らんかみち

童話から老話まで

年越し蕎麦とか、年明けうどんとか打ったけど

2009年12月31日 | 暮らしの落とし穴
 大つごもりとは月ごもりの意であるというのに、このあたりじゃ「つもごり」と呼んではばかりません。うっかりして大晦などと口にした日にゃ、「大つもごりを大つごもり言うがん、どした学の無い男じゃねや!」と、後ろ指を差されても仕方たありません。もちろん晦蕎麦はつもごり蕎麦となって、月も凍りそうな蕎麦を連想してしまいます。
 
 まあそんなこんなで年越しそばと年明けうどんを打ちました。年明けうどんは讃岐麺の業界推進らしく、ぼくも昨日はじめて聞いて実行に移したしだいです。蕎麦はもちろん夏から育てた自家蕎麦を粉にしたもので、ブランドの蕎麦じゃないとしたら味はどうかな、と自作でありながら懐疑的でした。しかし食べてみると、美味しい、あぁでも、砂っぽいぞ! 良く洗えてないみたい。
 
 手打ちうどんは人にあげて喜んでもらえるってことはありません。冷凍でちゃんと美味しいのが売られているからです。でも蕎麦は一応ぼくの作った畑で取れた手打ちですからご近所さんに配ってもそれなりの反応はいただけます。ジャリッとした食感を大目に見ていただくなら……。
 
 さてこれでやることはだいたい終わったし、後は飲んだくれて紅白の途中で眠り込むだけ、のはずが今年は大晦日の神社に待機して初詣客にお神酒を振るまわにゃならんのです。
 椎間板ヘルニアはなんとか小康状態を保っていたけど、今朝からの蕎麦挽きと蕎麦打ちで一気に悪化した気がします。といっても痛いわけじゃなく顔にも出ないのでだれも気遣ってくれないのは、ちとつらい。
 
 それはともかく今年、拙日記を読んでくださった皆様、ありがとうございました。皆様におかれましても、よいお年が迎えられますようお祈り申し上げます<m(__)m>

砂が降ったと思ったら、こんどは土砂降りかい

2009年12月30日 | 童話
 ついこの前は砂が降ってきたかと思ったら今日は土砂が降り、じゃなくて土砂降りの雨。エッセイを書いている途中に停電を食らって、コンチキショー! 無停電装置を持ってないんだよね。
 気温は降下の一途をたどり、帰省している兄がユニクロのヒートテックをやろうと言ってくれたけど、こういうのってあんまり信じないんですよ。科学を信じないというのではなく、不易流行を座右の銘としておりますものでね。兄こそ腹回りにミートテックをまとっているくせに、自分のお肉を信じられんのでしょうか。
 
 エッセイの方は一応の完結を見たものの完成度は非常に低く、このままだと入選には遠く及ばんでしょう。過去に受賞歴がある人は出しちゃいけないって決まりもなさそうなので出してみるけど、毎回1000を超える応募があって狭き門なのです。
 内容や文体などはこの日記と大差ないから簡単に書けそうでも、公募に出すとなるとやはり神経をすり減らして疲れるもんですなぁ。だってあと1日しかないし、明日はそば打ちをやらねばならんし、村の役もあって実質的にはジ、エンドか……もうええ、酒に逃避じゃ!

手造り味噌ごしに人格を評価され

2009年12月29日 | 酒、食
 お友だちにHAL謹製の味噌を送ったところ「まだ若いね」との講評をいただきました。ぼくが若いというのじゃなく、味噌が熟成し切っていないという意味です。向こうもアマチュア味噌醸造家なので、いわば味噌の合評みたいなもんですね。米の熟成は麦のそれより遅いらしく、米の白さが星のように目立っているのを指摘されたわけです。
 
 味噌の醸造って、やってみたら実に面白く、香りと味が刻々と変化していくし、同時進行で腐敗の恐怖を体験できます。で、送った後はどうなるのだろう、まさか中毒を起こしたりはせんよな、みたいな緊張感まで味わうことができるのです。
 ああだけど、ぼくの味噌が旨いかって聞かれて「旨いよ」と答えることも叶わず、手造りというプロパティのみに頼って人様に食していただくってのは申し訳もなく、評価を下していただくのはありがたいことです。

童話の戦友が入選して素直に喜べるか!

2009年12月28日 | 酒、食
 昨日話題にしたうさこさんが、どこかの童話公募で入選の内定をもらったとか。童話公募という戦場で、入選という牙城を目指して共に戦う戦友だからといって先に手柄を挙げられたら素直に喜べるかい、ぼくの後に入選せんか! と言いたくなる狭量のぼくとしては、祝辞を述べる前に年越しそばに逃避してしまいました。
 
 いや~、たかだかそば粉の1kgを採るのにこんな苦労をせにゃならんか、と呆れるほどしんどいもんです。殻の表面に付いているであろう土とかをきれいにする前に「水に漬けたら実が入っているのとそうでないのを選別できるよ」と言われてその通りにしてみたらなんと! 半分が水に浮く、ってことは歩留まりは収穫の半分てか? いやそうではなく、浮いた半分は実は入っているけど生育不良と判明しました。
 
 そばの種をくれた方が石臼を持って来てくれていたので、ゴロリンゴロリンと挽き始めるや、「そんなやり方するバカがおるかい!」と母がしゃしゃり出てくるじゃありませんか。今日が何日の何曜日かも分からんことが多いという母ですが、こういう昔とった杵柄はちゃんと思い出すみたいです。
 
 やってみると、なるほど石臼ってこう使うのかと初めてしりました。まず殻の付いたそばの実を石臼の穴に少しずつ投入しながら臼を反時計回りに回します。どっさり投入すると殻の硬さに石臼が浮き上がって摺れないのです。この作業もしんどいもので、昔の人は一杯のかけそばを食う前に気の遠くなるような時間を味わっていたんですね。
 
 そばの畑を貸してくださったご近所さん、魚をくれる漁師顔負けのおばちゃん、漁師の親方などなど、お世話になった方々に年越しそばを打ってさしあげたいのですが、椎間板ヘルニアが年内いっぱい持つかどうか。全ての村人に振舞うなんて当分はむりですなぁ。
 そばを挽いてしんどい思いしたら、なぜか戦友の入選を素直に喜べる心境になってました。うさこさん、本当におめでとうございます。

パソコンの大掃除する前に自分の頭を大掃除すべきか

2009年12月27日 | PC WEB
 リアルの大掃除もままならない体たらくでありながら、パソコンの中の大掃除などに逃避してしまいました。パソコンの動作がトロいのはメモリーの増強である程度の解消を見たし、バカっぽいMS-IME2002からATOK-IMEに替えたので変換は上手にやってくれるようになりました。
 
 ATOKでの入力はかなり良いと思うんですが、漢字の用例が表示されんじゃないですか。たとえば「かえ」の変換候補に挙がる「変え、代え、換え、替え」それぞれの意味と用例がATOKでは表示されんのです。このATOKのバージョンが古いせいでしょうか。
 
 しかしパソコンも大掃除してみるもんですね、ハードディスクの中もそうですが、CPUのヒートシンクに埃がパフンと溜まっていて熱暴走寸前だった模様です。これで何とかストレスから解放されてエッセイを書けるかと思いきや、書くネタが思い浮かばない。のみならずATOKもそんなに賢くなく、携帯の方がまっとうに関西弁を変換してくれる有様。

 結局MS-IMEに戻したりしてますが、問題は自分の頭の中をいかにして大掃除するかってことですね。

童話の鬼、おしゃべりの鬼、鬼バーバ

2009年12月26日 | 暮らしの落とし穴
 怖い話を応募するまでにまだ二週間ほどあるけど、酒飲んだりなんだかんだやってると一週間しか手直しの時間はないだろうし、その間にエッセイを一つ仕上げないといけないし、だけどあんまり怖くないし……。広島童話教室には童話の鬼がいるので、その方の作品を参考にしつつ全面的に書き直しです。
 
 堺童話教室にはおしゃべりの鬼、うさこさんがおられ、この方の童話文体と日記文体の違いの甚だしさといったらありません。 
《うさこは今日もチョ~忙しく
うさこは跳ねる、ピョピョンのピョン
うさこは目が回る、ぐ~るぐる
よさくは木を切る、ギ~コギコ》
 とまあこんな感じの日記で、口から出るに任せたおしゃべりって気もしないではありませんが、この文体がなんぼにも真似できんのです。
 
 福山童話教室には童話の鬼ババアがいて、いつもシャーコシャーコと包丁を研ぎ澄ませてぼくは切られまく……いくらなんでも鬼ババアはいかんかな、でも本人が「鬼婆で悪うござんしたね」と言ってるからええのとちがうかな。だけど来年会ったら包丁が青龍刀に変わっておっても怖いので、鬼バーバとでも呼んでおくか。あんまり違わん気もするが、梅干バーバがいるんだから鬼バーバも有りでしょ。
 
 その鬼バーバが「私の詩を読み給ゑ」と宣うので読んだところ、これだ! うさこ鬼の日記が真似できんのは、うさこ節という自由律の、独特の韻を踏んだ不思議なおしゃべりが一編の詩になっているからだ、と気がついたのです。
 鬼バーバも童話の鬼も、その童話作品中に詩を挿入することが多く、雰囲気を盛り上げるのに貢献している、ということは童話を書くなら詩も勉強せんといかんっちゅうわけか、気が遠くなる……。

密漁牡蠣にワクワク?

2009年12月25日 | 酒、食
 かつてコンビニとして機能し、今はお爺ちゃんお婆ちゃんのサロンと化した島のよろず屋に入ってみました。酒や惣菜が野放図な雰囲気で並べられたその奥には、散臭い連中が屯なさっているではありませんか。
「いらっしゃい、何にしよかぁ、あぁ焼酎ねぇ、麦がよろしいかぁ、芋がよろしいかぁ」
 泡盛や芋焼酎は好きなんですが、変な麦焼酎を飲むくらいならいっそホワイトリカー35°が潔いと思っているので、まずは泡盛を探したけどありません。
「それじゃあ米焼酎でもいただこうかな」
「よっしゃこれじゃ」とおばちゃんが出してくれたのは、埃まみれの「球磨焼酎」でした。

 泡盛って原料はインディカ米、要はタイ米のような長粒種で、パエリヤとかリゾットに使う日本人の嫌いな米ですが、ぼくはあれのピラフとかの方がジャポニカ米のより好きです。泡盛が他の米焼酎と全く違うのはこのせいだったんですね、最近まで知りませんでした。
 ちょっと古そうだけど焼酎だからまあいいか、米焼酎をくれといったんだから今更ワインをくれとは言えんし、ワインはもっと古そうだし、と球磨焼酎の一升瓶を買いま……。
 
「ほたら、牡蠣は一緒にどがなんで?」
 分かりやすく言えば「酒の肴に牡蠣を買え」と、おばちゃんが奥を指差しました。その先にはいかにもデンジャラスなお風体の兄さん方がおわすのです。そして気がつくといつの間にかぼくは彼らに包囲される格好となっているではありませんか。
「この牡蠣ねや、とりたてぞい」と凄んでくる、いやそう圧力を感じました。
「とりたてじゃなく、採れたて言うんでしょう?」
「いいや違うとらん、ワシの盗りたてじゃが」

 島に住んでいると密漁の噂はちらりほらり聞くとは無しに聞こえてくるもんですが、いざ目の当たりにしてみると不愉快なもんです。
 あぁしかし、密漁=良いものが安い、という不埒な付加価値を想像してしまうのも事実。あの幻のとまで呼ばれたブランド牡蠣の○○が今こうしてぼくの前で買われるのを待っているのか。だが「盗りたてじゃ」と聞かされて後に買うとなると、善意の第三者どころか、ぼくも共犯との汚名を着せられて手が後ろに回りゃせんか。
 この邪な者どもを敵に回し決死の覚悟で忠言するべきか、それともこのまま何も見なかったふりをして逃げるのか、進退窮まって動けなくなっていると、「ほれ500円、1個サービスしてやったけん」
 
 ぼったくられるかと思いきや意外と安かったので、善意の第三者であることを自らに言い聞かせつつ10個買ってしま、いや買わされたのです。本当に知らないで買うなら善意の第三者ですが、この場合はアウト。でもスーパーにこういうのが並んでいるとしたらどうでしょう。「広告のブランド牡蠣」とあったりして、それがにせ物か密漁物であるとしたら。
 
 焼酎と牡蠣を提げて店を出るなり「ガ~ッハッハッハ~」と哄笑が背中でこだまするじゃないですか。やられた! 恐らく、よそ者が島に来てクリスマスの酒を買いに来た、と思ってぼくで遊んだに違いありません。そういや「牡蠣の食い方知っとるか、洗うて酒だけで湯がいたらポン酢で食えよ」と親切に食い方まで教えてくれたもんなぁ、それに盗んだなら正直に言うはずもないし。
 
 しかしだ、生でも焼いて食いもしたけど、まだ身が入りきってないじゃん、騙された! まずくはなかったけど、大量に残された牡蠣の殻を前に、湯がくのに投じた酒を返せ! 飲んだ方が心の安寧に寄与したことは間違いない。
 球磨焼酎は……まあこんなもん、お湯割りにしたら米焼酎らしい薬品っぽい芳香も好き好きだし、ロックでいただいてベターかな。牡蠣を食うなら日本酒の冷酒がぼくとしては一番好きですって、これが言いたかっただけの日記でした。

トナカイさんの洗い物

2009年12月24日 | 陶芸
 陶芸クラブ最後の日、本日をもって陶芸クラブは解散とあいなりました。事情は後ほど書きますが、最後の締めくくりとして窯にしめ飾りをかけました。御幣(ごへい)が無いけど御愛嬌。
 
                  
 
 掃除と並行して朝からピザ生地を醗酵させていると、2時間後にようやく膨らみました。ちょいちょいと捏ねては千切り捏ねては千切り、フライパンに生地を広げ、あらかじめ炒めておいたパプリカや玉葱、じゃがいもなどをトッピング。生地が焼けたらフライパンから取り出して魚焼きグリルでチーズをとろかせたら出来上がり。
「バジルは? マッシュルームは? オリーブは? そんなのピザじゃねー!」と、離島の中心で駄々を捏ねたくなるぼくですが、チーズたっぷりで美味しかったなら、いつか自力でやってみます。

                  

 離島館の職員さんにもおすそ分けすると、「あんたら、いつから料理クラブに改組したの?」などと驚かれ、来年からは「陶芸クラブ改め、料芸クラブ」という、料亭で芸者をあげてどんちゃん騒ぎしそうな、わけの分からない組織とあいなります。年明け早々のクラブ活動として、ぼくは陶芸ではなく蕎麦打ち講座を任されました。(そのうち手芸と洋裁も混血してしまう?)
 
「来年こそはシュトレンを注文するよ」と、パン屋のQちゃんに約束した去年のクリスマスイブ、残念ながら今年はピザとなってしまいました。あそこのシュトレンは人気もあり数も限られているので、ネット注文であっという間に売り切れてしまうんです。
 仏教徒なんだからドイツ人だかの真似せんでもええやろ、言われたらその通りだし、「真っ赤なお鼻の、トナカイさんは、いつも皆の、洗い物」と、どうしてトナカイさんは皆の洗い物をさせられているだろう、と思い込んでいたぼくですからね。今夜はシュトレンではなく、トナカイさんの夢でも観るとするか。

名駒みかんと君に献杯

2009年12月23日 | 暮らしの落とし穴
 ハガキの上に「名駒みかん」を置いてみたら切手よりちょっと大きいだけですが、これでもれっきとした大人の蜜柑なのです。こんな小さいのをチマチマ収穫できんぞ、というわけで枝のまま流通するのか、一枝に二十個ほど生っているやつをいただきました。
 
 こいつの味? このあたりで主流なのは「宮川早生」かな、それとも「はれひめ」かな、「清美」も作っているみたいだけど「はるみ」はあんんまり聞きません。いずれにしても、甘く大きくて香りが良く、種が無く食べやすいみかんが主流となってますが、名駒みかんはそれのどの条件も満たせない、いわば「野に咲く月見草」でしょうか。
 
 小さくて剥きにくいし、薄皮がわりあいゴツイ。噛んでみてジューシーといやそうだけど、清美とかの新種を敵に回せるほどの香りもない。そのくせ種が一人前に入っており、うっかり噛み潰すと口の中に苦みが走る。小さくて食べた気がしないから、ついついもう一つとなって忙しくていかん。
 
 どうして名駒(なごま)というのか、それは樹齢300年の天然記念物に指定された原木が当地の名駒地区にあるからです。食用としてより正月の飾りとして買う人がほとんどなら、名駒みかんを栽培しても採算はとれないでしょう。それでもこの木を代々守り続けてきた人たちがいて、その一人が先ごろ亡くなった。
 
 天然記念物の原木とセットでメディアに登場することの多かった彼の名は「くずれくん」。もちろん愛称で、俳優の中村雅俊さんを崩した風貌だったから呼ばれるようになった。ぼくの最も仲の良かった男で、同級生の中ではいち早く学生結婚し、すぐに子どもが生まれ、あれよあれよという間に離婚した。
 人懐っこくあけすけなやつで、だれとでもすぐに友だちになれた。歌も上手だったしストリートダンスもなかなかのもんだった。
 
 彼の家とは距離があるだけでなく一山超える必要があったけど、彼は中学のころ自転車にUコン飛行機を積んで良く遊びに来たものだ。今でこそ車ですぐそこの感覚だけど、自転車でしんどかったろうな。
 そのころ島に珍しく雪が降ったことがあって、自転車で家に帰るのも大変だったというのに、夕方になって彼が来た。「きみの教科書がぼくのかばんに入っていた」と、わざわざ届けてくれたのだ。宿題は出ていたけど、忘れてましたで済むことなのに。
 
 最後に彼と会ったとき、すでにアルコールで壊れかけていたし、その後に同級生から彼は肝臓がんで死んだと聞かされた。ところがそれは別の同級生で、彼は最近まで達者だったという。だったら会いに行けばよかったと悔やまれる。突然の孤独死だった。
 
 名駒みかんの枝から一つ実をもぐたびに一つ彼との思い出がこぼれ落ちる。甘酸っぱい果汁に塩っぱいものが混じる。来年も名駒みかんを食べられるかどうか分からないし記憶は年々薄れるが、この味はいわば「野に咲く月見草」だったくずれくんの味、しかと憶えておこう。くずれくん、今宵は名駒みかんを愛でながら、きみに献杯。

悪魔のトリルは悪魔におまかせ

2009年12月22日 | クラシック音楽
 バロック後期のバイオリニストで作曲家のタルティーニが『悪魔のトリル』を作曲したいきさつにこんなのがあります。
 演奏旅行で訪れた教会で練習していたときのこと、いつの間にか眠り込んだ彼の夢に悪魔が出てきて取引を持ちかける。
「お前の魂と引き換えに、誰も聴いたことのない美しい演奏を聴かせようぞ」
 後に音大の教授となる学級の徒で、当代随一の呼び声も高かったバイオリニストの彼が申し出を断るはずもない。すると悪魔は見事な演奏を披露し、タルティーニは飛び起きてその曲を書き留めた。しかし出来上がって演奏してみたものの、悪魔の演奏には遠く及ばないもの曲でしかなかった。しかし後年、「私の作曲した中で最も美しい曲だ」と、タルティーニは振り返ったそうです。
 
 怖い話を10枚書き終えて、これ怖いのかな? 自分では怖いつもりで書いたけど、出来上がってみれば少しも怖くない気がする。ゾクゾクする怖さが求められる公募ではないので、似たようなネタが既出じゃなければ入選くらいには引っかかるか。まあその程度なんですが、やはり怖い話は描写が命だね。
 
『悪魔のトリル』は最初についた先生に教わりました。本来ならぼくのレベルで弾けるような曲ではないのに、「やろうよ、かっこいい曲だから、ねえ次のレッスンから悪魔のトリル、やろうやろう、こんな感じだから」と、無理にねだられ、先生はお手本の演奏を……するかと思いきや、先生の腕は錆び付いておりました。

 まあ「なぞる」といった程度にレッスンを終えたころには、先生もちゃんと練習して弾けるようになってましたが、最後にカデンツァという名人芸を披露するパートが残りました。現代ではクライスラーが編曲したこの曲を、彼の作曲したカデンツァで演奏されるのが普通ですが、そう易々と弾けるものではないかしれません。
「先生、カデンツァはレッスンしないんですか」
「あ、やりませんよ。だって、ここは悪魔の演奏するパートだから、人間は演奏してはいけません」って、嘘ついちゃいかん!

先生をして「悪魔の演奏するパート」と言わしめた超絶技巧の部分を、リコーダーの演奏で聴いてみましょう。
Michala Petri&Lars Hannibal: Tartini Devil`s Trill Sonata 3.


 ミカラ・ペトリさんが演奏するのはソプラニーノですけど、この楽器のために作曲された曲と思い込んでしまいそうなほど巧みですね。後半の伴奏がない部分が悪魔の弾くパート? バイオリン譜は音符で埋め尽くされて真っ黒なので、まさかソプラニーノで演奏する人がいるとは! 若いころの映像じゃないかと思うんですが、鬼気迫るものがあって悪魔がバイオリンを弾きながら踊っているさまがまぶたの裏に見えてしまいました。