らんかみち

童話から老話まで

レース前にレプリカバイクが発表された

2010年10月31日 | 釣り船とバイク
 無人島にたった一つだけ持って行けるとしたら、あなたは何を持っていきたいですかと問われ、「林葉直子」と答えたのは中原誠先生ではなく、日本将棋連盟の米長会長でもなく、日本女子プロ将棋協会の中井広恵代表理事です。
 中井女流六段にそういったアレがあるんじゃなく、言葉の綾というか、それほど林葉直子さんは面白い人物であると言いたかったんでしょう。

 異性を無人島に連れて行けるならそれに超したことは無いと思うんですが、物と限定されたらモトクロスバイクを持って行きたいぼくです。もちろんガソリンが無尽蔵に使えるとしてだけど、無人島に舗装道路があったらロードレーサーを乗り回したい。
 大排気量のバイクはいらない。2ストローク125ccのレーサーなら200km/hは出るから楽しいだろうな。ところが日本では排ガス規制でもう2ストロークの新車が開発されることはないし、輸入されているイタリア車もやがて生産を終えるでしょう。

 2スト125ccに代わって、4スト250ccの世界選手権が再来年から始まり、来年は両者の混走となるそうです。それに合わせて市販車も4スト250ccが発売されるのを楽しみにしてましたが、驚いたことに先日ホンダが発表しました。その名もCB250Rと、往年の名車に冠していた名を復活させた由。
 カワサキは2気筒のNinjya250Rがあるから作るかどうか分からないけど、スズキとヤマハはホンダ車の売れ行きを見てから250cc単気筒のスポーツ車を販売するかもしれません。
 しかし今回ホンダから発表されたバイクのスペックが高いところにあるようで、これが世界中のバイクメーカにとってのベンチマークになるでしょう。来年のロードレース世界選手権とバイクの市販が待ち遠しい!

文化祭に展示して思い知らされる未熟度

2010年10月30日 | 陶芸
「よ、要釉斎先生、本気でこの作品を文化祭に展示なさるお積もりで……」
 写真は我が陶芸クラブの観自在菩薩であらせられる要釉斎先生の作品ですが、こんなあられもない……とぼくは懸念したのです。
「うむ、君ぃ、般若波羅密多というのは、智恵の修行の完全無欠なる完成形を謂う、而して理趣経においては性欲を否定しておらん、即ち、色即是空、空即是色じゃ」
 う~む、智恵の完成が近づいた者のみが達し得る境地なのでしょうか。ぼくのような無明の者がこういう作品を作ったなら煩悩意外の何でもないと人は見るでしょうし、実際に煩悩の塊ですんで。

 色即是空というのは、見える物は見えない物と異ならなず精神世界における存在であり、空即是色というのは、見えない精神世界の物も見える実在とたがわない、という意味だそうな。
 それゆえ、無明というものはなく、悟りというものも無い。汚れることもなければ浄化されることもない。全ては最初から無なのだから、死ぬことを恐れることもないのだそうな。

 ま、そうは言っても要釉斎先生の作品群の隣にぼくの作品を展示するのは腰が引けてしまって、対角線上の空きスペースに作品を並べたんですが、その隣には県展に連続入選している方の彫塑作品が展示されているじゃないですか。これはこれで気後れするなと思っていたら、先輩がワンクッション置いてくれて胸をなで下ろしました。

 ぼくの上の姉は、西洋思想と東洋思想の統合、具体的にいえばイエス・キリストの弟子の一人であった聖ヨハネの転生が空海その人であるとする思想を研究しております。早い話が、西洋科学の発見した物質不滅の法則は、お釈迦様によって紀元前に解き明かされていた、となるのだそうです。

 この説が正しいかどうかはさておき、地球がドカンと消滅した暁には富も名声も全てが精神世界に帰する、というか、精神世界そのものが元々無く、煩悩すら存在していないのなら、どんなエロチックな作品を展示しようが恐れることはないのでしょう。それを知っていてもなお先生の隣に展示できなかったぼくの、般若波羅密多はいつになることやら。

台風でなくても遭難します

2010年10月29日 | 釣り船とバイク
「チャバが愛媛に上陸するか知れんで」と、パン屋のQちゃんが電話をくれたので、お互いの釣り船を一緒に避難させました。しかし今夕の情報ではどうやら逸れたみたいですが、奄美地方は泣きっ面に蜂だったようで、お見舞い申し上げます。

 それにしても釣り船なんか持っていると余計な心配をしなくてはいけません。メンテナンスに金はかかるし、走ったら燃料を消費するだけでなく遭難の心配もあります。実際、Qちゃんは遭難しかかったものの、板切れでパドリングしながら帰ってきたんだそうな。

 港を出てすぐだったので、彼は誰にも迷惑をかけず無事に帰還する道を選んだようですが、ぼくだったら漂流しながらも修理する道を選んだでしょう。挙げ句の果てに、こりゃ修理不能だ、助けを呼ぼう、って、ここはどこ? みたいな最悪の事態を見たかも知れません。

 舟といっても5人くらいは乗れるので、板切れを漕いですんなり動かせるもんじゃありません。案の定、彼の手は肉刺だらけ! Qちゃんの舟のエンジンとぼくのそれは同型、メンテナンスに苦労しているぼくにしてみたら難しいことではなかったので修理してあげたんですが、彼はパニックになったでしょうね。
 海ではお互い様なので、連絡を受けたら漁師仲間は助けに馳せ参じると聞きますが、ちょっと格好が悪いので自力で何とかなるならって気持ちは分かります。

なんだかユダヤブルーな日

2010年10月28日 | 陶芸
 窯出しの朝、クラブ員の見守る中で窯の扉をギギ~と開けた瞬間、全滅だぁ~! 窯焚きのエラーもさることながら、トルコブルーにするかペルシアンブルーにするかで悩んだあげく、トルコに惹かれたのも大間違いでした。だいいち音感が良くなかった。正しくはターコイズブルーと呼ぶべきだったと気がついても、後の祭りってもんでさぁ……。

 ペルシャってのは今のイランでしょ、トルコはその隣だけど、中東というよりほとんどヨーロッパじゃないですか。だけど同じイスラム文化圏ならどっても似たようなもんだと思い込んだのも間違いでした。そして陶芸家の中にもトルコとイランを十把一絡げにしている人がいるのだと気がついても、後の祭りってもんでさぁ……。

          Itzhak Perlman Chopin Nocturne in C#minor
          

 いやぁ、バイオリンやピアノを演奏させたらユダヤ人のもんですねぇ。ホロヴィッツだったか、「ピアニストは三種類しかいない、ユダヤ人とホモと下手くそだ」と言ったのもうなずける気するし、バイオリンもやっぱりユダヤ人がすごい。

 演奏技法の面から言えば、このパールマンのスタイルはやや古いのかなぁと思うんですが、それがために彼独特のロマンチシズムに溢れた音色を生み出しているんじゃないでしょうか。
 陶芸作品が全滅した現実から逃避を図ってみましたが、ターコイズブルーでもなくペルシアンブルーでもなく、本日はユダヤブルーな気分でありました。

眼鏡デビューのはずが

2010年10月27日 | 暮らしの落とし穴
 今治市内のスーパーでで味噌煮込みうどんを見つけて、やた! 去年はとうとう見つけられずじまいで春を迎え、自分で作っては見たもののフラストレーションを抱えたままでした。で、作ったのがこれ、そう肉じゃがです。いゃあ、プチショッキングなことがあって、つい肉じゃがの甘さにカタルシスを求めてしまったのです。

 実は先週メガネを買いに出かけたんですが、今日引き取りに行ったら全然合わないのが出来上がってきてたんです。近近両用メガネって呼ぶらしいんですが、近い方の近はOKなのに遠い方の近がダメなんです。
「何かの資料を読みながら、ふと顔を上げてパソコンの文字が読めます」ってメガネ屋さんが言うもんだから近近にしたのに、モニターから30cmまで顔を近づけてキーボードは打てやせんよ。

 18000円もしたのに100均のメガネの方が見え良いなんて受け入れることできません。だいいち、メガネ屋さんに置いてあるオモチャのモニターには「70cm」と距離が明示されてるじゃないですか。なんで30cmに合わせたのか不思議でしょうがない。メガネを初めて作るぼくに落ち度があったのかどうかはともかく、気持ちよく作り直してやる言うてくれたので来週また仕切り直しです。

 関西方面に住んでいたころ、あるメガネ屋さんと懇意にしてました。といってもぼくはメガネがいらなかったので、彼の経営する居酒屋の方で親しかっただけですが、それがまたへんぴな所に店があって、「こんなところでメガネ屋開いて儲かるの」と不思議でした。
「メガネって高価な物だし体の一部みたいな物だから、馴染みの店で作らないと不安なんですよ。数年に一度のメガネ作りなら遠くに出かけても苦にはならないというわけ」
 でもそれじゃあ新規開拓はできないじゃないかと思ったら、「目の悪い人が子供をもうけたら、その子供も目が悪いとしたもんで、顧客が減ることはないんです」

 ま、そんなこと言ってるから彼は店じまいしたのかどうか知らないんですが、最近メガネの安売り店が急成長したのは知ってます。ぼくが作りに行ったのもそんな店の一つで、店員さんは全員メガネをかけてます。社員の採用条件に「眼鏡等」とあるのかどうかは知りません。それがどないした、言われましたら、お後がよろしいようで……。
 あそうそう、この肉じゃがは『だし道楽』という非常に薄口のうどん出汁だけで味付けてます。うどんの汁に使うより肉じゃがに使った方が、甘さが心地よいかも知れません。

毎日が日曜だったのに

2010年10月26日 | 暮らしの落とし穴
 諸々あってビジー状態が続き、そのうちフリーズするんじゃないかとヨレヨレになりながらもなんとか務めた上げた10月でしたが、文化祭向けの陶芸作品を焼き上げた本日をもって終了、後は窯から出して展示するだけです。

 陶芸作品って、出来が良ければ「あんたが焼いたんじゃない、窯が焼いたんじゃ」言われるけど、悪かったら「あんたが焼いたけんじゃ」言われます。だからといって、今更どうしようもあるかい、と開き直っております。

 時間ができたらエッセイでも書いて投稿しようかと思っているんですが、エッセイを労せずして書ける人は確かにいますね。どこどこのイベントに行ったらとても面白かった、みたいなことをあられもなく綴った日記でありながら、立派なエッセイだよな、と恐れ入りながら読むブログもあったりします。

 事実を羅列しただけでエッセイだと思っているブロガーもいるし、逆に事実を羅列しただけでエッセイになってしまう場合もあるんですが、本人は平凡な人生だから、とエッセイを書けないと思い込んでいることもあります。波瀾万丈の人生なのに、我が身のことは慣れてしまって分からないんですよね、残念なことに。

 ぼくも損長やり始めたんでエッセイのネタは増えたんですが、書いているひまがないほどToDoリストが膨れあがってしまっているんです。住民の名前や家族構成すらも良く知らない男が自治会長になってしまったので、村人台帳とか作らないといけない。役所への要望書といった公の文書も作成せにゃならんし、市会議員とも顔つなぎせにゃならん。
 どれもこれ義務じゃないのでスルーしたって構わないんですが、村のためになるなら労を惜しむわけにもいきますまい。あそうだ、漁師もやらなきゃいけなかったんだ!

金を払ったからといって技術が身につくわけではない

2010年10月25日 | 陶芸
 釉薬かけをして窯詰めしました。ブログにアップしようとその窯の写真を見たら、アウッチ! 一つの棚で間違えてるじゃないか。棚板を3点で支持しているんですが、三角形が逆になっているところがあって、これは絶対にまずいぞ。
 棚板を破損させようものなら大目玉を食らうでしょうね。1枚が1万円くらいする物なので、窯一杯のぼくの作品が売れたってペイするわけがない。失敗は成功の母などと言って見過ごしてはくれそうもないので、明朝は早めに出かけて詰め直す所存にございます。

 ぼくみたいに失敗ばかりやらかして痛い目に遭っていると、次からは慎重になるし痛みを忘れることはありません。しかし、だれかから手取り足取り教わったことは残念ながら忘れてしまいやすいです。
「一子相伝とは、教えないことである」と、歌舞伎役者だったか狂言師だったか、我が子に芸を伝えるのに芸を教えてはいけないというのです。もちろん箴言、レトリックであり、「技は教わるものではなく、盗むものである」と共通する格言でしょう。

 我が陶芸クラブはその昔、鄙には珍しくといっては叱られるかも知れませんが、著名な陶芸家を師と仰いでおったそうな。その時代の資料をひもといてみると、膨大な釉薬の調合リストやテストピースがあって驚きます。先生は非常に親切丁寧な方で、粉骨砕身クラブのために尽くしてくれたであろうことは想像に難くありません。それなのにどうして先生の技術は伝承されずに今にいたってしまったのでしょう。

 思うに、人は気前よく教えてもらったことは気前よく忘れてしまうものじゃないでしょうか。流血の末に自力で獲得した自由は死守しても、占領軍から与えられた自由はぞんざいに扱ってしまうのと似ているでしょうか。伝統芸能にしても、子どもが自力で身につけた芸でなければ伝承されないのでしょう。

 師と仰いだ陶芸家が亡くなり、教わった技術がわずか数年で失われた要因を、クラブ員の高齢化と分けて考えることはできないと思います。しかし主因として、先生の微に入り細をうがった指導が、クラブ員の自力で考える習慣をスポイルしたのかも知れないのです。
 知り合いの陶芸家を訪ね、よその陶芸クラブを見学し、陶芸教室に飛び入りで受講したりするぼくの姿を見て「あなたは本当に熱心よね」と、褒めているのか呆れているのか知らないけど、技術の獲得に苦労しなければ身につかないとしたものです。

 親はなくとも子は育つと云うけれど、親がいるから育たない子もいる。童話講座だって同じことですが、金を払ってまでして「千尋の谷に突き落としてください」と懇願する生徒もいないので、お師匠さまも頭の痛いこって。

村長は今日もお忙し

2010年10月24日 | 暮らしの落とし穴
 小さな村に大小四つの神社と三つのお堂があり、それぞれに行事がくっついているので村人は年中大忙し。といっても昔は人口が多かったので、年がら年中行事があって楽しい村だったのかなぁと思います。だけど過疎化し高齢化が進んだ今、年中行事を消化するだけで精一杯で楽しむ余裕なんぞありますかいな。

 誰の言葉か「戦争は、始めるより終わらせる方がはるかに難しい」と。お祭りや行事も同じで、由緒の知れないことだからといって止めようとすると、やれ「罰が当たる」とか「伝統が途絶える」という抵抗があります。
 そればかりならまだしも、「あの提灯はワシが寄進してワシの名前が入っておる。ワシの目の黒いうちは止めさせんぞ」みたいな事情もあるし、自分の代で伝統行事を終わらせたい村長なんかいないでしょう。

 本日もそういった行事が二つも重なって、村長のぼくも早朝から大忙しの上に心肺蘇生法の講習会ときた。住民を代表して受講するってことは、つまり住民に何かあったときに救命の役を担わされるわけで、助けられなかったらオレの落ち度か! 

 そういうことなら心してかからねばならんなと思っていたら、講習会は爺さんが中心でチャランポランな楽しい人ばかり。でも女性たちは真剣でした。ぼくもマウスツーマウスなんか練習したんですが、人形とはいえ、昨日の晩にうっかり餃子を食ってしまって、ゴメンナサイ!

独りで窯焚きするわけ

2010年10月23日 | 童話
 一窯に入りきらないのでは、という心配は取り越し苦労に終わったどころか、キチキチに詰め込んだら余裕すらあって、まだまだ読みが甘いわい! 
 一人で窯焚きをやるようになってまだ1年余りですが、毎回のように大きさや形状の異なる物を作っているので、どれだけの作品で窯が一杯になるのかを判断する経験値が絶対的に不足しているんです。
 クラブの他の皆さんはグループで窯焚きをしてます。なぜぼくだけ独り寂しく焼いているのか、それはある事件がきっかけでした。

 陶芸を初めて半年くらいで2、3回は先輩に焼いてもらったんですが、こんな出来上がりで皆さんは満足なんだろうかと不思議でした。もちろんだれも満足してはいなかったようですが、「一窯に一つ良品があったら上出来だよ」と笑い飛ばしてきたんです。
 窯焚きには失敗も付きものですが、同じ失敗なら自分自身でやらかしたミスで自分を恨む方が気楽でしょ。他人様の手を患わせておきながら、思ったような焼き上がりでなかったからと、他人様を恨むのは筋違いというもんです。
 自分だけで焼いてみたいという気持ちは、ろくろが上達するに連れて募っていったんですが、手取り足取り世話を焼いてくれる先輩に遠慮があって言い出せませんでした。

 その頃ぼくは自分で使うための酒器ばかり作っていて、世間ではあまり見かけない馬上杯も作りました。それらを焼いてくれた先輩は酒を飲まないので、上下の判断ができなかったのかも知れませんが、本焼きの窯が閉まる前に1個だけ天地が逆に置かれているのにぼくは気がつきました。でも敢えて指摘しなかったんです。
 やがて窯出しの日を迎え、ぼくの作品が取り出される番になって、「なんだこれは、上下が逆に置いてある!」と先輩は気づきました。馬上杯の口縁からは釉薬が垂れて棚板とくっつき、作品は台無しです。このインシデントを機に「あんたの作る物は分からん。これからは独りで焼きなさい」となった次第です。

 実は我がクラブというのはその昔、県展の入選を毎年果たすほどの名門窯だったそうです。それがなぜ衰退してしまったのか、技術が伝承されなかったのか、様々なファクターはあるでしょうが、自分なりに答えを出してます。長くなるのでまた後日。

線刻がなんとか終了

2010年10月22日 | 陶芸
 徹夜になるのかなと覚悟していたんですが、さすがにそんな馬力はなかったので、線刻の途中から手を抜きました。黒化粧土っていうけど、釉薬みたいに柔らかくて、削るのは楽だけとすぐにはがれてしまう。もう一回塗れば良いだけのことなんですが、扱い易いのか難いのか今ひとつ良く分かりません。

 絵心のない男なもので、ネットで見つけた写真を切り抜いてなぞりました。どんな仕上がりになるのか謎のまま明日は素焼きです。2基の窯を同時に焚くことの不安と喜び二つ我にあり。