感情表現の究極の形態は俳句だろうが、究極の物語表現は童話ではないだろうか。もちろんホメロスの叙事詩さえ読んだことの無いぼくの勝手な思い込みだが、童話教室に通っている照れ隠しには使えそうだ。
照れ隠しといっても、教室は美人の奥様方に囲まれて鼻の下をのばしておれるような生易しいところではない。今日だって、「これのどこが怖い話じゃ、お? こら、おっさん」とまでは言わないにしても、それくらいの気迫をもって断罪された。
怖い話なんて読んだ記憶が無いし、ホラー映画なんて自らの足では絶対に映画館に踏み入れて観ることは無いし、テレビでなんとなく観始めたらホラーだった程度でしかない。でも、「だから怖い話は書けません」というのは言い訳に過ぎない。なぜなら、怖い体験や夢を見たことの無い人はいないはずだから。
今回教室に提出したのはラブストーリーだが、ラブストーリーの経験に乏しいぼくの頭をいくら隅々までつついてみたところでおもしろい話は出て来そうに無い。だからといって書けませんが、お師匠様に通用するはずもない。「それなら私とラブストーリーを繰り広げ……」
いや、もちろんお師匠さまがそんなことをおっしゃるはずも無く、「じゃあ怖い話を書き始める前に、怖い目に遭わせてあげようか?」という展開になるのが落ちだろう。つまり、「経験がないなら経験のある人の身になって考えてみろ」と、おっしゃっているのだ。
なるほど! それなら分かる。ぼくの周りには女のことしか頭に無い連中はこと欠かないし、童話教室にも夢見るをとめの、うさこさんのような人もおられる。ためしにうさこさんの頭の中を分析しながら書いたら、苦手なラブストーリーも思ったより簡単に書けた。自分の頭の中を割ってみてもこうはいくまい。もちろん、初恋の相手=ご主人という、うさこさんみたいな図式が一般に受け入れられるかは分からない。
しかしあるラーメン屋さんの店主が「全てのお客さんに評価してもらおうとは思いません。10人のうちの1人をとりこにできたらそれでいいのです」と言ったように、一部の人に支持されたなら成功といっていいのだろう。恋愛が男女の間だけのものではないと認められはじめた時代なのだし。