らんかみち

童話から老話まで

気休め言うなら酒をくれ

2007年06月01日 | 暮らしの落とし穴
 長くご無沙汰だった知人からのメールで「元気か?」って言われても「アカンわ!」って返すしか、点滴中の身では致し方ありません。
「どこが悪いの?」と根掘り葉掘り聞かれてしゃべってもそれで気が軽くなるでなし、いっそのこと奈美さんみたいに、
「どうせ治らんのやったら、ええ加減に退院して酒のもうや」
と、五寸釘でとどめを刺してくれる方がどれほど気が置けなくて良いか知れません。
 
 メールとか、いろいろと気遣ってくれるのはうれしいんですが、悪性の癌患者さんたちと一緒の部屋で寝ていると、優しい言葉も虚しく聞こえることがあります。
「大丈夫やってぇ、抗がん剤が終ったら食べられるようになるって、心配すんな」
 この部屋の人同士が励まし合っているのは、互いにとって意味のあることなんです。可哀想な人に憐憫を垂れるとか、まして健康体の自分を再発見して親に感謝するみたいな心境ではなく、実質的な重みがあるんです。

 ぼく自身のことはさておき、昨日ちょうっとした事故が発覚しました。お向かいのベッドのおじいちゃんが、「薬が足りない」と言ったんで、良く調べてみたら他の患者さんの薬と間違えて看護師さんが渡し、そのまま数日間服用を続けていたようなんです。調剤そのものに過誤がなくても、病棟でのミスで二人の患者さんが被害を蒙ったわけです。
 どちらも重篤な事態に至らなかったのは幸いですが、これは起こるべくして起きた事故で、またシステムの運用で防ぐことが出来るはずです。
 
「看護師や薬剤師って機械に頼らないと信用できないの?」と言われたらそうではなく、業務の複雑性がそうした印象をいだかせてしまうのでしょう。
 この病院は「7:1看護」とかで、人員に余裕があり、人心にも殺伐としたところはありません。柔和な看護体勢であるといえますが、そのゆとりが必ずしも故防止につながってないのは残念です。
 看護人員が多けりゃ良いってもんではないんですね。少数精鋭だって良い看護を目ざすことは出来るでしょう。裏を返せば低質な人材が多ければ、その分リスクも増えるという当然の論理が、この病院で具現されているに過ぎないのです。
  
 看護師さんの資質とかに言及もしたいわけではないし、何も余計な肉を蓄えた人を差別するのでも、きらいなのでもありません。ですが、オペラ歌手ほどではないにしろ、お肉たっぷりの奈美さんと一緒に飲んでたら楽しいからといって、仮に「HALさん、点滴の時間ですよ」と言って奈美さんがベッドに来てくれたら、彼女の持っている針がぼくには五寸釘に見えると思うんですよね。
 人には適性というものがあるんです。病院はそのへんをもっと良く考えるべきなんじゃないでしょうか。
 
◆聴力検査の結果は最悪で、難聴は悪化の一途を辿ってます
「いきなり点滴はやめられないので、月曜日の退院でどうです?」
 治るという前提で入院しているのではないので、先生も新人研修の材料の一つにぼくの症状を若手先生に解説しながらの診察でした。
 童話仲間が童話の本を差し入れて下さって、大変うれしいです。でもこれがまたプレッシャーになって耳鳴りが……、なんてことにはならないと思いますが。