ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

中学校の卒業式

2011年03月15日 | 季節の話題
 全国一斉ではないが、今日は京都市内の公立中学校では「卒業式」が行われていた。

 小学校に入学するのが普通は六歳で六年間の小学校生活を終えると三年間の中学校生活で、日本の場合は義務教育とされる9年間の公教育を終えることとなるのだが、多くの生徒たちは高校進学や専門学校も含む高等教育機関へと進学する場合が都会では普通となっている。

 しかし、ご両親や関係者、ご親戚などにとっても、子どもたちの成長の大きな「けじめ」として、この中学校の卒業という一段落を迎えることについての「喜び」はひとしおだと察するのだが、全国各地で行われるはずだった「中学校の卒業式」が、今回の大震災に見舞われた「東北・関東」の各県では、それどころではなく「卒業式」が開けなかったり、当事者である15歳の春を迎えるはずだった「卒業生」が行方不明や亡くなったしまったというケースもおられると思うと心が痛むばかりである。

 仕事で市内を営業活動していて、昼ごはんのために「ファミレス」に入ったのだが、そこでは中学生だけではないが若い学生、生徒、児童たちが「春休み」に入ったところもあってか、たくさんの友だちや家族と「食事」にやってきていて、「笑い声の絶えない食卓」となっていた。

 一方、私は一人寂しく「昼ごはん」を食しながら、友からの「大震災に何か出来ないか?」という携帯メールに対する返答を綴りながら、京都では「何事もなかった」様に、家族団欒の食事や友達と談笑している中学、高校生がいることを不思議な気分で見ていたのである。

 遠いとは言え、先月に発生した南半球のニュージーランドで発生した「大地震」の日本人犠牲者も続々と身元が判明し、語学の留学で海を渡った前途洋々の若い学生たちの多くが、クライストチャーチの語学学校の入っていたビルの全壊で犠牲となられたことは記憶に新しいのだが、28名の行方不明者とされていた人数の数百倍の未曾有の人々が犠牲となった可能性が徐々に明らかになりつつある、今回の「東日本大震災」のことを思うと、同じ日本の国土の千数百キロ先の東北の大地とは言え、実感に乏しいテレビ映像だけが、その悲惨さを告げていても、日常生活に戻れば「ウソの様な」大地震の実態なのである。

 今日、晴れて「中学校」わ卒業された若き前途洋々の人たちに「おめでとう!」と言いたいのだが、同じ日本の中で起きている大惨事を思うと、なかなか「おめでとう!」とは言いにくい重たい気持ちに苛まれてしまうのは私だけではあるまい。

 東北各地の特に太平洋側の海に隣接した各市町村では、「中学校」それ自体が多くは「避難所」と化していて、卒業生だけでなくそのご家族や先生方の安否すら判明しないところもあると思われるので、遠い京都の地から「卒業生や関係者」の無事を祈りつつ、一ヵ月後でもいいから晴れての「卒業式」をしてあげられればと願うば
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