らんかみち

童話から老話まで

今年最後の文芸応募

2010年12月31日 | 童話
 エッセイを一編投稿して本年の締めくくりとしました。4枚なので日頃書いているブログの量と同じくらいですから、夕方から書き始めても間に合いますが、当然ながら問題は中味ですよね。そして職業はもちろん損長、なんて書けません。
 パソコンに向かうのは本当にこれが最後、とか言いながら電源を落とそうとしたらメールが。もしかして送れなかったの? 良くあることなんですが違いました。この調子で無事に年が明けますようにぃ。

ぼくは一昔前の人間だったんだ

2010年12月30日 | 暮らしの落とし穴
 損長は本日をもって仕事納めとさせていただきます、と窓口を閉めても村人はやって来るんだよなぁ。それもなんとか片付け、議員さんとか弁護士さんやらに挨拶メールを打ち終えてホッとしたのも束の間、地域活性化プロジェクトの資料を作らないと!

 打ち明けるけど、パワーポイントなんて勤めていたころも使ってなかったし、今後も使うことはないだろうと半インストールしかやってませんでした。来年からは使う場面が多くありそうで、完インストールしてプレゼン用のファイルを作ってみたんですが、1999年のオフィス2000、つまりちょうど寅年のバージョンなので、デザインがダサダサ。新しいファイル形式の動画も読み込めません。

 日頃、「新しい酒は新しい皮袋に」などと偉そうに言っておきながら、自分こそが一昔前の人間だったことを再認識させられた一日でした。
 それにしても、片付ければ片付けるほど仕事が無尽蔵に湧いて出てくるって、いったいどういうことよ!

まだ村人ハザードがあるのかよ

2010年12月29日 | 暮らしの落とし穴
 朝から呑んだくれてやろうと構えていたのに、チキショー! 村人がまた問題おこしてくれやがって。引率して謝罪に行くなんて、オレは小学校のせんせえじゃネー!
 村人もバカじゃないんですが、だれかに頼ることができるんだ、と甘えた瞬間から能力が低下してしまうのでしょうか。それは仕方ないのかも知れないけど、しょうもないヘマをやらかして尻ぬぐいさせられる身にもなってほしいよ、もう!

 酒を買いに行って夕方に帰ってきたら「損長新聞を増刷して村外に送ってほしい」ときた。村人に回覧するためだけの家族新聞みたいなものですが、故郷を遠く離れた人にも見る権利はある、というか、だれが見ても損も得もしない人畜無害なチラシです。それでも読んで怒る人はいるかも知れないので、結構気を遣いながら書いてます。
 
 損長新聞はファイルが大きすぎてメールに添付できません。そこでDropboxを開設して、パスワードを知っていればどなたでも見えるようにしておきました。このブログの読者で、読んでやろうとおっしゃる方があれば申しつけ下さい。袖の下しだいで、じゃなくて、熟考の上にパスワードをお知らせします。
 それでは今度こそ、良いお年をお迎え下さい。あとは呑んだくれるぞ~!

年の瀬から歳の瀬へ、来年は猫年だよ

2010年12月28日 | 暮らしの落とし穴
「正月じゃけん、美容院に連れて行ってくれ」と母が言いました。表に出るときは野良着だし、寒くて寝てばっかりなら髪の毛なんかどうでも良いじゃないかと思うけど、そこはやはり女心というやつでしょうか。
 やがて美容院の予約時間が近づいたんですが、母は何やら落ち着かない様子で、引き出しを開けたり布団をひっくり返したりしています。
「何しよんぞ?」と聞いたら、「保険証を探しょるんよ」と。
「パーマをかけに行くんじゃろが」言いますと、ハタと気がついたみたいでした。美容院と病院の区別も定かでなくなっているのでしょうか。

 来年は卯の年を迎え、兎の絵をあしらった年賀状を書かれた方も多いと思います。ぼくも兎の絵を印刷しました。ところが先日、「来年は猫年である」という人にお会いしておどろきました。
 どうして日本の十二支に猫が入っていないのか、それは、「鼠さん鼠さん、お釈迦様に挨拶に行く日はいつですか」と猫がたずねたら、鼠は一日遅れの日を猫に教えました。
猫がお釈迦様に挨拶に行ったら、「お前は一日遅れたので、十二支には入れません」と叱られたそうです。
 
 中国をはじめ十二支のある国(タイ、ベトナム、ロシアなど)の全てで来年は卯年かというと、そうではないようです。

         

 この写真は1999年にベトナムで発行された切手です。
「YEAR OF THE CAT」、つまり「猫年」と書かれていますね。

 損長を拝命して3か月あまり、市長をはじめ県会議員、市会議員の方々や企業経営に携わる方々にお会いするたびに、島を取り巻く状況が急激に変わりつつあるのを実感します。
この前まで卯年だったのに、気がついたら猫年だった、なんてことは無いにしても、新しい時代には新しい感性と手法で適応する必要があるのかなと思います。

 年の瀬を一つクリアするたびに歳の瀬へ向かうのは誰もが通る道。日々が歳の瀬であると思えば無為のうちに新年を迎えることも出来ないはずですが、やっぱ年末年始は呑んだくれて現実逃避したいよねぇ。なになに、毎夜のように逃避してるじゃないかって? まあそれはそれとして、皆様方におかれましては来る猫年が良いお年でありますようにぃ。

菰樽で年の瀬

2010年12月27日 | 酒、食
 先日招いていただいた忘年会で、議員さんたちが壇上で嬉々として槌を振り下ろしたけど、おいおい、最初っから割れているんだからぁ、勢い良過ぎぃ! 壇上はもとより、客席まで飛沫が天につばするごとく。

              

 升で菰樽のおすそ分けをいただいたわけですが、檜の香りも馥郁として、これは樽の香りなのか、ますの香りなのか、どちらにしても旨いじゃないか! つうわけで本日はあこがれの菰樽ミニを買いました。

 う~ん、悪くはないんだけど、あのとき飲んだ杉の香りはしません。樽酒というのは樽に入れたその日に飲んでしまわなければいけないものかも知れませんね。組長に付け届けをしたついでに買ってみたけど、次回からは別のものを用意したいと思います。

指を詰めてお歳暮に

2010年12月26日 | 暮らしの落とし穴
 数日前にとある人にばったり出くわしたとき「あんた、えらい白髪が増えたな、いったいどないしたん?」言われ、「損長をやらされて寿命が縮んだんよ」と答えました。いや本当にそうなんですって。一夜にして白髪ってことはあり得ないにしても、強いストレスで白髪が促進することは身をもって確信したのです。

 そういった日々を過ごしておりますと、昨日になって送り主不明のビールのお歳暮が届きました。おっと、今日は焼酎かい! 留守の間に届けられた一升瓶は、やはり送り主は不明ですが、村人に違いないのです。村に一軒だけある店が届けてくれたはずだから、送り主を調べて明日にでもお礼を申し上げておきましょう。
 あ、そうだ、組長に付け届けしてない! 破門になったとはいえ義理欠きはできんのに、タイミングを逸してしまったんです。指でも詰めて送る所存にございます……うそ!

陶芸にも衣装

2010年12月25日 | 陶芸
「アートの島」を売りに島興しをしたいけど「♪アート・アイラン~」は止めた方が良いのかと、心にためらい傷の一つ二つ。それはおいおい考えるとして、陶芸にもファッション性が求められる時代なのかなと思います。
 先日、広島の陶芸教室のドアを開けた途端、「遠いところからようこそのお越しで!」と、最初は歓待を受けたんですが、上着を脱いでエプロンを首からかけるや否や「陶芸をするいでたちじゃないだろうが!」と二人の先生から責められました。シャツにネクタイのままだったので非難されるのは無理もないけど、服を泥だらけにするほどの下手くそじゃないわい!

             

 偉そうに言ってるけど、実はつい数ヶ月前まで頭の先から足の先まで泥だらけになりながら電動ろくろを回しておりました。体に泥が着かなくなったのこの一月ほどのことです。
 写真ではいかにもぼくが作ったかのようにポーズをとっていますが、これは先生の作です。ぼくの作品は壊して片付け、手を洗った後になって写真を撮っていないことに気がつき、先生方に撮影してもらったんです。つまりヤラセか? まあそうなんだけど、似たようなものはこしらえたから、この写真で許してつかあさい! 来年からはこのナリでろくろを回してみようかと目論んでおります。

カッパ・ド・シグレ

2010年12月24日 | 酒、食
 本日の会合はカッパ・ド・シグレを囲みました。なんじゃそら? と聞かれて、たった今しがた思いついたネーミングですんでぇ。しかし何の根拠もないわけじゃなく、牛のバラすじ肉をカッパと呼び、大根おろしを時雨に見立てたところから名付けました。

            

 カッパを煮込んだ出汁使って野菜をいただくんですが、これがまた濃厚! 豚バラも入れて最後はうどんをワサビでいただくと、ワサビのさわやかさが濃厚なスープをピシリと引き締めて後口スッキリです。

 損長のぼくとしても忘れてしまいたいことが鈴生りで、忘年会はまことに結構なんですが、今日集まった人たちの半数以上は酒をたしなまれないのです。一人だけ酔っ払ってバカを言えないんですなぁ……忘年会、みんなで酔えば、怖くない(パクリ)。

盃事の落とし穴

2010年12月23日 | 暮らしの落とし穴
 童話講座のメンバーに盃を返すったって、そもそも盃なんか貰ってないっての。だったら自分で盃を作れば良いんじゃないかってことで、写真のような……盃というより小皿じゃん! 思わず自分でツッコミ入れてしまうほどの出来の悪さですが、これが今のぼくの限界でしょう。

             

 広島のホテルは一泊が3770円の部屋でしたが、セミダブルベッドで広さも十分。バス、トイレも綺麗な上に、シネマカードをいただいたんですが使い方が分からず、チェックアウト時に返却したら「次回も使えますのでお持ち帰り下さい」とのこと。もしかしたら他のホテルでも使えるんでしょうか。それはともかく、部屋の窓を開けたら異世界に通じていそうな不気味さで、安さに合点がいきました。

 翌日は、この夏に大皿の作り方を教わった陶芸教室に行きました。おかげさまで皿が上手に作れるようになった旨を報告し、例の小皿を見せたら先生方から技法について質問攻めに遭いました。妙なですよね、これらの小皿は、ぼくが自分で開発した技法で作ったのではなく、世間一に知られているだろう技法で作ったに過ぎないのですから。

 盃事で疲れてしまい、島に帰ったらゆっくりするつもりだったのに、小金沢昇司さんのコンサートだって? 実は芸能方面に疎いので、この方の名前も顔も知らず歌を聴いても分かりませんでした。
 歌も上手だったけどトークが面白く、歌の間はおばちゃんたちを笑わせっぱなしでした。それもたった200名ほどの観客を相手にです。気の毒なのはステージを降りてお客全員と握手をしたこと。演歌歌手が恵まれない時代なんですね。

 もうそろそろ倒れそうって予感はあるんですが、本日は某企業との面談を済ませてから世話になった地元の会社に挨拶。30分ほどして切り上げようと腰を浮かしたら地元の有力者が……だれとだれが親戚とか、どいつとどいつの仲が悪いとかを知らないぼくなので、ちょこっと情報収集のつもりが2時間も。

 村人たちは、ぼくがこんなことに患わされているとは知らないんですよね、広島で町おこし実行委員会の人と会っていたこともね。だから皆さん色々と好きなことをおっしゃってくれます。あ、明日の晩も会合だ!

葬式料理と破門料理

2010年12月22日 | 酒、食
 児童文芸スクール(通称=とんぼ組)に出かける朝、かなり早い時間に電話が鳴って目がさめました。すわ、損長関連か! いやそうではなくても絶対に何か悪い知らせだ、と直感しました。案の定、叔父さん(母の弟)が亡くなった知らせでした。

 この期に及んでとんぼ組に義理欠きしたとあっては破門は必至、とうより盃を返す日なので、葬式には欠礼させていただき、母にだけ出席してもらいました。
 返杯の儀ということなら本格和料理で決まりですね。おばんざいといった風情のお昼ご飯ですが、これで1200円がリーズナブルかどうかはさておき、美味しかったです。牛丼一杯で十分なぼくにとって、ボリュームはあったものの完食できました。

           

 時系列は乱れますが、弟の遺体が焼かれるまでに出された料理に、母が胸を詰まらせて手つかずで持ち帰った折り詰めと比べてみて下さい。使っている食材の豪華さや手間暇では同じ土俵に乗せることはできません。しかしながら軍配は、おばんざい料理に挙げたいと思います。

           

「うどんやカレーは食べるものではなくて、飲むものよ~!」と宣うお師匠さまのような健啖家はいざ知らず、仕出し料理のボリュームを見ただけで、ぼくのような胃弱は山のような芋がゆを目の当たりにしたのと同じ症状を訴えてしまうのです。

 今更ながら、金を取る料理は器の比重が大きいですね。村の老人相手に出している料理も仕出し屋のそれですが、いかにも食えなかったら捨ててくれといわんばかりの弁当なのです。ボランティアでやっているので、金を払ってでも食べたくなる料理を作ろうという意識が働いていないものと思われます。
 昨日をもってとんぼ組福山会を破門となり、夜はとんぼ組広島会の忘年会でしたが、その話はまた明日にでも。