ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

虐待やDV。

2010年11月30日 | とんでもない!
 ここ数年に始まったわけではないが、テレビを中心とするメディアや教育関係者、または行政で問題になつているのが、児童虐待や高齢者虐待となかなか表には現状がわからないDV、すなわちドメスティックバイオレンスである。

 全国に児童相談所や多くの学校、行政の民生、福祉の窓口や専門のカウンセラーが常駐するセンターまで最近はできてはいるが、一向に減少するどころか増加の一途をたどっていると言っても過言ではないのが、こうした普通は他人には見えない「虐待」や「DV」なのである。

 今日も京都市内の普通の住宅街を営業仕事で回っていたときのことであった。

 ある生活道路の少し幅のある左側に営業用の軽自動車を停めて、近くの住宅を訪問し数軒の訪問を終えて車に戻ろうとしたときであった。

 若い髪の毛がぼさぼさの女性、たぶんおかぁさんだと思うのだが、家から買い物か用事があって外出する場面であったと思われるが、まだ二歳くらいの男の子を小脇に抱えるようにして、自分の自家用車のドアを開けながら怒鳴っていたのであった。

 「なんぼ言うたらわかんの!はよう車に乗れ!」と命令口調で言い放ちながら、なんと小さな男の子の髪の毛をわしづかみにして無理やり車の後部座席に投げ入れようとしていたのであった。

 当然男の子は泣き叫び地面に落とされたのであったが、まったくの他人で通りすがりに過ぎない私には、驚きながらもどうすることもできない十数秒間であり、若い母親はこちらに少し視線を向けたが、知らん顔で再び男の子をつかんで車の後部座席へほり込んだのであった。

 どうみても、それまでの過程はわからないが、いつもこの様な口調と暴力で、わが子である小さな男の子に接しているのではないかとしか思えない光景を見てしまったのであった。

 世の中では虐待による致命的な傷を負って亡くなったけ例や餓死同然の状態で死んでしまったニュースが伝わってくるたびに、悲しくてやりきれないのだが、こうしたニュースに至るまでの過程で、なんとか止められないものだろうかと、いつも不思議に思うのだが、今日のケースが日常的かどうかは、長期的に観察するかしないとなかなか判断できかねるものである。

 夫婦間や恋人同士の間で生じていると言われている「DV」については、もっと厄介なのだが、大人同士の夫婦喧嘩や激しい喧嘩は場合によっては、「犬も食わない」、と言われるように他人が口出ししたり、止めに入ったりはできないケースがほとんどである。

 しかし、どんな関係性であっても、異常な暴力や人権を無視した言動をも含む「内なる暴力」にも、断固厳しい姿勢で「ストップ」をかけなければいけないのは当然である。

 人が突如として凶暴になったり、特に弱い立場の者に対して、とんでもない非情な手段で圧倒する「暴力」や「暴言」は、たぶんにその加害者の成長過程における環境や人格形成過程での欠陥があったものだと推察されているのだが、ともかく「止めなければならない」のである。

 行政や学校、教育機関など、公的窓口ではな日常的生活空間での「虐待」や「DV」の発見は困難なのだから、一般の市民、隣人や知人、友人が告発の手がかりを見つけた時に、勇気を出して「いのち」を守るために進言する必要を痛感している。

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