らんかみち

童話から老話まで

損長の歯ぎしり

2012年03月31日 | 暮らしの落とし穴
 もはや年中行事というか風物詩というか、衆議院解散総選挙は既定の路線として先生方は地元活動をしているのだとか。政治のことは、まるっきり門外漢のぼくだけど、野田政権を解散に追い込んだところで自民党が躍進するとは考えにくい。
 愛媛県は自民党王国といわれるほど保守的な土地柄なんだけど、既成政党から出馬する先生は苦戦を強いられるかも知れない。多くは語れないけど、インサイダーの側に立ってみると、それくらいの逆風を感じるのだ。

 島おこしサポーター(仮名)として東京から島にやって来た青年に会った。募集の告知から引っ越しまでの時間が3か月ほどしかなかったのに、よくぞ対応出来たものだと感心していたら、虎視眈々と狙っていたそうだ。
「震災、原発事故、節電、店舗からの客離れ、賃金の低下などで暮らしが厳しくなっているのにもかかわらず、東京を離れることができない若者がほとんどなのです」
 彼によると、3.11以降ずっと東京脱出を考えていたらしい。どうやら、東京脱出連絡協議会(仮名)みたいなネットワークがあるらしく、危機感を持っている彼らは地方就活を繰り返しているのかも知れない。

 既成政党の先生方は政局に明るいかも知れないけれど、東京に働く若者たちの現状を理解なさっておられるのだろうか。備えあれば憂い無しとばかり「巨大地震がくる」と脅すから地価が上がらずマンションも売れない。
 経済は縮小の一途を辿っているが、超優良企業の社員を横目に見ていると、「いつか自分も」と見果てぬ夢を見る。その一方で東京から脱出を目論む若者がいる。
 政治が実生活に即していないんだよね。かといって損長ごときにはどうすることもできないのだけど「ごまめの歯ぎしり」くらいのことは目論んでいる。
 

メリケンツクシなんてのがあったなら

2012年03月29日 | 酒、食


「ツクシだれの子、スギナの子」と口ずさみながら、スーパーでワンパック130円の土筆を買った。で、調理方法を確認のためWEBを検索したところ、ツクシって「澪(みお)つ串(くし)」=澪の標(つくし)というのが語源なのだそうだ(『つ』は『の』という助詞で、港に出入りする舟を導くしるべの意味)。
 土から出てきた筆だとばかり思ってきたぼくとしては、知らなかったな~と、ややモチベーションが下がったので卵とじより他に考えられなくなった。

 子どものころに食べたツクシは美味かった。あれはきっと、自分たちで採って姉が料理を作ってくれたからだし、自分たちが春の息吹を吸い込んで春モードに入っていたからだろう。
 おっさんになって季節感も感じないままスーパーで買ったツクシなど料理したところで、美味くも何ともない。
 
 実際、ツクシが美味いものなら栽培が始まって年中食べられるようになるはず。そうならないということは、あく抜きとか袴取りが面倒だからという理由だけでなく、珍味というほどでもないからだ。
 そう結論付け、冷めてしまったツクシの卵とじを肴に日本酒を呑んだところ、うまぁ~! ぼくのノスタルジーに働きかけるのかして、これが何ともいえず春を堪能させてもらえるのだ。

 ツクシの食べられる日本に生まれてラッキーだのぅ、としみじみ春を味わっていて、ツクシって日本だけじゃないよな? そこで「つくし アメリカ」というキーワードで検索してみたところ、でかっ! 巨大ツクシの画像がヒットしたりして、情緒もへったくれもあったもんじゃない。
 ツクシはやっぱり春告げ草として、あぜ道や土手にひっそりと顔を出すのが似合う。ハウス栽培のメリケンツクシなんてのは、いくら腹一杯になっても御免こうむりたい。


ただでモノを教わる難しさ

2012年03月28日 | 暮らしの落とし穴
 ウインナーロールとハムロール(正式名称を知らない)を焼いてみたけど、市販の出来の悪いパンにも遠く及ばなかった。ハムロールは巻き方に問題があって、中心部分に火が通っていない。ウインナーロールはパン生地とウインナーの親和性に問題がありった。サクサクのパンで油ギッシュなウィンナーを包んではいけないのだ。

 今まで何気なく食って、これは美味いとか不味いとかパンを評していたけど、自分でパンを焼いてみたら、こういった行為がいかに無礼な振る舞いであることか分かる。クソ不味い とぼくが評されたとからじゃなく……。
 いや、不味いと処断されるならまだしも、初めてなら上手く焼けなくても仕方ないよね、みたいに労われるのが辛い。
 
 そば打ちや陶芸でもそうだけど、肝心なところを文字で伝えるのは難しい。完璧なパン焼きレシピがあったとして、そんな微に入り細を穿った本が売れるとは思えない。楽しげで美しい写真が盛りだくさんではあるけど、細かい所を、はしょった入門書しか書店には並んでいないと思う。
 
 島おこしのメンバーには製麺業者もいるし、村にはパン屋さんもある。それぞれに教えを請えば、ある程度の部分までは教えてくれるだろう。いわゆる入門編までは教えてくれるに違いないが、プロの技を只で教わろうと考えるなんて、虫が良すぎやしないか。

 明日は陶芸クラブに顔を出すが、手取り足取り教えるのは止めにしようと思う。教えてください=作って下さい、と依頼されているのと同じで、自分自身でモノを作りたいという衝動を、教える側のぼくが殺いでいる可能性があるから。
 ではあっても、放っておいたら全く前に進まない人っているんだよね。陶芸クラブの統括であらせられる要釉斎先生の下で修行していながら「何をやっているんだ!」と喝を入れてやらないと……。

酒とタ◯フルを飲み比べたら

2012年03月27日 | 暮らしの落とし穴
 ちりも積もれば山となる、の喩えを持ち出すまでもなく、小さな偶然が積み重なって大きな不幸を招くことがある。好事魔多しという喩え通り、トラブルの初めはむしろ快調にすら思えたことだった。

 昨日は朝から穏やかな天気で、みんな気分が良かったのだが、突如の暗転があってからは取り返しのつかないことになっていた。NPOメンバーの一人が抜けることになってしまったのだ。そんな事態に発展してしまった要因の一つに、もしかしたらタ◯フルの影響があるかもしれない。

 インフルエンザには非常に有効であるとされるタ◯フルだが、重い症状なのに服用したら活動できるようになってしまうところに問題があるのではなかろうか。異常行動はインフルエンザ脳症に原因があるともいわれているが、それが治癒できていなくてもタ◯フルのおかげで動けてしまうのだろう。

 その症状は、当事者がが本来持っている醜い部分にスポットライトを当てる、ような気がする。この前ぶっ飛んでいたおばちゃんもだが、今度のおばちゃんも自分が常軌を逸した言動をしていることに気がついていない。社会に順応するため、ずっと閉じ込めてきた本来の自分を解放しているに過ぎないからだ。

 ぼくにもずっと閉じ込めている自分というのがあるはずで、それがどんなものかは概ね想像できても、冷徹に自己を分析する能力はない。もし可能なら、インフルエンザにかかったときにタ◯フルを処方してもらい、だれかにビデオカメラでぼくを撮ってもらおう。
 その映像を開陳して、「酒を飲んどるときよりも、お前アホやのう」と評されたなら、酒はオッケー! となるはずなのだが……。

初体験はバターロール

2012年03月26日 | 酒、食


 オーブンの使い方がイマイチ分かっていないのだけど、本日はパン作りにチャレンジ。どうやらバターロールというのがビギナー向けらしく、強力小麦粉の袋裏にレシピが書いてある。オーブンのマニュアルにもこれのレシピはあり、両方を参考にしながらトライした。

 なになに、一次発酵と二次発酵があり、二つ合わせると2時間近くもパン生地に手を出せない時間があるのか。うどんも最低そのくらいの時間寝かせる必要があるが、電子レンジで15分という裏技もまたある。
 しかしパンは材料を厳密に計量するのと、適正な温度管理や正確な発酵時間が求められるようだ。しかも手ごねの技と体力が必要とは、今日の今日まで知らなかった。

 発酵の温度と時間の管理はオーブンに任せることができるので、余程のエラーをしでかさない限り食えないものが焼き上がることはなさそう。なのだが、焼き上がってみると、どこか間違っているよな?
 不味いというほどではないが、市販のバターロールとは方向性を異にしているというか、サクサク感にとまどう。バターだけ計量せず勘に頼ったのと、牛乳がなかったのでコーヒーフレッシュを代替にしたことが……ミルクっていうより、まるっきりの植物性脂肪じゃん!

 試食してもらったスタッフに「初めてでこれくらい焼けたら合格点でしょう」と慰められたが、失敗でなかったというだけのこと。そりゃそうだ、ぼくが焼いたのではなく オーブン様が焼いてくれたのだから。明日ウインナーロール(正式名は知らない)でも焼いてみるか。

 

損長線という生命線

2012年03月25日 | 暮らしの落とし穴
 ぼくを取り巻く状況が激しく流動している。損長を襲名したときから思い描き続けた構図が、1年半経ってようやく実現しようとしているのだ。ようやくというより順調に進みすぎて、むしろ気持ち悪いほどだ。

 物事を解決していくのに、後ろ盾というものがあって悪いことはない。ぼくのように地元に根ざしていないUターンの者のいうことなど、地元民はもちろん行政もまともに相手などしてくれない。ましてや世界企業を向こうに回して暴れたところで、所詮は蟷螂の斧。
 ごまめの歯ぎしりを窮鼠の一噛みにするには虎の威を駆るしかない。政治家でもなんでも良いからと力を持っている人を探してきたが、ナノチューブではあっても有力政治家とパイプが繋がったかも知れない。

 今まで無駄と思われる施行をずいぶんと重ねてきた。下心があってのことではないし、それらの一つ一つは点でしかなかったが、ここにきて細い線で繋がり始めた。線と線を結んで面にすることはまだまだ難しいが、世界企業の一部を包囲することが可能かもしれないと思えてきた。

 正当な企業活動を妨害するつもりは毛頭ない。それどころか地元民を雇用してくれて有り難う、と感謝すらしている。だからといって、企業は何をやっても許されるというわけでもなかろう。
 たかだか100人程度の声を代弁しているに過ぎないぼくだけど、戦うべきところで逃げるわけにはいかない。今向き合っていることは、この島全体の問題でもあるからだ。

本日の売り上げは、ぼうず、と思いきや

2012年03月24日 | 酒、食
 水商売ってのは、こんなにも難しいものか、と痛感させられた1日だった。お昼を過ぎても蕎麦もうどんも注文が無く、ぼうず憎けりゃ蕎麦まで憎い、みたいなことをつぶやきながら仕舞い支度をし、ピザ生地をこね始めた。とそこへ、蕎麦10人前! の注文が。 

 朝から強風吹きすさぶ天候ということもあり、土曜日だというのに蕎麦もうどんもそれぞれ6人前くらいしか仕込んでいなかった。ところが今日は「しまなみ縦走」という徒歩と自転車の催しがあり、悪天候をものともしない剛のサイクリストたちが走っていたのだ。

 心の準備ができていたならまだしも、ぼくの体勢はすっかりピザモードに切り替わっていたため、パニクるパニクる。しかも絶対量が不足していたので、10人目を仕上げたときには量がかなり少なかった。値引きで勘弁してもらい、大変申し訳なかった。
 明日も同じ催しがある。天候には恵まれないようだが、本日の教訓を糧にしてお客さんを待ち受けることにしよう。

ドライブは時代錯誤と人のいう

2012年03月23日 | 社会
 一昨日、自転車の空気入れを使わせてほしい、とNPO事務所に現れた青年は東京から来たと。東京から自転車を漕いで来たんじゃなく、徳島までフェリーに乗り、徳島ラーメンや讃岐うどんを食べながらのんびり走ったようだ。
 大学の卒業記念ということらしいが、関東方面の人には、しまなみ海道が認知されているとはいえないので、わりとレアなケースかも知れない。

 昨日、今治市内の大手スーパーに行ったら、100均のあったスペースに自転車屋さんがオープンしていた。ママチャリからロードレーサーまで幅広い品揃えであるばかりか、広いスペースに充実したパーツと専門スタッフが待機している。
 先日、うちのスタッフが難儀したチューブラータイヤの修理方法を聞いたら、スタッフの一人がとても親切に教えてくれた。

 今治駅構内に、台湾の自転車メーカーであるジャイアント社がプロショップを出店することは既報なのだが、こういった情報はずいぶん前に知ってはいても、これ見よがしにブログなどで開陳するわけにはいかない。
 しまなみ海道を使った国際ロードレースの開催にしても、広島県とのコンペなので、愛媛県の担当職員の口は軽くない。しかし水面下では相当な段階まで話が進んでいるらしく、我々のところにも自転車関連の講習会案内が来る。

 ぼくが子どものころ「趣味はなんですか」と聞かれ、「ドライブです」という答えは格好良かった。車を所有していることがステイタスで、子どもたちの憧れだった。
 それが今やどうだ、無駄にガソリンを焚いて温室効果ガスを産生する「ドライブ」なるものは忌むべき行為と見なされる。たばこを吸うのと等しく、犯罪者のような目で見られる。

 10数年前までたばこを焚きながらガソリンを垂れ流していたぼくなので、手の平を返したように愛煙家やドライブ派を糾弾する気になれない。本当は今でも舶来のスポーツカーを駆る野望は捨てていないのだが、ドライブよりサイクリングの方がお洒落な当代なら、長いものに巻かれても良いような気がしてきた。

蕎麦屋はバリデーションについて考える

2012年03月22日 | 酒、食
「A級とB級の違いは、単にカテゴリーが違うという意味で、どちらが上とか下とかではない」とするのがB級グルメサイドで決めたの定義である。つまり空手と柔道のどちらが強いのか、という設問に似て、比べること自体に意味がないと。
 では蕎麦はAなのかBなのかと聞いたら、「おととい来やがれ、このすっとこどっこい!」と、聞いたこと自体を蕎麦屋に咎められるかも知れない。ラーメンもうどんもBでオッケーなのに、どうして蕎麦屋はBではないと主張するのだろう。

 うどんの歴史も蕎麦のそれも、おおざっぱにいえば江戸時代にルーツを求めることができる、といっても蕎麦の方がうどんよりも新しい。だから歴史の長短でAとBの間に線を引けるわけでもなさそうだ。
 良く分からないけど、蕎麦屋はただ単にプライドが高いからだ、などといい加減なことをいえば、「うどん屋にだって高いプライドがある!」と叱られる。

 ぼくは、うどん屋にも蕎麦屋にも勤めたことがない、つまり修行という裏打ちがない、にわか蕎麦屋だ。なのでA級だB級だと論じる資格からは遠いのだがが、うどんと蕎麦を打つ時の心構えみたいなモノには少しだけ違いがある。

 うどんも蕎麦も、本来は何もしなくても美味しい。うどんなんて生醤油だけで十分で、玉子などかけたら贅を尽くした印象もある。適度なゆで方だと若干の塩分を感じるので、おやつ代わりにできる。
 蕎麦だって何もつけなくても美味しいのだが、生醤油だけで毎日食えといわれたら……うどんに軍配が挙がるかも。

 蕎麦は色々な食べ方を模索したくなる食材だし、それに耐えられる食材でもあると思う。うどんに柚子を練り込んでも良いはずなんだが、蕎麦のように歓迎はされないだろう。うどんはそのままで美味しいので、打っていても安心感があるというか、蕎麦を打つときのような緊張は強いられない。
 この辺りがAとBの違いかも知れないが、両者の違いはもっと別のところにあるような……。

田舎に住めば長生きする理由

2012年03月21日 | 暮らしの落とし穴


 蕎麦だの、うどんだの、ピザだの、陶芸だのと、季節感の無い世界でうつつを抜かしているうち、ふと気がつけば桜が咲いていた。NPOの仲間ってのは、そろいもそろって酒もたばこも嗜まないので、この時期になっても花見をやろうという発想がない。
 関西方面にいたとき属していたコミュニティーの連中なら、この季節になると仕事そっちのけで複数の花見会にエントリーしているだろう。忘年会もそうだが、花見会にどれだけのお客が集まるかで飲み屋の格付けがなされるとあって、マスターやママは気合いが入る。ゆえにリーズナブルで楽しい花見会がいくつも開催されるのだ。

 酒飲みというのは、ホームグラウンドは決まっていても、普通は1軒だけの飲み屋にしか出入りしないということはない。安い店に始まり、興がのったらハシゴして高い店にも入る。最後はまた安い店に舞い戻るか、ラーメン屋などで終焉を迎えるのだ。
 しかしぼくが根城にしていた飲み屋というのは、地域のほとんどの飲み屋で出入り禁止を食らった酒癖の悪い連中の吹き溜まりだった。口喧嘩からビールびんが空を飛び始め、窓ガラスを割るような取っ組み合いの喧嘩が始まる。当然マスターは暴れる酔客を出入り禁止にするのだが、連中は他に行くところがないので、何日かしたら平然と舞い戻ってくる。そしてまた喧嘩……。

 田舎に戻ってきたら飲み屋に行くこともなくなった。飲み屋が少なくて移動距離が長いというだけではなく、飲み客がみんな行儀良く、自分だけ酔っ払って羽目を外すと一族郎党に迷惑が及びそうで怖いからだ。
 昔は田舎の方が野蛮だったかも知れないが、少子高齢化が進むと田舎はジェントルになった、のかな? 長生きしたいと願う酒飲みは、当地に限らず疎開することを推奨させていただく。