らんかみち

童話から老話まで

お焚き上げ法要で彼岸の境地

2008年09月30日 | 暮らしの落とし穴
お焚き上げ法要

 

 お彼岸の9月24日に菩提寺でお焚き上げ法要がありました。いったい何をする行事なのか知らなかったのですが、島四国八十八か所の納め札とか塔婆や位牌などを燃やして供養するのだそうです。
 ぼくはまた、お坊さんが火の上を歩いて見せてくれるのかな、と密かに期待していたんですが、空も飛ばなかったし火渡りの術も披露してくれませんでした。
 
 当たり前ですよね、そんなことできるお坊さんがいるなら、シルク・ドゥ・ソレイユなんかに金払って観に行く人はいません。でもお寺のありようもいずれ変化するでしょうから、次のご住職の世には大スペクタクルが観覧できるようになるやも知れません。
 
 お焚き上げが一段落すると、仁和寺から派遣された本山布教師という、位の高いお坊さんが本堂で法話を聞かせてくれました。
 地位の高さに徳の高さが追いつかない大臣の多かったりする昨今なので、階級が高いからといって、このお坊さんの徳が高いかどうか分かりません。でも法話の上手さは高得点をあげたいなと思いました。
 
 施餓鬼とは、彼岸とは、幸せとはなんぞや? といった内容の法話を分かりやすく聞かせてくれた後は、般若心経の書かれたローソクをいただき、ご住職と面識があり、今は床に伏せっている友だちへのお見舞いにしました。
 般若心経を唱え、「苦も、苦の原因も、苦の消滅もなく、煩悩もなく、煩悩がなくなることもなく、生老病死もなく、知ること、得ることさえも存在しないのだ」という彼岸の境地に、彼が到れたなら幸いです。

あなたと同じで、投げ出すんです

2008年09月29日 | 社会
 村祭りが近づき、神社関係の世話役などおおせつかっている身なので、神社の木を剪定したりとかなんだかんだと大変です。いや肉体労働に音を上げているわけじゃなく、人間関係労働ってのが難しいんですよね。 

 結構ぎりぎりまで我慢して、何とかしようと困難に立ち向かうタイプではあるんですが、ある程度まで行くと堤防が決壊するようにプッツンするタイプでもあります。年がら年中けんかしたり不満を漏らしていたらそういうことも無いかと思うんですが、内側に溜め込んで一気に爆発する、休火山的な性格とでもいうんでしょうか。
 
 ハァ~、今日もまた一つ世話役の端くれを頼まれました。お歳を召した村人から頼まれたら嫌と言いにくいです。なんといっても今まで村のためにがんばってこられたわけですから、肩の荷を降ろしてあげたい気持ちもあります。

 だけど、あいつにやらせておけばいいんだ、みたいな丸投げをやられたら、さすがに気分は良くありません。おれは便利屋じゃないっての! 
「あなたと違うんです」と言って投げ出す人を責められないばかりか、心情が理解できるようになったこのごろです。

脳トレもただのゲームだよね

2008年09月28日 | PC WEB
これ、分かる分かるぅ~!
綿棒から食品まで 「黒」人気の秘密は…(神戸新聞) - goo ニュース

 大阪に行って周りを見回したら、着ている服は皆さん黒ばっかり。おまえら個性っちゅうもんを主張せんのかい? と疑問を投げかけたくなりますが、もしかしてファッションセンスに自信が無いのでしょうか。そうじゃないですよね、みんなして地球の喪に服しているつもりなんだと思います。
 
 地球の喪といっても地球が自分で死んでいくわけじゃなし、他でもない人間自身が住めなくなる環境悪化を自らの手で進捗せしめているだけのこと。まあ言葉をかえれば、人としてより良く生きようとした結果がこれであって、志は間違っていなくてもプロセスに問題ありということでしょうか。そうではない生き方もあったはずなのに、今までその立場は軽視されていたのでしょうか。
 
 現代日本人は2極に分化されたと思います。ものを考える人と、ものを処理する人と。いいかえれば、悩む人と即断即決してマニュアル通りに解決する人、この二通りに二分されたのではないでしょうか。あるいは生きていくために地球の命を削れる人と、自分の命を削って地球を救おうと考える人と。いや、それは言いすぎか!
 
 ぼくの姉Aはものを考えず即決する人、あるいは悩まない人です。その決断力に陰りが見えたか、息子がボケ防止にとニンテンドーDSを与えたらしいです。それは的中して姉はDSの脳トレに精を出しているんですが、その姿はぼくから見たらゲームをしているのと差異不明です。まるで息子が子どものころにゲームに熱中していたみたいに。
 
 脳トレはやったことありますけど、漢字や英単語の問題は難しく、解けたら楽しいです。毎日やってたらボケ防止に効果は絶大だと思います。でもそれは思うに、ゲームとなんらかわりありません。反射ではないものの、脳の一部分を働かせている過ぎないと思います。
 
 つまり脳トレを長く続けていると、ベルトコンベアーの作業に携わっているのとなんら変わらない、「処理し続ける」ことに馴らされた脳が出来上がるのではないでしょうか。実際、姉Aと話していたら、ものを考えとるんかいな? と疑いたくなるんですが、もしかしたら昔からああだったのかも。それが個性というものであってほしいな、とは願っているんですが……。

中野振一郎さんのチェンバロコンサート

2008年09月27日 | 暮らしの落とし穴
 友人を見舞った後、場末の飲み屋に顔を出したんですが、一年もご無沙汰していると、あんな店にもニューカマーの顔があったりして驚きます。マスターも常連客も老いていく一方ですが、客の新陳代謝はゆるやかに続いているようです。

 いつもの気のおけない飲み仲間(というより騒々しくて鬱陶しい)とは一年ぶりでも、たまにしか開かない店なので全く通常の雰囲気でした。 そんな中に、
「娘の手術が成功してね」
というニュースも聞けました。幼いころからずっと病院暮らしで、心臓と肺の同時移植しか助かる見込みは無い、とまで宣告されていた彼女だったのに、「牛の組織を使って心臓に隔壁を作った」という最先端の手術が上手くいき、移植をしなくても歩けるようなったと。これには沈んでいたぼくも、少し晴れ間が見えた気分でした。    

 今治に帰ってきて中野振一郎さんのチェンバロコンサートを聴きました。突発性難聴を患ってから音楽を聴くのが苦しかったんですが、日本が誇る世界的チェンバリストのリサイタルがたったの1000円ときたら逃す手は無いでしょう。この方の弟子であるチェンバリストのコンサートも関西で明日開かれるんですが、そちらは4000円。
 値段の問題じゃないんですが、さすがにもう一度あちらに行くエナジーは残ってませんでした。    

 それにしても中野さんのいつものトークは今宵も冴えまくり、ビギナー向きとはいえ大ホール一杯の客を沸かせてました。  
 落ち込んだときは音楽を聴くって習慣を忘れて久しく、ずっとうつむいて生きていたのを今夜のコンサートで気づかされました。音楽の力は哲学や文学を超えたところにあるんですね。

憎まれっ子は善人

2008年09月26日 | 暮らしの落とし穴
 久しぶりに大阪は梅田界隈をあるき、美人が多いな~と驚くんですが、良く見たら化粧が上手でファッションセンスが田舎者より優れているだけだと気がつきます。しかも金きら金の頭にへそを出し、目にはブルーのコンタクト。お前いったい何人やねん! 思わず声に出しそうになって、これまた良く見たら白人のおネーちゃん。大阪を離れてたかが一年でカルチャーショックに打ちひしがれてしまったぼくです。

 古巣に帰り童話講座に顔を出して挨拶したんですが、こちらはいつものペースで2週間ぶりに会ったような安心感に包まれるのはどうしてでしょう。おりしもメンバーの一人が誕生日で、♪ハッピバースディ・トゥーユーなんてやって盛り上がりました。

 その後、病床に伏せっている友人のお見舞いしたんですが、そこに彼がいると分かっているから髪の毛が抜けても一目で「具合はいかが?」と言えましたが、人相は一変していて驚きました。まるで夜しか会ったことのない飲み屋のおネーちゃんを昼間の病院に見舞い、「あらHALさん来てくれたの!」と声をかけられるまで、6人部屋のどの人か分からなかったときの驚きにも似ていました。

 ぼくも今までに何度も入院してきましたけど、生死にかかわる重篤なものでなかったので、見舞い客もそれほど心に負担を感じないで言いたいことを言って帰っていったもんです。でも……彼にはどういう言葉をかければよいものやら悩みました。
「HALさんには良い思い出ばかり作ってもらったねぇ~」
 なんて善人みたいなことを言われたら居心地の悪さもはなはだしく、「元気になったらまた遍路道を歩きましょう」と返すのが精一杯でした。

「憎まれっ子世にはばかる」とは良く言ったもんで、面倒な人に限って長生きするのが世の習いですが、だったら彼も長生きしそうなもんです。「もうだめだよ、オレは……」なんて言葉は似つかわしくないなら、彼は思いのほか善人だったのかも? いや、そんなはずはないから、きっと回復して世にはばかることでしょうし、そうであれかしと念じないではいられません。

天然塩ってナンなの?

2008年09月24日 | 暮らしの落とし穴
「天然塩を使っています」と表示している食品をときどき見かけ、じゃあ他の製品は人工塩を使っているとでもいうんかい? そんな疑問を持つこのごろですが、社団法人日本塩工業会http://www.sio.or.jp/index.htmlによると、天然塩というものは存在しません。

 人工塩=塩化ナトリウムに対して市販の塩を天然塩と呼ぶなら、全ての食塩は天然塩ということになりそうです。
 だったら、いかにも体に良いかのような「天然塩」なんて表示は紛らわしいだけじゃないか、と思いません? ちょっとあざといって感じがするばかりか、消費者をなめてるって気がして、腹が立つんですよね。
 
 メラミン混入の粉ミルクを飲んだ子どもが死ぬという事件の半年以上も前に、アメリカでペットフードにメラミンが混入され、多くのペットが死んだのは記憶に新しいと思います。どうしてその教訓が活かされなかったんでしょうか。犯人は家畜の餌になってほしいと思うぼくです。それで問題が解決するなら話は早いですが、同じことする人は今後も後を絶たないでしょう。
 
 明日の1000円より目の前の100円を取りたがるのは人の性かも知れませんが、そうじゃないよ、と教えるのが教育ってもんでしょう。かつてその役割を担っていたのが宗教だったのでしょうが、経済成長を優先する過程で宗教がないがしろにされてきたツケが回ってきたのか、それとも宗教家が「来世」を信じられなくなったのでしょうか。いずれにしても「救世主」というモノの重要性が増した昨今であるといえるのかもしれません。

ストリートビューは田舎者にこそ有用

2008年09月23日 | PC WEB
 大阪に行かないといけない事態が勃発したので、gooで路線探索しました。gooを使う理由は、ブログとメールをgooに開設しているので、TOPページをgooにしていると便利だからです。
 でもね、天気予報にしても選挙速報にしても、やっぱりyahooに一日の長があるように感じます。私見では、情報の精度は劣らないにしても、使い勝手でgooはyahooの後塵を拝してその差1年以上もあろうかと思われます。
 
 路線の、時間、値段、乗換え、などが分かったので、じゃあGoogleだったらどうだろう? と同じ路線を探索して、あっと声が出ました。頼みもしないクーポンとかグルメの表示を促すyahooと違って、Googleはシンプルな上に直感的な地図が表示され、なおかつ探索自体の精度も高いと感じました。
 また、Googleお得意のストリートビューを使うと、駅の出口に立ったときの風景が見れ、「あ、なんだここかぁ~」と、片付けをしていて昔の新聞が出てきたときみたいに、思わずその場にたたずんでしまいました。
 
 Googleのストリートビューって、都会の人が楽しむものかなって思い込んでたんですが、田舎者にとっても強い味方かもしれません。なぜって、「うひょ~、これが噂に聞いた六本木ヒルズか!」と、高層ビルを見上げて首を痛めた挙句、「出口で立ち止まるんじゃねーよ、田舎者が!」なんて蔑まれないですむじゃないですか。

ツール・ド・しまなみ海道

2008年09月22日 | 暮らしの落とし穴
 今朝の新聞に、「第8回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ」というウォーキング大会が紹介されてました。事前受付は終了してるんですが、当日受付もあるそうです。  
 ぼくも参加するつもりでいるんですが、エントリーはしませんでした。地元民の感覚からしたら、いくら「自然に触れてながら本州と四国の間を歩いて、瀬戸内の多島美を堪能する」と喧伝されても、いつもながらの生活道路を歩くに過ぎないわけです。実際この前もミニウォーキングのイベントで橋を歩きました。

 主催しているのは今治市とか尾道市らしく、歩き切ったら認定証か何かをくれるそうです。どれだけの権威があるものか知れませんし、仮にすごいものだったとしても食指は動きません。でも地元についてちょっと調べたいことがあって、ウォーカーに紛れて二日間ほど歩いてみようかと思ってます。

「おいお前、ゼッケンはどうした。なにぃ、なんちゃってウォーカーだぁ?」  
 会費を払ってないからといって、こんな風にとがめだてもされますまい。なにしろ生活道路であって「ツール・ド・瀬戸内海(あるとして」みたいな橋を通行止めにしたイベントでもないわけですから。

いきなり1GB損をした

2008年09月21日 | PC WEB
 このところデジカメでムービーを撮るようになったので、今までの1GBのSDカードでは容量不足を痛感する場面が多くなりました。何かのイベントを撮影していて、さてこれからがクライマックス、というところで「カードが一杯です」ときたら泣くに泣けません。
 
 そんなときは携帯を取り出してムービーを撮るんです。これだと容量が少なくても3GPPとかで圧縮してくれるので、かなりな長時間撮影も可能です。ところが、これをデジカメで撮影したAVIとつなげて編集することはできないんです。できるソフトもあるのか知れませんが、少なくともぼくの持ってる無料、あるいはオマケのソフトでは無理です。
 
 そこへ持ってきてネットからダウンロードした映像で粉飾しようとしたら、これがまたflvとかで読み込むのに苦労したり、変換に時間がかかったりと大変です。早い話がSDカードの容量をアップしたら問題は解決するんだ、と電気屋さんに行ったら「このデジカメはSDの2GBまでしか読めません」と言われました。
 
 ところがある日のこと、他人のSDHCカード4GBを試したら、読んだ! 不思議なこともあるもんだな、とずっと考えていて気がつきました。メーカーで点検してもらったら不具合は直らなかったものの、ファームウェアがアップデートされたらしく、SDHCカードが読めるようになったんです。
 
 さっそく上海問屋で16GBを買いました。4990円のクラス6で、メール便の160円で送られてきましたから超安値です。調子も良くて大変気に入ったので、パソコン用(SDしか読めない)の2GBを買おうとまた同じネットショップを尋ねたら、929円。これも150倍速ですから超安値。ところが、買ったばかりの16GBの値段が4699円に値下がりしてるじゃないですか! 
 
 待ってたらいつか値下がりするのは分かっていても、どこかで見切り発車をしないといけないんですが、届いて間も無しとはなんとついてない。計算では1GBあたり294円ですから、いきなり1GB損をしたんですね。まるでぼくの人生の縮図を見た思いでした。

保全と保護の狭間で

2008年09月21日 | 社会
沖ノ鳥島を救え…海水から砂造成、通電で化合物「自然付着」(読売新聞) - goo ニュース

 この事業に金を使うのは排他的経済水域を守る意味でも、研究としても意味がありますよね。でも中国の主張が通って、「あれって島じゃないでしょ」と国連が言い出したら目も当てられない骨折り損です。そう言われないように頑張ってるわけでしょうが、良かったらうちの島周辺の珊瑚あげますから持って行って植えてくれませんか。信じられない話ですが、瀬戸内海に珊瑚がはびこり始めて、この影響が吉と出るのか凶と出るのか、恐る恐る見守ってるのが現状なんです。

 ここ数年、瀬戸内海で水揚げされる魚介類の種に大きな変化が見られるといいます。潮干狩りではアサリに代わって九州あたりの名産らしいマテ貝が良く獲れ、魚ではベラに代わって磯ベラと呼ばれる、やはり九州あたりでよく見かける魚が釣れるようになりました。
 マテ貝は料理のバリエーションも多くおいしいといわれ、乾燥したものは珍味として高値がついているようですが、自分で獲って食べた限りでは、姿形といい独特の臭みといい、決しておいしいとは思えません。磯ベラは身が締まってないので煮ても焼いてもまずいです。釣れたてを刺身にしたら悪くはないんですが、刺身に出来るほど大振りでもないんです。

 沖縄に珊瑚を植えよう、という運動があったりしますが、瀬戸内海の珊瑚を持って行ってください。ついでに磯ベラも追い払ってもらい、マテ貝に退散していただいた暁には北朝鮮産のアサリの稚貝を放流します。
 沖縄の珊瑚が死滅した理由の一端が開発にあるからといって、当時無力で傍観してしまった責任感から珊瑚を植える運動に携わる方々には頭が下がります。鬼ヒトデの駆除に腐心している人々にもエールを送りたいですが、残念ながらそれらの運動は徒労に終わるでしょう。瀬戸内海からマテ貝、磯ベラ、珊瑚を駆逐できないように。

 経済面や研究といった観点から自然の保全に努めるのは、たとえその行為が失敗に終わっても謗られることは無いのでしょう。ところが倫理観や子孫に対する責任感から自然保護運動に手を染めてうまくいかないと、それ見たことか、所詮は自己満足とパフォーマンスに過ぎなかったと、後ろ指を指されるのはどうしたことでしょう。無償の行為に自己の身を投じ切れなかった後ろめたさの裏返し、ボランティア行為を否定することで得られる自己肯定の安心感ゆえでしょうか。そうと分かってはいながら、「もうどうしようもねえよ!」という諦観が言葉となって口をついて出るのも心苦しいです。