
(承前)
ところで、森美術館に塩田千春展を見に来た人に強く言っておきたかったことがある。
プラス35分ほど、よけいに時間をみておくように
ということである。
塩田展の出口を出た後、さらに
「NAMコレクション」
「NAMスクリーン」
「NAMリサーチ」
という三つの展示があり、「スクリーン」では高田冬彦の映像作品が上映され、「リサーチ」では走泥社(現代日本の陶芸の歴史を大きく塗り替えた関西の団体)についてまとめられたパネルが壁に並んでいるのだが、「コレクション」で、会田誠の映像作品が流れているからだ。
題は
「The video of a man calling himself Japan’s Prime Minister making a speech at an international assembly」
26分あるが、全部見た方が良い。
2019年6月20日(木)から10月27日(日)までなので、この作品自体にはまだ間に合う。
もしかしたら、塩田千春展で受けたピュアな感動が、ブラックユーモアでぶちこわしになるかもしれないというリスクはある(笑)。
それでも、日本を代表する現代美術家であり、お騒がせ画家である会田誠の作品の中でも、代表作のひとつではないかと思われるからだ。
いやもう、個人的には、大傑作といいたい。これまで、彼の作品には、なんだかんだと「留保付き評価」みたいに接していた筆者だけど、これは掛け値なしに
「バカバカしいけど、むちゃくちゃ考えさせられる」
という会田作品の特長が、最も生きているものだと思うのだ。
映像の内容は、総理大臣に扮した作者本人が、国際会議で、カタカナでふりがながついているのではないかと思われるほどの発音で、英語の演説を行うというもの。日本語の字幕がついている。
まさか本物の総理大臣と間違える人はいないと思うのだが、以前のビン・ラディンに扮した映像もそうだったように、「似ている度合い」が絶妙なのだ。
つまり「似せる」ことが主眼ではない。「本物の首相かと思った」と鑑賞者に思わせることが狙いではないし、総理大臣を直接批判することも目的ではない。とはいえ、ひたすら紙を読み上げるところなどは、現職の総理と共通している(もっとも、先の戦争について、中韓に率直に謝っている場面などは、とても現職の総理からは想像しがたい)。
そして、彼の演説は
「悪の思想とは、グローバリズムであります」
「強い国が弱い国の生き血を吸うため周到に用意された甘言、それがグローバリズムです。その行き着く先には地獄の業火しか残っていません」
「あの素晴らしい鎖国をやめてからわが国は近代化ー帝国主義の道を歩み始めました。それがすべての間違いでした」
「さあ、バベルの塔の建設をやめたあのときに戻り、時を止めましょう。それしかもう人類を救う手立ては残っていません」
というふうに、グローバリゼーションを批判し、鎖国を称揚する内容だ。
グローバリゼーション批判を、国際会議の場で、英語で行うという設定自体がすでにイヤミというか、おかしいのだが、この考え自体は会田さんに以前から一貫している。
一つ前の記事で、2001年の横浜トリエンナーレに、まだ20代だった塩田千春さんが出品していて多くの観客の度肝を抜いたことを回想したが、この第1回のトリエンナーレにはじつは会田さんも「自殺未遂マシーン」というインスタレーションを出していた。たしかそこには、パンチラ俳句というのもあって、故意に英訳はつけず、わざわざ和英辞典が置かれていたことを思い出す。「読めるもんなら読んでみろ」というわけだ。
そういう人が全編英語のビデオを作ったのだから驚きだが、肝心の演説は
「こりゃ米国人、聞き取れないかも」
と思われるぐらいに、カタカナ棒読み英語なのだ(笑)。
筆者はこの演説を聞きながら、2002年の「リレーション・夕張」展で岩見沢市の野又圭司が発表した「グローバリズムの暴力」を思い出していた。
野又さんのインスタレーションは荘厳で、重々しい雰囲気をはらんでいたが、会田さんのはおもしろおかしい。
つまるところ、主張は同一なのに、どこからこういう差異が生じてしまうのだろうかと考えたのだ。
(もちろん、表現の仕方が違うからなのだけど…)
なんとなく現職の総理大臣を思わせつつ、しかし彼を批判も賞賛もせず、「総理をバカにしている!」とネトウヨに言われるようなスキも見せず、こういう作品をつくってのけるスキルは、やっぱりたいしたもんだよな~。
塩田千春展の図録を購入したら、カバンに入りきれず、荷物が破綻状態になった。
六本木ヒルズのコインロッカーの前で冷や汗が出た。
こんなに暑いのに、Tシャツ姿で歩いている人が誰もいない。
六本木だからだろうか。
地下鉄日比谷線に乗り、銀座で降車。
昔の三原橋のあたりに出たが、古い映画館のかわりに超高層のホテルが立っていて、あまりの変わりように頭がクラクラした。
次の目的地は、ギャラリー暁である。
2019年秋の旅(0) さくいん
ところで、森美術館に塩田千春展を見に来た人に強く言っておきたかったことがある。
プラス35分ほど、よけいに時間をみておくように
ということである。
塩田展の出口を出た後、さらに
「NAMコレクション」
「NAMスクリーン」
「NAMリサーチ」
という三つの展示があり、「スクリーン」では高田冬彦の映像作品が上映され、「リサーチ」では走泥社(現代日本の陶芸の歴史を大きく塗り替えた関西の団体)についてまとめられたパネルが壁に並んでいるのだが、「コレクション」で、会田誠の映像作品が流れているからだ。
題は
「The video of a man calling himself Japan’s Prime Minister making a speech at an international assembly」
26分あるが、全部見た方が良い。
2019年6月20日(木)から10月27日(日)までなので、この作品自体にはまだ間に合う。
もしかしたら、塩田千春展で受けたピュアな感動が、ブラックユーモアでぶちこわしになるかもしれないというリスクはある(笑)。
それでも、日本を代表する現代美術家であり、お騒がせ画家である会田誠の作品の中でも、代表作のひとつではないかと思われるからだ。
いやもう、個人的には、大傑作といいたい。これまで、彼の作品には、なんだかんだと「留保付き評価」みたいに接していた筆者だけど、これは掛け値なしに
「バカバカしいけど、むちゃくちゃ考えさせられる」
という会田作品の特長が、最も生きているものだと思うのだ。
映像の内容は、総理大臣に扮した作者本人が、国際会議で、カタカナでふりがながついているのではないかと思われるほどの発音で、英語の演説を行うというもの。日本語の字幕がついている。
まさか本物の総理大臣と間違える人はいないと思うのだが、以前のビン・ラディンに扮した映像もそうだったように、「似ている度合い」が絶妙なのだ。
つまり「似せる」ことが主眼ではない。「本物の首相かと思った」と鑑賞者に思わせることが狙いではないし、総理大臣を直接批判することも目的ではない。とはいえ、ひたすら紙を読み上げるところなどは、現職の総理と共通している(もっとも、先の戦争について、中韓に率直に謝っている場面などは、とても現職の総理からは想像しがたい)。
そして、彼の演説は
「悪の思想とは、グローバリズムであります」
「強い国が弱い国の生き血を吸うため周到に用意された甘言、それがグローバリズムです。その行き着く先には地獄の業火しか残っていません」
「あの素晴らしい鎖国をやめてからわが国は近代化ー帝国主義の道を歩み始めました。それがすべての間違いでした」
「さあ、バベルの塔の建設をやめたあのときに戻り、時を止めましょう。それしかもう人類を救う手立ては残っていません」
というふうに、グローバリゼーションを批判し、鎖国を称揚する内容だ。
グローバリゼーション批判を、国際会議の場で、英語で行うという設定自体がすでにイヤミというか、おかしいのだが、この考え自体は会田さんに以前から一貫している。
一つ前の記事で、2001年の横浜トリエンナーレに、まだ20代だった塩田千春さんが出品していて多くの観客の度肝を抜いたことを回想したが、この第1回のトリエンナーレにはじつは会田さんも「自殺未遂マシーン」というインスタレーションを出していた。たしかそこには、パンチラ俳句というのもあって、故意に英訳はつけず、わざわざ和英辞典が置かれていたことを思い出す。「読めるもんなら読んでみろ」というわけだ。
そういう人が全編英語のビデオを作ったのだから驚きだが、肝心の演説は
「こりゃ米国人、聞き取れないかも」
と思われるぐらいに、カタカナ棒読み英語なのだ(笑)。
筆者はこの演説を聞きながら、2002年の「リレーション・夕張」展で岩見沢市の野又圭司が発表した「グローバリズムの暴力」を思い出していた。
野又さんのインスタレーションは荘厳で、重々しい雰囲気をはらんでいたが、会田さんのはおもしろおかしい。
つまるところ、主張は同一なのに、どこからこういう差異が生じてしまうのだろうかと考えたのだ。
(もちろん、表現の仕方が違うからなのだけど…)
なんとなく現職の総理大臣を思わせつつ、しかし彼を批判も賞賛もせず、「総理をバカにしている!」とネトウヨに言われるようなスキも見せず、こういう作品をつくってのけるスキルは、やっぱりたいしたもんだよな~。
塩田千春展の図録を購入したら、カバンに入りきれず、荷物が破綻状態になった。
六本木ヒルズのコインロッカーの前で冷や汗が出た。
こんなに暑いのに、Tシャツ姿で歩いている人が誰もいない。
六本木だからだろうか。
地下鉄日比谷線に乗り、銀座で降車。
昔の三原橋のあたりに出たが、古い映画館のかわりに超高層のホテルが立っていて、あまりの変わりように頭がクラクラした。
次の目的地は、ギャラリー暁である。
2019年秋の旅(0) さくいん
(この項続く)