らんかみち

童話から老話まで

童話書きたい人、この指とまれ

2006年11月30日 | 童話

 感情表現の究極の形態は俳句だろうが、究極の物語表現は童話ではないだろうか。もちろんホメロスの叙事詩さえ読んだことの無いぼくの勝手な思い込みだが、童話教室に通っている照れ隠しには使えそうだ。 

 照れ隠しといっても、教室は美人の奥様方に囲まれて鼻の下をのばしておれるような生易しいところではない。今日だって、「これのどこが怖い話じゃ、お? こら、おっさん」とまでは言わないにしても、それくらいの気迫をもって断罪された。

 怖い話なんて読んだ記憶が無いし、ホラー映画なんて自らの足では絶対に映画館に踏み入れて観ることは無いし、テレビでなんとなく観始めたらホラーだった程度でしかない。でも、「だから怖い話は書けません」というのは言い訳に過ぎない。なぜなら、怖い体験や夢を見たことの無い人はいないはずだから。

 今回教室に提出したのはラブストーリーだが、ラブストーリーの経験に乏しいぼくの頭をいくら隅々までつついてみたところでおもしろい話は出て来そうに無い。だからといって書けませんが、お師匠様に通用するはずもない。「それなら私とラブストーリーを繰り広げ……」

 いや、もちろんお師匠さまがそんなことをおっしゃるはずも無く、「じゃあ怖い話を書き始める前に、怖い目に遭わせてあげようか?」という展開になるのが落ちだろう。つまり、「経験がないなら経験のある人の身になって考えてみろ」と、おっしゃっているのだ。

 なるほど! それなら分かる。ぼくの周りには女のことしか頭に無い連中はこと欠かないし、童話教室にも夢見るをとめの、うさこさんのような人もおられる。ためしにうさこさんの頭の中を分析しながら書いたら、苦手なラブストーリーも思ったより簡単に書けた。自分の頭の中を割ってみてもこうはいくまい。もちろん、初恋の相手=ご主人という、うさこさんみたいな図式が一般に受け入れられるかは分からない。

 しかしあるラーメン屋さんの店主が「全てのお客さんに評価してもらおうとは思いません。10人のうちの1人をとりこにできたらそれでいいのです」と言ったように、一部の人に支持されたなら成功といっていいのだろう。恋愛が男女の間だけのものではないと認められはじめた時代なのだし。


酔いつぶれシミュレータが欲しい

2006年11月30日 | 酒、食
「ついに赤紙が来たんや、金貸してくれ」
 飲み屋に顔を出すなり物騒な話を切り出されたが、どうやら反則切符のことらしい。
「飲酒検問で0.45も出て30万円の罰金と90日の免停を食らうんや」
 それで良かったんじゃないだろうか。もし人飲酒運転でをひき殺したんだったら今頃は飲み屋に座ってはいられないのだから。
 
「そうそう、そういう意味ではな。そういうことで来年からは電車通勤で、飲酒運転はやめるんや」
 30万円で飲酒運転がやめられるんなら安いもんだと思う。
「飲み屋の姉ちゃんとこに通わんなったら酒の量が減って体も良うなるやろな」
 そんなわけが無いだろう。かえって飲酒で捕まる心配が無くなって、どこかの駅前で酔いつぶれるに違いない。
 
「来年からと言わんと、今日からやめんかいな。なんでここで飲んでるの?」
「まだ年内は免許があるから大丈夫や」
 どうやら飲酒運転が悪いのではなく、捕まったことが不運だという発想のようだ。
「それよりな、免停短縮の講習の試験が受かるかどうかが問題なんや」
 ペーパー試験があるんだろうか? ゴールド免許のぼくは知らない。
「ゲーム機の大型みたいな実技試験があってな、これがまた難しいねん」

 あの運転シミュレータなら、いつだったか退職した警察官の受け皿みたいな、警察資料館に入ったときに体験したことがある。駐車場から出るところからがスタートなのだが、いきなりポールをこすったかと思うと、通りに出たところで子どもが飛び出してきてドカン! そこでシミュレーターがフリーズして、結局ぼくは駐車場から出ることすら出来ずじまいだった。
 
 飲酒運転を無くす方法がいろいろと検討されているが、ここ泉北ニュータウンのように、駅前に飲み屋が出店しづらいところでは、開発が遅れたところに良い店があるようだ。つまり歩いて飲みに行くという発想が湧いて来ないのは仕方の無いことかもしれない。
 
 しかし、歩く習慣をつけたら30分くらいどうってこと無い。それは遍路体験したぼくにははっきり言える。だから遍路シミュレーターみたいな、飲み歩きシミュレーターかなんか作ってほしいと思う。
 
 パッドの上で足を30分上下させ、「焼き鳥屋に到着しました」と出たらビールを一本飲む。そこから更に10分歩いておでん屋のおばちゃんの店で焼酎を。最後は行きつけのスナックでウィスキーを飲んで酔いつぶれ、おねーちゃんに介抱されるというシナリオ。現実は、家で酔いつぶれて嫁さんに足蹴にされているのだが……。

ホンダモビリオのリコール

2006年11月28日 | 暮らしの落とし穴
 ホンダのモビリオという車に乗っているのだが、今日ホンダからリコールの案内が届いた。それほど重大な欠陥ではなさそうだが、最悪の場合は走れなくなる可能性があるそうで、心配ではある。それに、欠陥とはいわないまでも、まだ他にもこの車には不具合が多すぎる気がしていけない。
 
 例えば、上り坂でブレーキを踏んで停止している状態から、発進しようとしたら後ろに下がることがあるので、「このクラスのホンダ車ってこんなものなの?」と営業マンに聞いたら「こんなもんです」と開き直られた。
 風も吹いてないし、それほどスピードを出しているわけでもないのに、風切音ぴゅーぴゅーが聴こえるんだけど? といったら「そんな苦情を聞いたのは初めてです」と柳に風。
 
 この車は実についてない車だ。新車早々に意気揚々と旅に出たら、付いているはずの装備が無くて、良く聞いたらオプションだった。そんなことは自分のミスだからしかたないが、いっしょに乗っていた足くさTEL爺が靴を脱いで腐敗臭を車内に蔓延させ、あろう事かその悪臭を持ってマーキングにいそしまれ、ほとんど陵辱とも思える惨劇に見舞われた。
 その後、自分の駐車場ローカルでのケアレスミスと、不運が続き、ついにここに至ってリコール車であることが判明したという次第だ。
 
 元々この車は一目ぼれして買ったんじゃないけど、そういった意識が車に乗り移るとは言わないが、何らかの事象との相関関係を否定する材料もぼくは持ち合わせていない。早い話しが愛着がぜんぜんわかないからついてないのかも知れない。
 遍路に出てから歩くことに苦痛を感じなくなったばかりか、最近は楽しくさえあるので、ほとんど車を乗らなくなった。飲酒運転が厳禁だからといって、飲み屋の帰りに自動車学校の送迎バスにもぐり込んで帰ってくるのが許されるわけではないが、まあそんな訳で金も無いことだし、そろそろ見限りたくなってきた。

灰谷さんというイルミネーション

2006年11月28日 | 童話
 気の早いうれしがりの人だろうか、もうクリスマスのイルミネーションを点灯してくれて夜道が明るくて楽しい。できるなら年中やってほしいと思うのだが、良い子が寝る時間に出てきてたむろするようになるだろうから程度もんだろう。現に今夜だってアル中のじいさんが花見と勘違いしているのか、イルミネーションの下でビールをあおっていた。
 
 イルミネーションで思い出したが、童話作家の灰谷健次郎さんが亡くなったのを聞いて、現代童話界を照らし続けた灯台の灯が消えたような気がする。と、ええかっこして書いても、実は一冊たりとも読んだことがないのだ。
 今回亡くなったことで追悼のというか、便乗の商売が増えていろんなところで氏の作品に触れる機会が増えるのはうれしいことだ。
 
 1週間前から書き始めた20枚童話がほぼ完成した。今回はわりと良く書けたと思うが、それも当然で、わが師の作品をトレーシングペーパーの上からなぞったみたいな作品なのだ。今回ほど似ていたらお師匠さまに駄目出しをされそうでおっかないが、いつも思いつく限りのケチを付けて下さる有り難いお仲間からはNGは出ないのではないだろうか。そんなことする人がいるなら、天に唾するのと同じなのだから。
 
 それはまあ戯言だけど、お師匠さま以外に影響を受けそうな現代童話を読んだことが無いから、似てくるのはやむを得ないということもあるだろう。まあいうなれば蛍雪ならぬ、お師匠さまというイルミネーションの下で童話を書いている無明の徒なので、皆さまもある程度のことは目をつむってくれるに違いない、と期待している。

痴話喧嘩のエネルギー、いただきぃ!

2006年11月26日 | 男と女
 何で痴話げんかにぼくが巻き込まれにゃならん? そりゃ、たままたま離婚寸前の夫婦のヨリを、おばあちゃんが説教して戻すという話を書いている途中ではあるが。

 たまには場末の飲み屋に顔を出しておかないと忘れられるので、ゴミの枢軸みたいな店で飲んだくれる。場末はくつろげる店なんていうなんてもんじゃない。
糞な店主はくわえタバコで物を作るわ、2、3日休んでも、おでんのダシは替えないわで危険極まりない。安心して食えるのは缶詰くらいなもんだろう。

 というわけで、金が無くて缶詰をつついていたのじゃなく、いや、それもあるが、とにかくそんな状況のところに、恋人同士がもめながら暖簾をくぐって来たのだ。
「もうあんたなんか見限ってHALと付き合う!」
 はあ、なんでぼくをダシに使うの? それはまあいいとして、二人は50才台。いいなあ情熱があって! だってけんかするのも眠るのといっしょで、パワーがないとできないこと。年寄りは眠れなくて目が早く醒めるっていうのと同じ。
 
 あの二人は結局タクシーでいっしょに帰ったけど、仲直りしたんだろうか。なんか男の方に非があったみたいで、彼女には気の毒な気がしたけど、振られそうになっていた彼もかわいそう。
 おっと、そんな事言ってる場合じゃない。おかげでおばあちゃんのせりふが決まったね。やっぱり場末の日常はおもしろい。

虚礼忘年会廃止

2006年11月26日 | 暮らしの落とし穴
 場末の飲み屋にたむろする一人のじいさんが、何かに似ているような気がして気になって仕方がなかったけど、ようやくそれが何か分かった。コモドオオトカゲとか、コモド竜とも、コモド・ドラゴンとも呼ばれている爬虫類だ。
 
 コモド・ドラゴンはインドネシアのコモド島に生息する肉食のトカゲで、体長3m、体重100kgほどあり、凶暴な上に大そう俊敏。その上に100歳くらいまで生きるらしい。そしてコモド島の人たちは、あの恐竜が女の子の化身だといってかわいがるらしいが、あの場末のじいさんはちょっとかわいがる気にはなれない。
 
 あと、場末の飲み屋には、かつて赤鬼も生息していたが今は絶滅した。他には、カダフィ大佐とか、シラク大統領、木枯らし紋次郎といった有名人に似ている人もいたりして飽きが来ないといえば言えるかもしれない。
 
 昨夜のこと場末に顔を出したら、早くも忘年会の企画が持ち上がっている。よっぽど忘れたいことの多い人ばっかりが集まっているに違いないのだが、店を始めて20年の内で、まともに忘年会が開かれたのは恐らく4、5回しかないと思う。
 
 ドタキャンになることもあるし、開いたら開いたで必ず事件が起きるんだから、マスターが二の足を踏むのは分かる。そして今年は、コモド・ドラゴンが音頭をとるらしいから、すでに企画の段階から風雲急を告げている。
 今年のぼくは「君子危うきに近寄らず」か、それとも「大人は危うきに遊ぶ」のどちらを選択すべきかで迷っている。

だまされてまたヌーボー買ってしまった

2006年11月23日 | 暮らしの落とし穴
 2003年に日本のS社が輸入したボジョレー・ヌーボーの3000円くらいのはおいしかった。だけど、「これってオーストラリア辺りのワインじゃないのか? ボジョレーってこんなに濃厚な味かな?」と思った。なので、もう二度とS社が輸入したワインは買わんぞ! 誓ったのだが、1680円で安くヌーボーが売られていたのでうっかり買ってしまった。。
 
 S社といってもサッポロではないし、まして子会社が80億円の申告漏れを指摘されたソフトバンクでもない。もっと日本を代表するような立派な会社、だからといってシャープでもない。とにかく腹の立つことに、歴史と伝統がありながら平気で嘘をつく会社なのだ。
 
 ソフトバンクをが日本が誇る会社だと思っている人はそう多くいないだろうから、嘘をついて公正取引協議会の指摘でも何でも受ければいい。だがS社世界的な企業であるばかりでなく、子どもの頃から身近な会社だけに、いい加減にまっとうな道を歩んで欲しいのだ。
 で、今年S社が輸入したヌーボーの味はやっぱり濃厚なのだが、後口にとても嫌味な味が残るものだった。そう、398円で買えるあの会社の物とあまりかわりない。

下に白いものが混じる恋

2006年11月22日 | 男と女
 日銀が「景気が良い」というんだから良いのだろうが、行きつけの場末の飲み屋にたむろする労働者もぼくも、そんな恩恵には遭遇した気配すらない。
「イラン人や中国人がワシ等の仕事を盗ったんや」
 仕事にあぶれて夜毎ぐちをこぼす連中を見ると、この人らひょっとして何か事件でも起こすんじゃないかと心配になる。

 ホームレスが襲われる事件が多発して、ついにおばあちゃんまで殺されたらしい。犯行の前に自分のおばあちゃんを思い出したら、あるいは思いとどまったろうか。
 抑圧されたダークサイドのエネルギーが弱者に向かうのは、やむを得ないといえばそうかもしれないが、バブルの頃にはあまり聞かれなかったニュースだと思う。
 
「女が大勢言い寄って来て手が回らへんねん。悪いけどオレの代わりに付き合うてやってくれへんか?」と、バブリーな頃はぼくのところにも、モテる友達のおすそ分けが回って来たりしたもんだ。
 しかしこの前彼に会ったら、「下に白いものが混じるようになったらモテへんなってん。どっかにええ女おったら紹介してくれへんか?」と、嘆いていた。
 
 白いものって、ちょっと早すぎる気がするけど、男の更年期だって40台から始まるらしいから、もうそろそろぼくも要注意だ。でも、男のそういうのって、金で解決できそうな気がする。
  おもしろくない事があったら飲んだくれ、腹が立てば誰かに喧嘩を売るのは金が無いからで、「金持ち喧嘩せず」というのは当たっている。つまり景気が良くなったら喧嘩は減るんだから、やっぱり今は不景気なんだ。日本人の心が根底から荒んでしまったんじゃないと思いたい。

のだめカンタービレに言いたい事がある

2006年11月20日 | エンタメ
 ドラマ「のだめカンタービレ」で、準主役の千秋がタバコを吸うシーンがあった。原作に忠実なのは良いとしても、今の時代、かっこ良いやつにテレビドラマでタバコを吸わせるのはいかがなものか。

 ドラマ「エンジン」でキムタクがタバコを吸ったろうか? マールボロが確かにスポンサーになってはいたのだろうが、キムタクがタバコに点火をさせるシーンは一度たりとも映されなかったと思う。

 タバコのことだけではなく、のだめカンタービレには、なんでそこでバッハをバックに流すんだ? と思うシーンもある。もちろん原作にBGMの指定は無いからバッハ好きのぼくは楽しいけど、単に雰囲気だけで選曲しないで、前後の曲の時代背景も考えて欲しい。
 ラフマニノフからいきなりバッハにBGMを変えてシーンの転換を図るのは許せても、時代背景が変わるとぼくなんかは違和感を感じてしまう。

 それはともかく、峰龍太郎のバイオリンケースは下品だけど欲しい。ついでに言うと、東京のバイオリニストはああいったひょうたん型のバイオリンケースが好きなのだろうか、多く見かける気がす。関西では角型のケースが多いように思うけど、その辺のつまらないことを研究している人がいるなら教えてほしいと思う。

阿波踊りを見て来ました

2006年11月19日 | 暮らしの落とし穴
親類が大動脈瘤の手術を受けるというので、お見舞いに帰省した。なんでも血管が5cm大に膨れ上がっていたので、人工血管に置き換えたらしく、5時間半にも及ぶ大手術だった。たとえ手術そのものは困難ではないにしても、お腹を切り開いて大腸も小腸も体外に放り出すなんて、80歳という肉体がそんな荒療治に耐えられるか心配になる。

 しかしもっと心配なのは、その小腸や大腸をきっちり元通りの位置に戻せるのかということ。一本につながっているんだから間違えようが無いといえばいえるかもしれないが、ぼくなら腸の右回りと左回りを平気で間違えそうなきがする。

 案外、医者も元の場所には戻せなくて、適当な場所に放り込んでおいたら、腸がぜん動しながら勝手に座りの良い場所に戻っていくんじゃないだろうか。
「腸を空気に曝しましたので、ちゃんと動くようになるまでに2、3日かかります」
と、先生はおっしゃったが、「元あった場所に戻るのに……」の言い換えではないのだろうか。いずれにしても元気に回復しているようで何よりだった。

 帰りは徳島道を通って帰ってきたのだが、途中のサービスエリアでは阿波踊りが催されていた。阿波踊りは徳島の夏を彩る風物詩だと思っていたら、とんでもない間違いのようだ。踊る阿呆は難病らしいから、きっと一年中踊っているに違いない。それが阿波踊りの本来あるべき姿、元の位置なんだろう。