ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

生きていることに感謝して大切に歩もう。

2011年03月17日 | 感じたこと
 ほんとうにほんとうに東日本大震災は、福島原発の度重なる爆発や放射能漏れの危険性も相まって、未曾有の大惨事になっていて、死者、行方不明者の数も16年前の阪神淡路大震災をはるかに超える人数となってきて、一千人の遺体が海岸に打ち上げられているとか、津波によって町の大半が壊滅状態とか、避難所に避難している人たちが再び原発の危険性から避難を強いられて、ご病気の人たちが搬送中や避難場所で亡くなられているニュースもあり、何ともいえぬ心が重たく悲しい知らせばかりである。

 そんな中、生きて再会を果たされたご家族や知人、友人の安否がわかって、ほつと胸をなでおろしておられる方々もいらっしゃると思うが、自分の家族、親戚、知人、友人だけでなく、まだまだ大勢の人たちが救出や救援を待ちわびておられると思うと、自治体や大手企業だけでなく、地元の社会福祉協議会やボランティア団体も受け入れ体制を整備して、全国のボランティアとして働きたい人で、自分の食糧や寝泊りを自己完結できる人の受け皿を作ってもらいたいと思うのである。

 続く余震や原発の危険性から、なかなか素人の「ほっとけない人たち」であるボランティアの受け入れまでは手が回らないのが現状だと推察できるが、震災から一週間が経過し、避難された方々や自分の住居が壊滅状態の人たちも、自分たちの家や故郷に、何かしら思い出や記憶にとどめられる物があるのではないかと捜索や片付けに行きたい方も出てくるのではないだろうか。

 そんな時にお手伝いしたり、救援物資の配送や炊き出しの手伝い、介護や子どもの遊びのサポート、病院関係者だけでなく、精神的に落ち込んでいる人たちへの、少しでも邪魔にならないサポートが出来るならばと、いろんなアイデアを考えてボランタリーな精神で手伝いたい人たちがたくさんいることは嬉しいことである。

 しかし、今は少しの我慢が必要な様で、阪神淡路大震災や中越地震などの場合とは全く異なった「地震だけでない大津波」の被災は、町の道路アクセスも遮断し、搬送、輸送に使える車とガソリン、運転者も欠くようで、しばらくの猶予が必要のようである。

 「他人の為に役立ちたい」と思う青年たちやボランティア志願者はたくさんいることはいいことだが、むやみやたらに個人として現地に入ったりして、何から手をつけたらいいのか、また行政職員や現地の活動を行っている人たちに邪魔になったり、ましてや「自分は何をしたらいいのか?」などと聞いているような人では、救援活動やサポートにはならないで、かえって迷惑になるであろう。

 徐々に救援、支援の体制が整う状況が見えてきて、今日全国のボランティア団体を統括する「東日本大震災救援ネットワーク」が立ち上がったとの報道があったので、しばし待って、そのネットワークのやり方や要望に沿った活動が出来るボランティアとして現地へ入ることのできる場合が出てくるのであろう。

 善意だけでは何の役にも立たない場合があって、足手まといや邪魔になるケースだけは避けなければいけないのである。

 
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