らんかみち

童話から老話まで

手抜き日記は酒の肴にかぎる

2009年10月31日 | 酒、食
 約束の太刀魚の刺身をいただきました。あと天ぷら用にもつくっていただいたのでやってみたら、冷めてみると、さつま芋の天ぷらの柔らかいのに似た食感、目をつむって誰かにたべてもらったらそう言われるかもしれません。太刀魚はやっぱり刺身、その次が塩焼きの魚です。
 ついでながら鱈の天ぷらもやってみたんですが、こちらも悪くはないけど、やっぱり塩でしめて鍋でプリプリ感を楽しみたい魚ですね。飯の写真をアップした日記ってのはやっぱり手抜きだよな……。

中国人もおばちゃんも太刀魚釣り

2009年10月30日 | 酒、食
 中国人たちも近所のおばちゃんたちと仲良く太刀魚の夜釣りを楽しむこの村です。そんなに大きくはないけど面白いように釣れるので、おばちゃんたちは止められないのだとか。でも中国人たちは翌晩のおかずなので、小鰯をすくって餌にすると一生懸命釣らないといけません。
 
 彼らは岸壁とかロープにつく天然のホヤも食べるんだそうです。養殖のならぼくも好きなんですが、天然のを食べたら日本人はおなかをこわすんだとか。でも彼らはどういう調理法をしているのか、平気なんだそうです。
 
 太刀魚って塩焼きはよく飯屋の定番おかずですが、実は刺身がもっとも美味しい食べ方じゃないでしょうか。ちょっとしたコツが分かれば簡単に刺身にでき、小骨を気にせず食べられるのは嬉しい。
 ベルトサイズの小太刀魚は塩焼きにしたら食べるとこない感じだけど、刺身にしたら十分おいしいのです。明日の晩はおばちゃんが刺身と天ぷら用に造ってくれるそうで、こりゃ楽しみぃ!

今回の窯焚きは失敗だった、はずなのに

2009年10月29日 | 陶芸
 小春日和のなか、独りぼっちの窯出しの儀は寂しいな、と思っていたら要釉斎先生が来られました。
「どうかね、それみたことか! 言うには早すぎるかね」
 先生が愛してやまない旧窯で焚かなかったからといって、本気でおっしゃっているわけではないのです。むしろ「あぁだ、こうだ」と口を挟んだ責任を……というか、今日は陶芸の日なのですね。
 
 窯出しの儀というのは将棋でいうなら勝負がついた後の感想戦、童話講座でいえば合評の場と思っていいのでしょう。焚き上げたはいいが、さて焼き上がりはどうか、釉薬は何を乗せ、窯のどの辺に置いたか、全て出し終えたらテーブルに作品を並べ、一堂に会して批評を展開する。次の作品を焼く上で欠かせないプロセスといっていいでしょう。でもねぇ要釉斎先生だけでは、「君ぃ、焼き直しぢゃ! 及第点をやれるのはたった一つしかない」となって当たり前なんです。
 
 そんなことやっていたら離島館の館長さんが、「施設を有効利用なさってますか」と視察に来られ、ぼくの作品を見て「こ、これは気の毒に、窯変しているならまだしも、大皿がこんなに歪んでしまっては……」とかおっしゃるからには、館長なかなかの手練とみた。
 結果は大失敗といってかまわないでしょう。要釉斎先生に言われるまでもなく、生焼けなので同じ作品をもう一度窯に入れて焼き直さなくてはいけない、残念だけど。
 
 失敗だったからといって、陶芸クラブの日なので皆さんに開陳しないで済むわけがありません。つらい作業ですが、これもまた皆さんの礎になるのかと思うと、生贄あしらいもやむなし。
「あらぁそんなことないでしょ、きれいに焼けてるじゃない」なんて気休め言われても、ぼくが自らでハードルを下げるでなし、かえって気が滅入るってもんです。

 写真は今回の茶碗に出た「かいらぎ」ですけど、こんなものを目指しているわけじゃない。要釉斎先生に「これは茶碗じゃ」といわれても、こんなもん下品すぎる。それにゴブレットの作品群も一様に生焼けで失敗しました。
 
 だれにどう言われようと、自分で目指した焼き上がりでなかったら失敗じゃないですか。ところが陶芸作品に関してはそういった個人的な法則は当てはまらない。陶芸って自分の嫌いな物が他人に受け入れられる場合も少なくないし、好きなものが否定されることも多いのです。「売れるなら売ったらいい」と言われるけど、売れるからといって自らの理想を落とせるんだろうか、分からない!

もしかしたら新型の諸症状か?

2009年10月28日 | 暮らしの落とし穴
 今年最後かもしれない窯焚きで緊張したせいか、昨日は夜になって首から肩にかけて凝った違和感に吐き気をもよおしました。自分でマッサージをしたら首筋にコブでもできたのかと思うくらいの凝りを発見。モミ爺のテクニックを思い出しながら徹底的に揉み解したら、なんとか吐き気も治まって眠りにつくことができました。
 
 ところが今朝になって、首が痛くて回らない! 昨夜のことを思い出して「これが下手な按摩の筋違い」いうやつか! と長く疑問に思ってきたことが氷解して嬉しくなりました。
 がしかし、学究心の満たされる喜びが首の痛みを凌いだのも束の間のこと。目覚めていくにしたがって痛みが増したので、ロクロ指(けんしょうえん)治療のために整形院からもらっていた鎮痛消炎剤「ナボール・ゲル」を首筋に塗りこむと同時に、富山の置き薬「頭痛、歯痛にノーチカ」を処方してみました。
 
 文化祭が中止になったのは、どうやら6年生が新型インフルエンザに感染して学究閉鎖になったのが理由のようです。秋祭りが終わった後でまだしもだなぁとは思うものの、島中に感染の輪が広がるのはそう遠くないことでしょう。
 症状は重くないと聞くが、母が感染したらどうなる? いやもしかしたら母は抗体を持っている年台かもしれないけど、ぼくは絶対に抗体は持っていないはず。
 ぼくが感染する前にワクチンを打ってくれんかなぁ、え~と持病は、ロクロ指にぃ、50肩にぃ、肩凝りとそれから突発性難聴や、あとメタボは解消したけど痛風の予備軍かもしれないしぃ、そうそうなんといってもアル中ハイマーじゃけん……。
 
 首だけでなく風邪の諸症状を咽に感じるけど、何を訴えてもワクチンは打ってくれそうもないので無駄な努力はやめ、今夜はキンカン酎を処方してみました。これが効いてくれることを祈るばかりですが、このキンカンは確か中国産のドライフルーツだったんだよなぁ……。

陶芸と童話の狭間にて

2009年10月27日 | 陶芸
 うちの村が盛りだくさんの行事を抱えているわけを知りたければ、およそ600年前にまで遡って海賊の書を紐解かねばならないのですが、近代になってのことなら、椀船で村が繁栄を謳歌した名残である、といえそうです。
 まあそのへんのことは土井中さんのホームページでもご覧になって、というかあくまでもおもしろ百科であることを念頭において、氏のゆるキャラ振りに思いを馳せながら読んでいただければ幸いかと……。
 
 つまりぼくが言いたいのは、面倒な事が次から次へと押し寄せてきて窯焚きを始めるのが1時間も遅れてしまった、という愚痴に過ぎません。本焼は8時間という長丁場ですので、窯焚きの終わりが5時を過ぎてしまうと、照明も無い窯場は逢う魔が時(おうまがとき)も只中、とても怖いのです。
 
 まあ時間の調整はなんとかなるとして、この時間を利用して童話を書いちゃいましょ♪ と、ノートパソコンを持参して窯を焚き始めたというのに、「よ、要釉斎先生! な、なぜ……」
「うむ、君がでたらめ仕出かして窯を傷めるようなことがあってはいかん、監視じゃ!」
 そうなんです、陶芸クラブの重鎮、要釉斎先生が窯の取扱説明書を持参してお出ましになられたのです。
「ああせぇ、こうせぇ」と、例によって檄を飛ばしてくださるんですが、先生自身はこの窯が嫌いで焚いた事がないんです。アドヴァイスはありがたいのですが、ぼくの目論見とややズレがあるので聞いた振りして別のことをさせていただきました。

「おぅ、もう昼時か、儂は忙しいでな、すまんがこれまでじゃ」と先生はかえって行かれ、お昼も只中というのに魔と逢うたみたいに疲れたけど、これでようやく童話が書ける、と思った矢先に窯の温度上昇が鈍ります。
 供給する灯油の量、空気、煙突の開け具合、いろいろ調整しても事態は悪化するばかり。このまま温度が上がらないと初めからやり直しか、釉薬が溶け始める900℃付近で黒煙でも噴出そうものなら、中途半端な還元がかかってひどい目に遭うでしょう。ぼくの前に焼いた方の窯出しに立ち会って、そのむごたらしさを目の当たりにしたばかりなのです。
 
 こんなときに要釉斎先生がいてくれたらなぁ、なんで帰ってしまうねん! とさっきまで厄介払いできて喜んでいたというのに勝手なもんです。ええい、ままよ! と大きく燃料ダイヤルを回したら、あぁこれの調子が悪いんだ、と気がつきました。
 陶芸は窯焚きが最も難しいと云われますが、その難所も最終盤をむかえクラブのだれもやらない徐冷でフィニッシュ。よっしゃこれで明後日の窯出しを待つばかりじゃ……あ、童話が書けてないやんけ!

大麻じゃないよ、蕎麦の栽培だよ

2009年10月26日 | 酒、食
 蕎麦畑で作業していると「実は入りょるか? 早よぅせにゃ霜が降りるぞ」と村の人たちは気遣ってくれますが、観光などで訪れた方々の中には「これは何です? ああ、これが蕎麦の花ですか」と感心される人もいます。かく申すぼくも自分で栽培してみるまで蕎麦について詳細なことを知らなかった。だからといって「大麻が栽培されているのではないか」と、パトカーがぼくの蕎麦畑にやって来るとはどういうこっちゃ!
 
 ぼくはその時いなかったんですが、村人ではない方によると警察が胡散臭そうにぼくの蕎麦ちゃんを眺めていたそうです。いまどき蕎麦を栽培する人はこの島でも種をくれた方くらいしかおられないとしたら、心無い通報をされても仕方ないのかなぁとは思うけど、こんな明るみに大麻を栽培するバカいないでしょうが! いくら「犯罪は堂々と犯せばかえってばれにくい」とはいっても程度もんですがな。
 
 それはさておき、蕎麦はまだ実が入っておりません。青い実をつぶせばクチュッとミルク状のものが指に付くけど、こんな有様で本当に蕎麦を打て日がくるんだろうかと懸念しております。
「まあ一枚のざる蕎麦を食える分だけは収穫できるんじゃないか」などと村人までトトカルチョのネタにして遊んでいるらしいなら、だれも期待していないのか! 

陶芸家は長生きできません、理由がわかりました

2009年10月25日 | 陶芸
 陶芸家は早死にするって言う人がいるけど、本当だなって思います。陶芸をやって人間国宝とかになった人は長生きしてそうですが、長生きしたから人間国宝といわれるようになるんだろうか。
 
 正しい統計かどうか知らないけど、碁打ちと将棋指しを比べたら碁打ちの方が長生きなんだとか。一般的なイメージなら将棋指しは破滅型で、碁打ちは堅実型でしょう。実際、碁打ちは死ぬまで強いのだけど、将棋指しは歳をとると急激に弱くなってしまうのです。
 
 ということなら長生きしたければ趣味で将棋を指すより碁を打って、趣味で陶芸するよりカラオケとか社交ダンスがお勧めということになりますが、社会学的に研究したデーターがあるわけじゃなし、好きなことをやって人生をまっとうできりゃそれに越したことはないわけです。
 
 でもやっぱり陶芸は趣味にしない方が良いかも知れません。昨日素焼きを終えて今日の昼過ぎに窯出しに行ったのですが、窯はまだ熱々でした。触れないほどじゃないけど60度くらいはあるでしょうか、しばらく扉を開けっ放してから取り出して釉薬をかけましたが、これがしんどいのなんの。今まで皆さんにおんぶに抱っこだったから分からなかったけど、全てを一人でやるのは相当な重労働でした、こりゃ早死にもするわい。
 
 要釉斎先生が惨劇の予測をしていたのを裏切って、素焼きで割れた物は一つもありませんでした。それは良かったけど、ぼくは釉薬のことをほとんど理解できていない。頭を使おうにも知識と経験がものを言う作業なら、最初こそ考えたものの、もうどうでもええか! と苛立って後半は全て同じ釉薬をかけてしまいました。そりゃぁ、この性格じゃ長生きできんわ!

初めて自力で素焼き、だけどブリ大根は失敗

2009年10月24日 | 陶芸
 文化祭が中止になったのを受けて、皆さん窯入れは中止なさったようです。「ぼくは焼きますけど」と連絡を入れたら「どうぞお一人で頑張ってください」って……。大きな皿を下手に焼くと爆発の危険があるので、巻き添えを食らうのを嫌ってのことであり、ぼくを嫌いなわけじゃないとは分かってはいるものの、心なしか冬の足音が聴こえてくるようでした。もっとも、ぼくの作品だけで窯からあふれそうだったので結果的にはそれで良かったのですが。

                 
 
 全部入りきらないので重ねたり並べ替えたりと、四苦八苦しているところへ要釉斎先生がやってこられました。
「うむっ、そこはそうじゃない、上と下を入れ替えたまえ」などと檄を飛ばしてくださるので応えようとしていたら、ぼくが自分で誤って茶碗を一つ割ってしまいました。
「割れたこの作品は何のつもりかね?」
「はぁ、茶碗のつもりですが……」
「茶碗? これがかね、茶を飲まん者は茶碗を作るなと云うが、これは茶碗にあらず! 焼くに値せんもんなら、割れて良かったじゃないかね」
 先生の仰る通り駄作、習作ではあるんです。素焼きしてしまったら元の土には戻せないのだから土の無駄になるところだった、とはいえ「うちの愚妻を他人にブス呼ばわりされる筋合いは無い!」という感情を分かっていただけるでしょうか。
 
 一つ割れたおかげで労せずして詰め終わりましたが、ぼくも要釉斎先生も焚いたことのない窯なので危うく大失敗しかかったところを、先生のアドバイスでなんとか乗り切れました。
「先達はあらまほしきことなり」とはこのことだなぁと先生に感謝したい気持ちになったとき、「君の焙烙鍋(ほうろくなべ=物を煎るときに使う皿状の物)が割れずに焼けたら良いがのぅ、フォッフォッフォッ」と、ぼくの大皿を焙烙鍋呼ばわりして先生は帰って行かれました。
 
 初めて窯焚きしたときは窯に近寄るのも怖かったことを思うと、今日は我ながら良く頑張った。そのご褒美じゃないけど、今宵はブリ大根を作ってみました。
 下手に作るとせっかくのブリが台無しだけど、今回のもやっぱり美味しくなかった。そもそもぼくはブリは好きじゃないので母のためにこしらえたようなも、でも昨日の豚の角煮がそうだったように、ラップしてテーブルに置いてたら朝には無くなっているから母が食べたらしいけど、母は憶えていないんです。作り甲斐が無いといえばそうですが、食べたのなら良しとしますか。

                   

女の腰巻は勝手に外れたりはしない、だからそれって何?

2009年10月23日 | 陶芸
 陶芸クラブの重鎮、要釉斎先生からの電話で、文化祭は正式に中止が発表された由。ちーとええ格好しようと思ったばっかりに落胆もはなはだしいぼくですが、そこへ追い討ちをかけるかのように、童話のお師匠さまが、「当てとふんどしは、向こうから外れるものである」と日記に書いておられました。    

 奇しくもッ! 要釉斎先生も電話の最後に同じようなことをおっしゃるではありませんか。いわく「当てと褌は向こうから外れる、而して女の腰巻は勝手に外れたりせん、君自身の手で外すが良かろう」と。
 この言葉が、いまどき腰巻をしとる女を探すっちゃ至難ぞ、という意味でないことだけは理解できます。これは恐らく警句、諺みたいなものであって、例えの裏側にはスピリチュアルな寓意が込められているに違いないのですが、いかんせん放心状態で何も考えられませんでした。

 腹立ちまぎれにヤケ食いヤケ酒に溺れてやろうと豚の角煮を作りながら、若鶏の胸肉もあったよな、あれを豚のお供にしたらどうなるのかな、ケンタッキーフライドチキンは先に鶏肉を煮てから揚げるんだろうか、あそうそうメタボ対策に野菜は欠かせないね、人参、玉葱、エリンギ、そうだキノコ類はいくら火を通しても煮崩れしないのが嬉しいな、♪楽しいな、美味しいな、おばけにゃ学校も~……と、現実から逃避している自分に気がついて、いっそう深く落ち込んでしまいました。

 それにしても女の腰巻は自らの手で外せって、つまり女と仲良くしたければ自分からアクションを起こせ、という意味だよなぁ。それは分かるけど、陶芸とどういう関係があるっつーねん、まさか一人で文化祭やれってこと? それは無いわな……いや待てよ、文化祭が中止になって窯焚きは皆がやめるけど、ぼく一人でも焼けということだろうか、そういうことか? もしかして「君の作品が焼きあがるのを楽しみにしておるぞ」と要釉斎先生はおっしゃったのかもしれません。だったら一人で焼いたろやないか、皆さん気落ちしているのか連絡もくれないけど、明日は一人で素焼きじゃ!

メタボ講座も陶芸も全て徒労に終わりそう

2009年10月22日 | 暮らしの落とし穴
 メタボ講座OB会というのがあって、早い話が厚生労働省の回し者である保健婦さんたちによる追跡調査ですね。実施した講座の費用対効果を算出しようとしているわけで、つまりぼくが動脈硬化、心筋梗塞、脳血栓、あるいは腹上死(男子の本懐?)とかで死ぬまでの長年に亘ってデータを収集され続けるわけです(サラ金の取り立て屋よりしつこい?)。
 
 写真に写っている女の子のどこがメタボじゃ、と思われるかもしれませんが、彼女たちこそ厚生労働省から送り込まれた工作員なのです。用心せにゃならんな、とは思いつつ彼女らの手練手管に引っかかってしまいました(キャバ嬢と同伴出勤しているようなものか?)。
 まあ無料なので長い物には巻かれてやっても良いが、とは思うものの、これら全てが税金で賄われておるとするなら、モルモットにされたぼくの命が未来のメタボイストの役に立てば幸いかと思います。
 
「君ぃ、君が遅れて来た訳は聞くまでもない。君は昨日、時ならぬロクロを回しておったやに聞き及んでおるぞ」
 陶芸クラブに遅れて顔を出すと、要釉斎先生が待ち構えておられました。
「はい、文化祭に出品するための大皿を削らせていただいたのです」
「うむ、その心がけや良し、がしかし中止じゃ」
「はぁ? 中止とは、何がでしょうか」
「じゃから文化祭は中止じゃというておるのじゃ、頑張った君には気の毒じゃがのぅ、フッフッフッ」
 要釉斎先生は、ぼくが今日の陶芸をサボったのは昨日作品を削り終えたからだと思っておいでのようです。言い訳する気はありません、乾燥が間に合わないのとメタボOB会のやりくりでこうするしかなかったのです。しかし文化祭が中止とはいったいどういうことでしょうか。
「インフルエンザじゃ! 新か旧かは知らんが、小学校の学級閉鎖が続いておる」

 先生に聞く限りではまだ中止と決まったわけではないようですが、どうもその可能性が大きいようです。文化祭どころじゃないですよね、島民からインフルエンザによる死者でも出ようものなら教育委員会の姿勢が問われるのは必至。ぼくが教育委員だったとしても「止めとこうよ、もしものことがあったら誰が責任とるの?」と述べるに違いありません。この半月ほど頑張ったけど、努力は徒労に終わりそうです。
「フッフッフッ、まあ気を落とすこともあるまいて、君の努力が結実するときはきっとあるんじゃから」
 要釉斎先生は出品作に不自由なさっておられたようで、中止は渡りに船だったのでしょうか。だからって勝ち誇った物言いせんでもええやんなぁ、と怒る元気も失せてしまった本日のHALでした。