らんかみち

童話から老話まで

障害者と呼ばれて

2007年05月31日 | 暮らしの落とし穴
「突発性難聴=突難=とつなん」については、入院前夜に調べはしたものの、身の回りの用意で精一杯だったので、多くの人が辿るだろう道のりを知って愕然としただけでした。
「治る可能性が無いとは言えないが、治るとすれば……」
 そう診断されて覚悟はしていたはずなのに、いざ多くの事例を目にする絶望的になるので、考えることをやめてしまったと言うのが、詳しく調べなかった理由の一つかも知れません。
 
 それですから、入院の結果がこれほど不調でも今更ショックはないんですが、イヤホンで聴くテレビの音が右と左でずいぶん差があり、こんなんでは到底バイオリンの音色を評価するなんて出来ないぞ! と不安に駆られるようになりました。
 
「指一本を失ったら障害者でしょ? だったら片方の聴力を失えば、あなたは立派な聴力障害者じゃないの?」
 声を失ったAさんと筆談したんですが、これには驚きました。自分が障害者と呼ばれるようになるなんて、今まで真剣に考えたことが無かったからです。
 
 労災事故で指が何本も無い人と知り合いですが、その指の千切れ方が一様でないので、何回も事故したのかな? それとも「エンコの一本で許したるヤンケ!」と、玄人衆に凄まれた末の指詰めだったのかな? と、問わず語りに聞くと「借金が払えんでな……」と言いましたから、どうやら「社会的指詰め」を実施したということのようです。
 
「でもね、金なんかいくらもらったって仕方ないでしょ?」
 声を失ったAさんの言葉には切実な響きを感じます。お金と指とは換えられないものなんです。どの指一本欠けたってピアノ、バイオリン、フルートのどれを演奏するにも支障が出ます。それは耳だって同じこと。左耳が健常ならそれで良いというものではないことが、今頃になってぼくもようやく分かってきました。

入院患者と看護婦さんの相性

2007年05月30日 | 暮らしの落とし穴
 ひと目合ったその日から~、なんて恋の始まりみたいなものを感じることがあるなら、こいつムカつくやつ! なんて場合も多々あるわけです。そういうのって相性というやつですから、理屈じゃなくて直感です。
 それと同じことが病院に入院していても当然あります。患者同士の軋轢みたいなものは今のところ無く、ぼくにとって目下の最重要関心事は、点滴してくれる看護師さんとの相性です。
 
 残念ですが、この病院で初めて採血されたとき「え? この人に針刺されるの!」と、震え上がりました。絶対にいやや! と思っても相手を選り好みできませんから、腹をくくりました。
 案の定「動脈刺したらえらいことになるな、アカン、血管が逃げていく!」などと口走りながら、何回も針を刺し直さないといけませんでした。これも相性なんです。腕前じゃないんです。ぼくの腰が引けているから上手くいかないのです。
 
 入院してから既に4回の点滴で、ぼくの両腕にはでっかい青あざが3箇所も出来てますが、それを見て、今日お見舞いに来てくれたテル爺と奈美さんが思いっきり笑わらってくれました。
 奈美さんが「あんた、やっぱり注射違反やってたんや!」と、ぼくをシャブ中扱いしてくれます。ちゃうって! 点滴液が漏れてるんやって。
 
 今朝も3回やり直して担当の看護婦さんが諦め、メンバー交代となったのですが、代わった看護婦さんは顔を見ただけでGOOD! と分かりました。これも相性なんです、勝手に血管が浮き出てきて、血管が針から逃げ回ったりしないんですね。点滴の跡が残ってないのは今日だけです。
 
 聴力検査とは依然として相性が悪くて、ちっとも聴力は回復していませんが、「とりあえずこのまま続けてみましょう」と、ドクターに言われました。それはいいけど、恥ずかしい跡が残らないような点滴は、また痛くも無いです。そこんとこよろしく。

点滴の内訳
◆SD3A(200cc)生理食塩水
◆アデホスコーワ
◆ナイクリン
◆ネオラミン3B
◆リンデロン(3)
◆メチコバール

海鳴りも、耳鳴りも聴こえなくなってこそ

2007年05月29日 | 暮らしの落とし穴
 病院の食事って、たいていの人は「味気ない、早過ぎる」を主張されますが、ぼくの今までの少ない入院経験ではそんなに不味いと思ったことありません。ですがこの病院の食事にだけは苦言を呈したいです。
 
 昨日の栄養士さんにも言いました。いくら外注しているからといって、食材に対する尊厳の気持ちに欠けた調理をするたーどういう了見でぇ! 味付けのセンスもさることながら、人間が食べるものと思って作ってくれてるんすか? と。
 
 こんな話を童話仲間の令夫人がたに読まれでもしたら「まあHALさん、なんて気の毒な、うちの犬が食べ残した和牛霜降りのステーキでも差し入れしようかしら?」なんて哀れまれても困りますが、断食道場の食事が今は料亭の味に思えてきます。
 
 耳鳴りは相変わらずですが、月末の童話公募に向けた作品を書かねばなりません。これを書き上げなかったらお師匠さまの檄に耳鳴りが加速するのは必定。などと考えながら病棟の談話室でカチャカチャとキーを打っていたら、そこにお師匠さまの姿が!
 
 いや、驚いたの何の! まさか本当に来られるとは思ってもみませんでした。しかも手土産などまで頂き、恐れ入りながら、とりあえずの完成を見た作品を評していただきますと、たった一言。
「頭から書き直しですね、これでは5枚童話の書き方を一から叩き込まねば……」
 このお言葉に、ぼくのニィニィゼミだった耳鳴りは、アブラゼミ、クマゼミへとグレードアップを重ね、ついにはジェット機になりました。
 
 しかしですよ、どこの世に弟子の入院先まで出かけて教鞭を取って下さるお師匠さまがおられるでしょうか? 金のわらじを履いて探したってそうそう見つかるものではありません。なのでこのご恩にむくいねば、と思えば思うほどジェット機が……。
 とはいえ、ものを書いて集中していると耳鳴りが消えることもあるんです。耳鳴りに慣れたといえばそうかも知れませんが、それも一つの手かもしれません。
 
 高知を遍路していて、真っ暗な雨の中を40kmほど歩いて遅く着いた民宿(後に民主党の菅さんが泊まられた)でのこと。朝ご飯をいただきながら、奥さんに気遣われました。
「夕べの海鳴りはひどかったでしょう、眠れなかったのでは?」
「いえ、疲れてビール飲んだらぐっすり眠れましたが、奥さんは眠れなかったんですか?」
「いいえ、我々には海鳴りは聴こえんがです」
 そう答えられ、そんなもんなんだ、人間の適応力ってすごい! と感心したことがあります。
 ぼくの耳鳴りも、海鳴りのようなものと受け入れることが出来るようになって、初めて完治したといえるのでしょうか。もっともそのころには、耳鳴りも海鳴りも聴こえんがでしょうけど。
 
◆昨日と全く同じ投薬治療。今日は手術日なのでお昼に診察があり、30秒で終りました。

点滴の空気が血管に!

2007年05月28日 | 暮らしの落とし穴
「HALさん注射しますね~」
 詰め所での申し送りが済んだ雰囲気があってしばらくすると、初めて見る看護婦さんが来て言いました。
「え、注射? 血管の浮き出る注射ですか?」
 看護婦さんの顔に戸惑いの色が見えました。一瞬は患者を取り違えたかなって思ったでしょうか。
 
 ここの病院は最先端のシステムが導入されているわけではないので、安全確認のために、ぼくの手のベルトで氏名と生年月日を確認してから点滴を始めますが、これくらいの規模の病院ならもうすでにQRコードを用いた監査システムが導入されていても良いはずなんですが。
 
「そのシステムは、まだこの病院にはひとつのフロアだけで試験的に実施されているだけなんですよ」
 看護婦さんが緊張しているのではなく、血管が細くて浮き出難いぼくのほうがきんちょうするので、ぼくの言葉は針を刺し込まれる前のモラトリアムみたいなものです。少しでも針の痛みを遅らせたいのです。
 
 針は順調に入りましたし、追加の赤い注射液もニンニクの匂いと共に流れ込んで来ました。看護婦さんが行ってしまい、体を横たえようとして何気なく点滴のチューブを見ますと、なんと! 3cmほどの空気層が血管内に送り込まれようとしているところではありませんか。
「あ、アカンやんけ!」
 とっさにチューブをつまんだんですが、無情にも空気は止ってくれませんでした。
 
 ベッドに横たわり、もうそろそろ走馬灯が見えてくるのかな、と観念しておりましたが何事も起きる様子はありません。その間にも一定の間隔で点滴液がポタリポタリと落ちてくるのを見つめながら感じます。
「ああ、この一滴一滴が鼓膜に沁みる。ぼくの乾き切ってアルミ箔のようにガシャガシャ鳴っている鼓膜を、この一滴一滴が元のしっとりたおやかな鼓膜に戻してくれている……」

 そんな想いと言うよりも「治るんだ、治るんだ、絶対に治るんだ」と、自身に暗示をかけながら、この苦行のような点滴が少しでも早く終るのを願っているんです。
 でもぼくなんかまだましで、お隣さんはぼくより早く点滴を始めたのに針を入れることが出来たのは、ぼくの点滴が半ばまで落ちたころでした。
 
 治る当ての無い治療。無駄な努力と知りながら受け入れるぼくを励ます言葉を看護婦さんは持たないかのようです。
 それはしかしナースステーションから離れたこの部屋での、まだしもささやかな試みであって、詰め所の前の部屋ではモーツァルトのBGMの下、もっと空しい努力が続けられているのです。だれにも聴こえないけれど、だれの胸にも響く沈鬱な通奏低音がこのフロアには流れ続けているかのようです。
 
 それにしても点滴の空気って本当のところどれくらい入ったらまずいんでしょうかね?
「3cm入ったら危ないですね」
 昨日点滴してくれた看護婦さんはそうおっしゃいましたが、ある看護婦さんは1mと言ってました。それと、栄養士さんだかが来られて「お食事どうですか?」と聞かれましたが、それについてはまた明日。
 
◆メチコバール 500μg 静注追加
◆診察:聴力検査の結果を参考にしながら投薬を変えてみましょう
◆聴力検査:左は正常 右は高音域で70db 最初の検査と何ら変わりなし
 

音を失うぼくと、声を失った彼

2007年05月27日 | 暮らしの落とし穴
 突発性難聴で昨日の朝10時半に入院したんですが、五人部屋に通され、こりゃとんでもないフロアだなと緊張しました。というのは、このフロアは耳鼻科というより「頭頸部外科」のフロアだったからでした。これを書いている日曜日の夕方も、同部屋のお向かいの親父さんに面会が来て「癌や言われて落ち込んで、放射線と抗がん剤治療が……」なんて話してます。
 
 ぼく以外は、というかぼくもまだ分かりませんが、皆さん癌で手術したか、とても手術が出来ないので放射線治療を受けている状態の方です。斜め向かいのAさんは既に手術が成功したみたいですが、経口では食事が摂れないようです。
 初めてこの部屋に入ったとき、看護婦さんが入れ替わり立ち代り60歳くらいのAさんのベッドにたずねてきて長話をして帰っていくのが不思議でした。
 
「Aさん調子はどうですか?」
 Aさんはそれには答えませんが、看護婦さんは次々に質問を変えます。
「わたし彼氏にふられてん、そやからやせて見返したるネン」
「… … … …」
「わたしとAさんとってこと?」
「… … … …」
 …の部分はAさんの言葉ですが、音にしたら「コココ、コココ」となります。
「それAさんが先に死ぬってこと? それ担当のわたしが困るわ!」
「          !」
 看護婦さんは努めて平静を装い、死ぬのをタブーにしてませんよ、といったみたいにフォルテッシで答えましたが、Aさんの「コココ」は聞こえません。
 
 ぼくなんて文字通りつんぼさじきにされてるのに、恋人気分で看護婦さんが相手してくれるAさんが羨ましいく、まるで会話の相手が見えない電話で話しているようなじれったさに思わず聞き耳を立ててしまうぼくですが「コココ」の部分は筆談用のプレートにペンが走る音で、「 !」の部分はAさんが音の無い声を立てて笑った部分です。
 
 部屋は清潔で明るいですがこのフロアもこの部屋の空気も重く、いたたまれない思いで入院早々に昼すぎ出許可をもらい、Tシャツ、ジーンズ、リュックといったいでたちで玄関に立ちました。金曜日の雨がウソのように晴れ上がっています。
「どうぞお渡りください」
 警備員さんが赤のライトサーベルで車を制し、ぼくを渡らせてから続けました。
「ご退院、おめでとうございます!」
 あの部屋から抜け出せて、さぞすがすがしい表情をしていたので誤解されたのでしょうか、ぼくは彼の言葉に、
「今朝入院したばっかりやねん、これ見てよ」
と答え、左手に巻かれた認識タグを見せ、満面の笑みを作って彼のエラーを帳消にしてあげました。

 病院に戻ってうろうろしていたら耳鼻科外来の看護婦さんに呼び止められました。
「何でこんな時間にこんなとこ歩いてるの? 10時半に入院したはずじゃ……」
「ご心配なく、ちゃんと入院してますよ~」
 どうやら入院患者の正装というのはパジャマのようで、病室に帰ってくると、こんどはぼく担当の看護婦さんがじっとぼくを見詰めて「?」という顔をして、「パジャマ着てるからや」と言い訳をしました。
 
 毎日することといったら……
◆リンデロンの入ったアリナミン臭い点滴を200cc
◆メチコバール錠 500μg
◆トリノシン腸溶剤 20mg
◆ローザグッド錠 50単位
◆ガストローム顆粒

 治療は何もしません。薬物療法と聴力検査だけです
 特に治療計画みたいなものもありませんし、服薬指導もありません
 過去に回復したことがある投薬処方を踏襲するだけなのです。

突難の治療が始まりました

2007年05月26日 | 暮らしの落とし穴
 男ばかりの40人学級にたった一人の女の子がいたなら、それがたとえ上沼恵美子さんであってもそれなりにかわいらしく見えるでしょう。チリメン雑魚の中にたった一匹でも異形の魚が紛れ込んでいるのもその状況と似て素敵じゃないですか。そんなのが大好きで、わざわざ変なやつが混入しているのを買うんですが、うどんを注文して、中に一本の蕎麦が紛れ込んでいるというシチュエーションもまた心に迫るものがあります。なんだか得した気分になるんです。
 
 朝ごはんにうどんを作ろうと、冷凍室からストックを取り出しました。自分で打ったあと約150gに分けて保存しているんですが、残っていたのはなぜか100gを切る量しかありません。いくらなんでも少なすぎるので、どうしようか考えてひらめきました。そばも一緒にゆでたらいいんです。
 なんでこんな素敵なアイデアを今まで思いつかなかったんでしょう。うどんは夏向けに細めに切ってますから、ゆで時間はおよそ6分。その最後の1分でそばをゆでたらいいのです。
 
 果たして目論見は上手くいきました。うどんのゆで汁に含まれる塩分にも影響されず、そばも立派にゆであがったのです。トッピングは、きざみアゲ、ワカメ、ネギ、玉子、紅しょうが、揚げ玉、そして七味で仕上げました。「う・蕎麦」の完成です。
 
 うどんの中に蕎麦が紛れているのではなく、蕎麦の中にうどんが取り残されたのでもなく、言うなればうどんと蕎麦のコラボレーションなのですから。それぞれが個性を発揮し、さぞや素晴らしい味になるだろうと食ったんですが、まず~!
 それぞれの個性は互いに反目し、戦いを繰り広げ、挙句の果てに両者共倒れといった無残な食い物に変化しておりました。
 
 世間には「う・蕎麦」なんていうメニューが存在しないことを考えたらわかりそうなもんですが、自分でやってみて失敗するまで気がつかなかったんですから愚かです。
 入院という門出の朝に犯したとんでもないミスに、前途の多難を予感します。
 点滴と5種類の薬物治療が始まりました。

突発性難聴と診断され……

2007年05月25日 | 暮らしの落とし穴
 耳鼻科医院からの紹介状を携えて総合病院の門をくぐる前に、コンビニで水とおにぎり一個を買いました。左脇に傘を差しながらペットボトルの栓を開け、右手で飲みながら左手と口でおにぎりを開封しようとしたのですが、すれ違った女性に笑われました。よほど不恰好なんだな、と両手で三角の頂点を引っ張っろうとして、ポロリ! 
 
 濡れた地面に転がったおにぎりを呆然とながめ、恥を恐れずこれを拾い上げて食うべきか、それとも何事も無かった振りをして通り過ぎ、空きっ腹を託つのか、しばし熟考を重ねましたが、幸いにも開封された面が上であることが確認でき、あたりをはばかるように拾い上げて食いました。
 
 そういえば「このごろ良く物を落とす」と言われたことがあり、自分でもそう感じていて、フルートを吹いても指の回りが悪いと感じるし、こりゃやっぱり脳神経のどこかに障害があるんだな、総合病院でMRI検査なんかしたらきっと答えが見つかるに違いない、と期待したものの、みごとに裏切られました。

「突発性難聴ですね。入院してステロイド治療をしましょう」
 先生は紹介状を読んだだけでそう診断を下しました。
「入院って、いつからでしょう?」
「今からです」
「そりゃいくらなんでも性急ですね!」
「この病気、治せるとしたら、あと1週間がラストチャンスですよ。逃したいですか?」
 ラストチャンスと言われたら否も応ありません。アメリカに渡った桑田選手の心境に思いを馳せ、明日から入院することになりました。
 
「突発性難聴=とつなん」と呼ぶらしです。ウィルス説、ストレス説、いろいろ言われているようですが、原因不明で治療法の確立していない難病らしいです。
 発症してひと月が過ぎると回復率は極端に下がるらしいですが、実はぼくの場合はもうそれを過ぎてしまっているんです。
「10日の入院治療で治らなかったら……。そのときはまた相談しましょう」
 どうやら10日で治らなかったら諦めてくれと言わんばかの、その先生の表情にぼくは全てを理解しました。 

「神は人に、一つの口と二つの耳を与えた。それゆえ人は、話す倍の言葉を聞かねばならぬ」
 確か紀元前のギリシャ哲人の言葉だと思いますが、これからは聞くのが半分になるかもしれないので、そうなったらしゃべるのを倍にしようと思います。
 

抜け人宣言のおとしまえ

2007年05月24日 | 童話
 耳鳴りに加え、頭の中にモーツァルトのアリアが鳴り響くようになったことと、本日の童話教室とはあまり連関はなさそうに思えます。おそらくこれは春から初夏にかけてこの地方に吹く適度な風のせいかもしれません。この場合、適度とはウィンドサーフィン向きの風という意味です。
 
 もう十年よりもっと前のことになりますが、趣味だったウィンドサーフィンのビーチへ行くのにユーロビートを聴き、帰りはモーツァルトのオペラを聴きながら運転したもので、初夏の草むらの匂いなんかを嗅ぐとあのころの記が憶蘇ってきます。でもそれは昨日ウィンドサーフィン関係の雑誌をちり紙交換に出したのと無関係ではないのかもしれません。
 
 いくら雑誌を読み終わったからといってすぐに捨ててしまうタイプじゃないんですが、パソコン関係とウィンドサーフィン関係の雑誌だけは取って置かなくてもいいんじゃないかと思うようになりました。前者はすぐに古くなるし、後者は読むところが無いからです。
 
 そういうわけで、つまりウィンドサーフィンへの郷愁にも似た未練がぼくの頭を支配して、それがモーツァルトというカタルシスを求めた結果のアリアだといえるでしょう。それが証拠に、童話教室に赴いた足でたまたま寄った本屋に、「魅惑のオペラ#01フィガロの結婚(3580円」というDVDBOOKを見つけて衝動買いしてしまったんです。
 
 童話教室は惨憺たる目に遭わされました。といっても虐められたのではありません。「抜け人」宣言をしたので、お客さま扱いに似た、場違いな所に来ている疎外感に圧倒されるように感じたのです。ですがそれは皆様のありようではなく、ぼくの未練のなせる業に違いないのです。
 
 韓国人の「恨(ハン」という感情について以前書いたことがありますが、「心がそこにとどまる」という意味でなら、今のぼくは「恨」に隷属した、憑かれた状態であるといえるのでしょう。それは童話教室に限ったことではなく、場末の飲み屋においても同じことがいえます。

 誰かから何かをしてもらって別れたいとは思いません。ただ、お世話になったお返しに何かぼくにできることは無いのかなって思うだけですが、特に何もできそうにありません。場末には蕎麦でも打って行けるくらいだし、童話仲間にはお別れの笛でも吹けるくらいのものでしょう。
 
 そう考えながら、来週から始まるフルートレッスンを見すえて楽譜を整理していたら、モーツァルトの楽譜がワサワサ出てきました。それらはバイオリンソナタ、ピアノコンチェルトなどなどです。
 モーツァルトはフルート曲をほとんど作曲しなかったので、オペラやらなんやらをアレンジして楽しむしかありません。そうやって今まできたんですが、この作業がまた楽しみでもあるともいえます。それをフルートで皆さんに伝えられたらいいな。

エッセイに応募した直後の後悔

2007年05月23日 | 童話
 他人さまのブログは滅多に読まないんですが、時どき何かを探していて、とても上質なエッセイを書いておられる奥さんの日記に出会うことがあり、この人エッセイスト? と思わずリンクしたくなったこともあります。
 また毎日のように爆笑させてくれる若い男性のブログなんかに出会うことがありあます。そういうサイトはたいてい1日に数千とか数万とかのアクセスがあって、アフィリエイトの収入が結構あるらしいです。
 
 しかしそういう面白いのもはじめのうちだけで、何度か読むと飽きてしまいます。それでしばらく読まずにいて、思い出したように例の奥さんのブログ訪ねてみたんですが、エッセイストのような上手な文章は相変わらずでも、なんだか「あざとい!」って感じました。
 これはどうしてだろうとよく読んでみて、その奥さんの日記はどうやら「下ネタを愛という言葉にすり替えただけ」で保たれた人気であるとわかりました。文章が上手いのでぼくが見抜けなかっただけなんです。それが最近、露骨なことを書れるようになり、ようやく分かった次第です。がっかりしました。

 ぼくも日々書く日記が金換わったら良いなとは思うんですが、アクセス数をアップさせるには文章力はもちろん、それなりの努力が必要ですし、なんといってもぼくには下ネタがありません。
 なので細々と過去の日記をリメイクして公募に投稿するんですが、今回のはたった2枚のエッセイなのに5日間も費やしてしまいました。
 
 文章って直し始めたらキリがありません。日記は振り返って直すことはしませんけど、800字という公募の制約の中では、句読点一つでレイアウトが変わってしまって、文意まで変わってしまいそうで神経を使います。
 そりゃあ単に入選を目ざすだけなら適当なところで妥協すればいいんでしょうが、佳作、優秀賞、といただいたなら、だれだって次は最優秀賞が欲しくなりません? 今のぼくもそういう状況なんです。
 
 ですが、こんなのに手をかけていたら童話のほうがおろそかになってしまいます。なので月末の締め切りまで待たずして見切り発車してしまいました。ところがメールの「送信」をクリックした直後に、しまったー! と気がついてしまったんです。それは細かい部分の誤りでしたが、非常に悔いが残ります。
 窓口が広く賞金の安い公募なので入選にはとどくと思いますが、う~ん……。いや、送ってしまったもの覆水に過ぎずません。次の童話公募に向けて集中するのみです。
 

保健所の検査が入りました

2007年05月22日 | 酒、食
 ついに場末の飲み屋に保健所の改善指導が入りました。食中毒を発生させたわけでもないのに不思議ですが、言うまでもなくタレコミでした。

「ちょっと通報がありまして、検査させていただいてよろしいでしょうか?」
「通報って、ひょっとして、バカ男からですか?」
「そうです、そのバカ男からの通報です」
 そんなやり取りがあったらしく、次回の検査までに指摘点を改善するように指導を受けたらしいのですが、それで今夜の場末は荒れました。
 
「なんぼ出入り禁止になったから言うて、密告するなんて最低の人間や!」
 と、気炎を上げる客がうるさくてますます難聴に拍車をかけられたぼくですが、こういう威勢のいいことをいう人に限って、当人を前に物を言えないのです。それはいいんです、だれもそういう人を男らしいと言う人はいません。聞いてないんです。
 
 確かにバカ男は屑です。出入り禁止のはらいせでお上に願い出たなんて、やくざが人としての権利を侵害された、と訴えるのに似ています。アウトローが切羽詰って法律に頼るみたいな情けないざまです。やくざなら暴力に訴えるべきだし、バカはバカなりの手を使うべきではありませんか。バカの風上にも置けない屑です。
 
 とまあ、バカの人格を全否定するぼくですが、良くぞやってくれた! と、内心では喝采を送るんです。
 改善命令はこの20年間というもの客が出し続けていたのに、それをことごとく無視し続けて、小蝿の舞う中、臭いグラスを出すマスターに天誅が下ったのですから、遅すぎたくらいです。
 
「で、マスター、明日から休むかい?」
「いや、こうなったら意地でも見せ開け続けたるねん!」
 再検査が入るのは2週間後らしいですが、明日から3ヶ月は閉店する、とぼくはみました!