らんかみち

童話から老話まで

童話を推敲して損長の醍醐味を知る

2011年05月31日 | 童話
 某童話公募に出しました。推敲していたら、投稿の1時間前になって「この登場人物、いらないのでは?」と気がつき、どうしようか迷った末に消えてもらいました。

 推敲というのは、文字の入力や変換ミスはもちろんですが、物語全体を客観視することでしょう。不要な登場人物は読者を混乱させるどころか、「なんでその人が◯◯をしないの」みたいに、ストーリーの信憑性を損ねてしまいがちです。

 良かれと思ってやったことが、読者のためと思っていたものが、実は余計なお世話だったということは、実生活と似ていますね。「あいつがなんで出しゃばってくるの」と、ぼくも立場上後ろ指をさされることがあります。
 聞かれたから自説を開陳しただけなのに、出しゃばっていると誤解されたんじゃ立つ瀬がないってもんです。あほらしや、あほらしや、これぞ損長の損たる醍醐味というやつでしょうか。

5枚童話のむつかしさ

2011年05月30日 | 童話
 先日「女のふんどしは外れやすい」と書いたけど、外したふんどしが届き……てなわけはないですね。ふんどし外しを謝罪する手紙が届いたのです。
 文面をそのまま受け取るなら、ああなんてこと、ぼくがプレッシャーをかけていたのか! 謝らねばならないのはぼくの方のようです。

 昨夜の雨から打って変わって今日は好天に恵まれ、村も平穏無事な1日となりました。時間ができたので諸々ことを片付けようと思っていたけど、5枚の童話作品を書いたにとどまりました。某公募に出すんですが、1日で書いたものが入選するほど甘くはないわな。

 5枚童話というと、ついつい10枚作品の梗概となる傾向があって、出来上がったものが面白くない。たった5枚なんですが、いやたった5枚だからこそ、ストーリーを進めるための要素をいかに削るかが難しい。
 明日も面倒なことは待ち構えていますが、当日消印有効ギリギリまで推敲してネットから応募しようと思ってます。

ソングダーのきずあと

2011年05月29日 | 暮らしの落とし穴
 ソングダー台風のせいで、愛媛では一人死亡、一人が行方不明となっております。ソングダーとはベトナムにある川の名前だそうですが、当地でも朝から用水路が溢れて畑が冠水しそうになり、ビックリして排水ポンプを作動させました。

 こうして日記を書いていても冠水の危機は続いているのでポンプを回しているし、明日の朝は今日よりもさらに潮位が上がります。自動でポンプが動いたら面倒はないけど、ここでは損長が手動で操作しないとどうにもならないのです。

 雨は上がったとしても、山から下りてくる水はすぐに止まらない。今夜が山場というわけですが、明日が平和な1日でありますように。

女のふんどしは外れよい

2011年05月27日 | 男と女
 当てと越中ふんどしは勝手に外れるわけですが、また一つふんどしが外れました。今回は「女→女→☆」のカスケード様のカスカスふんどしだったから、外れてもまあ仕方ないのかも。
 いや、全てはぼくの男魂の軽さが招いた災いであって、自業自得。もとより女はふんどしなど履かないじゃないか、と思っていたら、今年は女性用のすててこやふんどしが流行の兆しを見せているのだとか。
 それにしても、自分で「女偏に気をつけよう」と書いておきながらこの体たらく。とことん女運に見放されておるのか!

 それでも女性抜きには諸事が進展しません。もしかして外れやすいふんどしか? と用心し、石橋を叩きながらでも前に向いて歩くしかないけど、外れやすさの度合いや、どういうタイミングで外れるのかが分からない。
 何のセミナーだったか、女性講師が「女はその日の気分で主張を変えるだけでなく、付き合う男が変われば今までと正反対のことを言う」と。
 男同士顔を見合わせ、「うんうん、そうだそうだ。女の考えてることなんて、オレら1000年生きても理解できんよな」などと頷いたものです。

 今日は夜の女王のアリアです。鬼気迫るメイクで派手に動き回りながら、これほどの演奏を聴かせる歌手を他に知りません。
 復讐の炎に燃える夜の女王が「お前をかくまっているクソ坊主を殺せ。さもなくば母でも娘でもない」と娘のパミーナに凄む、ソプラノ歌手あこがれの舞台です。

【heartbreaking quality/HD/20Mbps】Queen of the Night/夜の女王-Diana Damrau


 いや~素敵だけど難しそうな曲ですよね。装飾音やトリルのある早いパッセージのことを声楽ではコロラトゥーラというそうですが、バイオリンやフルートで演奏してみた限りでは「モーツァルト先生、装飾音が一つ多くないですか?」と疑いたくなる曲。それをこの母親はきっちり歌っているんですね、あっぱれ! 

 あるとき声楽の先生に「ぼくがピアノ伴奏しますから、夜の女王のアリアを歌って下さい」とお願いしたら、
「ソプラノならだれにでも歌えるって曲ではないの」と、端っからふんどしを外されてしまいました。そもそも、ぼくの腕でこの曲の伴奏などできなかったのですが……。

無料ブログに苦しんでキリ番

2011年05月26日 | PC WEB
 秋のバラとグルメ祭り公式ブログを立ち上げました。なんでもかんでも無料でやろうとして、できないことはないけど難しいです。
 今回は陶芸公募展の作品を全国に向けて公募しますが、陶芸作品がいきなり送られてきても困るので、事前に写真審査をしたいのです。その際に写真を受け付けるメールアドレスをどうブログ表示するか、つまりスパムメール対策でたちまち困りました。

 対策はいくつかあって、アドレスをエンティティ化してブログ記事に書き込むとか、手書き文字の写真やpdfファイルで表示させるとか、フォームで入力画面から送る、とかです。
 手書き文字を見せて訪問者自らの手でメールアドレスを入力してもらうやり方が、アドレス収集ソフト対策には有効だと思われます。だけど大文字、小文字、半角、全角の違いを間違えたり、スペースを入れてしまう入力ミスが考えられます。

 フォームで入力するのも安全でしょうが、ファイルが添付できないのです。じゃあ自動返信メール機能を使えば良いじゃないかと考えたけど、無料だからそんな機能はサポートされていません。
 結局「メールはこちら」と、危険を承知でエンティティ化したアドレスにリンクを張るしかないのでしょう。その後でメールサーバーのフィルター機能に頼ることにしますか(gooのフィルターは時々スパムを通すみたいだけど)。

 公式ブログついでに自分のブログ設定も、やっとかめでなぶったがや。テンプレートを変更してメールを送れるようにし、サイドバーの配置も変え、アクセス数アップの設定もしてみました(やり方を知ってはいても実践しなかった)。
 また、朝日新聞も文字サイズを大きくしたことだし、このブログも文字のサイズを変更できるようにしてみました。

 とかやっていたら、トータル閲覧数が333040PVじゃないですか。つまり普通のカウンターでいう333333のキリ番がもうすぐなのです。
 ためしにプロフィールの下に表示してみましたが、無料ブログのアクセス解析なので、キリ番を恣意的に踏むことはできないはずです。だけどもし踏んだ方がおられたならご一報下さい。まだ考えていませんが、何か贈らせていただきましょう。いや止めておくか、たぶん一日に一度しかカウンターが更新しないので、キリ番で更新されたら全員が踏むことになるはずだから。

ラブストーリーモードにスイッチング

2011年05月25日 | 男と女
 もうそろそろラブストーリー公募モードにスイッチングしないといけないのに、陶芸公募展モードから抜け出せない。同時多発的にミッションをクリアするのは苦手、とういうより一方に躓いたら片方に逃避する癖があって、それが先日からの蕎麦打ちだったのです。

 今日はラブストーリーモードから逃げ、陶芸公募展のブログ作成に躍起となっておりました。この状態から、ラブだ、ラブラブだ! と叫んでも目の前に大きな壁が立ちはだかっていて、登る気になれんなぁ。
 そういうときはモーツァルトのオペラなんか効くんじゃないかと、「魔笛」から「愛の喜びは消え」を聴いております。


無言の荒行の真っ最中で、だれとも話すことができない王子タミーノ
パミーナが愛をささやいても、つれない態度の王子
事情を知らない、夜の女王の娘は咽び泣く

ああ、私は知っていたわ
愛の喜びは永遠に消えてしまったのを
喜びの時は二度とこの胸に戻ってはこない

見て、大好きなタミーノ
この涙は あなたのために流しているの
あなたが愛のあこがれを感じないなら
私は死に安らぎを求めるしかないわ

Dorothea Roschmann - Ach ich fuhl's


 娘を名乗るには道理を引っ込ませた感もあるけど、このドロテア・ロシュマンさんという歌手、思わずパミーノに感情移入してしまうほど上手いじゃないか! このすれ違いがラブストーリーのキモなんですね。

女偏には気をつけろ

2011年05月23日 | 男と女
 女が二人いると奻い(いいあらそい)、女が三人いると姦しい(かしましい)。どうやら、うちの村が上手く回るときも回らないときも、この辺りのような気がしてきました。
 男の寿命はおしなべて女のそれより短いから、高齢化社会を迎えるといつの間にやら女性たちの発言力が強くなり、男を出し抜いて女が物事を進めるようです。
 ところが儒教思想が抜けやらぬか、村の女たちは妙に男を前に立てたがり、裏で糸を引くのが彼女たちの手口なのだそうです。

 先日「婦人会の敷いた針の筵の上で蕎麦を打った」と書きましたが、聞くところによると婦人会は、かつて強大な権力を持っており、婦人会を敵に回したら社会的制裁を受けたも同じというほどだったとか。なるほど、お役人さまも婦人会には逆らえんわけだ。

 その怖ろしい組織の会長から「うどんは打てないのか」と聞かれ、いつの日にか、うどん打ちを実演しないといけないかも。
 ああしかし、蕎麦なら手打ちするありがたみはあっても、うどんを自分で打ってもありがたいわけじゃないです。熟成に時間、打つのに腕力が必要な上にゆでるのにも時間がかかる。そうまでしても機械打ちとの味の差が無いとなれば、うどん屋に出かけた方が合理的でしょう。

 スローフードって言葉が聞かれるようになって久しいけど、うどんは蕎麦と比較してもずっとスローな食べ物。それをあえてやりたいというのなら手は貸します。うどん打ちは習ったことがないけど、散々失敗してきたのでノウハウは少し獲得したから、惜しみなく披露しましょう。
 ところで娚と書いて「めおと」と読み、嫐ると書いて「たわむれる」と読むそうです。ぼくも女偏には運が無いので、せいぜい気をつけるとしますか。

行政との協働を断る理由も無し

2011年05月22日 | 暮らしの落とし穴
「まちづくりコーディネーター講座」の最終回となり、いよいよ結論が出るのかと期待したけど、3回の講座は「行政との協働をお願いします」の一点に集約されるようです。

 同じ話を角度を変えて聞かされたに過ぎないのですが、聞く方も忘れかけていたので新たな発見というか、スルーしていたことが理解できるようになりました。

 同じ話を何度も繰り返す年寄りをバカにしてはいけません。面白くない話だと思うのは、話す年寄りの生きた時代背景を理解できていない可能性があります。「ガチョ~ン」や「シェー」が可笑しい時代を経て今があるのです。

 あ、いやそういうことではなく、何度も繰り返して説得しないと人は理解しない生き物だということです。行政はそこのところを良く知っておられるようで、地球温暖化のようにゆっくりと、しかし確実な手口で民を丸め込もうとしているのでしょうか。

 そうだとしたら、ぼくたちは長いものに巻かれて生きるべきか、それとも体制に抗う場合も想定して自己主張すべきか。反原発を叫んでいた団体が原発事故を待たねばメジャーになれなかったことを考えても容易に理解できるが、体制に迎合するのを潔しとしないメンバーもいるはずだ。

 難しいことを考えていても始まらないし、悪いことをやれと行政に強要されているわけでもないし、民のためになることなら島おこし組に断る理由はありません。婦人会などとも協調して、やれることはやってみてから是非を検討したい所存にございます。

団鬼六さんを偲ぶ

2011年05月21日 | 暮らしの落とし穴
 団鬼六さん79歳、児玉清さん77歳。読書好きには残念な訃報が続き、ちょっと落ち込んでしまいます。とくに団鬼六さんの著作はいくつか読んで感動したことがあります。
 といっても、エッセイと将棋小説ばかりで、官能小説は読んだことがないのです。官能小説って好きじゃないんです。「嬲る」とか「嫐る」みたいに、なぜか難しい漢字ばかりが使われていて、いちいち辞書を引かないと読めないからです。

「それはね、中味がない小説だからだよ。難しい漢字を多様することで、さも高尚なものを読んでいる印象を読者に与えたいからさ」と、SM小説を書いていた友人は答えました。
 官能が恋愛表現の手段であるラブストーリーと、官能そのものが目的の小説、つまり劣情を満足させるための読み物、という違いでしょうか。

 それはともかく、団さんの将棋小説は面白い。初めて読んだのは「駒くじ」というタイトルの、堺事件を扱った短編でした。
 明治初頭の堺で、乱暴狼藉するフランス将校13人を射殺した土佐藩兵11人が、フランスからの圧力を受けた明治政府により切腹させられます。この史実を元に、某(名前を忘れた)という男を登場させ、虚構を交えて書いた感動作品です。

 団さんは、切腹するはずだった土佐藩兵を16名とし、40枚ある将棋の駒を兵士に選ばせ、「金銀桂香を取った者は処刑する」と、将棋の駒をくじにします。史実は、堺の妙国寺でくじを引いたそうですが、この辺りの話は、森鴎外、大岡昇平、司馬遼太郎といったそうそうたる作家も取り上げているようです。

 某は、悪いのはフランス兵であり、我々に非はないのに、処刑させられることに腹が煮えくりかえって仕方ない。その彼に師匠格の人が詰め将棋の問題を1作品与え、解くように勧めます。
 この詰め将棋問題は作中に登場しますが、短手数なのに非常に難しい。それもそのはず、詰め将棋の大家でもある内藤国夫九段の作品だから。
 某は数日間考え続けたが解けない。問題が間違っているのでは、と確かめたが、それで良いといわれる。切腹の順番が迫ったころ、ハタと解けた。目からウロコの手順を発見し、彼は真理を探究した喜びに包まれながら処刑場に向かう。

 そのころ、フランス将校らが「ハラキリを見たい」と、処刑に立ち会っていたが、藩兵たちは自分のはらわたを彼らに投げつけ、介錯人は将校らの面前に首が飛ぶように切るといった惨憺極まりない修羅場が展開されていた。
 将校らは反吐を吐き、「ハラキリがこんなものとは聞いていない」と、逃げ惑う。そこへ11人目の某が登場し、澄み切った面持ちで静謐な切腹を執り行い、厳粛な儀式を目の当たりにして打たれたフランス側が退席したことで、切腹は中止となる。

 下手な梗概を書いたってつまらないけど、概ねこんなストーリーだったはず。当時堺に住んでいたので、石碑のある妙国寺をと宝珠院を訪ねようと思いつつ、愛媛に帰ってきました。
 沢口靖子さんの通った高校のすぐ隣のお寺なので、今度堺に行くことがあったら、というかこの夏に堺へ行くはずなので、団さんの本を貸したけど返してくれないまま死んだ友人の墓参りをかね、往時を偲んできたいと思います。

文化財を秘宝館に入れないで下さい

2011年05月20日 | 社会
 もしも我が島に興福寺所蔵の阿修羅像があったら……観光で食っていけるぞ、などと考えてしまいます。だけど慎重に考えてみたら、国法を守るための経費や労力、リスクなど諸々のことを想像するだに怖ろしく、国宝が無くて良かったと胸をなで下ろすぼくです。

 国宝はなくても、胸を張れる文化財は少なくないのだよと、郷土史研究会の新メンバーを啓蒙するための勉強会が、福蔵寺という真言宗のお寺で開かれました。
 郷土史研究会は、島おこし組の組長を会長に頂いており、島おこし組のぼくも、柄ではないけど会員に名を連ねてしまいました。人口の減少と共に、かつてのメンバーのような学識経験者という人材が少なくなってしまった末の、苦肉の策でしょう。
 猫も杓子もと言う表現がありますね。猫と杓子のどちらが有用かは知らないけど、郷土史研究会のホームページを作ることは、ぼくにもできるでしょう。しかし問題はサイトのセンスなので、依頼があっても腰が引けている状況です。

 郷土史研究会の喫緊の課題は、町外に情報を発信するための町史編纂です。現行の町史は良くできたものですが、やや堅苦しく専門的な傾向があり、たしかA5版で活字も小さく読みにくい。そればかりか、在庫が底をついてしまったのです。
 再出版する話もあったのですが、時代の求める町史を編纂すべき、という会長の意向で、現行の本を下敷きにはするけど、デザインやレイアウトなどはA4版で読みやすいものにしようとなりました。

 郷土史会は知識人を多く擁しているわけですが、いかんせん高齢のため、実際に働くのは島おこし組となるでしょう。竹取りの翁だって竹を切っているばかりじゃないのです。世界を股にかけて活躍した経験を町史編纂に活かそうと意欲を見せておられました。

 女性は男性に見られることによって美しくなると言う人もいます。興福寺の阿修羅だって表を出歩く時代ですから、町が死蔵している格好の文化財にも日を当てましょう。
 人の目に触れさせることによって文化財の美に磨きがかかり、接した人が癒しやパワーを得ることができる、というのが組長の文化財哲学でしょうか。
 そうだよね、秘宝は秘宝館にでも……う~ん、そうじゃなくて、まじめな話なんです、ハイ……。