らんかみち

童話から老話まで

死を前にして、袖を触れ合う喜び

2007年06月18日 | 暮らしの落とし穴
 田舎の病院というのは雨が降ると立錐の余地もないほど混み合うのも当然で、おりしも田植えが一段落した時期であり、今日みたいに雨で農作業できないと農家さんたちが大挙して押し寄せるからでしょう。
 そんなわけで本日の耳鼻咽喉科診療は二時間待ちの苦行の合間に、ぼくが元いた妖怪病室の癌患者さんたちをお見舞いしました。
 
「こんにちは~どないだっか~?」
 皆さん悪性の癌患者なので、暗い顔をしてあいさつをしても仕方ありません。努めて快活に振舞ってはみたものの、こらアカンわ! と声が出そうになったほど皆さんやつれていました。
「こっちはみんな芳しくないよ。HALさんはどうなの?」
「ええ、ぼくの方は予定通り順調に聴こえなくなって来ましたよ」
 皆さんに同情するのでもなく慰めるためでもなく、本当にだんだんと高音域が聴き取りにくくなってきた感じがあります。
 
「お腹が痛くなってね、検査したら肝臓らしいネン」
 そう言ったNさんは、白血球の数値が上がったら仮退院するはずだったのに、肝臓が痛い? そんなバカなって誰でも思いますよね。
 沈黙の臓器といわれる肝臓に痛いなんて自覚症状があったら、それはかなり悪化してるって証拠でしょう? 入院していながら医者は何をやってたのかなって思いますよね。それとも入院して薬を間違えて飲まされてたからこんなことになったんでしょうか。
 
 声を失ってなお快活で最も重病のAさんは放射線治療でいませんでしたが、彼はそう遠からず退院するかもしれないということでした。それを祝福すべきか、いやだれも口に出さないけどその先にあるのは「死」かもしれないんです。
 行きたくはないけど、ぼくは少なくとも後二回はあの病院にかかる必要がありますが、その時ぼくにあの病室に行く根性があるかどうか分かりません。
 
 詳しく書けないのがもどかしいですが、そりゃ大変な患者さんたちとぼくは一緒の時間を過ごしてきました。袖触れ合うも他生の縁といいますが、袖触れ合える最後の瞬間に彼らと同じ時間と空間を共有したのを光栄に思います。
 ぼくは彼らと過ごした時間を忘れたくはありません。たとえ次に行ったら目を背けたくなるような光景があの病室に展開されていたとしても、そこに立ち会えて彼らの頑張っている姿を目の当たりにできたなら、それはぼくの誇りにしたいと思うのです。