らんかみち

童話から老話まで

エッセイに嘘を書く後ろめたさ

2007年09月30日 | 童話
 日記のネタに困ったときは、昨日みたいにニュースのコメントを試みたりするわけです。ネタに困るというのはどういうことかというと、書く気分にならない場合という意味です。

 基本的にぼくのブログは日記いう体裁をとってはいても、その実態はエッセイ公募の予行演習というか下書きです。
 一昨日の日記もそういった銭のために魂を売って書いた日記で、読者に何らかの情報を提供しているように見えても中身はエゴイズムの権化に支配されてます。

 今日も一編のエッセイに応募したんですが、数ヵ月後に入選したら「日記が金になった」と吹聴するんです。正しくは下書きを清書したというだけのことなんですが……。

 でもいつも応募するのは締め切りギリギリになってしまいます。追い込まれないと書けないというか、苦しんで苦しんでようやく書き上げることが出来るのが締め切り間際なんです。

 今月はたった10枚の今度のエッセイしか書けませんでした。体調不良もありますが、原因はエッセイにフィクションを織り込もうとしたからです。
 ノンフィクションの公募じゃないんだから問題はありませんんが、やっぱり自分自身で抵抗があるんです。それを克服しない限りエッセイを書く苦しみからは逃れられないんでしょうね。

今治に凱歌があがるとしたら

2007年09月29日 | 酒、食
「やきとリンピック」開幕 福島に名物20店舗が集結(共同通信) - goo ニュース

  今治市民でありながら敵に寝返るようで心苦しいのですが、たとえ焼き鳥王国今治の名店であっても「やきトリンピック」で金メダルを獲得するのは厳しいものがあると思います。というのも、今治の焼き鳥というのは鉄板焼き鳥だからです。

 つまり今治式というのは、傾斜をつけた鉄板の上に串に刺した鳥肉を置き、その上に左官職人が使うコテ様の鉄板を乗せて油を落としながら焼き上げるのですが、この関係で肉の表がやや硬くなってしまうように思うんです。

 炭火を用いる方式に後れを取る理由はそれだけでなく、炭の直火から発する一酸化炭素のご利益を受けられないからとも云われています。それは例えるなら、フライパンでサンマを焼いたのと、炭火で焼いたのに似た風味の違い出るらしいのです。

 こういった訳で世界陸上での日本惨敗の悲劇を思い出すぼくですが、良く考えたら室蘭の焼き鳥なんて厳密に言えば「焼き豚」なのでって訳で、要はコンテンポラリーな味だと評価されたらそれで良いのです。

 だから表面がカリカリで中がジューシーな今治式に凱歌があがる可能性も「無きにしも非ず(相当ある」などと身びいきしながら日曜日の結果発表を楽しみにしているぼくです。

イギス豆腐の取り持つえにし

2007年09月28日 | 酒、食
 むきエビ、椎茸、インゲン豆といった、ちらし寿司のような色とりどりの具が、一口大に切られたゴマ豆腐の切り口から見え隠れしている。小鉢に山形に積み上げられたそれらの天辺に乗る一つをほおばったとき、ぼくは稲妻に貫かれたような衝撃を感じた。

 違う! これはゴマ豆腐なんかじゃない。あれだ、きっとあれに違いない。
 薄い黄色の生地を潤す、濃い黄色の酢味噌と大豆の匂い、磯の香り、夏の薫り。それらが渾然一体なってぼくの遠い記憶を揺すぶり覚まそうとする。

「あの、ご主人。これはもしかして『イギス豆腐』ではありませんか?」
 昼時を過ぎて客足が途絶え、洗い物をしている店主らしき男性に、おずおずと聞いた。
「おお、分かりますか! その通りですよ。おい、イギス豆腐を知ってるお客さんだよ」
 四人掛けのテーブルが数席あるだけの小さな食堂の厨房で、おい、と呼ばれた女性が振り向いた。

「あら、ひょっとしたらお客さん、瀬戸内の出身ですか?」
「ええ、そうです。ぼくが子どもの頃にはこれをよく食べたもんですよ。懐かしいなって思ったんですが、初めはゴマ豆腐と間違えました」
「イギスがこの辺りでは買えないんですよ。それで田舎から送ってもらったんですが、値が張るので寒天も混ぜて固めてみたんです」

 奥さんは瀬戸内海に浮かぶ島に生まれて焼津に嫁いできたのだという。
年代がぼくより少し上なので彼女とは面識は無いが、同じ島に生まれ、大阪の会社から焼津に出張してきたぼくと、郷里を遠く離れた地で遭遇するとは、なんて奇遇なんだろう。 それはもう7年程くらい前のことになるが、郷土料理のイギス豆腐が取り持ってくれた不思議な縁だった。

死んだ父ちゃんの抗議を聞いた

2007年09月28日 | 暮らしの落とし穴
 父の遺影が置いてある、かつて父が執務していた部屋に陣取ってぼくは色々とやっているのですが、今日の夕方帰ってきたら父の遺影を納めた額が棚から絨毯の上に落ちていて、ぼくはそれを見て少なからず青ざめました。
 というのも、この部屋から今まで敷いてあった絨毯を引き剥がし、父が飾っていた写真を剥がし、父のにおいがするものを少しずつだけど確実に消しさろうとしていた矢先のことだったからです。

「写真が落ちてるけど、父ちゃんいったい何を怒ってるの?」
 どうせ母の仕出かしたぼくに対する嫌がらせか戒めだろうと思って、ぼくは母に尋ねたのですが、
「それがね、風も地震も無いのにいきなり落ちたんよ」
「またまたそんな~!?」
 実はぼくも少しだけ背筋が冷たくなって軽口で応対したんですが、どうやら父の遺影が棚から勝手に落ちたのは本当らしいのです。

 父の人格や生き様を全て否定するつもりは無いのですが、集めていたものといえば、ぼくから見たら悪趣味と言わざる得ないものばかりなんです。
 なので母には内緒で少しずつ取っ払っているんですが、母はどうやらそれが気に入らないようです。でもだったら直接ぼくに言えばいいじゃないですか。なにも父の遺影を床にぶちまけるみたいな荒業を行使しないでも良いと思うんです。

 ですが何度母に問いただしても「勝手に落ちた」と言い張りますから、真偽のほどは定かでないにしても、ちょっとぼくもやり過ぎだったかなって反省してます。安倍総理の例もあることですし、改革は決して急いではいけないんですね。

最優秀賞に届かなかったエッセーに思う

2007年09月26日 | 童話
 あれは確かヤクザである知人の車に乗せられて中古車を買いに行った日でした。7月31日締め切りなのに、当日になってもまだエッセイを書いて(推敲ではなく)いると、「早いこと車を引き取りに行ったらどないやの」とヤクザにせっつかれたのです。

「う~ん、ちょっと今日は忙しいねんけどな~」
「忙しいって、組織に勤めてるんとちゃうやんけ」
 こう言われたら辛いものがあります。しかしたとえ定職には就いてなくてもやることがあると言いたいのですが、相手が相手なので……。

 彼と会って、「先に郵便局へ寄ってほしい」と要求したら、車の代金を引き出すのだと思ったらしく、小さな郵便局に連れて行かれて慌てました。当日の消印が必要だったので本局でないといけなかったのです。

 締め切りギリギリの上に郵便料金をケチって「普通でお願いします」とやってしまったんですが、本来なら簡易書留で送らないといけません。そのせいではありませんが、結果は最優秀賞には届かず、優秀賞止まりでした。

 十分なエッセイが書けなかったのはヤクザのせいではなく、たった5枚とはいえ分かりやすい構成にできなかったからです。いくらブログに書いている日記がベースになっているからといっても、作品というカタチにするには苦労します。

 それに今回の作品は、某楽器メーカーが出版している弦楽専門誌の公募(作家としてのプロ、アマ問わず)だったので、「バイオリンのお師匠ちゃま」との思い出を綴ったのです。しかしお師匠ちゃまの門を去ったのが去年の今頃なので、ぼくにはまだ生々しい記憶が残っており、それが邪魔したのもあるかと思います。

 公募に出すからには、いつもグランプリを狙っている身の程知らずなぼくなので、今回の結果には少なからずがっかりですが、唯一救いがあるとしたら、最優秀賞に該当者が無かったことでしょうか。
 つまり相当シビアな審査がなされたということで、そこでの2位タイなら及第点としておきますか。

卆寿を迎える母と暮らすということ

2007年09月25日 | 暮らしの落とし穴
 10月1日に卆寿を迎える母と二人で暮らすのは、思ったより大変なことです。今朝だって、「勝手に畑を耕すな!」と、怒られました。ですが、うちの畑ってどこにあるのか、ぼくは良く知らないんです。

「畑って、どこのこと?」
「☆☆の裏の畑ぢゃ!」
「☆☆ってぇ、どこやったかなぁ?」
 田舎の家って、多くの場合「☆☆」みたいな屋号という、あだ名とかニックネームみたいなものを持っていて、その謂れは分からないにしても、漢字に置き換えられそうにない、フランス語みたいな感じで響きが良かったりします。(突き詰めてこじつければ漢字に変換可能)
 ですが、島を離れて大阪で暮らした方がはるかに長いぼくですので、それがどこの家を指すのか今ひとつ自信がありません。

「☆☆いうたら○○さんの家ぢゃろが!」
「ぼくには、その○○さんのことが分からんのよ」
 母が怒っているらしいのは分かるんですが、どこに畑があるのか自信が無いばかりか、ジャガイモ畑の畝をぼくが造れるはずもありません。
 ましてアカの他人が母の管理する畑を耕したりするはずもありませんから、自分で耕しておきながら忘れてしまったに違い無いんです。

「あ~、それもそうじゃねぇ、自分でやったんかいねぇ?」
 母は自分が朝から仕出かしたことを反芻して悩んでいたようですが、少なくともぼくが潔白であるのは認めざるを得なかったようです。
 
 いつもの習慣とかリズムでモノを考えずにやってしまうとか、出来てしまって忘れているって、だれにでもある事じゃないですか。ですから畑を耕すとか魚を造るなんて母には朝飯前でしょうが、ぼくには無理です。

「上手に魚を造ったねぇ」
「魚を造ったって、ぼくがぁ?」
 こんな調子で毎日が過ぎていくのですが、まあ今のところは大して腹も立ちませんし、むしろ楽しいくらいなのですが……。

吉海小学校の運動会

2007年09月24日 | 暮らしの落とし穴
 中学の運動会があんなに寂しかったんだから、小学校の運動会は目も当てられないほどのお通夜状態かと思いきや、盛況と言っても良いか知れないほどでした。

 出生率ゼロを数年前に記録したらしい吉海町なんですが、思いのほか子どもがいたので、島の未来は明るいかも知れません。

 台所の床張替え工事が終わり、大工さんが請求書をくれました。10万円でおつりがありました。そのうちの6割は材料費だったし、丁寧な仕事をしてくれたのでメチャ安かなって思ってます。

島四国八十八箇所を次の世代に

2007年09月23日 | 社会
 今年の我が島は少しばかり浮かれ気分が蔓延しています。他でもないぼくもその浮かれ気分に汚染されている一人なんですが、その訳は今年が「島四国開創200年」の節目に当たる年だからです。

 島四国というのは、四国八十八箇所のミニチュア版として開かれた、三日もあれば歩いて回れる安直バージョンです。しかしだからといって、そのご利益たるや決して本四国八十八箇所を歩いて巡拝するに劣らぬとあって、開創より今日まで巡拝者の絶えることはありません。

 信仰というのは、それがブードゥー教であれイスラム教であれ、はたまたイワシの頭であれ、それぞれを信じる人にとって偶像は尊いわけですが、中でも異色なのは弘法大師=空海ではないでしょうか。
 写真はそんな思いを込めて昨日行われた「声明と雅楽のコラボレーション」でのワンシーンです。
 
 キリスト教を例にとるなら、イエス様は人の原罪をあがなう為に死んだのであり、それこそが最も重要な事実だと思うのですが、即身成仏したのになぜかお大師さまは今もってなおご存命であると、ぼくたち真言密教徒は考えているのです。

 もちろんそれは象徴的な意味であって、島四国200年のイベントを設けたからといって、お大師さまの御光臨を、UFOを呼ぶみたいに期待しているんじゃないのです。
 そうじゃなくて、まずは古を偲び、開創に尽力した方々に思いを馳せることに主眼を置いて、「声明と雅楽のコラボレーション」は行われたのです。

 明日ではなく、1000年きでもなく、50年先の世代に伝えるための、地道だけど確実なコンセプトは、きっと次の世代に高く評価されることでしょう。

お宝を埋めなかったおばあちゃん

2007年09月22日 | 暮らしの落とし穴
 床下から壷が出てきた、と日記に書くや否や、
「分け前はどうするつもりや?」
と、ぼくの姉を名乗る女から電話がありました。どこでどう嗅ぎ付けたのか知りませんが、これが本物の姉なら、ぼくは彼女の膝枕で耳かきをしてもらった恩義があって頭が上がりません。

「分かってますよ、ちゃんとクール宅急便で送りますから」
 ぼくは真摯に答えました。
「クール宅急便? 何を送って来るつもりやのん」
「いや、だから壷の中身ですやん」
「壷の中身は何やったの?」
「何って、炭壷やったから、消し炭ですが……」
「この電話を、今すぐにお母さんに代わらっしゃい!」

 姉と名乗る女が語気を荒げ始めたので、母に自受話器を渡して肩の荷を降ろしたぼくですが、ここに至るにはちゃんと理由があるんです。それは数年前にご近所の家が解体されたとき、床下から旧一万円札のぎっしり入った壷が発見された一大事件がこの村で起きたからです。

 その壷から発見されたお金は数百万円にのぼったと云いますが、分配は「発見者である解体屋さん、新しく土地を買った人、以前の所有者」という三者で均等に分配したといいます。

 ですから、うちの床下から壷を発見した大工さんが色めき立ったのは言うまでもなく、姑が埋めたであろう壷を冷ややかな目で見ていた母でさえ、頬に赤みが差したのをぼくは見逃しませんでした。

 しかしながら結果は単なる炭壷でしかありませんでした。
「おばあちゃん、もっと金目の物を埋めといて欲しいよ」
と、少しだけ恨めしく思ったぼくですが、お宝を巡って兄弟が骨肉の争いをしなくて済んだのですから、
「おばあちゃん、消し炭をありがとう」って感謝すべきなんでしょうね。

床下から怪しげな壷が出てきました

2007年09月21日 | 暮らしの落とし穴
 昨日のつづき

 近所の人も大工さんも、皆さん「シロアリ被害説」を採る我が家の床下瓦解ですが、「シロアリハンター3000円」を購入しながらも、ぼくは「手抜き工事説」に賭けておりました。
 確信があってのことではなく、あんまり皆さんが「福田次期首相説」を採るので、麻生さんに賭けたくなるみたいに、臍を曲げただけのことです。

 その賭けですが、今朝大工さんが数枚の床板を剥がしたとき、ぼくに軍配が上がったのがすぐに分かりました。シロアリがいた証拠である「蟻道」は一筋見えましたが、なんの被害も無かったばかりか、これ見よがしの手抜き工事に圧倒されたからです。いや、手抜き工事などと表現したら「風流を解さぬ無粋」と謗られるでしょう。

 最低限の材料、磨き抜かれた細身のリブ、絶妙なバランスを保つアクロバティックな基礎、等等。大阪の三ケチの一人として崇められた大阪丸ビルの社長:吉本某氏もかくや、と思えるほどの倹約精神に貫かれ、必要十分条件を蔑ろにした美学が、そこに厳然と鎮座ましましていたのでございます。

 この台所は、今は亡きぼくのお婆ちゃんがリフォームしたものですから、およそ40年を経ていると思われます。この悠久とも思える歴史の重みや、瀬戸内の温暖な風雪に耐えて台所が今日あるのは、類稀な匠が発する念力の賜物以外、何ものでも無かろうと思われます。

 もし仮に並みの法力の大工が造作したなら、この台所を浮揚させて置くのは一年が限界ではないでしょうか。これを作り上げた匠は当時、恐らくはダークサイドのフォースに依存したのでしょう、邪悪なパワーがビシバシとぼくの眼を射抜きます。

「こりゃ~たまげたわいね」と、今日来てくれた大工さんは重々しい呪文を唱えながら次々と床をめくり上げていきますが、見るからに甚大なるダメージを蒙っている様子です。
「ありゃりゃ~、こりゃなんぞいね?」
 やがて大工さんはダークサイドのフォースに屈したか、声を上げて作業の手を止め、一点を指差してのけぞりました。その声に驚いてぼくがその先に見たのは、曰くありげに黒光りする一つの壷だったのです。

つづく