らんかみち

童話から老話まで

亡きペットをダイヤモンドに

2007年10月31日 | 社会
 近所のおばあちゃんが亡くなり、今日が葬式でした。あと少しで100歳でしたから、ご本人はもちろん親族も、大往生というよりさぞ無念なことでしょう。
 一方で友だちのうちでは、先ごろより患っていたペットが亡くなり、本日が葬式なのだそうです。

「どことん看取ってやる覚悟したんやけど、最後は口からいっぱい血を吐いて死にました。砂糖水だけで40日間も苦しげに生きていた姿が目に焼きついてます。フェレットにだってそれなりの尊厳があるなら、安楽死というより尊厳死をさせてあげれば良かったと後悔してます。7年間も飼い主を癒してくれたあの子を忘れないために、遺灰はダイヤモンドにしてあげたいです」

 彼は「もう二度とペットは飼わない」と心に誓ったらしいですが、そこんとこはぼくも前があって気持ちは分かります。それは分かるんですが、フェレットの遺灰でダイヤモンドが作れるんでしょうかね? そういう商売があるってのは知ってますが、一握りくらいの灰では無理だろうと思っていたら、100ccで作れるんだそうです。

 それより何より、費用は安いものでも40万円くらいから、高いもので数百万円かかるというじゃないですか。明らかにフェレットの購入金額を上回る莫大な費用にも驚くんですが、綺麗なダイヤモンドが出来たとして、「ホントにうちの子の遺灰から作ったの?」と疑い始めたらやるせないですよね。

 まあしかし、当事者にとってそんなこと問題では無いのかもしれません。なんといっても愛した者が宝石となっていつも一緒にいてくれるのだから素敵に違いありません。などと、宝石のホの字にも恵まれないぼくとしては、少しうらやんでいます。

赤福も御福も食ってみれば良かったぁ

2007年10月30日 | 酒、食
 御福餅よ、お前もか! なんて、御福餅を知らなかったぼくですので言う資格はありません。というより、赤福とかねっとりと甘いのはあんまり好きではないので、興味が無いだけなんです。

 今は違いますが、10数年前の三重県の高速道のパーキングって、どこで何を食べても不味かったんです。だからあの辺りで土産物は買わなかったし、かといって松坂牛は高くて食えないしで、仕方なく大アサリを食べたら「それはラッコの食いもんや」なんて笑われました。

 最悪だったのは「伊勢うどん」です。あれは秋が一気に冬へと衣替えした肌寒い日で、とにかく満腹になって温まろうと注文したのが伊勢うどんでした。
 泣きましたね、だってぬるいんです。具はネギと鰹節だけで、汁は無く甘い醤油がかかっているだけ。うどんは太くて箸でつまんだらポロリと切れてしまうほどの腰の無さ。

 この辺の人の味覚ってどうなってるんや! と憤ったものですが、今のぼくはあれが大好物なんです。分からなかったんですね、あの頃のぼくには。あの味を讃岐うどんと比較するだけの味覚力しか持ってなかったんです。なので、今になって赤福や御福餅を食べておけばよかったと後悔してます。

落選の恨みを山田洋行に向けてみた

2007年10月29日 | 童話
 毎日毎日「やまだようこう、やまだようこう」と、うるさいぞテレビ! オレはその会社にわだかまりがあるんや、名前も聞きたくない! 
 と今日も事務次官の証人喚問をやっていたのでチャンネルを変えました。そしたら葉書が配達されてきて「あなたの童話作品は落選しました。また来年よろしく」と「やまだようこう」から審査結果が知らされたのです。

 まったくもう、結果はずっと前に知っとるっちゅうねん。青菜にマリネみたいなことしてくれて……と、差出人をよく読んだら「やまだようほう」と書いてあるじゃないですか。何べん読み返してみても「やまだようこう」ではなく「やまだようほう」=「山田洋行」ではなく「山田養蜂」なのです。

 いえね、いくらアホなぼくでも軍需商社とハチミツ屋さんを取り違えるわけありませんよ。わざと間違えるたりなんかして現実逃避しようと図ってみただけのことです。
 ところが入選者の欄に、かつて机を並べた蛍雪のライバルの名前を発見して、きっちり落ち込みました。

 くぅ~、あのお姉ちゃん、今頃は「山田洋行」を「山田養蜂」とわざと聞き間違えて「オッホホホホ~!」なんてほくそ笑んでいるんでるのかぁ。などと落選の逆恨みのよんどころ無い怒りを、山田洋行と元防衛事務次官に向けて発散したいぼくなのです。

イチジク酒飲んで粗相の危機

2007年10月28日 | 酒、食
 もうそろそろ飲み頃かと、茶こしなんかで濾過して冷蔵庫に入れておいたイチジク酒ですが、結果から先に言うと飲めたものではありませんでした。イチジクが足りなかったので砂糖で水増ししたのが祟ったのに違いないのですが、ねっとりした舌触りの味も素っ気も無い焼酎の水割りそのものでした。

 アルコール度数はビール程度だと思うんですが、ひと口飲んでしばらくしたら酔いが回ってきました。空きっ腹にぐいっとやったせいか、変に酔いの回りが早くてキツイ感じなんです。なんだか脂汗はダラダラ、よだれもダラダラ。やっぱり口にまつわる罰が当たってしまったようです。

 もちろんイチジクの木に詣でようとはしたんですが、村の様子が変わってしまっていて、あのイチジクの木がどこにあったのやらさっぱり分からなかったんです。それで今こんな目に遭っているんでしょう、だんだんと手までが痺れてきたようにも思えます。明日の朝、ぼくの下の口が粗相をしてなかったら幸いです。

例大祭にバチが折れた不吉

2007年10月27日 | 暮らしの落とし穴
 10月27日の今日は、旧暦でいえば9月の17日に当たるんだそうです。それで、理由は分かりませんが海神社の隣にあるサブの神社の例大祭が行われました。またしても宮司さんはベロベロニ酔っ払っているのでは、との期待も虚しく全くのシラフで、肩すかしを食らわされてしまいました。

 前回同様、宮司さんが叩く太鼓の音が例大祭の始まりを告げるのですが、今宵の宮司さんはことのほか気合がみなぎっておられまして、太鼓の皮が破れやせんか? と村人が懸念する中、あろうことか片方のバチが真っ二つに折れてしまったのです。

「な、何と不吉な!」

 村人の阿鼻叫喚の声をものともせず、宮司さんは真ん中から折れたバチを空中に放り上げたかと思うと、180度回転させて折れ口の方を握り、短くなったバチで何事も無かったかのように太鼓を打ち鳴らし続けたのです。それはまるでバイオリニストの五嶋みどりを彷彿させる見事なバチさばきでした。

 さて、宮司さんの太鼓やお祈りに合わせて村人もお祈りしたわけですが、前回ぼくが誤って海神様に五穀豊穣を祈願したエラーをそそぐべく、今回は必死で海上交通の安全を祈願したのでした。
 終ってから「今回の神事にはどういった意味があるのでございましょう?」と宮司さんにお尋ねしたところ「山の神様に五穀豊穣をお祈りする祭りです」との答えが返って来ました。

 最悪です! 五穀豊穣を祈るべき場で、ぼくは海上交通の安全を祈願してしまったのです。これでは山の神様が怒ってバチを折ってしまうはずです。
 もし来年の海上交通の安全が保たれたとして、この村が未曾有の飢饉に見舞われたら、それはぼくの責任でしょうか? もう後は野となれ山となれ、煮るなり焼くなりご随意にやってくれって、全てを投げ出して言語道断の開き直りをしているぼくなのです。

イチジクの報復に苦しむ

2007年10月26日 | 酒、食
 近所の方からイチジクを頂いたのは嬉しいものの、まだ少し青い感じなのでもっと熟れるまで待とうか悩んだんですが、すぐにイチジクワインを醸してみることにしました。
 イチジク酒を漬けたことも無いし、ましてワインの醸造なんて全く初めてなのですが、そこは葡萄酒の密造で培ったノウハウがあります。

 例によって皮をむいたイチジクをつぶすところから始めるんですが、もいだ根元からしみ出てくるあの白い液体は苦手です。幼い頃に近所に生っているイチジクを盗んで食べたところ、あの白い液にやられたか、口の周りがイガイガしてからイチジクを直接食べるのは嫌になりました。で、今回頂いたのは、たぶんその木に生っていたやつなんです。

 そんな過去があるのでホイホイ喜んでイチジクワインの密造に手を染めている場合ではないのかも知れません。案の定、つぶしたイチジクは黄色っぽいものでしたし、糖分が不足しているように思えたので砂糖をどっさり放り込んでやったところ、まるで沸騰しているみたいに泡がゴボゴボと湧き、蓋を蹴破って外に溢れ出す勢いです。

 いやまったく因果応報とは恐ろしい。あのイチジクの木が数十年の時を経てなおぼくに罰を与えようとするのです。明日イチジクの木に詣でて、とりあえず供養をしてから出来上がったワインを試そうと思います。

ペットロス悲話に想う

2007年10月25日 | 暮らしの落とし穴
「介護するのにも疲れたよ。食道の癌で物が食べられへんから、医者が『プリンでも食べさせてあげたら』言うけど、スプーン持って行ったら顔をそむけるんや。それでも一生懸命に愛想を振りまこうとするねん。そんな姿を見るに忍びないから安楽死の道を選ぶべきか、それとも苦しむ姿をこの目に焼き付けて最後まで看取ってやるべきか、もうどうしたらええか分からんから、一緒に死んだろかって思うねん」

 友だちからメールがきて切実な事情は分かるんですが、いつも死ぬ死ぬと騒ぐ彼ですので、それほど心配はしてません。でもあんまり気の毒なのでこんな返事をしておきました。

「うちのオヤジの死に方やけど、院長の許しを頂いて酒を飲んで安らかに死んだよ。でも今思えば痛み止めの麻薬をどっさり処方されてたから、結果として安楽死だったんかも知れん。そりゃ家の畳の上で死なせてやれば良かったって後悔することもあるけど、どちらを選んでも、あっちにしとけば良かったか? と後悔するに違いないから、選んだ方が正解やったって思うことにしてるねん」
 
「そやけどうちの子はまだ7歳なんやで。普通のフェレットは14歳くらいまで生きるのに、なんでうちの子だけこんな目に遭わんならんねん!」

 とまあこんな切ない話が延々と続くんですが、ペットロス譚を聞く方も悲しいもんです。金魚だって1年も飼えば可愛いですから、7年間も我が子同然に暮らしてきた哺乳類なら尚のことでしょう。

 でもペットにする動物と、食いもんとして見る動物ってどこが違うんかな? 子豚を見て「かわいー! でも美味しそう」って言えるのは何でかな? そんなことを、魚の一夜干しと焼き鳥を食べながら考えるのでした。

道徳家の人権侵害

2007年10月24日 | 社会
 ここまで来るともう笑ってしまいますよ、まだ早過ぎますって知事! と言いたくなります。何がって? それは道徳家になるってことがです。

藤田知事発言に非難の声(中国新聞) - goo ニュース

 実業家でもお笑い芸人でも、職業に関係なく人生を成功裏に終えようとする御仁はたいてい道徳家になるもんです。自分が今までどれほど悪辣なことをやって他人を蹴落として成り上がったとしても、過ぎてしまえばどんなことでも美化してしまうんでしょう。生まれた町に多額の寄付して自分の銅像を建ててもらうのもこの一環でしょうか。

 この知事も大変優れた性格をなさっているに違いないと思います。自分のことを棚にあげられるほど羞恥心に拘りが無いっていう、ぼくが日ごろより目ざしながら決して到達できそうに無い高みを60歳で既に踏破しているのです。きっと銅像も二つや三つは建っていそうです。

 知事の、「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思うんでありますけれども、」っていう発言それだけを取り上げたら、ぼくだってもちろん賛同します。ですがそれに続いて、「米兵による暴行事件が起きました。誠に遺憾であり、強く抗議したい」って聞いたら、唖然となるんです。

 ぼくの住んでいる今治市は人権都市宣言をしているんだそうですが、いっぺん全国の知事を集めて人権教育して差し上げたらどうかと思うんですよ。例えば、国連に定められた世界人権宣言の第 29 条ですが、

「あなたには世の中を自分もいちばん自分らしく成長していける場所にしていくための義務があります。法律は人権を保障します。どんな人でも、ほかの人の権利や自由を尊重しなければなりません」

というのはどういう意味なのか、道徳教育と人権教育をごちゃ混ぜになさっている、広島県知事みたいな人こそ、世界人権宣言を深く理解できるようにして差し上げたいのです。 

けっこうな事ですね

2007年10月23日 | 社会
比内地鶏の偽装さらに3種類、秋田県調査で発見(読売新聞) - goo ニュース

 名古屋コーチンは知ってましたけど、比内地鶏というを知らなかったぼくですので、このニュースにコメントする資格はゼロなんですが、それでもあえて言わせてもらうなら、このニュースは相当変! 初めは赤福事件と同じだと初めは思ったんですが、良く考えてみたら「嘘つき」意外は全く背景が異なる問題ではないでしょうか。

 知り合いに、ウコッケイ、名古屋コーチン、シャモなんかを趣味で飼っていた男がいました。その人が時々ですが場末の飲み屋に卵や肉を持って来てく、みんなで頂いたんですが、正直なところその味がブロイラーと違っている、くらいしか分かりませんでした。
 ぼくだけじゃやないです。飼っている自身が、目の前に並べて食べ比べないと、両者の違いが分からないらしかったです。

 ブロイラーっていう名前からすると、古来より日本の田舎で飼われていたニワトリとは違う種類の鳥なんでしょうね。たぶん西洋ミツバチと同じで、飼うのに都合が良くて食べて美味しいからブロイラーが一般的になったわけでしょう。

 つまり地鶏は不味いから駆逐されたわけで、「地鶏=まずい」と書いて売る付加価値商売に我々消費者が自ら乗っただけのことです。しかし駆逐したのもまた我々消費者なのですから、マッチポンプも良いとこです。

 それにしても、「名古屋コーチンの本物なんてほとんど無いよ」と云われて久しいのに、今頃になってどうしてこんな問題が?って思いますが、今まで出鱈目だった流通業界にようやくメスが入ったということでしょう。こういう事件は、暴露されないと日本に未来は無いように思えるので大歓迎ですよ。

ノラ猫魂

2007年10月22日 | 社会
 この村には昔ほどノラ猫がいない、というのはうすうす感じていたけど、2か月住んで見つけたのはたったの2匹だけなんです。たぶんゴミ処理が徹底しているので猫が食っていけないし、餌を与える人そのものが少なくなったからでしょう。

 そんな風にただでさえ少ない人口なのに、今日ご近所の方が亡くなりました。90歳を超えていたなら大往生といえるかもしれませんが、この村にはまだまだバックアップが控えています。うちの母もその一人ですから他人事ではありませんが……。

 人がいなくなれば野生の動物が増えそうなもんですが、雑木林が無くなったら猫だって荒れ放題の山には住み難いのでしょうか。それともノラ猫というのは野生動物ではないのでしょうか。ぼくには分かりませんが、ずいぶん前にネットで見つけた画像をアップしてみました。

 20年前の朝日新聞などに掲載された写真で、「ニュースになった猫」という本にも掲載されています。河川敷でオジロワシをハントしようとするノラ猫の決定的瞬間だそうです。