当地にとって遍路市というのは200年続く、祭りみたいなもんか。宿屋を営んでいる人は別として、札所でお接待に励む一般の人たちにとっては何の実利もない。にもかかわらず、お接待競争が過熱してお遍路さんたちを甘やかしてしまった苦い過去がある。
良く云われるように、お遍路さんと共に歩く御大師さんに対して「同行二人だから、お接待をすると現世利益がある」と思ってお接待する人は多くない。ただ単にお接待が好きなんじゃなかろうか。義務だと感じていたら、朝の4時からおにぎりをにぎるなんて辛すぎて200年も続けられないと思う。
ぼくが子どものころ、お遍路さんは歩いていた。二泊三日で回れる島四国八十八か所とはいえ、結構厳しかったんじゃないかな。だからこそ無料の善根宿があったし、お接待がなくては歩けないような人たちが回れていたんだろう。
ボロボロ、ドロドロのお婆ちゃんが一夜の宿を求めて戸口をたたく。断られることも多いけど、「うちに来てくれるなんて、あら嬉しや!」と、喜んで迎え入れられる。そうやって年に一度の生涯に亘る付き合いが始まったりするんだよね。
お接待に実利は無いわけだけど、感謝の言葉はいただける。それは嬉しいわけだけど、それぐらいの満足では島を挙げてのお接待には繋がらないと思う。年に一度だけ、御大師さんと一緒に歩く人たちが大挙してやって来るという非日常性が素敵なんじゃなかろうか。うん、やっぱ祭りなんだ!
良く云われるように、お遍路さんと共に歩く御大師さんに対して「同行二人だから、お接待をすると現世利益がある」と思ってお接待する人は多くない。ただ単にお接待が好きなんじゃなかろうか。義務だと感じていたら、朝の4時からおにぎりをにぎるなんて辛すぎて200年も続けられないと思う。
ぼくが子どものころ、お遍路さんは歩いていた。二泊三日で回れる島四国八十八か所とはいえ、結構厳しかったんじゃないかな。だからこそ無料の善根宿があったし、お接待がなくては歩けないような人たちが回れていたんだろう。
ボロボロ、ドロドロのお婆ちゃんが一夜の宿を求めて戸口をたたく。断られることも多いけど、「うちに来てくれるなんて、あら嬉しや!」と、喜んで迎え入れられる。そうやって年に一度の生涯に亘る付き合いが始まったりするんだよね。
お接待に実利は無いわけだけど、感謝の言葉はいただける。それは嬉しいわけだけど、それぐらいの満足では島を挙げてのお接待には繋がらないと思う。年に一度だけ、御大師さんと一緒に歩く人たちが大挙してやって来るという非日常性が素敵なんじゃなかろうか。うん、やっぱ祭りなんだ!