らんかみち

童話から老話まで

備えあってお客無し

2012年02月29日 | 酒、食
 朝から雨がしとしと。こんな日にわざわざ蕎麦を食いに来られる御仁もいないだろうから蕎麦汁を仕込んでおくか、と思いつつ手打ちうどんを打ってしまった。NPOのメンバーに地元の製麺業者がいるので、「手打ちにしてみれば」と粉をいただいたのだ。
 店頭で売られている彼のうどんは、良くあるゆで麺。白くて柔らかくて、15秒ほどの湯通しで食べられる、あれ。その粉を手打ちしたらどうなるのか疑問に思っていたが、やってみたらクリーム色っぽくてコシのある、普通の手打ちうどんに仕上がった、なぜだっ!

 打ったうどんは賄いのため、「そのまま・かけ」にしてみた。少人数だと、わざわざ水で締めてコシを出し、再び湯通しすることに意義を見いだせないからだ。
 うどんの太さと粉ではスパゲッティのようなアルデンテにするのが難しいので、讃岐風の生煮え感を残すのもためらわれる。まあ、これはこれで「手打ちうどんあります」とメニューに、あれれ、既にメニューに書かれているじゃないか、なぜだっ!

 早めの食事をとってから、初心を思い出して蕎麦汁を仕込もうとした矢先、「また来たよ~」と、昨日の6人衆が現れるではないか、甘く見ていた。
「今日はぁ、かけ蕎麦定食でもいただくか」って、そんなメニューはどこにもないぞ。
 損長そばの尊厳を貶めてまでお客に媚びたくはない、がしかし相手はご祝儀で来て下さっている。損長そばと盛り蕎麦の両輪で走りたいのをグッと堪え、「かけそば6人前、お待ち遠さまぁ~」。

 メニューにないこともあって、他のメンバーさんも仕込みなんてしていない。ぼくも彼女たちも降って沸いたオーダーにパニクりながら、賄い用のアジフライとヒジキの煮たのなどで定食完成。お代は? 上得意様向け今回のみ出血大サービスのワンコインなり~。
 痛い目に遭ったので、夕方まで気合いを入れて蕎麦汁を仕込んだ。これで備えあれば憂い無し、っていうか、備えあってお客なし、だったらやってられんのぅ。

本日の営業事情

2012年02月28日 | 酒、食
 お昼のメロディーチャイムが鳴り響くや、「蕎麦を下さい」と2グループ7名の方が来店された。予約は1グループ3名様だったので慌てる慌てる。何がって、熱盛り蕎麦用の皿と蕎麦汁の徳利や蕎麦湯の徳利が、たった6セットしか用意できてないのだ。
 冷たい盛り蕎麦を1人でも注文してくれたら間に合うのに、熱盛り(仮に損長そば)の口コミが広まっているのか、比較的暖かい日だというのに全員が損長そばだった。

 蕎麦文化に馴染みの薄い土地柄なので、スタッフも損長そばの食べ方を良く理解できていなかったようだ。蕎麦つゆを蕎麦の茹で汁で割って飲むなど考えたこともない、というスタッフだということを知らなかったぼくに問題があるのはいうまでもないが、お客さんに蕎麦汁と間違えて蕎麦湯を出してしまった。
 先に蕎麦を食べたお客さんからは、「蕎麦湯を待っていたのに来なかった」と苦情をいわれるし、蕎麦湯を椀に注いだお客さんは「白い蕎麦汁が出た!」と驚くしで、申し訳もございません。

 今さら言い訳しても後出しじゃんけんで負けなのだが、蕎麦湯の器も何もかも自分で焼くつもりだった。それができなかったどころか、客が本当に来るかどうか半信半疑だったのだから、バカバカバカ!
 厨房というか、蕎麦をゆでて盛りつけるスペースから客席までが遠く、お客さんがどういう状況にあるのか、ぼくから見えないというのもいかん。そもそも純粋な蕎麦屋じゃないといえばそうだが、う~ん、何とかしないと……。

戦争と同じで祭りも終わらせるのは至難である

2012年02月27日 | 暮らしの落とし穴
 牛なのに(うま)と読んで、じゃあそれは一体どんな動物なのかといえば、やっぱり馬のことらしい。牛のことは丑と書いてウシ。馬と書いてウシとは決して読まないのが、いったいどういう了見かさっぱり分からない本日は、旧暦2月6日(牛=うま)の日。

 1週間ほど前から母が「お稲荷さんの当番が当たっておる」と騒いでいたが、どうやら如月最初の午の日を初午(はつうま)と呼んで、稲荷大明神の祭祀が行われるという。村でこれを知らなかったのはぼくだけらしく、しかもお稲荷さんがキツネの神さまだと思っていたのもぼくだけだった。

 稲荷大明神というのは仏教でいう荼枳尼天(だきにてん)で、白いキツネに乗った天女の姿で表されるという。ヒンドゥー教でいうなら半女神であるらしい。
 なるほど、フェラーリのエンブレムが跳ね馬であるみたいに、お稲荷さんのトレードマークは白キツネというわけか。



 宮司さんに来ていただき、祝詞をあげてもらったら、お供え物を下さっている方々全員にお下がりを均等に分ける。今はその程度でも、子どものころにはお菓子がもらえるというので稲荷神社の前にこぞったというが、覚えてないな~。そういった習わしの名残として、子どものいる家にもお下がりを届けたるする。



 かつて重要な意味を持っていた儀式、風習というものが今や形骸化し、高齢者たちの手によって惰性で運営されている。伏見稲荷大社にあやかって始めた行事も、止められないから細々と続けられている。止めたら寂しいだけでなく、罰が当たりそうで怖い。
 誰かが「今年で止めにしよう」といってしまえば肩の荷を下ろせるはずだが、「伝統行事を廃止に追いやった損長」というような後ろ指を、ぼくだって指されたくはない。戦争と同じで、始めるのは容易いが終わらせるのは難しいのだ。他の祭りと同じように、自然消滅に委ねるしかないのだろう。


乾杯はノンアルビールで

2012年02月26日 | 酒、食
 飲み会をやって宴たけなわのころ「オレにもビールくれ」と酔っ払いがぼくのビールを指さす。注いでやったら「大した味でもないな」という。ふむふむ、酔っ払いはこんなのを飲ませておけばいいのか、と納得。それはビールではなく、ウィスキーの口直しに飲むチェイサーの代わりにしていたノンアルビールだったのだ。

 韓国ビールより国産ノンアルビールの方が値が高いので、わざわざノンアルを買う理由が見当たらなかったが、空きっ腹に飲んだらアルコールフリーなのにふわっと眠くなる。香りがビールにそっくりなので、パブロフの犬状態になっているんじゃなかろうか。

 ということは、少ないアルコールで酔っ払った気分になれる、あるいは、いきなり高アルコールの飲料を飲んで悪酔いするというのを回避できるんじゃないか。そんな目論見で始めたノンアルスタートだが、思ったよりキクぅ~!
 今日は早朝から夕方まで水分以外のものを摂取するチャンスがなかったので、ことのほか効果的だったのかも……。

親の七光り蕎麦って印象か

2012年02月25日 | 酒、食
「今から八名で蕎麦を食べに行きます……えーっ! 今日は蕎麦がないのぅ?」というやりとりは、まことに申し訳ないけど、ぼくだけが店に出ているわけじゃないから仕方ない。今日はカレーの日だと答えたら、「蕎麦がある日に連絡を下さい」だって。

 いや、今日だって蕎麦を出せないことはないのだが、蕎麦が売れるせいでカレーが売れないでは困る。そもそもカレーは若い一見さん向けで、蕎麦は地元のおじさんおばさん向けという暗黙の棲み分けはしているのだが、メンバーに色々と気をつかう。

 今の状況から察すると、物珍しさと祝儀で来てくれている方ばかり。ぼくの実力で蕎麦が求められているわけではない。それどころか、汁と蕎麦のマッチングを探して試行錯誤を繰り返している段階なのだ。

 それでも「普通に美味しい!」といってもらえるのは、それなりの工夫をしていることもあるが、ボランティアで蕎麦を栽培したという物語を皆さんが知っているから。いってみれば親の七光りでぼくの蕎麦を食べてもらっているってところか……。

初めてのお客様は、地球人じゃなかった

2012年02月24日 | 暮らしの落とし穴
 開店しているように見えるからと、お客さんがのぞいたら電動のこぎりが回っていたりする。しかし「営業中」とあるからには何かやっているのだろう、といったように実にケジメのつかない我々の店舗である。
 しかし自転車がパンクしたお客さんは藁にもすがりたかったに違いない、営業中であろうがなかろうが入ってこられた。が、それは地球人ではなかった。

 ダースベイダーが「シュコー、シュコー」と息をしながら自転車を押して来て、「パンク修理をしろ、フォースを使え」とか宣うので、自転車の担当者を呼び出した。彼はすぐに来たが、チューブを買いに行ったりして何やらものすごく難渋している。それを知りながら、ぼくの方は蕎麦のお客さんが来たので、熱盛り蕎麦をせっせとゆでなくてはならず助け船を出せなかった。
 後で聞いたら、ダースベイダーが乗って来たのは、フランス式虫ゴムの自転車だったらしい。以前「最近のおしゃれな自転車はフレンチバルブが多いと思うよ」と助言しておいたのだが、間に合わなかったか。



 ところで写真の奇っ怪な連中は、ダースベイダーが呼び寄せた仲間だ。この統一感を欠いた一団について、アニメファンなら何に準拠しているのか一目なのだろうが、ぼくは黒光りのする奴しか分からなかった。特に女装している彼の本歌取りなど、追求するのも憚られるよな気がして……。
 それはともかく、屈託のない楽しい連中だった。いやひょっとして、屈託の限界を超えた結果がこのいでたちだろうか。

 こういう連中が大挙して島に押し寄せるようなら、煩悩や屈託の多寡などの障害を差し引いてもおつりが来る。島おこしなど造作もないことだ、この辺りを深く研究する必要があるのだろうね、ガッチャマン?
 ぼくは訳あってモザイクをかけさせてもらったが、扮装をしている彼らにその必要は無かろう。道ばたで屯していたら交通事故の要因になりそうな連中を野放しにすることの是非はともかく、「京都大学の大学院生」を名乗っていた彼らに託す日本の未来は明るく楽しいのか、あるいはそうでないのか……。

先づ隗より始めよ、の戒めで結婚支援

2012年02月23日 | 男と女
「愛媛県には『愛』がある。だから愛結びしましょう」と、えひめ結婚支援センターさんがおっしゃるので、携帯からメルマガ登録した。
 登録したからといって、希望する相手をコンピュータで探してくれるというシステムではない。例えば仮に、パステル画を学びながら素敵なお店でスイーツをいただく、といったような出会いのイベント情報などが2日に1度くらいのペースで紹介されるという。

 県の政策として、少子化対策と地域活性化を標榜しての出会い系パーティーで、我々はイベントを主催する側なのだ。従来は民間で行われてきた、「生命保険に入ってくれたらお見合いパーティーに招待します」みたいな事業を県がするということだろうか。

 過疎化に歯止めをかけたい我々に、こういった催しを断る理由は無い。イベントを立ち上げるプロセスが活性化につながると信じているし、カップルが成立して島で暮らしてくれたらなによりだ。

 で、なぜぼくがメルマガ登録したかというと、一組も成立しなかったときの滑り止めではない。我が身のこととして皆様に奉仕させていただく、そんな意気込みで取り組む、ということ。先づ隗より始めよ、である……。

壁画の神さま

2012年02月22日 | 暮らしの落とし穴


 この絵描きさん、もしかしたら天才ちゃうか……と思える瞬間が、とんぼ先生にはある。この絵は漫画といえばそうともいえるから、全ての漫画家がそうなのかもしれないけど、頭の中で下描きを済ませたら後は勝手に手が動いて出来上がるらしい。ぼくなんか他人の絵をトレースしても、ろくなモノにならんってのに。

 ぼくがバイオリンを習っていた先生はカラオケの先生でもあったから、歌が上手なだけでなくピアノも達者だった。いつものように教室に入ると、「あれ、バイオリンをやめたんですか」と先生はいぶかった。バイオリンを持っていなかったからだ。
「いえ、今日は息抜きにフルートをやってみようと思いまして」といったら、よっしゃ来たぁ、受けて立ったろうやないけ!

 ショパンのピアノ小品、シンプルな曲の右手の旋律をフルートでぼくが吹き、左手のパートを先生に伴奏させるつもりだったが、先生は両手を使い譜面とは全く異なる伴奏をして下さった。そのときの演奏MDが残っていて、今聴いてもなかなかの伴奏だと思う。

 その後ほかのバイオリニストやピアニストにも師事した。聴いたことのない曲の伴奏を初見で弾きこなしたピアニスト、演奏会の1週間前から曲を覚え初め、こんなことで間に合うわけないだろうと思っていたのに、本番では暗譜で完璧に弾きこなしたバイオリニスト。
 それぞれに優れた演奏家と付き合ったが、即興で伴奏ができる演奏家は最初の先生の他にいなかった。

 最初の先生は作曲家でもあったから即興演奏はお得意だったのだが、種明かしをすると、カラオケ先生の多くは旋律譜だけで適当な伴奏ができるらしい。歌も下手だし、絵もまるっきりダメなぼくだから、とんぼ先生を神格化してしまいがちだが本当のところはどうなんだろう。
 素晴らしい絵を描く人は何人か知っているが、顧客の注文を受け入れながら具体化できる絵描きさんは他に知らない。しかもこれ、材料費から何から、全て無料で描いて下さっているのだ。も、ほとんど神っ!

根曲がり御膳とか

2012年02月21日 | 酒、食
 信州の晩春を堪能できる食材として、ネマガリダケ(千島笹の子)というのがあるそうだ。これが店頭に並ぶころには、サバの水煮缶詰も横に山積みとなるらしい。ネマガリダケを食べたことはないが、見た目は曲がった細いタケノコという印象なので、細竹と味が似ているのだろうか。

 ネマガリダケの季節になると、信州人はこぞってサバ缶とともに買い求め、信州味噌で煮込むそうだ。ならばサバの味噌煮缶詰と細竹で代用できるのではないかと、料理の名前も知らないまま去年作ってみた。だけどサバ缶だけを食べた方が美味いと思った。

 たまたまサバ味噌缶と細竹の水煮があったので、今宵の肴に☆☆煮を作ってみた。前回の轍を踏まぬよう、塩糀と麦赤味噌を酒で溶いてサバ味噌煮の軟弱な味を引き締める。シメジとエノキをネマガリタケのお供に酒が飛ぶまで煮たら、一味など控えめにふりかけてみる。
 さて味の方は……フムフム、見てくれはブログの飾りにもならんが、赤味噌と塩糀がマッチングして昨年とは一線を画した華やかさがある。これならサバ水煮で再挑戦する価値がありそうだ。

 あとは冷凍のネマガリダケでも入手できれば完結するはずだが、そもそもこの料理の名前は何というのだろう。見てくれをトッピングで粧い、インパクトのある名称を与えるなら、にわかグルメをたぶらかして町おこしに寄与させることも不可能ではないだろう。それとも、ぼくたちでパクってみようか!

雪ぼんぼりのかくれ道

2012年02月20日 | 童話
 この期に及んで氷点下2度の冷え込みというのは、意地悪婆さんの嫌がらせのようにか、それとも小鬼のいたずらのようにか、いずれにしても骨身に応えるわい。先日のように雪が積もってないだけマシってもんだが、こちらの本の表紙を見ただけで凍えそうになった。



 カバー全体を見たらこの絵の良さがもっと伝わるはずだが、いかんせんA4のスキャナーで残念。絵本ではなく、小学五年生前後を対象にした児童書である、といっても挿絵をカラーで見たかった。
 著者と知り合ったとき既に作家だったので、初の単行本というのは意外な気もするが、とにかくおめでとうございます。

 この作品の初稿と思われるものを合評したけど、読む時間が十分になかったこともあって気の利いた意見を出せなかった。ということはつまり、プロトタイプのうちから完成度は高かったともいえるわけで、実際出来上がった本を斜め読みした限りでは構成が大きく変わっているということもなさそうだ。

 表紙の寒々しさや、ぼんんぼりの明かりから想像できるかもしれないが、書き出しから終わりまでずっと雪の中で物語が展開し、最後は予定調和のほっこり。読後感の素敵なこの本のように、現実の寒さも今週後半辺りからほっこりであるという。