らんかみち

童話から老話まで

オレって失うものないから、戦ってやるさ

2011年04月30日 | 暮らしの落とし穴
 地元企業がろくでもないことを目論んでくれるので、空しい脳みそを総動員して対策を練らなくてはならず、島おこしに傾注すべき時間が削がれてしまう体たらく。
 企業が良からぬ事を企むときは隠密裏の行動が原則なのか、とにかく説明を省きたがる。殊勝らしい草刈りを始めたので質問すれば「単なる測量です」と。

 重機で土地を掘り返すのを見とがめると「地質調査です」みたいな滑った回答が返ってくる。村人を集めて追求すると「埋め立てるつもりです」だぁ?
 だから何のためにそれらをやっているのかと質したら、一昨日になって「ビルの6階建てに相当する高さの門型クレーンを村のど真ん中に設置します」などと宣うふてぶてしさ。老人ばかりの村をバカにしとるのか!

 われわれ島おこし組は、島内の景観保全を旨として竹林を元の畑に戻し、竹細工の工房を立ち上げて伐採した竹を有効活用しようとしている。蕎麦の種を播いて耕作放棄地を復活させようと汗を流している。
 老人たちのコツコツと地道に努力する姿を島民に見せることで、少子高齢過疎化した村々に住む人たちのモチベーションを高めたい。その先には、きっと明るい未来が見えるはず、そう信じてやっている。

 地元の大企業が雇用を創出し、その法人税によって市政が運営されている事実は賞賛したい。「この不況下にあって、今治市は法人税収が上昇しました」と、企業の忘年会で市長が謝意を表明していたのは記憶に新しい。
 企業努力によってもたらされる恩恵を否定するつもりはないし、大いに感謝している面はある。しかし、度を超した開発で得られる利益と、それによって失われる景観や文化とのバランスが、ときには崩れているのではないかと思う。

 コンプライアンスは遵守していると企業は言うが、法律というのは最低限守るべきルールであり道徳だろう。いわんや、日本の健全な発展を標榜しているような、そして実際に貢献している、日本でもトップクラス企業だ。その経営理念が、村にある子会社にまでは浸透していない。法に触れなければ何をやってもかまわないというわけじゃなかろう。
 
 竹取りや蕎麦蒔きを企業に頼れば、もしかしたら一年で解決することかも知れない。イノシシ被害も、大企業が動けば簡単に解決するのかも知れない。であっても、儲かりもしないことに金をはたく企業があるわけがない。
 だからこそ、われわれ島おこし組が使命感と誇りを持って動いている。あんたらにできんことをやっているんだから、せめてわれわれの活動を邪魔するなと言いたい。

坊さんを落とす損長

2011年04月29日 | 暮らしの落とし穴
 昨夜は村人を率いて、と言えれば聞こえは良いのですが、実際は村人たちに引っ張られて企業と折衝を展開。ことほど左様に、面倒な村にて大損の憂き目を見ております。



 今朝は蕎麦を播いた畑に出かけ、畑の持ち主と少し談義して写真を撮影しました。毎日出かけていたら10日ほどで発芽を確認でき、ホッとしております。ボランティアに活動してもらったので、もしも芽が出なかったら種選びしたぼくとしても申し訳ないところでした。

 チーム竹取り物語で借りた工房の整頓も進み、ご近所さんたちに「何をやっているの」と、興味をかき立てつつあるのはまことに結構なことです。
 こうやって周りの人たちをボランティアの渦に巻き込み、気がついたら脱出不能な状況を現出するのが島おこし組長の手口と見たり。
 目出度いな、ということで鯛を釣る恵比寿さんをあしらった幟を工房内に垂らし、来週は落慶法要の運びとなりました。



「で、組長、開眼法要で魂を入れるご本尊はどちらに?」
 組長に聞いたら「儂じゃ、儂が本尊じゃろがぁ!」と。ほんなら、組長には今まで魂が入ってなかったんかい、みたいな口はきけんのですが……。

 村の金比羅さんもただいま改修中で、こちらも完成の暁には入神法要が待ちかまえております。先日の動画で紹介したように、金比羅さんにはお坊さんの座る導師席があるんですが、今朝あろうことか席が抜けて大工さんが奈落の底へ転落してしまいました。
「命に別状がなかったのは、坊さんに安全祈願の作法をしていただいたから」と大工さん。
 坊さんじゃなくて良かったと言えば大工さんに叱られますが、「坊さんを落とした損長」という重い十字架を背負って生きることが避けられたのは、本当に不幸中の幸いであったとしみじみ思うのです。

だれが識者じゃこらぁ

2011年04月28日 | 暮らしの落とし穴
 学識経験者の集う当地の「郷土史研究会」が、あろうことか島おこし組の組長を会長に戴き、ぼくも自動的に郷土史研究会へ「識者」として入会させられる羽目になりました。
「どの面さげて識者じゃ、おぅこらぁ!」とお叱りの向きもあろうかと思いますし、そうそうたる顔ぶれの居並ぶ中ににあっては、ぼくに関しては完全にミスキャストです。
 成り行きと言いますか、味噌の中に少量の◯◯が混入しただけですので……て、やっぱダメなんですよね!

老人クラブで息抜き

2011年04月27日 | 暮らしの落とし穴
 損長という立場で老人クラブ総会に出席し、妙にくつろいでいる自分を発見して慄然としました。オレも既に老人だったのか! 
 市会議員や他の村の自治会長も適齢期ではないけど出席していて、そういう方々と懇談するのも有意義でしたが、爺さん婆さんの馬鹿話に酔わせていただきました。

 それにしても、島の老人たちは元気だ。それもそのはず、宴席で振る舞われたのは鞆の浦の保命酒なのです。さすが老人クラブ、心がけが違うじゃないか。ぼくも嫌いじゃないんですが、甘すぎるので日本酒で割って呑みました。

 帰ってきたらお役所から封書が届いてます。書類に書き込んで提出せよということで、煩わしいのう。酒を飲み過ぎてダウンしていたらお役人さんが訪れて「書類に印鑑を」と起こされ、束の間の憩いから損長に引き戻されてしまいました。損を楽しめるようになるのは、いつのことやら。

女神さまと権現さま

2011年04月26日 | 社会
 村には海神社というのがあり、村人はその氏子ですが、他にも金比羅宮や稲荷神社もあります。先ごろ金比羅宮にて大般若経の転読会が開かれたわけですが、なぜお宮にお経があってお坊さんが拝むのか不思議でした。

 その金比羅宮に補修の必要性があるということで、大工さんと板金屋さんから見積もりをとり、村で諮って修理することになりました。工事にあったってお坊さんに鎮守の作法をしていただいたとき、お寺なのかお宮なのかはっきりしてくれ、と聞けば、「本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)と言いまして、ここは神仏習合のお寺なのです」と。

 修理中に発見された木簡によると、文化文政年間には当地に金比羅宮は存在したようです。明治に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐にも耐え、当地の金比羅宮はお寺として残ったようです。



 香川の本家本元の金比羅宮は住職が神職となり、大物主(おおものぬしのかみ)を祀ることになったそうですが、田舎の小さなお寺にまで廃仏毀釈は攻めてこなかったのかも。だから金比羅大権現の本地仏(ほんちぶつ)であるらしい不動明王が祀られているようです。

 ところで金比羅というのは、インドのガンジス川におわします妖艶な女神Ganga(ガンガー)の乗り物だとか。魚のようでもあり像のような鼻を持っていますが、これはワニ(クンピラー)だそうです。つまり金比羅大権現というのはそもそもワニの化身ということになり、日本においては海上交通の安全を司る神なのだとか。



 海運業で栄えてきた当地ですから、海の安全を司る海神社だけでなく念には念を入れ、金比羅大権現にも霊験をいただこうというわけでしょうか。それにしてもインドではシバ神とか、セクシーな女神がやたらといるのに、日本にはトイレの神さまだけじゃないよね。新たなる不思議が。


スーちゃんの、優しい言葉

2011年04月25日 | 暮らしの落とし穴


 スーちゃんは、ぼくにとって特別な人じゃなかったけど、キャンディーズのメンバーの中では一番好きだったから、女優として芸能界に復帰してくれたときは嬉しかったものです。それがこの急逝ですから、諸行は無常よのう!

 そんなわけで、菩提寺のご住職にスーちゃんの弔いをしていただきました。いや、それはもちろんぼく自身の胸中だけのことで、本来は村の社を補修しようと決めたところ、大工さんが「お祓いもしないで作業ができるか」とお叱りを受けたのです。

 自身の命が潰えようとしているというのに、東日本大震災で被災した人たちを気遣うスーちゃんの言葉を聞いて熱いものがこぼれた人も多いと思います。東電の社長や菅総理がどんなに言葉を尽くしても、彼女の短い言葉の足元にも及ばない。

 いま被災地が求めているのは、スーちゃんのような「言葉」じゃないだろうか。それがリーダーの口から聞こえてこない。胸に響かない言葉は「言葉」じゃなく、もはや騒音に過ぎないのかもしれません。
「麻生さん以外なら誰でも良い」という時期があったけど、もう菅さん以外なら誰でも良いから……。

 NPO法人設立で難航していたら、「あなたは忙し過ぎるから」と竹取の翁が代行を買って出てくれました。翁はワールドワイドで法人の設立に関与してきた実績があるので、攻めてはガンダム、任せて安心。一粒で2度美味しい、ぼくにとっては肩の荷も下ろせて一石二鳥のマル優口座です。

 これほどの援助をしてもらってもまだ厳しい。地元企業との折衝は始まったばかりで、大喧嘩になるのか、それとも円満に解決するのか見当もつかない。円満に解決するなんてあり得ないのは承知しているけど、企業側も舌足らずだ。
 ぼくの忠告を考慮してくれていたならこんな問題には発展しなかったはずだけど、忙しさにかまけてぼくも言葉を尽くさなかったし、企業側もぼくの言葉を軽く受け止めていたフシがある。スーちゃんのような、優しく重い言葉がほしい。

人は、低き・易きに流れ

2011年04月24日 | 暮らしの落とし穴
 まちづくりコーディネーター講座の2回目、いよいよ核心に迫るのか! と期待したのに、前回のプロローグ部分を補強する内容でした。早い話が、NPO法人格を取得すれば助成金を出すので、お上の注文に従った地域活動を展開して下さい、というものです。企画の審査が通った暁には、金も出すけど口も出すとのこと。行政サービスの下請けになって下さいということのようです。えっ、まだ3回目もあるの! 次回こそは机上の空論が具体性を帯びていると期待しましょう。

 このような講座とかが雨後の筍状態でして、来週は3日連続で会議に出席しなくてはなりません。しかもバッティングしている会議を断ってこれですから!
 この有様だと、陶芸作品を焼いてバラ祭りに出品するなんて到底できないでしょう。だれかに頼めるならそうしたいところですが、ぼくの作品は大きすぎてすぐに窯が一杯になるばかりか、「あんたのが爆発したら一蓮托生になる」と嫌われているんです。

 陶芸公募展の応募要項も整備できていないし、蕎麦打ちの練習もできてない。NPOの申請書も途中でストップしているけど、これは竹取の翁が知恵を絞ってくれると約束してくれました。
 陶芸公募展の資料も誰かに助けを求めたいけど、陶芸クラブにそれをできる人はいそうもない。それどころか、クラブのためになる事業で忙しくしているのに「クラブの会計をやってくれ」と足を引っ張られている始末。

 本日の講座で、「マツキヨさんが松戸市の市長していたとき、すぐやる課を設置したところ、行政サービスは向上したけど、市民の共助精神が失われた」と講師がおっしゃってました。つまり、「困ったら頼む」「もらえるものはもらえ」「払っている以上にもらおう」と、人は怠惰な方向に流されるのだそうな。
 なるほど、なるほど。ぼくが損長になって最近思うのは、「なにもかもアンタにおまかせ」と、反論したり自己主張する人が少なくなり、それに反比例するようにぼくが忙しくなってくるみたいな。どうにかせにゃ……。

企業との喧嘩のしかた

2011年04月23日 | 暮らしの落とし穴
 3日間の遍路縁日も最終日を迎えたというのに、一息つく間もなく村の緊急集会です。地元企業の対応の遅さに村人が切れかかっている図式で、企業側には「くれぐれも」と忠告しておいたのに、このザマかい!
 
 菅首相が福島の原発被災地を慰問したけど、逆効果だったとか。あれがもし小泉首相だったとして、同じことをしたらどうなんだろう。菅さんが単に人気がない首相というだけのことなら良いけど、本当に無能な人だったら国民は不幸だ。
 うちの村もぼくが長(おさ)をやっていて、村人は不幸なんじゃないかと気遣うわけですが、他に代わる人材も見当たらないのがこの村の真の不幸かな。

 ぼくという無能な損長ですが、それなりに切り札はいくつか用意してます。政治家は使えたとしても、今回は使いません。父の生前の口癖で「ヤクザと政治家には、貸しを作っても借りは作るなよ」と戒められているからです。

 どうしようもなくなったら政治家でも右翼でも使わせてもらうつもり、だからこそ両者にコツコツと貸しを作ってきたのです。あ、もちろん左翼も個人会員に名を連ねているので、選択肢はいくつかあるんです。

 個人的なポリシーもあるにはあるけど、絶対にぶれない自信があるわけじゃないし、村のためには個人的主義主張なんてのは封印しておきます。だって村人が望んでいるのは、イデオロギーなんかじゃなく、快適な生活をしたいってだけなんですから。

島四国お接待のこころ

2011年04月22日 | 社会
 遍路市の中日、菩提寺では温かいかけうどんのお接待があり、そば接待のトレーニングをかねて2時間ほどお手伝いしてきました。
 ゆでて売られている地元のうどんの量はカスタマイズされ、150グラム前後。行く先々の札所でお接待漬けにされたお遍路さんの、胃袋を案じてのことです。



 午後は村のお堂に戻り、納経されるお遍路さんのために待機しておりましたところ、絵師を名乗る御仁が葉書大の「守り神」をくれました。仏画のようでもありますが、守り神と表現するからには仏画の約束事を排しているのでしょう。
「島四国八十八箇所を友人に勧められたものですから」と、わざわざ三重県からお越し下さった由。島四国八十八箇所も近隣の県はもちろん、近畿圏まで認知されつつあるようです。



 夕方5時過ぎにお堂を片付けておりますと、小学校低学年くらいの男の子が3人、自転車に乗って来ました。
「お参りに来たの?」とたずねたらコクリ。閉めていたお堂の戸を開けると、「なむだいしへんじょうこんごう」と手を合わせるじゃないですか。
「えらいね、お接待だよ」と、しまい込んでいたヤクルトとお菓子を出したら、意外にも嬉し気に持って帰りました。マウンテンバイクにヘルメットという本格的な出で立ちの3人だったから、質素なお接待に喜んだのは想定外だったのです。

 大人のお遍路さんの中には、「運転手さんの分も下さい、あっそうそう◯◯さんの分も」と、どっさりテイクアウトなさるケースもあります。おにぎりを差し上げたら、次の札所でも同じようなおにぎりだったので、古くなったのを道ばたに捨てて行く人もいるやに聞いております。

 なので蕎麦やうどんなのです。かけうどんなら持ち歩けないので、目の前で食べてくれます。お遍路さんのモラルを問う声も多いのですが、お接待の品をゴミにして捨ててしまう愚を犯させているのは、実はお接待する側かもしれないのです。
 お接待の品をコレクションし、それに戦利品のイメージを重ねるのは違和感もあるけど、花の苗をお接待され、植えて花が咲いたなら気づくと思いたい。見返りを求めない、お接待という精神が存在することを。

遍路カーニバル

2011年04月21日 | 暮らしの落とし穴
 リオのカーニバルってほどじゃないけど、島の住民の多くは遍路市のために生きている? それはちょっと大げさだけど、中学生たちが校外学習で遍路道を歩くとか、お接待の手伝いをする土地柄なのです。



 一昨年だったか、NHKテレビがやってきて「お接待の手伝いを自主的に買って出たけなげな中学生」のヤラセの片棒を担がされたとがありました。真っ赤な嘘というわけじゃないけど、教育上よろしくない! 

 損長にとってもこの3日間は結構な負担になります。なにしろ若い男手は平日には仕事に出ているわけだから、年齢がはるか上の爺さん婆さんを向こうに回してタクトを振らにゃならんのですから、言うこと聞いてくれるわけない!

 せめてコンマスでもおればいいんだけど、青春ドラマによくある校長のこしぎんちゃくすらいない。損長の孤軍奮闘状態なんだけど、老人たちの言われるがままになっていれば、万事うまく運ぶことが分かってきました。
 たまにスピンアウトした爺さんが反撃の狼煙を上げるけど、毅然とした態度で対峙したらなんとかなりそう。

 問題なのは、理屈の通じない切れ者のおばちゃんたちです。難しいことを分かりやすい言葉でいくら説明しようとしても、「それは分かったけど、私はあんたのこと嫌い」と言われたら、苦労して説明責任を果たしてきたことも一瞬で無に帰すのです。

 おばちゃんなんか無視したら良いじゃないか? それはできんのです。村はおばちゃんたちが切り盛りしていると言っても過言ではありません。一見するとオヤジたちがプッツンしているようであっても、実は裏でおばちゃんたちが糸を引いているのです。

 ぼくに好意的だった親父さんが入院したとか引っ越したとかで、村人がどんどん減っていく。この先いったいどうすりゃいいの? おばちゃんたちを制御するのは難しいけど、前に向かって進むしかない。だって、この村を前に向かって牽引できるのは、損を覚悟できた人だけなのだと思うから。