らんかみち

童話から老話まで

またもや童話の参加賞

2006年12月30日 | 童話
 童話公募の記念品
 せっかくツアーを組んでうどん屋に先導した挙句、たったの二枚とはいえ童話まで書き写させられて、「落選したので、何もありません」では済まされまい。
 とはいえ応募先から何も打診が無いのは落選の憂き目に遭っているに違いなく、同行したメンバー三人に対して肩身の狭い思いをしていたが、どうやら参加賞が届いたらしいと聞いて、なんとか命拾いした。
 
 それにしても、こう参加賞ばっかりではさすがにいやになる。というか、ぼくの作品はどこまで行ったのかが知りたい。予選落ちなのか、それともあと一息だったのか、あるい箸にも棒にもかからなかったのか、あるいは主催者側の求めているものと違っただけなのかが知りたい。
 
 いろんな公募の入賞作品を読んでみたら、「え? こんなので良いの?」と言いたくなる場合も少なくないので、運任せなのかなと思わないではないが、ぼくの場合は傾向と対策にぬかりがありそうに思う。
「あらー! こういうのを求めていたの?」
と、公募のメールを出すリターンキーを叩いた後になってから気がつくことも少なくない。後の祭りというやつ! 反省して出し続けるしかないが、ネタは結構たまったから来年こそはゲットしてやる、くっそー!

童話を書く前に実験してみたら

2006年12月29日 | 童話
 カワハギという魚は、トラフグの身に味が似ていて、料理屋などでは高価なトラフグの代わりにテッサなどに混ぜて出すらしい。
 そんなバカなと思う。でも忘年会でトラフグの刺身を食べて、ああ、料理屋で食べるのは、みんなフグじゃないのかな? と気がついた。カワハギより美味しくなかったからだ。
 
 実家のある瀬戸内ではフグを食べる習慣は……無い? というのも瀬戸内にはもっと美味しい魚がある。メバルとかアブラメなんてもう最高。少なくとも大阪では、場末の飲み屋の差し入れか高級料亭でしか味わえないと思う。なのに……ぼくはホッケとかタラの方が好きときた。
 
 それはともかく、物語を書いている中に「カワハギのナゲット」を登場させてみたのだが、これが本当にうまいのか、あるいはぼくがイメージしているものなのかという疑問が沸いた。
 そこで実際にカワハギを買って母と一緒に料理したカワハギのから揚げは、ぼくのイメージした味とははるかにかけ離れたものだった。
 
 美味しくなかったのではない。いやむしろ思っていたより美味しかったのだが、食感がイメージしていたフグのから揚げとはかなり違うものだった。
 フグのから揚げは食感がチキンに似ているけど、カワハギでは身が薄いせいか、鳥のから揚げの味わいが出ない。
 そんなわけで、物語は一挙に破局を迎えることとなり、一から書き直す羽目になった。政治の世界と違って、子どもが読むものに嘘を書くわけにはいかないのだ。

ダッチオーブンの怪

2006年12月28日 | 酒、食
 田舎の実家に、見るからにダッチオーブンのような鍋があった。これは何をする鍋かと母に聞いたら、「昔はどこの家でもこれでご飯を炊いたもんじゃ」と、答えた。
 詳しく聞くと、まだ電気釜が一般家庭に普及する前のものらしい。だからといって、厨(くりや)に「おくどさん」があって、薪をくべて米を炊くほど過去には遡らないという。
 
 つまり母のいう昔とは、40年以上前から50年前までのことらしく、この間に例のダッチオーブンみたいな、ガスで米を炊く厚手のアルミ鍋が大流行したのだそうだ。
 今でいえば、タッパーウェアが日本中に浸透したような爆発的なブームだったのかもしれない。その証拠に、田舎の廃屋からはこの手の鍋が良く出土する。
 
 今ぼくの実家がいくら貧乏だといっても、さすがにこの「1.0kg炊」のダッチオーブンで米を炊いてはいない。だけど前世紀の遺物でもなく、立派に現役の調理器具として母は重宝しているのだという。厚手だから冷めにくく、熱が均等に伝わるし、ふたを裏返せばフライパンとしても使えるらしい。
 
 ダッチオーブンというと、かつて安保闘争に身を投じたかも知れない、口ひげをたくわえたインテリ風のお父さんが、子どもたちとキャンプファイアーに興じるときに、父親の威厳を発揮するための小道具みたいな印象がぼくにはある。
 良く分からないけど、鍋一つで何でもできるんだぞと、昔の雑誌「ポパイ」なんかに紹介されていたりしないか? ちょっとノスタルジーを誘うグッズなので、この鍋の使い方を詳しく勉強してみたい。

赤玉ワイン、なんか入っている?

2006年12月27日 | 酒、食
 毒入りブドウ酒事件のことをぼくは知らなかった。でもテレビで報道するし、今朝の新聞の1面にも再審取り消しのの記事が載っている。
 事件の概要は和歌山カレー事件に似ている気がするが、どちらにしても異様で凄惨な事件らしいから、記事を詳しく読む気になれない。 
 
 記事は読む気にならないのに、毒入り「ブドウ酒」の文字だけは目に飛び込んでくるので、ブドウ酒が飲みたくてたまらなくなったが、急にブドウ酒が飲みたくなったって、田舎の家にそんなものがあるはずが無い、と思っていたら、「赤玉スウィートワイン」なる白ワインが見つかった。
 
 このブドウ酒は、その昔「スウィートワイン」ではなく「ポートワイン」という名前で、砂糖入りの赤ワインだったはず。それが何の断りも無く名前を変えたのは、ポートワイン=ポルトガルワインの虚偽表示が問題になったか、本家本元からの抗議があったからではないだろうか。

 明治40年誕生と書いてあるから、数十年にわたって日本人を欺いてきたこの酒だが、ぼくは子どもの頃これを飲んで悪酔いした記憶がある。なので瓶を見ただけで気分が悪くなっていたのだけど、スウィートワインなら話は別だ。
 で、飲んでみたら、香りは悪くない。が、ぼくには甘すぎてカクテルにして飲むしかなさそうだ。これが事件に使われたものかどうか知らないけど、おんな子どもは喜んで飲むかもなあ。

あー、なんだか気持ち悪い!

余人をもって代えがたい人たち

2006年12月26日 | 社会
 予定していた忘年オフ会が中止になった。でも相手がお坊さんなら厳格な約束ができないことは誰だって承知しているのだから、がっかりはするけど苦情でも言おうものなら、それすなわち故人への冒涜であり、人の尊厳に対する挑戦とも受け取られかねない。
 
 いやそれどころか、今回ばかりはぼくサイドの不幸で、当のお坊さんに弔いをしていただく可能性もあった、というか今もある。もしそうなったら二人して盛り上げておいて二人でキャンセルするわけだから、これだと他のメンバーさんに対して少し心苦しくはあったかも。
 
 さて、毎年この時期になると、当年の物故有名人を偲ぶテレビ番組とかが放送されるけど、有名人認知症のぼくは直近の故人しか思い出せない。年の初めに亡くなった人はもうずっと前にさよならしたような気がしていけない。ん? それって単に物覚えが悪いというか、物忘れが良いというだけのことだろうか。
 
 そんなわけで、今朝の朝日新聞の記事から引用するのだが、童話作家の灰谷健次郎さんが自分の教え子の小学二年生に出した手紙の中に、「先生ごめん、なんてあやまるのは、かしこいのとちごうて、ずるいのや(中略)先生までばかにされた気がするわ」という言葉が紹介されていた。
 
 たかだか小学二年生に、全身全霊で向き合うなんて、今どきの先生にそんな気概も余裕も無いらしい。こんな先生ばかりだったら、今年続いたいじめによる生徒の自殺なんてありえないことのように思えてくる。
 
 そうはいっても、先生だって世間から超然としておれるわけもない。親と教師との子ラボレーションであるべき教育の現場が破綻しかかっているといわれるのは、余人をもって代えがたい親バカならぬ、バカ親が増えたせいではない、と思いたいのだが。

鍋騒動

2006年12月25日 | 酒、食
「少数精鋭で忘年会をやろう」
 友だちのテル爺の呼びかけで忘年会が企画されたのは、彼が場末の飲み屋の忘年会に出られなかったからだ。でもあの忘年会には出なくて正解だったと思う。鍋も今ひとつだったのだが、二次会が毎年の例にもれず大荒れだったらしいから。
 今回は警察沙汰にこそならなかったけど、見知らぬチンピラと、場末サイドの元ヤクザが、ちょっとした誤解で(その誤解の元も場末側の客にある)殴り合いになるところだったのだそうだ。
 
 そんなわけで昨日は朝から蕎麦とうどんを打って、鍋の添え物としてテル爺の家に持って行ったのだが、蕎麦は少なすぎて鍋の前に無くなった。うどんは鍋の最後に入れるはずだったのに、これまた鍋の前にゆでていたから、蕎麦のつゆで付け麺にして半分食べてしまった。
 何がメインという鍋でない、いわゆるちゃんこ鍋を、最初はポン酢で食べていたのだが、途中からポン酢もいらなくなるほどリッチな鍋になって、今まで食べた鍋ではイチ押しだった。鍋を作ってくれたテル爺の彼女の奈美さんに感謝感謝!
 
 ぼくはお断りしたが、男三人さんで鍋の後の二次会に出かけた。少数精鋭とはいえ、実は彼らだって結構もめる元を持っているので、何も事件が起きてなかったら幸いだろう。
 それはともかく、見知らぬチンピラと元ヤクザは誤解が解けて仲直りしたその翌日のこと、二人はひょんな場所で出くわして、お互いに「ウッ!」と、目だけで挨拶したらしい。
 飲んで騒ぐのも結構だが、世間はそんなに広くないから、ほどほどにしとかないとな。

死は喜んで受け入れるべきか?

2006年12月23日 | 暮らしの落とし穴
 喪服を用意して帰省の途につくべきか、いやそれだと待ってましたと言わんばかりだから不謹慎か?
 しかし明日をも知れぬ容態のおばさんを思うと、万が一にもぬかりがあってはなるまい。そうすると自動的に散髪ということになるから、いつもの散髪屋に出かけたのだが、いつものお兄ちゃんはいなかった。
 
「どんな風にされます?」
「そう、いつもスポーツ刈りの長い感じ、かな」
 いつもの兄ちゃんならごちゃごちゃ言わなくても良いのだが、こうなったらどんなことになるか腹をくくるほかあるまい。とは決意したものの……
「ってやんでい! だあれが大工の棟梁に仕立て上げろって頼んだぃ、このすっとこどっこいのコンコンチキ野郎!」
 と、暴れようかと思ってはみたが、ああ、年齢だけならもう立派に棟梁が務まるようになったのかな? と、卑屈というより、しみじみ1600円を支払ったのだった。
 
 そうだよなぁ、ぼくがこんな歳なんだから、おばさんはもう90歳を超えているはず。おおむね年齢の順にあの世に行かねばならないんだから、悲しんだとて詮無い事。
 そうは思っても、野を超え山を越えておばさんの家に自転車で遊びに行った幼い日が懐かしい。大柄で目がパッチリした美人だったけど、去年会ったときにその面影は無かった。
 
 老いも死も悲しいことに違いない。だからといって、神様、時間を戻してください! なんて願ったりしない。加齢を受け入れるだけじゃなく、老いを楽しめる人だっているのだから。
 それに、人は生まれながらにして不平等かもしれないが、老いと死だけは誰にも等しく訪れる。この世で唯一信用できるものが死なら、おばさんの死は決して理不尽じゃないのだから、ぼくはむしろ喜んで受け入れたいと思う。

イブ鍋?

2006年12月22日 | 酒、食
 場末の飲み屋が何をトチ狂ったか毎晩開店するもんだから、とうとうぼくのほうがダウンしてしまったじゃないか。まだ後三つ忘年会が控えていて、それぞれで蕎麦を打たないといけないのに、ダウンしている場合ではないのだ。と思っていたら、明日のが延期になって、蕎麦打ちからは開放されたのは助かった。
 
「24日は、我が家でイブ鍋で忘年会や」
 友だちのテル爺が鍋に誘ってくれたのは良いが、イブってどんな魚だろう、魚偏に……と一瞬考えたけど、テル爺お得意のダジャレの一種だと分かった。いや、まてよ、ひょっとして怪げな鍋だったら怖いが、グルメの奈美さんが作ってくれるらしいと分かって一安心。
 
 それにしても奈美さんは主婦なのにイブの夜にほっつき歩いて大丈夫なのか? まあ人様のプライベートにはほとんど興味が無いので、鍋を作っていただけるなら大歓迎だ。あ、でも蟹、海老、帆立だけは無しでお願い。食べられないことはないけど、子どもの頃にひどい目に遭ってから、今でも積極的には食べない。つまりぼくは安上がりな人間なのである。

童話教室に引きずり込んだつもりが!

2006年12月21日 | 童話
 ぼくが唯一の男性受講生だと、何かと標的にされやすい童話教室には、まだ少し空席きがある。そこで、「先生以下美人ばっかりが揃ってまっせ、どないだ?」と、友だちのテルさんを引きずりこんでやろうと画策しているが、なかなか上手くいかない。
 たいがいのことならこの手に引っかかる人なんだが、月に4,200円の出費が問題というより、彼が文章を書くことに対して高いハードルを感じているから首を立てに振らないのだと思う。
 
 カモが捕まらないのは、ひょっとしてぼくの日記を読んで、童話教室をまるでタイガーマスクがしごかれた「虎の穴」とでも思って、怖気付いているからじゃないだろうか。
 確かに下手なことを口走ってバッシングを食らうことはあっても、命だけは保証されているんだからどうってことはない。それに生徒は少しずつ増えているので、このままだとあと数名で定員に達するかもしれない。
 
「かもしれない」というのは、人数が増えすぎると、きめ細かな指導ができないことを理由に、先生が締め切る可能性があるからだ。なので、知らない人に来られるよりいいだろうと知人を誘っているのだが、今日、思ってもみなかった人から入会の打診があった。残念というか、やっぱり女性だったのだが、どうも本気で童話を書きたいというので、カルチャースクールへ案内した。
 
 ところがだ!「童話教室の方へ付き合ってやったんだから、陶芸教室を見学に行こう」と言われ、こんどは彼女が所属する有名陶芸家の教室に誘われてしまった。
 ちょこっと見学するだけのはずだったのに、電動ろくろの上にちゃっちゃと土を用意して手取り足取り教えられ、
「いや~! なかなかお上手じゃないですか。才能があると思いますよ」
と、口八丁手八丁で勧誘されて、図に乗って楽しかったのだが、自分ではあんまり向いてないような気がする。

 陶芸がぼくに向いてないと思う訳はちゃんとあるが、それはまたいつか書くことにして、童話教室で学びたいとおっしゃるご婦人だが、彼女の娘さんはもうすでに小説家として活躍されているらしい。
 しかもプライドの高そうなご婦人なので、どうなることやら。と、人の身を案ずるより、自分の立場が今よりも更に脅かされないか心配した方が良いかもしれないな。

ばばあ鍋でお肌つやつや?

2006年12月19日 | 酒、食
「じじいが作ってもばばあ鍋とはこれいかにって、ほんとに旨いんかよ? マスター」
 だまされたと思って場末の飲み屋で『ばばあ鍋』なるものを注文してみたら、案外においしかった。いや、むしろ忘年会のトラフグのちり鍋より良いと思ったくらいだ。
 
 皮の辺りがゼラチン風でぷりぷりして、フグの口の周りのような食感が楽しい。ちょっと匂いにくせがあるなと思ったのは鮮度の問題だろうか。白身は淡白で、『旭ポン酢』に『馬路村のポン酢』をブレンドしていただくと、何とも幸せな気分。
 
 この1年はそんなに忘れたいようないやな年でもなかった。ところがこの1週間というもの、下卑た野郎どもにかかわってしまって、忘年会ならぬ忘週会をやりたいと思っていたところだったので、ちょうど良かった。
 
 たった一杯の鍋で気分が良くなるんだから、ぼくも安上がりな人間だけど、場末の忘年会はまだまだ続く。でもよく考えたら、あの連中は年がら年中忘年会に明け暮れ、いや、毎日のように忘日会をしているようなもんだろう。
 で、今週末は『真鱈』を使った『雪鍋』? 『みぞれ鍋』というのかもしれないけど、大根おろしを水の代わりに、鱈とか鰤とかを放り込んで煮るのだそうだ。今度は命までかける必要は無さそうに思う。

※ばばあ=タナカゲンゲという正式名称? らしく、山陰地方の深海で松葉蟹と一緒に捕れるそうだ。しわだらけの不細工な顔をしているところからババアというらしいが、なんでジジイではないのだろうか?