らんかみち

童話から老話まで

北の無人機は自衛隊を超えている

2014年08月07日 | 社会
                     


 今年の4月ごろに北朝鮮から韓国に向けて飛ばされたドローン(無人機)に使われていた機材は日本製だったというニュース。最初はただのラジコンだろうと思われていたけど、鹵獲(ろかく)した機体の解析結果がリークされるにつけ、非常に高度な技術が盛り込まれた本格的な無人偵察機であることが明らかになる。

 といっても、誘導や制御関連はロシアのノウハウだし、GPSの部品はスイス製、機体自体は中国製のコピー、カメラは日本製だった。北朝鮮オリジナルの技術なんてない。しかし、こういうドローンは自衛隊にも無いといわれている。

 北のドローの心臓部であるエンジン、当初は日本製だと伝わっていたけど、高級バージョンに搭載されていたのは日本製じゃなかった。模型マニアのぼくでもあのエンジンのメーカーが分からなくて調べ続け、4か月かけてようやく突き止めた。旧共産圏のチェコ、Rotomotor社の4ストロークガソリンエンジンだった。日本でも買えるらしい。

 日本は模型大国といって良い。無線制御のハード、機体やエンジンも日本製が質量ともに世界一だ。下請けに出していた台湾や中国にその座を脅かされてはいるけど、飛行コンテストの世界チャンピオンは日本のフライヤーだし、機体はもちろん日本人の設計だ。
 ただ、日本製のエンジンは世界最高の品質ではあるけど、レース用のエンジンでは世界一ではない。50年ほども前からイタリア製のエンジンがトップであり続けている。

 北のドローンに搭載されていたエンジンの素性が判ってホッとした。量産品でありながら鋳造でなく削り出しで作られていることも不安にさせられたし、北が採用したからには優れているに違いない。それを知らない自分に苛立っていたんだね。
 なんでも先入観はいかんよね、真実を見誤ってしまう恐れがある。国策で優れたエンジンを作っていた旧共産圏の製品だって素晴らしいのだ。それを選択した北だって、甘く見てはいけない。

恨ではなく、赦しで今日という日を迎える

2014年08月06日 | 社会
 韓国ドラマ「蒼のピアニスト」の第1話をたまたま観てしまった。韓流らしいというか、富豪と貧民が同じ目標で競い合い、一人の女性を巡って恋の駆け引き。良くあるテンプレートだけど、悪人は徹底的に悪で、善人はどこまでも善、と韓流は設定が極端だ。

 このドラマの下敷きに、宮脇明子さんのピアノ漫画「金と銀のカノン」がないといえば嘘になりそう。もっとも、一色まことさんの「ピアノの森」だってエリート少年と貧しい天才少年、ライバルと友情といった図式は同じ。違うのは、韓流の場合は登場人物が理不尽に死んでいくこと。やっぱ韓国人の根底にあるという恨(はん)の情念が通奏低音のように流れていてこその韓流なんだろうな。

 今年で被爆69年。平和記念式典が粛々と行われるのを見るにつけ、もしも原爆が朝鮮半島に落とされていたら、こんな静謐な式典で済むようなことはないだろう。およそ南北合わせて8000万人ともいわれる人々から発せられる恨のエネルギーが、式典で毎年爆発しているに違いない。

 つくづく日本人はお人好しだと思う。日本が降伏する寸前だったのに「戦争を早く終わらせるため」という屁理屈の下に原爆実験で無辜の市民が大量殺戮された。米国に対して、日本政府がこの責任を追求してこなかったのはどういうわけだろう。方や韓国では、未だに従軍慰安婦の問題を追及するというのに。

 日本人には恨という情念がないというなら、平和憲法、戦争放棄、反核をもって原爆投下という戦争犯罪に向き合うべきだろう。日本の軍国化、いわんや核武装化などというのは、原爆投下に正当性を与えるだけだ。
 恨ではなく、赦しの高みから戦争放棄、反核を世界に向けて説くことこそが、成熟した平和国家を標榜する被爆国日本のアイデンティティーなのではないのか。今日という日を単なる記念日にすることがあってはならない。

銃規制社会への挑戦が聞いて呆れる

2014年05月09日 | 社会
 3Dプリンターを使って銃を作った男は、「銃規制社会への挑戦。日本で初めて3Dプリンターを使って銃を作ったことを誇りに思う」という旨の発言をしていたらしい。
 う~ん、自己満足は結構だけど、ぼくとしては褒めてあげる気になれないね。今だから明かすけど、ぼくも小学生のころ銃規制社会への挑戦をしていたから。

 40年ほど前の男子小学生ってのは、祭とか縁日には銀玉鉄砲を撃ち合って遊んだものだ。火薬を使って本物らしい火花と音が楽しめる、おもちゃの鉄砲も売られていた。当時、銃刀法がどんなものか知らなかったけど、ちょっと改造したら実弾を撃てるモデルガンも売られていたし、村のおっちゃんたちは空気銃でキジやスズメを撃って焼き鳥にしていた。

 あの頃の空気銃はポンプで空気を圧縮するものだったけど、鳥を狩るには十分な能力があった。空気銃の鉛弾は大と小の2種類が荒物屋に売られていて、子どもでも買うことができた。それ自身で爆発するわけじゃないからね。その弾を使った鉄砲を作るのが子どもたちの間で流行ったことがある。

 まずは弾が入る内径の真鍮パイプを入手。それを鉄砲型に削った木の本体に固定。小さい弾の直径と爆竹の大きさがほぼ同じだったので、弾を込めてから爆竹を挿入。適当にフタをしたら導火線に火をつけて発射する。
 いわば火縄銃だったけど、現在市販されている空気モデルガン程度の威力だったと思う。しかしあんなデタラメな物で遊んで、よくぞ怪我をしなかったなぁ。

 今回逮捕された容疑者の、自己防衛を大義名分に銃規制社会への挑戦とは、また大きく出たもんだね。小学生時代のぼくらに思想なんてあるはずもなく、子どもだからという理由で空気銃を触らせてもらえなかったから火縄銃を自作しただけだ。
 銃規制がなかったらどうなるのか。小学生が3Dプリンターで銃を作り、いじめっ子を撃ち殺すアメリカ社会のような時代が日本に到来するんだろうか。銃が規制されているがゆえに担保されている安全は、神話へと後退するんだろうか。

 日本の銃刀法は第二次大戦後、GHQの意向で定められたという。それに基づき、警察によって鉄砲狩りが実施されると、当時農業に携わっていた人々はイノシシやシカを撃つことができなくなり、農家は大きな痛手を被ったらしい。やがて野生動物を狩って食べる習慣も忘れ去られてしまうことになる。ほんの50年ほど前のことだ。
 防衛のために銃を所持するアメリカとは根本的に違って、日本は狩猟のため、生活のために銃を用いてきたといえる。それを元に戻すというのなら、わからんでもないけど、開拓時代に遡るアメリカ的発想は日本に馴染まないと思う。

 鉄砲を撃ちたい人は田舎に住めばいい。銃は、高齢化した猟友会のメンバーにもらうといいよ。カラスやイノシシを撃ち、ジビエ料理店で出せば喜んでもらえるだろう。
 ただし、鉄砲を撃ちたいだけの人が田舎に受け入れられるかどうかわからない。言わずもがなだけれど、銃は使う人間によって、人が生きるための農具にもなれば、人を殺戮するための凶器にもなり得るのだから。

子どもの、なりたい職業ランキングが!

2014年05月05日 | 社会
 小学生が将来なりたい職業ランキング。男の子のトップはサッカー選手なんだそうな。ぼくらの子どもの頃なら野球選手が不動の1番だったと思う。今でも野球選手は憧れる2番。サッカー界が頑張っていることもあるだろうけど、ぼく的には野球界がトップの座を譲り渡した感がある。
 スター選手がメジャーリーグへ移籍するのを必ずしも歓迎しない野球界と、海外のチームに行って力を付けワールドカップの代表になることを期待するサッカー界の違いだろうか。

 女の子のなりたい職業第一位は医師。ぼくの子ども時代なら看護婦、あるいは美容師だったかも。女性の社会進出とともに、女だてらに医者、という壁がなくなって女の子が自信をのぞかせている、と見た。
 ちょっと心配なのは、政治家という選択肢は無いのかということ。まさか政治家が悪人に分類されているってことはないよね。なりたいかどうかは別として、尊敬される職業ではあったと思うが……。

 先般、地裁の判事と雑談していてたら、「子どもが生まれても、決して弁護士にしてはいけませんよ」と釘を刺された。子どもの前に嫁だろうが、という難問はさておき、「弁護士では食っていけない」というのだ。
 弁護士というだけで高給が期待できたのは一昔前のこと。今は法律が改正され、弁護士界に競争原理が導入されたらしい。その結果、有名弁護士事務所に勤めるか余程有能でないと、個人事務所には仕事が回ってこなくなったらしい。人口減少とも関係があるのかなぁ。
 
 さてさて、子どものなりたい職業に弁護士は……な、無い! おっかしいなぁ、政治家とともに尊敬される職業だったはずなんだけどなぁ。子どもが弁護士の窮状を知っているとは思えないから、このアンケート結果は親の意向が強く働いていると推測するべきだろう。
 だったら子どもたちをどんな職業に就かせたら生活に困らないか、先の判事は「理系に進ませたら、この先なにがあっても食いっぱぐれはありません」とサジェッションしてくれた。なるほど、医師、薬剤師がランクインしているはずだ。

 理系といえばリケジョの小保方博士。科学誌ネイチャーに掲載を断られ続けたといのなら、なんでサイエンスに投稿しなかったんだろうとか、クリーンベンチの前で割烹着を着て作業しているシーンにどこか違和感があり、ブログとかでコメントする気になれなかった。
 STAP細胞の存在が砂上の楼閣にならないことを祈っているけど、今回の騒動で理系が敬遠されたりしないかな。パイロットも給料が下がったり行方不明になるし、船長も殺人罪に問われることがあるみたいだしね、やっぱ理系だ!

セウォル号の事故によせて

2014年05月03日 | 社会
 セウォル号の沈没から2週間以上の経過を受け、韓国当局は今月半ばをメドに船内捜索の打ち切りを検討しているという。若い命を諦めきれない家族も、奇跡を信じ続けるには余りにも多くの時間が過ぎてしまった。
 返す返すも初動救助の不備が悔やまれるし、映像を見る限りでは、何もしないで、ただボーッと見守る救助隊員のなんと多いことか。あれでは家族が怒り狂うのも無理からぬこと。

 事故のニュースに接した当初、とてもショッキングでコメントする気にもなれなかったし、言葉だけの「哀悼の意」も空しいと思って何も書けなかったけど、ようやく怒りや哀しみも落ち着いてきた。
 当地は海運で栄えた地域なので、かつて村人のほとんどが船乗りだった時代もある。夫婦や親子で船に乗り込み、海難事故で亡くなるケースも少なくなかった。ぼくの祖父もその例に漏れない。

 昭和になって木造船から鋼船の時代になり、大量輸送が輸送が可能になると一度の海難事故で多くの犠牲者を出すようになった。今回のように修学旅行生が犠牲になった事故も起きている。
 当地周辺の海域は海上交通の要衝でもあり難所でもあることから、海難事故は「しまなみ海道」の開通する近年まで頻発してきた。当地の80歳代の村人は、島の砂浜におびただしい数の遺体が打ち上げられ、漁港に収容されて線香が焚かれる光景を目撃した人も多い。

 ぼくらにとってセウォル号の事故は「他国の悲劇」として消化できるものではない。ついこの前まで理不尽な海難事故は日本でも繰り返されてきたのだ。うちの島周辺だけでも数え切れないほどの慰霊碑が建てられていて、そのいくつかは船でしか行けないこともあったりして、忘れられたり消滅してしまったものも少なくない。
 何年か前に無差別慰霊碑参りをしてお酒を供えたことがあった。ほんの一部しかお参りできなかったけど、事故の記憶を風化させないことが大事なのだろう。

 セウォル号の事故を受けて韓国の首相は「今回の事故を見て、わが社会のいたるところに、長い間続いてきた様々な不正や誤った慣行があまりにも多いという事実を痛切に感じた」と辞意を表明した。
 韓国ほどではないにしろ、日本人としての美徳を犠牲にして拝金主義の歪な急成長を遂げたのは我が国も似たり寄ったりではなかろうか。日本は成熟した社会に見えて、その実は老成して衰弱するプロセスにあるだけだ。他国の民度と比較して、それほど誇れる姿ではないのかも知れない。そんなことはさておき、いまはただ若い命の冥福を祈るのみだ。

お接待は、爆発だろう

2014年04月20日 | 社会
 島四国八十八か所の遍路縁日二日目。納経印を押すためにお堂に座っているのは、ちょっとした修行かもしれない。いつ来るか分からないお遍路さんを待っているって、恋人を待つ気分に似ているかな。

 お参りする人のために「お接待」の品を用意しているんだけど、途中で切れてしまった。一人では対応できなくて、「切れてしまって、甘夏だけしかなくてすみません」と謝ったんだけど、そのお遍路さんは帰り際に「お接待の品を切らせるなんて!」みたいなことをおっしゃった。

 こちらとしては、お遍路さんへの「ねぎらい」の気持ちを伝えたくて食べ物を用意したり、お茶を出している。見返りを求めているわけじゃないんだけど、お遍路さんがもたらす地元への経済効果を理由に、「当然の権利」みたいな特権意識を持っている人もいるらしい。

 連綿と続くお接待というのは、お遍路さんと一緒に歩いてくれる御大師さんのため、という思いが根底にあるからこそ、遍路道を歩いて修行に励む人に手を合わせるわれわれだけど、結局のところ生きて歩いている人への施行だと思う。
 
 2003年頃の当地は、「西瀬戸自動車道バブル」とでもいえそうな時期があって、お接待が過熱したことがある。経済的に沈滞している今でこそ、お接待の競争なんてバカバカしいと思うかもしれないけど、現実に起きた出来事だ。
 
 車遍路が当たり前になった今、お遍路さんによる経済効果は限定的だ。地元の民宿や旅館に訴求効果があれば、魅力があるならお遍路さんは泊まってくれるし地元にお金を落としてくれる。

 今はまだ機運が醸成されていないけど、200年かけて我々のDNAに刻み込まれてきた「お接待の理念」みたいなものが飽和を迎えるのはそう遠くないと思う。「お接待は、爆発だ!」というような時が来る。ぼくは、それを見届けたいと思っている。

コンビニ猫に未来はあるのか

2014年02月24日 | 社会
              

 コンビニに屯している猫たちは兄弟かもしれない。体格に違いはあるようだけど、どちらも真っ白で顔つきも似ているような気がする。
 初めて見かけた3か月ほど前は痩せていて汚らしかった。飼われている様子はないから今でも綺麗とはいえないけど、健康そうに見えるようになった。客も何か与えているんだろうけど、店員の兄ちゃんに良く懐いているみたいだ。

 彼ら野良猫にとって当地を楽園と呼ぶには過酷じゃなかろうか。イノシシの罠を設置する人や、毒を撒く人もいる。違法性や動物愛護の視点はさておき、毒入り肉団子を食って死ぬペットは少なくないという。現場を見ていないので断言は避けるけど、近所で飼われていた大人しい犬も「毒を食べたようだ」と診断されて動物病院で点滴されながら死んだ。

 イノシシはハンターが来て撃ってくれる。その肉はボタン鍋とか焼き肉として頂くようになった。当地はもちろん、都会にも流通しているはずだ。
 だからイノシシ被害については一段落したけど、タヌキはどうしようもない。子どもの頃だったら、タヌキが民家の近くにやってきたらニュースになった。冬の連中は丸々として可愛いからね。

 タヌキの被害はイノシシのように大規模ではないけど、防ぐことができない。フェンスをよじ登るとか下をくぐるとかして畑に侵入する。それをくい止めようと罠を設置する人が現れ、地域の人たちから歓迎されているけど、猫も同じ罠にかかる。それをどうするのか聞いたんだけど、明確には答えてもらえなかった。察するに、罠ごと海に沈めているんじゃないかと……。

 我が身の幸せすら良く分からないのに、野生動物の幸せを決めつけることができようはずもない。けど、罠ごと海に沈められたタヌキや猫の魂が浮かばれることはないだろう。
 それはしかし、タヌキや猫の被害に遭ってない者の主張に過ぎない。被害に遭う人たちは瀬戸際に立たされているのだ。
 聞くところによると、猫を捨てに行く地域、というのがあるんだそうだ。でもそこは猫の楽園じゃなく、海に沈められる地域らしい。捨てに行く人は、知ってか知らずか……。

火災シミュレーター 防災は人生だ!

2014年02月23日 | 社会
                     

 医療関連の研究発表会というのは、薬屋さんとか医療器屋さんが薬剤師や医師に対して発表の場を整える、いうなればお祭りみたいなもんかね。医療関連の出版も同じことで、若い先生たちの研究に光を当てる、という意味合いがあるんだろうか。別の表現を借りるなら、接待? ぼくが業界にいたときも、そういうイベントに駆り出されたもんだ。

 本日は、防災関係の研究交流会。大学の先生を招いて素人にも分かり易い表現で防災を説く。医療関連のようなお祭りとは違って、資金力にものを言わせた接待じゃなく、純粋な講演会と交流会だ。
 写真は愛媛大学の先生が開発した「火災シミュレーター」の画像。国土地理院のデーターをピンポイントで入力し、風向や風力などを設定したら、たちまち結果が出るという。田舎のぼくらは使うことないと思うけど、すごいよね。

 分科会も熱かった。参加者は地域の防災を担っている人たちとあって、みんな真剣なんだ。アドバイザーとして高知から招かれた御仁は後期高齢者とおっしゃっていたけど、スマホとタブレット端末を駆使して防災に寄与しておられる。防災が趣味というかライフワークというか、人生そのものなんだろうね。今日は良い話を聞かせてもらった。

防災のためのfacebookアカウントってどうよ

2014年02月12日 | 社会


 えっと、たぶん公開した記憶のないと思うんだ。この絵の「ラブちゃん」は、数年前にぼくが産んだキャラ。盲導犬とかで活躍するラブラドール犬をモチーフにして「愛ランド」つまり、うちの島を売り出すための「ゆるキャラ」として描いてみた。その結果、バリイさんの前には為す術もなく敗れ去った、というか土俵にも上がれなかった。

 そもそもゆるキャラとして描いたのではなく、ゆるキャラを描いてもらうためのガイドとして、「こんなのはいかがですか」と、依頼した先生に提出したもの。良かれと思ってしたことなんだけど、先生の感情、あるいはプライドを逆撫でしたらしく、それっきり回答をいただくことは無かった。

 描いたぼくとしても特に思い入れがあったわけじゃないので、このキャラはずっと忘れていた。最近になって「フェイスブックをやってほしい」と、防災士会などから求められ、ようやくアカウントを作成した。で、このキャラを使ってみたんだけど、やっぱインパクトは無いよね。

 Twitterでさえまだ使い方が良く分かっていないのにfacebookを使ってもねぇ。まあなんとかアカウントは作ってみたけど、防災に役立つのかなぁ。自己主張のためにやるんだったらそれなりの気合いは入れないといけないんだろうけど、いつ発生するかも分からない災害のために更新するってのも、つまらないよね。それなりに楽しみながら更新してみるか……。

ツイッターで自分の変態性に気づかされ?

2014年01月03日 | 社会
 フェイスブックとツイッター、最近ではgoogle+とかってのもあるけど、防災士講習会ではツイッターを推奨していた。会員登録しなくても読める拡散性の高さが防災情報の共有に向いているということだろうか。
 しかし「バカッター/バカ発見器」といわれるように、コンビニの冷蔵庫に入った写真をアップして糾弾されるといった、使い方を間違えると炎上する危険なツールでもある。
 同じ趣味の人たちがネット上で連携できるといっても、同じ性的嗜好の同志たちが集い、おおっぴらにお脱ぎになっていらっしゃるような、変態さんたちのツールという先入観もある。

 いやそうじゃないな。性的嗜好のバリエーションが豊かであればこその人類繁栄という動かしがたい事実がある。たとえば「鎖骨フェチ」の集うコミュニティーというものまであるらしい。鎖骨骨折の写真でも蒐集するんだろうか。
 ちょっと理解に苦しむんだけど、そういう人たちがいることで、顔に自信がなくても鎖骨さえ美しければパートナーを獲得できる。この倒錯したエネルギーこそが子孫繁栄の根幹をなしていることは想像に難くない。つまり変態こそが人類の王道なのである。

 自分は変態ではないと主張する人がいるとすれば、その人は変態的妄想を実行に移していないだけのではないだろうか。妄想だけなら誰だって変態だろ?
 ツイッターは、その変態性を妄想にとどめておくか実行に移すかのハードルを下げるツールといえる。匿名性の高さが人間性(変態)の開放を促すのだ。変態のコミュニティーでは、もはや変態など存在しないし、己は変態ではないと叫ぶ人は変態扱いされるのだ。

 ツイッターが、自分がどのカテゴリーのに属する人間なのかや、知らない世界を教えてもらえ視野を広めてくれるツールなのは間違いない。どんな好き嫌いがあるにせよ、合わないと思えばスルーしたら良いだけのこと。
 ただ、それを使うことで自分が気づいていない変態的ポテンシャルに気づかされるかも知れないが、それはそうなったで是とする。「みんなちがって、みんないい」のだから。