らんかみち

童話から老話まで

珍野菜にエールを送る

2013年01月31日 | 酒、食


 産直市場に見たことのない野菜から色目を使われ、買うっきゃないでしょ。左のブロッコリーともトロピカルフルーツとも見えるのが「キャベツ」だってぇ? 右の蕗の薹みたいなやつは子持ち高菜で、中国野菜なのだとか。
 
 カリフラワーと一緒にこいつらを塩ゆでにし、マヨネーズで食べてみる。キャベツと書いてある方は、風味も形状もカリフラワーとブロッコリーの中間といった感じで、とても軟らかい。茹ですぎたんだろう。

 子持ち高菜は、写真では分かりづらいけど、その名の通り子どもを従えている。食感は硬い目のジャガイモを食べている感じで、タラの芽みたいな苦みがあるけど香りは強くない。芽キャベツに近いかな。どちらもリピートしたいような、どうでも良いような……。

 農家の人たちも新しい食材を探して弛まぬ努力を続けているんだなぁ。この場合はチンゲンサイを初めて食べたときのような印象はないけど、「キャベツ」は見た目美しく、子持ち高菜の方は半分に切るか、もう少し小さいと丸ごと感を楽しめるかもしれない。でもゴーヤのような鮮烈な印象で虜になるほどじゃないかも。

 ここまで農家の人たちが頑張っているってことは、今年あたりアーティチョークも並ぶんじゃないだろうか。同志はきっといるし、なんなら島中のアーティチョーク愛好家を回って産直市にぼくが並べても良い。今年の春は暑くなる、いや熱くなるぞ!

映画館での太り方

2013年01月30日 | 暮らしの落とし穴
 もう何十年も映画館に足を踏み入れていないので、新作映画をいくらで観られるのか知らない。そのあたりの事情は英会話クラブの講師である王子の方が詳しく、「1500円から1800円で、アメリカの倍くらいだ」という。アメリカではロードショーの最初の週は10ドルで、3週目に入ると8ドルになるらしい。

 そんなので映画館は儲かるのかといったら、儲かるわけない。そのかわり、コーラやポップコーンのセットが30ドルくらいでベリーエクスペンシブなのだとか。じゃあ食わないで映画だけ観ていればいいじゃないかと思うんだけど、どうも映画とポップコーンとコーラはワンセットらしい。そういうわけで持ち込みは一切禁止。

 ぼくなんかだとビールとピーナッツとか食べたいわけだけど、殻をパリパリ割ってボリボリ食って酔っ払うというのは許されないらしい。そのうち眠たくなり、いびきなどガーガーかき始めたらつまみ出されても文句は言えん。プロ野球の人気のないカードを、外野で寝転がりながら観戦するのとはわけが違うんだね。

 しかしバケツ一杯のポップコーンを食いながらどんだけのコーラを飲むのか知らないけど、アメリカ人が太るのも無理ないわな。と、少しばかり蔑んだ見方をしていたら、日本も同じなの? 今じゃ日本の映画館もポップコーンとコーラが定番だっていうじゃないか、ぼくって世の中から相当ずれているんだ!

暮らしの落とし穴

2013年01月29日 | 暮らしの落とし穴
 バイクでこけるわ、海にはまるわで散々の一日。しかもそれぞれを絵にしたら実に間抜けなシーンになる。まずバイク、ガソリンスタンドの給油機に向かって倒れ、店員さんに「珍しい芸じゃね」と笑われる。

 海の場合も誰かに見られていたら笑われたろうが、誰も見ていなかったからこそ怖かった。下手をすると土左衛門にならないとも限らない。どっちにしても満身創痍の一日、こんな日もあるわな。
 

選挙をやっているには、わけがある

2013年01月28日 | 暮らしの落とし穴
「こんな市議選、今からでも何とかなるんちゃうか、がっはっは」とネタにしていたのは告示の前の日。ところが立候補の受付が終わってみると、ぼくらと同じことを考えたかどうか知らないが、立候補者が二人増えている!

 こういうことになったのは、お一人は新春になって亡くなり(事故ともいわれているが……)、またお一人は昨年の暮れに急遽とりやめたことが影響しているんだろうか。たかが17万人の地方都市といえど、大勢の人を背にする議員さんのプレッシャーたるやいかばかりか。

 それはともかく、選挙にかかわる一部の人たちは殺気立っていて、味方と思われる相手でも疑心暗鬼を払拭できなくて会話がしづらい。どのみち誰かによってライバル陣営に情報が漏れている。間者を潜り込ませているんだね。

 ぼくの場合は村のため、ある目的があって白黒をはっきりさせているんだけど、村人からは決して良く思われていない。村のために手段を選らばず、というか選択肢は多くないのだけど、最善と思う道を歩んでいる。
 だけど、このためにぼくが評価されることはないし誰からも感謝されない。でもこういう立場に立たされたらやらざるを得ない。目的を達成するまでは。

選挙前に討たれぬように

2013年01月27日 | 暮らしの落とし穴
 この冬一番ともいわれるほど冷え込んだ早朝、市長選候補者の出陣式に枯れ木として臨んだ。市会議員選も同時に戦われるとあって、田舎の町は上を下への大騒動。ここでは書けないのけど、骨肉の争いを目の当たりにすると、勝っても負けても遺恨は残るなぁ。

 前回の選挙の際にできた蟠りを濯ごうと、目には目ででやり返す。そっちがその気なら、歯には歯をじゃ! とまあ「負けるが勝ち」なんて故事を聞く耳など持たぬ輩どもなれば、選挙で雌雄が決する前に討たれる者これあり。

 枯れ木に向かって弾は飛んでこないのか、それとも運良く流れ弾に当たらないだけなのか知らないけど、ぼくは今のところ息災に暮らすなり。
 出る杭は打たれるというけど、出過ぎた杭は打たれない。しかしそれも「上には上がいる」わけだから、出過ぎた杭がもっと出過ぎた杭に打たれたら、周囲への影響は少なくない。

 市長選の結果は誰もが予想する通りになるだろうし、市議選も35人の立候補者のうち一人が泣くだけ。こんな状況で選挙ムードが盛り上がるわけもない。なのに怨み辛みだけは弥が上にも盛り上がる。この一週間は身を潜めながらも流れ弾の中をかいくぐることになる。

スポーツ吹き矢が国体種目に?

2013年01月26日 | 暮らしの落とし穴
 スポーツ吹き矢2013年迎春号によると、今年は協会設立15周年を迎える。これを機に国体の正式種目として採用されることを目標に掲げ、吹き初めで飛躍を誓い合ったらしい。スポーツ吹き矢は狭いインドアでもやれるし費用もかからない。老若男女を問わず、障がいがあっても楽しめるので会員数が増えるのは結構な話だ。

 囲碁とか将棋などのゲームのように、子どもと大人が同じ土俵で戦えるスポーツはそう多くはない。と思っていたら、福原愛ちゃんの優勝で幕を閉じた先日の全日本卓球女子はどうよ。ダブルスで小学生ペアが大学生ペアを相手に善戦していたじゃないか。

 女子ゴルフでも中学生が大人と渡り合い、高校生ともなると優勝争いを展開するんだからとんでもない時代になったもんだ。バイクの世界選手権でもmoto3クラスに16歳の女の子の参戦が決まっている。とんでもない体力が必要とされるスポーツでこれはすごい。

 こういうシーンをスポーツに求めているわけで、初めから老若男女を問わないスポーツが世間に受けるだろうか。自分たちだけで楽しむ分には良いんだろうけど、ミセルとなるとねぇ。しかし、ダーツもテレビ放送があったりするんだから、スポーツ吹き矢もいつの日にか国体に採用されるだろうか。そうなったらもう何でもありの百花繚乱時代が到来して、国体とは別のイベントになるんだろうな。う~ん、それも面白いかも。

体罰って必要なの

2013年01月25日 | 暮らしの落とし穴
 選抜高校野球のニュースが聞かれるようになったけど、顔を腫らしている生徒はいないか、などと本質とは関係ないことを考えて画面に見入ってしまう。
 体罰を受けた桜宮高校の生徒が自殺したことで体罰の是非が論じられている。ぼくが子どものころからあったことで、未だに結論の出ていない古くて新しい問題だ。しかし、体罰で伸びる子と、体罰によって死を選ぶ子がいるという事実が明らかなのに、体罰の是非だけを論じて良いものだろうか。

 いくら殴られても言うことを聞かないやつは、というか、先生を見下すような生徒、というか、ぼくみたいな生徒はいるわけだしぃ……まあ、ぼくも散々殴られた口ではあるな。
 殴られるたびに、言葉で説得する技術を持っていないのか、と先生を見下したもんだ。桜宮高校の場合を詳しく知らないぼくが憶測で物を言うわけにはいかないけど、教える技術というものを考えてみたい。

 200年ほど前に活躍したバイオリニストで、ニコロ・パガニーニというイタリア人の作曲した「24の奇想曲」はバイオリンの新約聖書といわれる。当時の聴衆は彼の曲を聴いて「悪魔に魂を売り渡して得た技術だ」と噂する。実際、彼の演奏技術はエポックメイキングであり、当時のどんなバイオリニストも演奏することができなかった。
 パガニーニの死後に生まれたバイオリンの名手サラサーでさえ彼の曲を演奏しなかった。なのに、現在では5歳の子がパガニーニの難曲を弾いてしまう。

 Incredible 7-Year Old Child Violinist Brianna Kahane Performs "Csardas" on a 1/4-Size Violin.

 
 これはパガニーニの曲じゃないし、技術的には易しい曲といえる。しかしこの7歳の子は楽譜をなぞっているだけじゃなく、表現しているところがすごい。
 だれが教え込んだか知らないけど、この子に体罰を加えてここまでにしただろうか、なわけないよね。

 バイオリンに限らずだけど、教える技術は日々進歩している。相撲しかり、将棋しかり。昔の名人上手といえども、当代のアマチュアに如かず。
 精神論を否定するわけじゃないけど、軍国教育的スパルタンに教える側は喜びを見いだせるのかって……でも、ついついサディスティックに……教える側に立ってみると、それは理解できないわけじゃない。
 
 たぶん教える技術が、教育現場の技術として受け継がれていない。教育を仕事と割り切るとか、ライフワークとして人生を捧げるなんて大げさなことじゃなく、教える技術を学ぶだけで良いはずなんだ。
 それがうまくいかないのはきっと、教える側を評価するシステムが硬直しているからだろう。国際的な評価に晒されなかったせいかも知れない。

陶芸クラブの辛い新年会

2013年01月24日 | 暮らしの落とし穴
「君ぃ、このところ陶芸クラブに顔を出さんじゃないかね。クラブを辞めたらどうかね」と、いつにもまして厳しいお言葉を陶芸クラブの判事であらせられる要釉斎先生からいただいた。
 たしかにこの二年ほどは、まともに陶芸をしていない。ということは、作品を売ってクラブの運営費に資することができていないということ。よって本日の新年会に顔を出す資格も無い、との仰せなのだ。

 新年会といっても、1時間ほどお昼ご飯を食べるだけ。アルコールもなければ、クラブ員相互の絆を深める儀式といったものもない。これって、飲みたい者にとっては行にも似たストイックを強いられる気がするんだよな。



 ということでこの料理。地元では評価の高い寿司屋さんだけど、20人を一度に捌くのは難しいのか。いや料理は大きいタイムラグもなく出ては来たけど、2年前と比べて新陳代謝がなされたかといえば、ちょっと厳しい。
 自分たちで魚を釣って寿司を握る奥さんたちをもてなす料理じゃないよね、というわけで、来年の新年会はイタ飯になりそう。

年寄りを食いもんにしやがって

2013年01月23日 | 暮らしの落とし穴


 村のお婆さん、というよりぼくの叔母さんだけど、オール電化にして欲しいという。オール電化にして電気代を安くしたいのかと思ったら、違うという。そうだよね、年寄りだから火を使いたくないんだ、と思ったけど違う。
 良く分からないまま業者を紹介してくれる人がいたので、オール電化を前提に話をしたら、風呂の追い焚きをしたいだけだと分かった。

 1年前に風呂の灯油バーナーをガス給湯器に変えたら追い炊きができなくなったという。そんなバカなと確かめたら、台所にある湯沸かし器の大きいやつが付いていて、業者さんも追い焚きができないタイプだという。
 もっと驚いたのは、1年前に取り付けたというのに、給湯器の製造年が6年前だということ。どういうこっちゃ!

 おりしも生協のカタログに「風呂バンス」という、電気で追い焚きをする器具が紹介されている。ネットで調べたら2万円ほどで買えそうだ。これで一件落着と思いきや、問題はまだあって給湯を自分の目で確認して止めないといけないということ。うっかり止めるのを忘れたらどうなるかは想像に難くない。
 1年前に取り付けた業者を呼びつけて「年寄りだと思っていい加減なことをしやがって!」と叱責する手もあるだろうか。しかし、既に取り付けてしまったものはどうしようもあるまい。

 先の長さを考えるとオール電化にするメリットがどれだけあるだろうか。風呂バンスは使いこなせたとして、追い焚きに時間がかかるとつらかろう。狭い浴室に余計な物は置きたくないだろう。
 それより何より、信頼していた業者から疎かな扱いをされた叔母の心情を思うと、はらいせの一つもしてやりたくなるわな。というかぼくのパーソナルな憤りか?

 今さら叔母に脱原発を説く気もないし、灯油やガスを使って温暖化ガスを排出する是非を論じるつもりもない。ましてや薪と他の燃料を使うハイブリッド(田舎では珍しくない)の手ほどきをやれるわけがない。老人なら無料で入れる共同浴場もあるけど、電動車いすでそこへ行くまでに患ってしまうんじゃないか? 
 選択肢はあれど、いっぱいいっぱいで生きているんだから、どんな考え方にも囚われてないで楽な方に流れたらいいんだ。
 ということで写真の工事だけど、やっぱ腹立つよなぁ。最初からこうやっておけば何の問題も無かったのに。

人間をやめたら素晴らしい未来が?

2013年01月22日 | 暮らしの落とし穴
 歯の根も合わないような肩凝りに見舞われること3ヶ月。この二日間をかけて自力で揉みほぐし、ようやく蟠りが溶けた気がする。けちってないでモミ爺に委ねたら良いじゃないかと、自分でも思うんだけど、ここまで凝ってしまったらモミ爺でも二日はかかる。

 経験済みならもっと早く自分で揉めば良いじゃないかと、今思ったら自分でも不思議だけど、ずっと歯の方を疑っていた。歯も万全じゃないのだけど、よもや顔の形が変わってしまうほど凝っていたとは!

 ぼくのは肩凝りというより首の凝りだたけど、英会話クラブの講師であるアメリカ人に聞いたら、sholderなんとかって表現はあるけど、アメリカでは首の凝りを訴える人が多いらしい。連中は首が長そうだからね。
 
 肩凝りにはマッサージだと、この前書いたけど鍼という選択肢もあるじゃないかといわれる。確かに並の凝りなら低周波も効くだろうけど、ぼくほどの凝りになると低周波はこそばゆく、鍼も跳ね返して刺さりにくい。こうなると肩凝りの王道を歩んでいるんだ、という自負が芽生えるね。

「最後の審判のために神と和解しませう」と勧めてくれる人もあるわけだけど、「人間をやめました!」と宣言した方が肩凝りと和解し易いんじゃないだろうか。末っ子で独り者なので、親兄弟がいなくなったら試してみようと目論んでいる。いやしかし、その頃には既に人間扱いされていないのかも知れないねぇ……。