らんかみち

童話から老話まで

久しぶりの童話公募

2013年05月31日 | 童話
 本日締め切りの童話公募があったので、昨日の夕方かから書き始めた。って、そんなんじゃだめじゃん! ではあるけど、5枚だからすぐに書き終えて本日は推敲のみ。

 伝統と格式のある、保守的な作品の求められる公募なので、奇をてらったようなことをやったって通用しない。それはよく分かっているんだけど、今の子どもに読んでもらうのに、今の要素は要ると思うんだよね。でもそれは、トラディッショナルな物語を書けない言い訳ってことで。

 何年も童話を書いていなかったので腰が重かったけど、書き始めてみたら思っていたより整ったものができたかな。以前だと、応募する段階になったら最初とは似ても似つかない物語になってしまうってことも少なくなかったから。

 それにしても、応募要項にwordもしくは一太郎という制限がある。このところオープンオフィスしか使っていないので、ワードにコピーして確認したけど、ずいぶんレイアウトが変わってしまう。
 ワードのバージョンが古いせいかもしれないけど、やっぱり無難なワードを使うべきなんだろうね。佳作にでも入選すれば買えるんだが……。

友だちのうどん屋が廃業したわけ

2013年05月30日 | 暮らしの落とし穴
 陶芸クラブに出かけ、バラ祭りの売上金を受け取った。ぼく自身は陶芸をサボっていたから売り上げが少ないのは仕方ない。しかし全体で見ても昨年の半分しか売り上げていない。
「来年からはアイスクリームを売ろうよ」というい声まで上がる始末。陶芸クラブの矜持はもとより、クラブの存在すら否定する発言であるにもかかわらず、うんうんと頷きたくもなる。

 一昨年、手打ち蕎麦を販売したときは、3人体勢で4万円くらい売ったんだったかな? 天候に左右されるのはもちろんだけど、イベント会場は食べ物ならどんな物でもそこそこ売れる。
 手打ち蕎麦よりも、たぶん手打ちうどんの方が好まれるだろう。だから友だちのうどん屋に「出店しないか」と打診したことがあるけど、「通常営業の方を大事にしたいから」と断られた。

 で、その友だちのうどん屋、2年持たずに廃業かい! 風の噂では「貸店舗」の張り紙が出ていたというし、他からの情報でも閉めたことは間違いないようだ。店主は「うちの店の回りに建物ができ、看板が見えなくなったせいで客足が遠のいた」と主張するが、うどんがだめなんだってことはハッキリしている。
 やつにも奥さんにもプライドがあるだろうからと、カウンターの内側に入ってまで教えるってことができなかった。今にして思えば、嫌われるのを覚悟でキッパリと「お前のうどんとオレのを食べ比べてみろ」と言えば良かった。

 この4月までで店は閉めたみたいだが、夫婦関係も甚だ不安定だった。客がいるのに夫婦げんかはいかんだろう! 気心が知れたぼくでもいたたまれなくなる。
 もちろん景気悪化による内食が増えたのも、デフレで大手外食チェーンが値下げ合戦したのも影響があるだろう。よほど美味しいものを提供しないと生き残れないところにもってきて、メインの麺がよくないのではね。いや、非常に美味しいと評判のうどん屋でも、自信満々で高飛車な態度では生き残れないと聞く。

 離婚までしてなかったら良いんだけどね。今さら電話しても傷口に塩を擦り込むか、他人の不幸をのぞき見しているように受け取られるだろう。しばらくは、知らなかったで過ごしてみるか。

ブランド鯵じゃないけど、活け作り

2013年05月29日 | 酒、食
「アジがたくさん釣れたよ」と、ご近所さんが30cmくらいのマアジ(ヒラアジ)のお裾分けを下さった。うちだけでは食べきれないので日頃お世話になっている人に持って行く。あとは刺身にして頂いたけど、美味しさの点では15cmくらいの小アジとかわりはない。

 関アジ、関サバといえば高級ブランドで知られている。西予市の知人に三瓶という所に連れて行ってもらい、奥地アジというブランドアジを食べさせてもらったことがあるが、そりゃあ美味しいものだった。
 三瓶なのでカメアジで良いじゃないかと思うんだけど、亀アジと誤解されては意味不明になるということか。

 関アジも奥地アジも同じ海域で捕れるマアジなのに、関アジの方が先にブランド化されたので値が高いそうだ。両者に共通しているのは、網漁ではなく一本釣りしたものを一昼夜だけ水槽で泳がせ、活け締めという手法で鮮度を保つことらしい。
 網で漁をしたら魚は傷ついて死んでしまう。一本釣りしたらそれはないけど、魚が抵抗したときに筋肉痛を患ってしまうから水槽で休ませる、ということなんだとか。

 関アジ、奥地アジは、手間暇かけたら大衆魚も美味しくなってブランド化される良い見本だけど、うちの田舎じゃそんなことには無頓着。釣り上げて船のいけすに放り込んでいたのを、まだピチピチはねているうちに刺身にする。
 このやり方が一番美味しいのかどうか知らない。一晩休ませた方が美味しくなるという人もいるが、漁師たちはそんなの待っていられない。早く一杯やりたいから。

 魚の美味しさは鮮度抜きには語れないけど、それだけじゃなく、しめ方や血抜きも大事なんだろう。しかし刺身においては、やっぱ包丁捌きだろうな。どんなに鮮度の良い魚でも包丁の切れ目が鋭角に立ってないようでは美味しくはない。
 恥を明かさねばならないけど、良い魚を頂いたときには、ご近所の腕自慢に刺身にしてもらう。ぼくが煮付けにしか耐えられるほどの包丁技しか持ち合わせていないのは無残だけど、現実を直視して美味という実利を優先したいと思う。

造船所って、毒を食らわば皿まで

2013年05月28日 | 暮らしの落とし穴


 ついこの前までプルプル震える日もあったのに、いきなり真夏日だ梅雨入りだといわれてもなぁ。てか、これが日本であり半世紀も住み続けていながら何をか言わんや。
 写真は建設中の造船所で、騒音だのなんだのと不都合なことはある。しかしここは海事都市今治のはずれ、造船所なんて子どもの頃から存在して騒音を出し続けている。今さら何をか言わんや、ではあるんだけど……。

 見たこともない大型機械が次から次へと運び込まれては去っていく。昨日は転がされていた緑色の構造物は、今日見たら立ち上がっている。あれは造船所だからクレーンだと思う。まかり間違っても、船の安全な建造を見守る観音像とかじゃないと思う。
 いや待てよ、船に関わる人々ってのは概ね信心深い。うちの村の漁船のほぼ全てには、海上交通の安全を祈って金比羅神社が祀られているではないか。それに、今度できる造船所の会長も信心深そうに見えたからね。

 新造船所の是非はともかく、潮干狩りはできなくなると思う。船底には、牡蠣が付着するのを防ぐ船底塗料というのを塗るんだけど、いうなれば除草剤みたいなもので、造船所周辺の生物の一部は死滅してしまう。

 ぼくが子どもの頃にカブトガニやアサリなんて普通にいたけど、今やカブトガニは天然記念物だし、アサリは韓国産や北朝鮮産を撒いて潮干狩り。ハマグリも売っているけど、たぶん中国産。海は澄んで綺麗なんだけど、魚は減ってしまった。魚群探知機が安価になって乱獲が祟ったのは間違いないけど、里山が荒廃したのも要因の一つだろう。

 世界中で「窒素を使いすぎて赤潮の原因になっている」という警告があるけど、当地の海ではそれすら無くなっている。過疎化の上に造船所で働いていた中国人研修生もいなくなってしまった。彼らは畑を作って生産的だったけど、代わったフィリピン人の若い男たちは、やらないみたいだね。
 潮干狩りをする人もやがていなくなり、海の水は船底塗料の影響で澄み切り、生物がいなくなる。少子高齢化で人間もいなくなるけど、船は作り続けられる。すごい世界だな、そこまで見届けたいと思ってはいるんだが……。

うちの蕾ちゃん

2013年05月27日 | 酒、食
 蕾ちゃん見ぃつけたッ! よそ様に分けてあげたアーティチョークに蕾が付いて、10本も植えている本家に蕾が付かないということが許されようか、いや許されるわけがない。



 ということで毎日のように観察していたんだけど、ちょっとの間バラ祭りにかまけてスルーしてたら、一本の中で恥ずかしそうに顔をのぞかせているじゃん!
 これは嬉しかった。よその子は伝い歩きしているのに、うちの子はまだハイハイも上手くできない、と焦る若いママの気持ちが少しだけ分かった。

しまなみクラシックス

2013年05月26日 | 暮らしの落とし穴


 バラ祭りの2日目、日差しの強さは昨日と変わらない感じだけど風があって凌ぎやすかった。人出も昨日の倍くらいじゃないかな。ケバブを売っているお兄ちゃんも昨日は欠伸がこらえられない様子だったけど短い行列ができていて、最後は売り切ったのかよ!
 
 ケバブは今年初めて島に上陸したんじゃないだろうか。「ケバブって美味しいんですよ」と、ぼくたちのブースに陣取るお婆ちゃんたちに勧めるんだけど、自分たちで買って食べてみる、なんてことはしない。年寄りだからってのじゃなく、食べ物や習俗ってのに保守的な土地柄なんだと思う。

 バラ祭りのイベントも毎年同じようなのを続けてきたけど、今年は毛色の違うところから打診があった。「しまなみクラシックス」と銘打って、古いバイクや四輪が集まる催しをやった。
 どういうコンセプトなのか、やや統一感のはっきりしないグループだけど、ノスタルジーは満足できるし、オーナーたちの情熱も伝わってくる。マニアとかエンスーと呼ばれる人たちも詰めかけてくれ、面白かった。こういうのをやってたら、いつか大化けすると信じて続けたい。

晩節を汚すってことはある

2013年05月25日 | 暮らしの落とし穴


 バラは申し分なく、天気も快晴ならバラ祭りの人出は過去最高を記録するかと予想したけど、どっこい例年より少ないくらいだった。暑すぎて、ブースの前に立っていることもままならない。汗が噴き出すというわけじゃないから、体が急激な暑さに慣れずにいるんだろう。そんなだから「このクソ暑いのに公園で熱中症の危険は冒せん」ということか、客足も思いのほか伸びなかった。

 人出が少ないから陶芸クラブの作品も売れてない。いや、そもそもバラ祭りに陶芸作品を売るということ自体が無謀なわけで、売れなくて当然といえばそうだろう。もし手打ち蕎麦を売ったなら、今日みたいな日だったら面白いように儲かったはず。
「君ぃ、作品を仮に500円で売ったとして、クラブに半分取られるじゃないかね。残りの250円で土代と焼成代やら何やらを差し引いてみた前、完全に赤字じゃろうが」と、先日来より要釉斎先生が繰り返し主張されているが、面倒くさいから聞こえないふりをした。

 そもそもバラ祭りで陶芸作品を販売するというのは、クラブの運営のためであって個人の収益のためではない。最初は全額をクラブに納めていたのに、それではいくら何でも厳しいということで作者に半分が手取りになるようにした。そんないきさつを知っているはずなのに、このところの要釉斎先生は自分の損得にこだわるような発言をなさる。

「先生は欲ボケかいねや?」と、手下までが心配するくらいだから、かなり具合が悪い。確かに売ったからといって儲からない。それどころか赤字になるんだけど、クラブには貢献できる。それのどこがいけないのかってことになると、だれも反対していない。要釉斎先生だけが文句を言っているわけで、「晩節を汚す」と心配する人もいる。どうすりゃ良いもんかなぁ……。

半年余りでアーティチョークが蕾を!

2013年05月24日 | 酒、食


 バラ公園はただいま満開を迎え、好天と相まってバラ祭りの前から駐車場は満員御礼。明日、明後日のバラ祭り当日は臨時駐車場をオープンさせて対応するけど、テレビで「バラが見頃を迎えている」と盛んに紹介してくれるもんだから、結構な人出が予想される。

 バラも良いけど、ぼくが最も楽しみにしているのはアーティチョークの花。秋蒔きしたから秋までは花を咲かせないと思っていたら、「ちょいちょ、損ちゃん。あんたにもらったアレがつぼみを付けたがん」と村人が報告してくれた。門を入った庭の隅に植えられているので通り道からは様子が分からない。招かれて見てみると、た、確かに蕾が!

 しかし、この前に見せてもらったカルドンの蕾に似ている気がする。カルドンを改良したのがアーティチョークらしいから、両者が似ていているのも当然なんだろうけど。
 カルドンも蕾は食べられるらしいし、茎や葉っぱも食べられるとのこと。葉っぱの根元を縛って土に埋めると白くて軟らかくなり、これが美味いんだとか。

 もうカルドンだろうがアーティチョークだろうが、どちらでも大歓迎なのでつぼみを付けてくれんかのう。半年で蕾が付くとは余程良い条件なんだろう。隣にブルーベリーが植えられていたけど、これがまた変。ハーブ系はアルカリ土壌を好むのに対し、ブルーベリーは酸性土壌でなくてはいけない。なのに両方とも良く育っている。不思議なこともあるもんだ。

いぎす豆腐の季節だね

2013年05月23日 | 酒、食


 この土日はバラ祭り。一昨年はとても忙しかったけど、今年は実行委員として何をやるってわけでもない。それでも気ぜわしいのは同じで、腰が浮いているというか落ち着かない。
 そんな状態のところに、村人がトラブルの演出をしてくれる。些細なことなんだけど禍根を残しかねないと思ったので、釈明の一つもしようと相手方に出向いたところ、わずか1分ほどでカタがついた。初対面だけど、知り合いの知り合いだったのだ。

 問題の火種は1分ほどで消えたと思うけど、そこから2時間も語り合った。田舎だから知り合いの知り合いはみな知り合いなのだけど、クラシック音楽について語り合える人は多くない。昔の友だちに再会したような気分で、時間があっという間に過ぎた。

 そんなこんなで、ふと気が緩んだとき、スーパーに気になるものを発見。「いぎすセット」だ、こんな季節なのか!
 当地では夏になると「いぎす豆腐」てのをこしらえる。天草みたいな海藻を茹でて大豆の粉と混ぜて固める。風物詩というか、これを食わずして夏を終えられない。
 自分でこしらえたことがないので、もしかしたら母に教わる最後の料理レッスンになるかもしれない。
 

窯焚き一生というのが理解できた

2013年05月22日 | 陶芸


 窯出しの朝、要釉斎先生の作品が良く焼けていて驚いた。あの温度帯にあの還元では、とんでもないことになるんじゃないかと思っていたけど、老師は酸化も還元もほぼ同じ結果の期待できる釉薬を選んでいたようだ。作品を置く場所については、その位置をターゲットに温度管理していたらしい。

 ぼくの作品も入っていたが、全て焼き直しだったので大きな影響は無かった。しかし要釉斎先生の弟子たちの作品は散々だった。下の棚に温度を合わせたため、窯の特性で上の段に行くほど生焼けになっていた。だから還元の影響が無かったとも言えるのだろうが、作品の体をなしていない。
 どうやら、自分の作品さえ上手く焼ければ手下どもの作品など知ったことか、というスタンスらしい。そうか、だから窯詰めの時に老師から強い邪気が放たれていたのか!

 老師の暴走ぶりは、石原さんや橋下さんのそれを凌いで余りある。「土は自由自在に操れるんじゃが、女房だけは思うようにならん」という至言も今や語りぐさとなっているし、直近では「焼き物はロクなものを焼けんが、ピザは上手に焼けるじゃないかね」が受けた。
 老師の作品はエロチシズム満開で、ぼくが女性にプレゼントしようものならセクハラの嫌疑すらかけられるところを、実績と年齢で押し切ってしまう。曰く、「あの先生なら、しょうがないか」と。

 ああしかし、気の毒なのは手下どもだ。日頃は親方を軽んじているが、窯焚きで報復されるというか、軽んじられていることに気がついていないようだ。陶芸窯というのは常に一杯にして焼かねばならないから、老師は自分の作品を焼くためだけに手下どもの作品を窯に入れているのだ。なんだか、カッコウがモズに託卵するのを思わずにはいられない。

 写真は焼き直したぼくの作品。1回目の素焼きで割れてしまったので本焼きでくっつけようとしたけど上手く行かなかった。失敗した理由が分かったので、再チャレンジしてみたら、くっついた。手をかけた作品なのでとても嬉しいが、売ることはできないので自分で使う。
 他にもいくつか判明したことがある。たとえば古窯の方が窯変が出やすいということ、新窯の方が還元になりやすいということ。「窯焚き一生」といわれる所以だね。