ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

立候補説明会。

2011年03月05日 | ちょっと可笑しいよ
 いよいよ、統一地方選挙の春が近付いて、今日京田辺市選挙管理委員会が主催する「選挙事前説明会」が行われ、定員21名の市議会議員の選挙に立候補を予定している現職19名と新人、元職9名の陣営が参加し、市長選挙に関しては現職だけの立候補予定との噂であるが、とにかく選挙管理委員会のメンバーと市役所の総務、選挙関連職員の説明が行われた。

 私も4年ぶりの選挙への立候補の準備ということもあって、選挙をお手伝いいただく男性と女性のおふたりと共に、予定時刻の少し前に会場前に到着したのだが、お二人と雑談をしていて受付を済ませて会場に入場したら25番目となり、後ろの方から立候補予定者陣営の参加者を見渡す感じで説明を聞き入ったのであった。

 市役所の職員や選挙管理委員会ならびに警察署や郵便事業会社の職員などが、手引きや説明書に記載された重要な箇所をポイントとしてあげて説明されていくのだったが、ほんとうに事務的な立候補届けに関する書類や捺印などの必要性が何処まであるのかと疑問を感じざるを得ないほど、インターネットの情報やペーパーレス時代と言われているのにも関わらず、未だにいつの時代に作られたのか、公職選挙法を軸とした「手書きで事務的に一字一句を間違わずに記入しなければならないために、立候補届けの書類の事前審査という名のチェックを最低二回は受けなければ、告示当日の「立候補届け」が円滑には受付られないという、時代遅れともいうべき手順やルールの説明が主であった。

 参加していただいた市民のお二人にとっては、とっても退屈かつ眠たい二時間余だつたと推察されるのだけれど、立候補を予定している本人である、私自身にとっても「何でこんな面倒な形」を踏襲しなければ「被選挙権」を行使できないのかと、甚だ疑問に感じる手続き論と記載、記名などの書類が多いと思うのであった。

 1991年からの町議選2回、市議選2回と前回は市長選への立候補だったが、計5回の立候補に際して同様の説明会には参加し、今日と同様の説明を聞いて来たのであるが、この四年間普通の市民としての生活をしてきたというギャップもあってか、余計に「お役所仕事」を改めて感じざるを得なかった。

 たぶん、市民としてはじめて公職選挙法や「選挙の手引き」「統一地方選挙」についての説明を聞く体験をされたお二人の知人は、どう感じられたのであろうか。

 四十代のサラリーマンの男性と50代の五人のお子さんの母である主婦のお二人に参加していただいたのだけれど、私以上に違和感を感じられたことだろうと推察しつつも、現行の法律、ルールにのっとっての「選挙の仕方」をしなければならないので、いよいよ決戦が近付くと言った感じての、闘争準備に入る気力とスケジュールだけは確認して、明日からの選挙準備にあたり、少ない準備期間とは言え、当初に念頭にあった「挨拶」や「書類」「通信」の類の設計を急いでしなければとの思いが強くなって帰路についた。

 もっと簡単に気軽に市民が立候補や議会参加や行政参画ができる制度やルールを考える時が来ていると痛感したのである。 
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心の貧しさに負けそうな人々。

2011年03月03日 | とんでもない!
 同年輩の友人と久しぶりに会って、少しだけお茶をしながらお互いの近況やら社会、政治、経済について意見交換をした。

 彼曰く、自営の生業をしている人間にとって、現在の日本社会は大変であり、仕事も減って収入も厳しく、日々食べていくのがやっとだというのである。

 大手企業や公務員の人たちは、定年後も「厚生年金」や「共済年金」などで手厚く年金暮らしが可能だろうけれど、自営業者や国民年金だけの受給者にとっては、「将来」や「老後」は闇だというのである。

 確かに、若い人たちの就職難も厳しく、日本の自殺者が昨年も三万人を越えて、連続13年という不名誉というべきか、とんでもない社会状況が続いていて、交通事故死の数は年々ピーク時の1万人強から何と5千人を割るという「半減」を達成し、年々まだ減少の一途を辿っていることと対比すると、何と自らの「いのち」を自殺というカタチで絶つ人が、交通事故で亡くなる方の5倍から8倍近くもいるという現実は、とんでもない「豊かでない国」、すなわち、「心の貧しい国」であると言っても過言ではあるまい。

 彼曰く、我々の世代や私たちの親の世代までは、たとえ貧しくとも近所や知人、友人が何かと気遣ってくれて「お互い様」と助け合い、時には「米や醤油」まで持ってきてくれたり助けてくれるご近所付き合いが自然にあって、それが当たり前で「お互い様」であったのに、現在の隣近所の人間関係などには、ほとんどそんな「助け合いの精神」は、陰を潜めているのか見当たらなくなっているというのである。

 アフガニスタンやパキスタンなどの西アジアの発展途上国と言われている国々で、医師としての地域医療だけでなく「灌漑設備」や「水路」建設なども行っている、有名な日本のNGOでもある「ペシャワール会」の代表である「中村哲さん」が澤地房枝さんとの対談で語っていたらしいが、今の50代以下の人々にとっては、中村さんたちの運動や行動が「なぜ行うのか」との疑問だというのである。

 つまり、他人のために無償で働いたり、人助けをするという精神、ボランティア的行為は、「何のためにするのか?」という素朴な疑問をぶつけてきた上に、「ほっとけないから」とか「自分で出来ることをしたい」とか回答すると理解が出来ないのだというのである。

 決して犠牲的精神とか、自分を捨てて奉仕すべきだと言っているのではなく、中村さん自身もペシャワール会の活動のきっかけは、大好きな「蝶」を求めてパキスタンやアフガンにやってきたことが、いつのまにか現地での数々の貧しい人々へのサポートや医療支援、土木支援などによる活動となってきたのだというのであって、「外国の人々を助けたい」という功名心からではないとのことであった。

 日本国内でも現在、なかなか表面化しないが「ワーキングプワー」と言われる、働けど経済的なゆとりとはほど遠い日々の生活を送っている人たちが増加していて、「生活保護」を受けている方が豊かだとさえ思う庶民が増えつつあるという奇妙な現実が進行しているのである。

 経済的な貧しさがあっても心はそれほど貧しくなかったと言われる「昭和2.30年代」と違って、今の時代はお金がなければ心も貧しく、社会や隣の知人、友人たちが助け合う心も持ち合わせていない感じで、「負けてしまう」人が増えているという気がしている。

 もう一度、日本人の日本人らしさのひとつである、「他人でも苦境にいる人をほっとけない!」という精神で、大切に遠慮せず人助けをする「心の豊かさ」を取り戻してほしいと切望したい。
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「ずるい」ことするな!

2011年03月02日 | とんでもない!
 ここ一週間の大きな話題、ニュースとして取り上げられているのが、京大、早稲田、同志社などの大学入試を受験した何者かがたぶん携帯電話から「ヤフー知恵袋」というサイトに投稿し、答えを回答してほしいとする「ずるい」、カンニング事件であり、特定の発信者をドコモなどの通信会社の協力を得て、発信元を特定し「偽計威力妨害」容疑で事件として犯人の検挙を目指すというカタチで進んでいる。

 確かに京大、早稲田、同志社などの有名国公立大学と私学でもトップクラスの受験をした者の中に、携帯電話を密かに隠し持って、難しい問題への回答を試験会場から特定もしくは不特定多数のヤフー知恵袋利用者かそれとも特定の共犯者に対してメール送信をしたかは定かではないが、どう見ても「ずるい」やり方で、堂々とカンニングを試したと言われても仕方がない事件として発覚して、犯人探しが始まって今日現在、東北地方から受験したと思われる男子学生が捜査線上に浮かんでいるらしいのだが、いずれにせよ「ずるい!」の一言であり、自らは安易に回答を知る手段として、このインターネットのヤフー知恵袋を利用したと思われるのである。

 何がきっかけで、こうした不正行為をしようとしたのかは定かではないが、今の若い受験世代には「携帯電話」は必需アイテムであり、多くの機能を駆使して試験中とはいえアクセスできれば、自分では難解で回答を見出せない問題にも「こたえ」を解答できるという「ずるさ」を思いついて実行したらしいのである。

 PC、パソコンを通して多種多様な情報がすぐさま得られるという便利さ、都合の良さを悪用して「カンニング」しようと計画し、たぶん共犯者それも受験経験者の学力のある機転の効く仲間がスタンバイしていて、何処からか回答をひねり出して短時間のうちに回答を投稿し、それを行為者が見て回答として記したとすれば、相当きめ細かく準備した上での「犯行」だったのだろう。

 日本だけでなく、韓国や中国でも異常なほどの受験戦争の中で、少しでもいい大学に入学したいととの一心からか、いずれも有名私立大学も含め、特定の人物が同じような行為を繰り返していたようで、特定の発信者がわかれば当然検挙されることとなるだろうが、今回の事件の犯人だけでなく、人の心の中には悪魔かずるい王が住んでいて、ちょっと注意を怠ると、そういった手法やツールを活用してでも、国公立や私学の如何を問わず、「わからないだろう」とこうした悪事を思いついて実行したに過ぎないのかも知れない。

 誰もが人としてしてはいけないことと分かっていても、どうしても合格、入学したいとの思いからか、こうした犯罪的行為を思いついて実行したのだろうが、とにかく了見の狭い「ずるい」行為として、許されがたい事件だと思うので、今後の防止策と共に、「ずるい」行為の再発を防止するための対策、マニュアルなどと共に、携帯電話の電波を阻害する手立てなどを講じるか、電源を切ることを確認するか、持ち込みを禁止するかの対応をすべきだというのは、大変恥ずかしいことでもあり、大人を前にした18歳か19歳が大半だと思う受験生のモラル以前の問題だと思うのである。

 しかし、現在の若者の多くに共通しているように、少しでも簡単に手に入れる方法をマニュアル化したり、アクセス方法を伝授されたりすると一度試みてみるという「トライ」の精神なのかもしれないが、そうした上でたとえ合格したとしても、一生自分の人生は「ずるい生き方」、すなわち詐欺師同然の「人生」を背負って行かないといけなくなるのだと思わないのだろうか。
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NZ地震から一週間。

2011年03月01日 | とんでもない!
 南太平洋、オセアニアの美しい島国「ニュージーランド」でマグニチュード6.3の直下型の地震が発生して一週間が経過したのだが、未だに死者の数は増え続けて148名と発表されているのだが、個人が識別されて名前が公表されている故人はニュージーランド人の8人だけだという。

 日本人の英語の習得の為に留学していた人が主なのだが28名もの行方不明者の安否を気遣って、不明者の家族や関係者がクライストチャーチに入って早や5日になるが、大地震での被災者の救出のタイムリミットとされている72時間もとっくに経って、生存が危ぶまれる事態であるが、未だに語学学校が入居していた倒壊ビルの付近へさえ行けない状況が続いている。

 確かに余震などによる二次的被害の危険性があるとは言え、ニュージーランド警察と地元政府、自治体の規制は厳しすぎる観もり、被災者の家族は苛立ちを隠し得ないし、一時帰国して被災者の発見や現場への立ち入りが許可されるようになってから再びニュージーランドへと思う家族も出てきているという。

 遺体が発見されて運び出されたのが148体あり、その中に日本人の犠牲者もいると思われるのだが、遺体の損傷が激しくて個人の特定が非常に困難だとされていて、DNA鑑定歯の治療痕などの具体的特長や科学的根拠が一致しないかぎり個人を断定できないとされていて、国際的識別鑑定や検視の段階を追って、個人の特定へと作業を進めると現地の警察などは言っているらしいのである。

 確かに自然災害が原因とは言え、あまりにももろく全壊してしまったCTVビルは、見るからに構造物としての強度が不足していたとしか思えないくらいにエレベーター塔の部分を残すので、ほぼ五階建てのビルが全壊しているという状況なので、建造物としての耐震性そのものにも問題があったといえそうな感じである。

 いずれにせよ、外国であるニュージーランドでの大地震の災害なので、十数年前に起きた「阪神淡路大地震」との比較などは出来ないのかもしれないが、あまりにも身元確認や現場での救助作業の実態が知らされることが少ないので、被災者家族は当然だが、日本国内でテレビ報道を中心に状況を見ている多くの国民にとっても苛立ちに似た「あせり」を感じざるを得ない。

 あの御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機の事故での遺体確認では、あの映画「沈まぬ太陽」の場面でも、大きな体育館に並べられた遺体を、遭難した被災者の家族たちが日航の職員たちと一緒に「棺おけ」を覗き込んで、泣きの涙で目視して確認していく様が描かれていたのだが、困難な面はあろうが、着衣や持ち物などと家族が見ればわかる特徴が明白な場合もあると思うので、少しでも早く確認できる手順を進めてもらいたいと思うものである。

 厳しい状況の中ではあるが、祈るような気持ちで現地に飛んで滞在しているご家族の日々を思うと、胸が張り裂けそうな衝動すら感じるのだが、何日もかかる遺体の確認や救出作業に、いい加減にしびれが切れたり怒りすら覚えるのは私だけではないと思う。

 
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