかったのです。しかしながら、写真を撮るのもためらわれるほどの低調な仕上がりに、開いた口のあごが外れそうになってしまいました。
 
 えらいこっちゃ、この5月15日と16日に開催されるであろうバラ祭りに並べられる出来じゃおまへんがな! ということは、同じ釉薬を使うならぼくの作品だって同じ運命をたどるのは火を見るよりも明らか。
 
 クラブはプロの陶芸家を指導者に頂いていた時代があったそうで、その頃のテストピースを見たら素晴らしい資料であることが分かります。志半ばで先生が急逝されたので、技術が不完全なまま受け継がれて今に至るのかもしれません。こうなったら私財を投げ打ってマイ釉薬を買うしかないのかなぁ……。

娼婦になって書いてみました

2010年03月28日 | 童話
 物語の続きを書かないといけないのに、望んだような夢を見ることができなかった。仕方ないので自力で書いているんだけど、ようやく7枚目に突入っていうか、今頃になって尾道の歴史をひも解いているようでは、アカンがな!
 
 しかも気がついたら、いつの間にやら苦手なラブストーリーに向かって物語が動いており、これはもしかして願望か、それとも欲望か? 物語が完結するならどっちでもいいけど、果たして公募先が受け入れてくれるかだ。
 
 とある公募で大賞をゲットした短編小説が娼婦を副主人公にしていたけど、その場に居合わせたかのような臨場感があっただけでなく、清潔感あふれる純愛物語で読後感の爽やかさに圧倒されました。
 
 世の中で日の当たらないものに光を当てて物語を書きたいな、とは思うけど、十分に日の当たる世界に暮らしたことも無ければ、全く日の当たらない所に暮らした経験もありません。
 のほほ~んと暮らしてきたので、人を殺したいと思ったことも無ければ、殺されるほど恨まれたことも無いはず。想像で殺したり娼婦になったりしているけど、審査員だって人殺しや娼婦じゃないんだから、下手な嘘をつかない限りバレやしません。
 
 物語を書くってのは、いかに上手な嘘をついて読者を楽しませるかってことでしょう。そりゃ、本当のことを書いて読者が喜んでくれたら、それに勝るものは無いんでしょうけど。

尾道文学賞に向け

2010年03月27日 | 童話
 忘れていた! 尾道文学賞向けに書かないといけないのに。
 今さっき書き始めて2枚半まで進んだけど、この先の展開を考えていなかった。いや考えていなかったというより、夢で見たことをワードの上に転写しているだけなので、続きの夢を見ないことには物語が進まないのです。
 
 冗談に聞こえるかもしれませんが、今まで書いてきて、そこそこの結果が出たものは夢にインスパイアされたものが少なくないんです。考えても考えても思いつかなかったアイデアが、夢から霊感を得て、なんだこうすれば良かったのかと解決できる。てっことは、目覚めていたら何一つ書けないってことか!

「ちりとてちん」再放送にあたって

2010年03月26日 | エンタメ
 2007年10月から翌年の3月まで放送されたNHKの朝ドラ「ちりとてちん」が再放送されるのだとか。余りにも要望が多く、放送終了からわずか2年で再放送に踏み切ったんだそうです。
 確かにあれは良くできたドラマで、綿密に張り巡らせた伏線をことごとく回収したのは素晴らしい技術だと思いました。ダメ娘の成長ストーリーというのは、手練のシナリオライターでないと失敗に終わるとしたものなのに、見事な収束でした。
 
 あのドラマが高く評価される要因のひとつに、登場人物全てのキャラが立って魅力的で、なおかつ心底からの悪役が一人も登場しなかったというのもあるんでしょう。その次のドラマ「瞳」ではヒロイン自身が悪役呼ばわりされ、掲示板の書き込みが次々に削除されていったのとは対照的に、「ちりとてちん」では掲示板が増やされたらしいです。
 
 現在放送中の「ウェルかめ」は舞台とヒロイン役が魅力的なので観てたんですが、ドラマとしては緊張感を欠いていて、それはそれでほのぼのかも知れないけど、再放送をどうしても観たいとは思いませんねぇ。
 何がいかんといって、登場人物のキャラは立っていて面白くても、全員が幸せすぎる。美男美女がいちゃいちゃしてたら、観てる方は妬ましくなってくるんですよね。
 そうなると、ここは無くてもかまわないシーンだ、話の展開が不自然だ、あの方言はあり得ないなどと、しなくても良い粗探しに走ってしまうんですなぁ。
 
 実を申しますと、このブログも他人事ではありません。先日大阪に行く前は日々200人前後あった訪問者数が、戻ってきて美女とデレデレした記事と写真をアップした途端、150人ほどに激減してしまいました。その後も回復の兆しが見えないということは、善良な女性読者に見限られてしまったのでしょうか。
 顔出ししたのも原因の一つかもしれませんね。なんじゃこのスカみたいな男、似顔絵そのものやんけ! みたいなぁ。まあ過去にも下ネタとか書いて肘鉄を食らったことはあったし、ある程度は予期していたのでそれほどの心労は溜まっておりません。
 
 しかしNHKとなると話は別でしょう。面白くないドラマなら観なければ良いじゃないかと言う人もいるけど、「受信料を取っているんだから、手抜きドラマを作ったら承知せんぞ」というのは正論でしょう。
 人生の示唆に富んでいた「ちりとてちん」にはドラマを魅せる要素が一杯詰まっているので、再放送はドラマを書く側の立場に立ち、シナリオの書き方を考えながら鑑賞しようと思います。

陶芸クラブでハミ子にされて

2010年03月26日 | 陶芸
 料芸クラブに顔を出すと、雨降りということで皆さん室内で釉薬かけをなさっていて驚きました。ぼくは、だれにいつ素焼きするとも声をかけてもらっていなかったのです。
 クラブには班という名の派閥が三つありそれぞれに窯を焚くんですが、ぼくはどの派閥にも属しておりません。一匹狼といえば聞こえはいいんですが、「アディオス・ハミーゴ」と言われて以来、疎外されて今に至っているんです。
 
 一人で窯を一杯にするだけの作品を作り一人で釉薬を準備し、一人で窯を焚くってのがどんだけしんどいことか。でも大物を二つ三つ電動ろくろで挽けば窯はすぐ一杯になるし、釉薬は種類を少なくしたら済むことです。
 
「君ぃ、ハミ子にされておるのかね」
 皆さんが帰ってしまうと、クラブのアンカーマン、要油彩先生がやって来られてぼくにおっしゃいます。
「仲間に入れてくれと頭を下げたら、拒む者はおるまいて」
 いやそりゃね、拒まれることも無かろうけど、ぼくが入ると形と量で他の方に迷惑がかかるんです。それだけでなく、各派閥の精神的調和が乱れる恐れがあって一歩引かざるを得ない、つまり仲良しグループにかすがいでなく、くさびが入ってしまう危険があるんです。
 
「君のろくろは所詮遊びじゃ、もう三年は苦労したまえ」
 はぁ? 要釉斎先生の女体像は遊びじゃないんですかい!
「ワシはあと三年生きるのは無理じゃ、君の成長を見届けることはかなわんかのぅ、フォッフォッフォッフォ」
 本日の先生は補聴器をお忘れになられ、言いたいことだけをおっしゃって帰って行かれました。
 
 最後はぼくですが、陶芸クラブの部屋の鍵を返しに行ったら、大正琴のクラブが集まっておられ、「兄ちゃんも大正琴やらんかぇ、面白いよぉ」と、危うく引っ張り込まれそうになりましたが、大正琴の楽譜を見てびっくり。
「こんなの読めませんよ、無理無理、絶対に無理です」
 もしぼくに絶対音感があれば、楽譜がどうであろうと関係ないんでしょうが、大正琴の楽譜で音楽を想像することは難しいです。いやそんなことより、一瞬でも心を奪われたことが問題なのです。もしも彼女たちの平均年齢がぼくの歳にプラス20年でなかったなら、あるいは……。

フキノトウ味噌を作ってみました

2010年03月24日 | 酒、食
 春の代表的な味覚といっても、個人的な印象だけでなく地域によってもさまざまでしょうけど、今日のぼくの春はフキノトウです。下の姉が琵琶湖の鮎を山椒で煮たのとフキノトウを送ってくれました。鮎の飴煮は何十年やっていても毎年同じ味にはならないというか、今年のは鮎の香りが際立っているようです。
 フキノトウは「さっと茹でて白味噌で食べろ」といわれたけど、フキノトウが手に入ったら他に作りたいものがあったんです。
 
 童話講座のお姉さま方は、お師匠さまが儲かりもしないのに遠路はるばる大阪から福山までお越しくださるというので、毎回おもてなしに気を配っておられます。ぼくはなんの気遣いもしないばかりか、「ぼくにもおすそ分け、つかあさいや」と、慣れない広島弁で媚びたりしますと、前々回のときにフキノトウ味噌を下さいました。
 
 嘘ですよ、お姉さま方は限りなく優しいので、ぼくが拗ねたりしないように準備にぬかりはないのです。そのフキノトウ味噌がとても美味しかったので、八丁味噌(豆味噌)、西京味噌(米味噌)、HAL味噌(麦味噌)と、それらのブレンド味噌で作ってみました。
 結果、フキノトウ味噌だけを嘗めるなら西京味噌のものが、その甘さと柔らかな香りで最も美味しいでしょうか。しかし何に付けて食べるかで当然ながら評価は変わります。
 
 作り方? いや、単にフキノトウを刻みオリーブオイルで炒め、みりん、砂糖、酒で溶いた味噌とかき混ぜただけです。オリーブオイルの香りはどうかなと思っていたんですけど、味噌とフキノトウの前には、さすがのオリーブも成す術が無かったようです。
 初めて作ったけど珍しく成功例かと、がしかしアレルギー! 喉がちょっと変、え、何ぃ? フキノトウの灰汁かしらん、そんなはず無い、きっと別のもの、あ、でもやっぱり変!

日韓中の恨みつらみもそこそこに

2010年03月23日 | 暮らしの落とし穴
 ある業界で世界一の生産量を誇る会社に勤めていたことがあります。近畿を中心に日本で4工場が操業しており、韓国にも合弁会社があった輸出専門の企業でした。
 先輩社員の時代は韓国の合弁会社に技術指導や品質管理のために派遣されるのが慣わしだったんですが、上司から「絶対に現地の女性従業員には手を出すな」と、きつく戒められてから赴任したそうです。
 朝鮮戦争の終結から20年が経過していた時代でしたが、38度線では依然として一触即発の緊張が続き、韓国の若い男性は徴兵されておりましたから、合弁会社の従業員は女の子ばかりだったのです。
 
 そんなところに派遣されて、手を出すなといわれてもねぇ。煩悩だらけの若造が女の園に放り込まれるんですよ、まるで雌ライオンの群に放り込まれた子羊同然、いや違うか、子羊の群に放り込まれた若い雄ライオン、いやこれも少し違うか。とにかく、手を出すなという命令と、自らの内に湧き上がってくるDNAの命令との狭間で、諸先輩は想像を絶する苦境に立たされたであろうことだけは理解できます。
 
 とはいうけど、3年ほどの年季が明けてみれば、先輩方は現地の娘を嫁にして帰国する、そんなケースが後を絶たなかったんですわ。結構なことかもしれませんが、国を逆にして想像してみると、ソ連の南下に備えて北方警備にあたって帰ってきたら、愛しのミヨちゃんが韓国男の元に嫁いでおったってことですか。これは日本男児としては、ちと穏やかでおれませんね。
 
 新年度から我が今治市立と上島町立中学校では「歴史」と「公民」の教科書が扶桑社版に変わるんですが、ある右関係の集会に参加したとき、「これは快挙である」との声が聞かれました。
 その後に、左関係の方と話す機会があってそのことについて意見をうかがったら、扶桑社の教科書を取り寄せて読んでみたが、分かり易い本であったとのこと。また、韓国の歴史教科書の日本語版を取り寄せて読んでみたところ、そこには史実のみならず、古に遡って日本への恨みつらみが綿々と記述されていた、というのです。
 さもありなん! 日本の歴史教科書でぼくが教わった限りでは、古くは白村江の戦いに始まって、倭寇、秀吉の出兵、太平洋戦争で日韓両国は戦ったんでした。それなら韓国娘を日本に連れ帰った、ぼくの先輩方もまた恨まれているかしれませんね。
 
 いや、なにも日韓関係の史実や感情についてここで物申そうというのではありません。ただ、焼き物の変遷史をひもといてみると、縄文式土器を作った縄文人は、弥生式土器を作った渡来系の弥生人に征服された、もしくは混血したとされています。
 白村江の戦いの後には須恵器が登場し、倭寇が青磁やら白磁を日本に伝え、慶長の役以後は日本に登り窯が伝わるんですね。日本の焼き物史は、朝鮮半島からもたらされた技術の歴史でもあるのでしょう。
 
 今朝の朝日新聞に「日本最古の企業は、大阪・四天王寺の建造・修復にかかわってきた金剛組という会社で、創業1400年は世界でも最古ではないか」と、「百年企業」の欄にありました。聖徳太子に百済から招かれた宮大工の一人が創業したんだそうです。
 これほど昔から渡来系が日本に溶け込んでいたら、アイヌ民族もいることだし、人種的にいうなら日本人は単一民族でありえません。こんなに混じっている民族同士がいつまでもいがみ合っていてもねぇ。日中韓の統一歴史教科書を早く作ってほしいなぁと、新聞を読みながら考えたのでした。

盲導犬に啓蒙される一冊

2010年03月22日 | 童話
 お師匠さまの近著「七頭の盲導犬と歩んできた道」が朝日新聞に紹介されていたのはこの土曜日のこと。お師匠さまの日記にもそのことが書かれてありました。
 お師匠さまがメディアに露出した回数は数え切れません。誤解の無いように重ねて申し上げますが、メディアに露出したのであって、メディアで露出したのではありません。助詞一つで曲解の恐れがあるなら別の言葉を使えば……そうか、メディアに取り上げられた、でいいのか。
 
「とんがり森の魔女」は新聞連載だったし、お師匠さまほどの大物ともなると新聞雑誌から取材の依頼が引きも切らないわけですから、新聞に載ったからといって瞠目には値しません。
 ですが、今回の記事は著書の紹介だけでなく作者にも写真家にも言及されているばかりか、日本人女性初の盲導犬ユーザーである戸井美智子さんにもスポットライトが当てられているのです。そのことにお師匠さまはとても感動なさったようで、「版元の学研教育出版さんにも気配りをしてくださっている、やさしい記事です」と。
 断っておきますが、お師匠さまは自著が新聞に紹介されたから、はしゃいでいるのでは決してありません。資料を提供してくれたかもしれない、朝日新聞に敬意を表しておられるのでしょう。

 ノンフィクションというジャンルでの作者の位置づけは、さしずめ文楽の舞台における黒子でしょうか。「七頭の盲導犬と歩んできた道」であれば、主役はいうまでもなく戸井さんであり、脇役が七頭の盲導犬で異論は無いのだと思います。
 小説でもそうだと思うんですが、「ここで作者から読者の皆さんに……」などと、作者が作中にしゃしゃり出てくることがありますが、あれって興ざめしませんか? たった今まで物語の中に没入していたのに、ワシが書いたってるんや、みたいな。
 
 そこへいくと、さすがはノンフィクションの達人であるお師匠さま。黒子に徹して物語を展開しながら、語り部がしゃしゃり出ることなく一巻を収束に導く、かと思いきや、写真で登場なさるんですかい!
 弟子だから賞賛するのではなく、大人が読んで「そんな時代があったんだ」と、啓蒙される一冊です。