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■塩田千春展ー魂がふるえる (2019年6月20日~10月27日、東京・六本木)。2019年秋の旅(28)

2019年10月21日 11時10分04秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 いまさら筆者が書かなくても、容易には言葉にしづらいタイプの感動を、すでにたくさんの人が得ていることだろう。
 圧巻だった。
 これほどまでに体を張って自らの「生」に向き合っている美術作家がどれぐらいいるだろうかと思った。


1) 床を見よ


 冒頭画像と次の画像は「不確かな旅」
 この膨大な赤い糸を張り巡らせたインスタレーションの画像は、フライヤーなどで見た人も多いだろう。




 会場は、作者がかかわった演劇などを紹介するコーナー以外はほとんどが撮影可なので、誰もがカメラやスマートフォンを構えている。

 ただ、上のような写真を撮れるチャンスはまずない(一瞬、会場にほとんど人がいない時間帯があって、非常にラッキーだった)。
 なので、たいていの人は、他の鑑賞者が写り込んでしまわないように、レンズを上の方に向けてしまうようである。
 赤い糸が、カーテンのように他の人をうまくぼやけさせることが、この作品の「インスタ映え」のキモになっているにせよ。

 したがって筆者は、これから会場を訪れる人に言いたい。
 あえて、床を見よう、と。

 このインスタレーションについては、赤い糸がSNSでのつながりのようだとか、人体の血管網を思わせるとか、すでにさまざまな感想が交わされている。
 でも、筆者があらためて感銘を受けたのは、赤い糸もさることながら、床の舟なのだ。


 舟がなんの隠喩なのか、だれにもわからない。
 ことばで言い切る必要もない。

 ただ、赤い糸がさし示しているかのように見える「つながり」や「関係」の集積を、がっちりと底部で受け止めている存在なのだと思う。
 この舟があるからこそ、わたしたちが安心して日々をおくることができているのではあるまいか。


 下を見ると、糸の集積が床の上にさまざまな表情を描いているのがわかる。



2) 惨劇の予兆


(このふたつのドレスは、ダイアン・アーバスや坂東史樹を連想させる)


 黒焦げになったピアノ。

 58脚のいす。
 オーケストラが消えたのか。
 あるいは聴衆が去ったのか。

 はっきりしないけれど、ものすごく不吉で、重苦しくて、悪い予感のような空気が漂う。

 たとえばトーマス・マンの「マリオと魔術師」が全体主義を予兆するような息苦しさを底に秘めているのと同じような、わたしたちの生きづらさのようなものをそこに感じてしまうのだ。




 これらはひとまとめの、「静けさのなかで」という題のインスタレーションである。


 画像がまだたくさんあるので、もう1本、記事をたてることにする。


2019年6月20日(木)~10月27日(日)午前10時~午後10時、火曜のみ午後5時まで。会期中無休
※ただし10月22日(火)は午後10時まで(いずれも最終⼊館 30分前)
森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー)

・東京メトロ日比谷線「六本木駅」直結
・都営地下鉄大江戸線「六本木駅」徒歩6分
・東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩10分


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2019年秋の旅(0) さくいん



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