らんかみち

童話から老話まで

テレビレスの生活にそこはかとない喜び

2007年04月30日 | 暮らしの落とし穴
 生まれたての朝日に促された小鳥たちの鳴き声に起こされ、なんと清澄な朝だろう! と涙が流れたのは、アルコール摂取過多による無呼吸症で死んでいなかった喜びからか、それとも単にあくびが引き起こした反射か。いずれにしても「春眠暁を覚えず」の諺を見事に裏切る初夏の陽気にうろたえながら、朝一番のコーヒーを点てました。
 
 今回のNHKの朝ドラはあんまり面白くないけど、静か過ぎるのも寂しいし、ちょうど時間もいいことだし、とテレビのスイッチを入れようとして愕然としました。テレビが無いのです。
 四足歩行テレビなんか買うんじゃなかった! なんて自らうそぶきつつ、テレビが無い生活ってこんなにも静かだったのかと、一昨日までテレビがあった空虚に郷愁すら覚えるのでした。
 
 テレビは知人にあげたんです。リサイクル屋に無料で引き取ってもらおうかと思っていた矢先に「只のテレビないかな?」というのを場末の飲み屋で小耳に挟んだものですから、ぼくとしても渡りに船、相手にとっても願ったりかなったりでしょう。テレビ台ごと差し上げました。向こうも昨今のリサイクル事情をよく理解しているでしょうから礼には及びません。
 
 昨日はほとんど飲んだくれていたので、テレビが有ろうが無かろうが関係なかったんですが、シラフで一人部屋に居るとテレビがお守りをしてくれなかったら手持ち無沙汰というか、やりきれません。
 テレビが無いということはビデオゲームも不可能なので、こうなったら自力で我が身をお守りするしかなくなりました。かといって酒びたりになることもできません。なぜならテレビと酒は、ぼくにとって不可分の関係にあったということがようやく分かったからなのです。
 
 テレビが無いと長く書いてしまいそうなので、つづく……。

DSのマリオで3才の子に負けました

2007年04月29日 | PC WEB
 正確にはまだ3歳に達していないので、ゲームの意味を理解しているのかどうかすら危ぶまれますが、何気にゲーム機を扱うんです。ニンテンドーDSを見るのも触るのも初めてどころか、スーパーマリオさえ初体験なので、熱戦の末に敗れ去りました。ぼくの40有余年の人間としての自負は、3歳の子どもの前に脆くも崩れ去ったのです。
 
 あんまり悔しいので、この次に会ったときにはラジコンヘリコプターゲームで、もてあそんでやろうかと思います。スーパーマリオも極めりゃ難しいでしょうが、ラジコンヘリを極めるのはもっと難しいはずです。やつが5歳になるまではぼくの立場も安泰でしょう。それにしても、子どもの能力は恐るべし!

ロシアが近づいた日

2007年04月28日 | クラシック音楽
チェロのロストロポービチ氏が死去(朝日新聞) - goo ニュース

 ロストロポービッチ氏の演奏に初めて接したのは、もう今から30年近くも前になるでしょうか。氏が巨匠としての誉れを確立した50歳の頃ですが、当時のぼくは氏のチェロ演奏には特に惹かれませんでした。というのも、まだその頃には日本人を妻に持つピエール・フルニエ(Pierre Fournier ,1906年6月24日 - 1986年1月8日)という老大家が活躍していて、その方の演奏に心酔していたからです。
 
 最後に聴いたたフルニエ氏の演奏は、円熟したというより枯れたという印象がありましたが、ロストロポービッチ氏の晩年の演奏はどんなだったのでしょう。氏が60台半ばにレコーディングしたDVDを観ながらこれを書いてますが、枯れたという印象は少しも受けません。いやはや、今更ながら素晴らしい演奏家だったんですね!
 
 先ごろ亡くなったエリツィン元大統領と共に、旧ソ連の民主化に貢献したというロストロポービッチ氏には求道者のイメージがありますが、エリツィン元大統領に対してはは奔放で気さくなアル中というだけでなく、差別主義者的なイメージを拭えないのは、
「黄色い猿どもが領土を返せ返せとうるさい!」 
と、日本側の北方領土返還要求に対して、当時のエリツィン大統領が言ったとか言わなかったとか伝え聞くからです。
 彼のことを嫌ってたんですが、ぼくと同じアル中を患って日本に来て治療したと聞いては親近感を抱かざるを得ませんし、亡くなった今となっては忘れがたい友だちだったみたいな錯覚さえします。
 
「ロシアのアル中は香水まで飲んでしまうんです。去年はそれで死者まで出たんですよ」
 ロシアに暮らす知人から先日こんなメールをいただきました。さすがにセルゲイとかイワンのやることが違うなと驚きます。
「なので、安物のウォッカは危ないので、非常に珍しい旧ソ連産のワインとブランデーを送ります」
 5月5日はぼくの故郷の大島で「島四国200年」のイベントがあるそうで、ロシアに暮らす知人と会えそうです。子どもの日はぼくのロシア記念日になるかも知れません。
 

公募入選の王道

2007年04月26日 | 童話
 昨日からの妙な前触れにもかかわらず、なんとか童話講座を何事も無く乗り切ることができたのは幸いでした。
 月2回の童話講座の始まりはいつも、公募ガイドという雑誌を開くところから始まります。なぜなら、お師匠さま自身がこの公募誌をひもとき、作家としての第一歩を歩み始めた方だからです。

 生徒の皆さんは、多忙を極める主婦の方がたなので、月に2作品を書き上げるのはなかなか大変なことかも知れません。なので作品が提出されなかったら「発想ゲーム」とか「新聞から題材探し」みたいなお勉強をすることになるんですが、ぼくみたいに2年半も通っていると飽きてくるんです。

「スキルアップの近道は、他人さまに作品を評してもらうことです」
 日ごろからお師匠さまがおっしゃるように、合評が公募入選の王道なら逃す手はありません。ところがこのところ、ぼくの作品しか合評の俎上に上がらなくなりました。
 厳しいがゆえに為になる合評の場は、時としてプライドの傷つく修羅場でもあるからでしょう。それに、目標達成のめどが立たない努力ほど、モチベーションの上がらないものはありません。

「皆さんの作品は入選のレベルに達しているんです」
 お師匠さまがいくらそういって励ましてくれても、自信が持てない生徒達には気休めにしか聞こえません。ところが今回のぼくの入選で事態は一変しました。

「なんだ、HALの程度でも十分なんじゃないか。お師匠さまのおっしゃることを真に受けて良いのか!」
 きっとそういう心理が働いたものとみえて、今日は二人の方の作品が合評されました。その作品を読んで思うのは、お二方とも本当に上手になったということです。

 この調子なら、遠からずお二方から入選の朗報が聞けそうに思います。なので本日は出る杭を打つ合評をして差し上げました。
これも一足先に入選したぼくの特権なので、しばらくは図に乗っておこうかと思います。

男の更年期の不安

2007年04月26日 | 童話
 誰かに見られているような気がして、時々きょろきょろ辺りを見回してみるけど誰もいません。気のせいかなとは思うんですがなんだか妙に落ち着かないので、場末の飲み屋で知り合いに打ち明けました。
「そらあるよ、オレなんか窓を開けて『だれじゃーワレー!』て、電柱に向かってわめいとったもんや。ポリとかよその組の者につけられとるいう妄想があったんや」
 なるほど、電柱を人と間違えることはまだ無いんですが、床の染みとかがゴキブリに見えることは良くあります。
「そういう時はな、イリコとか食べたもんや。ていうのはシャブ食うたらどうしてもカルシウムが不足気味になってな……」
 注射違反をやらかし、塀の内側でリハビリした元ヤクザに話したぼくのエラーだったようです。
 
「そら更年期とちゃうか? 最近は男もなるていうのが常識や。不定愁訴いうやつでな、目とか見え難くなったと感じたら間違いないわ」
 今度は更年期を過ぎたかもしれないマスターが口を挟んできました。確かに焦点距離は年々遠くなってきますが、そういうんじゃないんです。以前、童話教室が近づくと耳鳴りがしたこともありましたが、別に体がだるいとかではなく、胸騒ぎがするというか不安感がぬぐえないんです。
 
 結局何も解決しないまま飲み屋を後にして歩いたんですが、だんだん不安感はつのるばかり。誰かがついて来る気がして振り返るんですが、回りには人の姿はおろか猫一匹すら見当たりません。それなのに何かの足音が聴こえて、それがだんだんと大きくなってきます。息を切らしながらエレベーターに乗り込んだのですが、それでも何かが聴こえます。ハッ! 携帯の音か? と携帯を取り出してみても特に異常はありません。
 
「ちゅ~、ちゅ~」
 玄関の戸を開けて部屋に入ったら周りの雑音が消え、ネズミの鳴くような声がはっきり聞こえてきました。
 ハツカネズミや!
 そう気がついてハツカネズミをつかまえてやろうと、ポケットというポケットに手を突っ込んだんですが、そんなものがいたらとっくに気がついてるはずです。
 アカン! 脳内ハツカネズミやぁ~!

 もう万策尽きて靴を脱ぎ散らかして部屋にあがりました。するとどうでしょう、さっきまで聴こえていたネズミの鳴き声がぱたりと止むではありませんか。
 はは~ん、そこだ!
 もう一度靴を履きなおすと、案の定また鳴きはじめました。靴の中にハツカネズミが……いたのではなく、空気クッションの付いた靴がパンクしていたのです。子どもが履くちゅ~ちゅ~鳴る靴になっていたんですね。
 胸騒ぎの原因は突き止めましたが明日は童話教室の日です。何も良からぬ事が起きないように念じながら眠りに付くとします。

女房に財布の金を抜かれ

2007年04月24日 | 男と女
「財布から金が無くなる気がすんねん。女房が抜いてるんや思うわ!」
 何も身内の不祥事を酒の席であかさずともよかろうにと思うんですが、久しぶりに会った男は真顔でいいました。
「あんたが奥さんに十分な生活費あげてないんとちゃうか? しゃあないで、そら」
「いや、そういう問題やなくて、足りんならいうてくれたら渡すやんか」
「いうて金をもらえるならとっくにいうてるやろがぁ」
 とまあ夫婦のことは所詮他人には分からないんですし、彼が何を隠してどの部分を誇張していってるかも分からないんですから、真剣に受け答えしていると腹が立つだけです。
 
 それはともかく、日本の一般家庭での収支って、夫婦のどちらが管理しているんでしょうか。アメリカの家庭では夫が財布を握っているのが普通だと聞いたことがありますが、ぼくの周りの夫婦だって結構その図式が多いと思いますし、ぼくの父もそうやっていたはずです。
 今となっては真偽の程は確かめようもありませんが、たぶん父の場合は自分の飲み代が何にも増して最優先であり、家計は二の次だったと想像しています。吝嗇というほどではなかったにしろ、父は自分のこと以外の出費には倹約家だったのです。

 父が亡くなると、もともと金銭に執着しないたちだった母は、それまでの忍従の日々から開放されて、タガが外れたかのように豪快に散財(といってもたかが知れてるのですが)し始めました。
 でも考えてみればそれは当然の権利だろうと思います。なぜなら父は生活費は出していたかも知れませんが、母の主婦業に見合っただけの報酬なんて一切支払ったことが無かったに違いないからです。

 自分の財布から奥さんに金を抜かれるやつも、どちらかというとぼくの父に似た実に身勝手でけちな男なので、奥さんはじゃんじゃん金を抜き取ったら良いと思います。だってじっと耐えていたって旦那が先死ぬ保証はありませんし、年上女房なんだし……。
 
「ほら財布見てみぃ、これだけ入ってたら万札の一枚や二枚抜かれても分かれへんやんかぁ!」
 あのバカ、何がいいたいのかと思ったら、このところ金回りが良いのを自慢したかったらしいのです。
「お前なぁ、そこまでいうんやったら今日は奢りやろなぁ!」
 その通り、きっちりというか珍しく奢ってくれましたが、たまにはバカとバカ話するのもそれなりの刺激にはなるもんです。

エイズ検査なんて怖くて……

2007年04月22日 | 暮らしの落とし穴
「久しぶりぃ、その後体調はどう?」
 友だちからメールが来ました。
「あの体調不良は、歯が悪かったせいかも知れへん。今は医者に通いながら、スポーツジム通いを再開したよ」
 最後にメールしたのは、体調が優れなくてバイオリン教室やスポーツジムなんかをやめた頃でした。
 
「そら良かったな、こっちは中性脂肪、高血圧、尿酸値、胃潰瘍その他もろもろの成人病に侵されてヘレンケラー状態や!」
 なにがヘレンケラーじゃ、酒とタバコを止めりゃほとんど改善するような程度の不養生じゃないか! って思いますよね。
「へ~、良かったヤンか。エイズにかかってなかったら良かったとせにゃ」
「阿呆かぁ! そんなん怖くて検査受けられるかい」

 エイズなんて「あっしにゃ係わりのねぇことでござんす」と、胸を張って言えるぼくなので、そういう怖くて検査できない連中こそ検査に行けよって言いたくなりますが、気持ちは理解できます。

 しかしですよ、エイズ検査が人権を考慮して強制でないのは良いとして、人類のウィルスに対する進化は抗生物質の開発によって停滞してしまっているなら、ウィルスが進化するスピードに人間は決して追いつけないので、人類は滅亡に近づいているといえるのでしょうか? 
 
「それでもまあそこそこ生きてるし、息子も彼女できたみたいやし、なんとかなるやろ……」
 とまあ、人生なんとかなる、ですかね!
 

そば食って童話に応募

2007年04月22日 | 童話
 長らく探し続けていた「深大寺そば(じんだいじ)」を見つけたので慌てて買いました。買ってしまってから、冷凍庫には自分で打ったそばがぎっしり詰まってるし、野菜庫にはそば粉が出番を待っているのに気がつきましたが、このなんの変哲もないそばを買い込んだのにはちゃんとした理由があるのです。
 
 そばというのは日本中至る所で実りますし、最近では中国産やアメリカ産のそば粉も輸入されていて、自分で打ってみた限りでは国産と表示されている粉と大差が無いと感じます。
 つまり国産のそば粉の味がベストであるという根拠も保証もありません。だから「○○そば」という名物もまた、味を左右するはずのそば粉によって差別化されているのではないと言って差し支えないと思います。
 それならなぜ信濃のそばではなく、出石そばでもなく、調布市にある深大寺の名が冠された機械打ちのそばなか、それを説明するにはぼくの屈辱の歴史をひもとかねばなりません。
 
 今を去ること二年前でした。「深大寺ラブストーリー」という、深大寺周辺のそば屋を舞台にした原稿用紙20枚の短編小説んお公募がありまして、勇んで応募したまでは良かったのですが、結果は箸にも棒にもかかりませんでした。それどころか、昨年は応募することすらできないといった有様だったのです。
 
 ラブストーリーなんてオレには無理やな、というような思いで書いた作品だったし、主催サイドも第一回だったこともあるか知れませんが、大賞に輝いた作品を読むと、他でもなくぼくが学んでいる「生活童話」だったので驚きました。
 今年もあの悔しい思いをした「深大寺ラブストーリー」の公募があるようです。敵に勝つで縁起を担ぎトンカツを食べるみたいに、今年こそは深大寺そばを食って討ち入る覚悟で作品を書く所存にございます。

体育館で踏み絵をさせられ

2007年04月20日 | 暮らしの落とし穴
 堺市に新しく体育館がオープンしたので、友だちのテル爺と昨日行ってきました。といってもテル爺みたいに卓球をしないぼくは、マシンジムを利用するだけです。
 システムはどこも似たりよったりだと思うんですが、まずはじめに血圧、体重を測定します。このときに血圧が150ミリ水銀を超えているとマシンの利用を断られかねませんので、150を切った値が出るまで測り直します。
 
 いつだったかテル爺と彼の友だちの奈美さんに、ぼくが昨年まで通っていたジムを体験利用してもらったことがありました。あのとき奈美さんは血圧がレッドゾーンを振り切ってしまい、測り直してインストラクターのお許しをもらったんですが、体重計には頑として乗ろうとしません。
「生娘でもあるまいにぃ、潔く乗ったらんかい!」
 あんまり騒がれると、メンバーであるぼくの肩身が狭いので奈美さんを促したんですが、それでも乗りません。
「奈美さん、これは踏み絵とちゃうねんから、乗っても大丈夫やって……」
 さすがはテル爺、年季が入った説得をするもんですが、納得はしたか知らねど、決して説得に応じようとしない奈美さんでした。
 あのときの奈美さんの様子を笑ったぼくですが、ジムをやめて半年で10%ほど増量してしまった今のぼくなら、あのときの奈美さんの恐怖を理解できます。
 
 体重計の横には身長計が置いてありますので、測定してみようとしたのですが、
「あ、身長は計らなくて結構なんですよ」
と、インストラクターの女の子が慌ててぼくを制しました。
「分かってますって、ちょっと計りたくなっただけですヤン」
 素人扱いされてしまったんですが、施設は堺市のものでも民間企業に運営をゆだねているので、親切にチェックしてくれるのがうれしいです。
「あ、そのマシンにはあごをちゃんとくっつけて使いましょうね」
 アドバイスを受けるのは想定してましたが、他人が使ったものに直接あごを付けるのもいやなんで、タオルをしいてあごを乗せました。
「あ、それは間違いです。反動をつけて持ち上げてはいけません」
「はいはい、親切にありがとう」
 どこまでも注意してくださるので、いちいち答えるんですが、彼女たちのこのハイテンションが初めのうちだけでないことを祈ります。

ヤクルトラーメンを食べました

2007年04月18日 | 酒、食
 ヤクルトから販売されている「クロレララーメン」を探し求めても見つけることかなわず、知り合いに話すと、
「ヤクルトおばちゃんが会社に持ってくるから買ってきてあげるよ」
といわれ、手を煩わせる代わりにうどんを打ってあげたんですが、ようやく5袋入りを二袋が入手の運びとなりました。

 初めて当ラーメンを食べたのは中学生の頃だったでしょうか、牛乳屋さんのルートで買った記憶はあるんですが、すぐに手に入らなくなりました。特にその味が気に入ったわけでもなかったんですが、なんとなく気になって30数年の月日が流れてしまいました。
 
 さっそく作って食べようとしたんですが、あの頃の袋のデザインとは違う気がします。麺はどんなだったか憶えてないのですが、えらく綺麗な緑色をしていて、抹茶ラーメンかと見まごうほどです。
 それで味なんですが、何のことは無い醤油ラーメンで、麺も特にクロレラの味がするかといったらそんなことはありません。そもそもクロレラの味なんてどんなんでしょう?
 
 決してまずくはないのですが、なんでこんなもんずっと探してたの? と残りの9袋を前にして首をかしげてしまいました。あと味噌味もあるんですが、急いで食べてみるほどでもない気がしてきました。
 所詮は青く見える隣の芝生、手に入らないからこそ食べたかっただけかもしれません。それにしてもいったいどこのメーカーがこのラーメンを作っているんでしょうか、今度はそれが気になって仕方なくなりました。