ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

伝統のTG戦中継なし!

2010年08月07日 | プロスポーツ
 先日のプロ野球セリーグ首位攻防戦、阪神タイガースVS読売ジャイアンツ3連戦は、惜しくも巨人の2勝1敗で、首位が日替わりするというデッドヒートで、天王山にふさわしい熱戦となった。

 しかし、白けたのはラジオ中継はあったが、一部の衛星中継はデジタル放送設備のある受像機では観られたのだが、我が家のテレビの様に、いまだアナログテレビの家庭では、地上波放送が全くなかったために、テレビ観戦することができなかった。

 以前にもテレビ中継がないことはあったと思うが、プロ野球ファンにとって「何故?」と思わざるを得ない、盛り上がっていた首位攻防戦が三日連続、関西地方では普通にはテレビで観ることができなかったのである。

 これは読売新聞系列である、ニッポン放送テレビ網のひとつである、「読売テレビ」すら「読売巨人軍」の野球中継を地上波の普通のアナログ放送ではしないという、どう考えても残念かつスポンサーのつかない問題なのだろうか。

 先月、大相撲夏場所の名古屋での生の取り組みテレビ中継が、野球賭博に関与した力士や親方、関係者の大量謹慎や解雇の影響で中止されたのだが、大問題化したあおりを受けて、各取り組みに出ていた「懸賞」も企業側の自粛とテレビ中継による宣伝効果もないことから激減したといわれているが、今や「巨人戦」も視聴率が稼げず、高い負担額のいる「東京ドーム」からの伝統の一戦の生中継がされないのであった。

 ゴールデンタイムと言われる18時頃から21時、22時の間のナイトゲームのせめて中盤から終盤の2時間だけでも、何処かのチャンネルで中継があればと思っていたが、全くなく、ラジオで聞いたり、携帯やネット上での途中経過の検索でお茶を濁す感じの経過察知のみであった。

 いずれにせよ、時代を遡って、伝統の一戦の阪神、巨人戦も、「長島、王」を中心とする川上監督率いるジャイアンツの9連覇の当時は、毎晩の如く巨人戦はテレビでの中継があり、全国の少年たちは「巨人の強さ」に憧れて、多くのジャイアンツファンが誕生したはずであった。

 今や球界は、巨人ファン同様に全国的に、タイガースファンの増加で、ひょっとしたら「巨人戦」以上に「阪神戦」に客が集まるという感じの「プロ野球人気」となっていると思われるが、読売グループの嫌がらせか、視聴率を稼げない割には放送権料、つまリスポンサーが負担しなければならない多額のお金が高いためか、どうも合点が行かない、「ゴールデンカード」のテレビ放送の無さであった。

 この三日間は、パリーグの試合をNHKの衛星放送やUHFローカル地域放送局が中継していたので、たまにはそうした試合中継を見たい人にとっては良かったのかも知れないが、多くのプロ野球ファンのためにも、伝統の一戦と呼ばれる「阪神VS巨人」のテレビ中継が地上波の普通のテレビで皆無だったことが残念であった。

 放送権料と視聴率、またはスポンサーと親企業など、背景に多様な原因があったとしても、視聴者が観たい番組のひとつである、看板試合のテレビ中継を是非ファンのために、復活させていただきたいものである。

 

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超高齢者の失踪?

2010年08月05日 | 感じたこと
 先日の113歳のはずの母親が実際は住民票登録された住所に住んでおらず、長期間、年金が支払われていて、敬老給付金なども支給されていたのに、既に死亡していて白骨化した遺体が発見されたという、とんでもない事件の発覚から、全国各地の自治体が緊急に100歳以上の住民の安否確認を行ったところ、多数の所在不明者が出てきた。

 十数年前に、ダスキンのCMを契機に一躍時の人となった「金さん、銀さん」の姉妹も既に故人となられているが、その後も「長寿世界一」と称される日本の超高齢者、すなわち100歳以上の人口は増加し、数年前から3万人を超えて、今や5万人に迫る勢いだと報じられていた。

 しかし、今回の事件がきっかけで全国各地の自治体の調査の詳細がわかると、ひょっとしたら実際の100歳以上の生存者?、すなわち、生きて生活されている方々がどれほどおられるのか、判明することになると思われる。

 実際のところ、長寿と言っても、「寝たきり」や「植物人間」同様の状態の方々も多くおられると思われるし、ましてや戸籍上は「生きている」ことになっているが、実際は既に死亡されている方々も多くいることになると思われる。

 2010年、今年も「長寿世界一」の国、ニッポンの女性の平均寿命はほぼ85歳に達しようとしているし、男性ももう少しで80歳に達するという、統計上の数値とは言え、確かに世界的な長寿の国であることは間違いないのだが、その実態は怪しくもある。

 食糧事情の発展や現代医学の治療や延命技術の向上もあって、少なくとも日常生活をつつがなく送れる生活者として「生きている」方々が増加していることは、とても喜ばしい限りだが、「生きているか死んでいるかわからない」と家族や子供たちが「消息不明」と称する様な状態の方や、施設や病院で死を待つだけの方がいるとすると、どうも「長寿世界一」も喜べない側面がある。

 今回の報道を契機に、多数の超高齢者の消息不明、すなわち「何処にいるのかも生死も分からない」という事実を語る、年老いた子供さんたちやご家族、親戚筋の方々のインタビューがいくつか紹介されていたが、全く不可解なことである。

 要は、自分の父や母、中には兄弟姉妹や親戚のおじさん、おばさんとしても、肉親と言われる家族や関係者が、その方との関わり、相性、因果関係、経済的関係の相違や反発などがあったとしても、何処に住んでいて、生きているか死んでいるかも知らないという状況が、あまりにも多いことに驚くのである。

 人間の今ある「生活」は、自分自身だけの「生」ではなく、親、兄弟、そして多くの友人、知人、地域の人々によって支えられていて、今があるのだと思うのだが、経済的なことだけでなく、まったく自分だけの「生活」しか関心がなかったり、孤独な生き方を好んでいるのか、全く説明以前の「非人間的」状況も当たり前と言った「言い訳」や「理由」を述べられている。

 結局、一歳と三歳の我が子を餓死させた、若い母親と同様に、「命」というものを全く顧みない、とっても寂しい現状が日本社会に間違いなく広がっているという、危機的社会である。
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また「幼い命」が・・・!

2010年08月03日 | テレビマスコミ
 またとんでもない事件が発覚し、テレビや新聞での報道を通じて、若い母親が一歳と三歳のわが子を自宅に放置したまま、長期にわたって「ほったらかし」し、水も食事も与えられず、泣き叫びながら「ママ・・・」を呼んでいた「幼い子ども」の命は、餓死という形で亡くなったのである。

 この事件の23歳の若き母親は、どう考えても「母親」以前であり、人間としても全く非人間的な行動を繰り返していたとしか言いようがない。

 一分、一時間でも「幼い子ども」から目を離したりすることすら危険であり、親としての「子育て」の楽しさや喜びを、確かに一瞬は「いなければ・・・」と思うことがあっても、多くの母親は、不安と愛らしさの中で、子ども優先の生活を余儀なくされているのが当然なのだと思う。

 なのに、この逮捕された女性は、風俗店の職員として仕事をしていたのかどうか定かではないが、子どもたちを放棄して、水や食べ物を与えるという、「生きる」ための基本的なことすらしていなかったのである。

 その上、長期間の放置によって「泣き叫んだり」「水や食べ物」を求めていた幼い「命」は、「餓死」という最悪の結果を招いても、この女性は二人の遺体を放置して、「死体遺棄」事件として逮捕されているのである。

 「死体遺棄」ではなく、我が子への「殺人」事件そのものである。

 犬や猫、猿などの動物界においても、こんな愚かな事件は聞いたことがないほど、非人間的な全くやりきれない、言葉にならない寂しさ、悲しみがこみ上げてくる事件である。

 いつから、現代社会はこんなにも猿や犬にも劣る様な、愚劣かつ命を粗末にしても平気な「感性の無さ」を持つ傾向が強くなったのであろうか。

 経済優先、自分の享楽や「自分勝手」が優先される、「我が儘社会」にどっぷりと浸かった「悪病化」が進んで、今や子どもたちの中にも、「命」の重さや大切さを理解出来ない子供がいると思う。

 テレビゲームなどの中にいる「ヒーロー」や「主人公」たちは、「リセット」すれば蘇るし、かぶと虫や鍬形を飼っていても、「死んだら電池を替える」と、また動き出すと思っている場合があるのだという。

 大人社会においても、多くの電化製品やIC部品が埋め込まれたり、所謂「デジタル」化された製品や道具に慣らされていて、心の通った「思いやり」や「心遣い」が薄れてきていると思われる傾向が強くなってきていると言えよう。

 この事件の容疑者女性の非人間的感性は既に「犯罪」そのもので、我が子に対する「殺人」事件そのものだが、彼女の両親や友人、知人、関係者にとっても、同罪と言わざるを得ないほどの、無関心、無干渉が招いたとしか言いようのない、とんでもない殺人事件である。

 日本社会が経済優先で、人の優しさ、賢さ、命を大切にする思いやりやサポートを忘れた「自分勝手」だけが許される、全く信じがたい事態に突入しているのを、何とか抜け出すための人々の助け合い、声の掛け合い、おせっかいや親切が重要なのではないだろうか。

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「オワリはじまり」

2010年08月02日 | 感じたこと
 テレビをなんとなくつけていたら、「かりゆし58」の歌う、「オワリはじまり」という曲が飛び込んできた。

 久しぶりに聞かせてくれる詞に出会った感じで、大変嬉しかったし、是非CDを買ってじっくりと聴いて見たいと思った。

 「かりゆし58」とは、間違いなく沖縄県出身のグループで、沖縄本島の幹線道路、国道58と「かりゆし」という琉球語を接着して作ったバンド名であることから、息子たち夫婦が沖縄住んでいることや、「ゴーヤ」の「58」などとモジッタ遊びも大好きなので、とても気に入ったのである。

 テレビ番組は、島田伸助が司会する、「行列の出来る法律相談所」だと思うが、元ラグビー選手であった川原宏行医師が突然にアフリカのスーダンへ赴き、現地での医療活動を始めたNPO法人ロシナンテスに纏わる話題と共に流された曲が大評判になり、五月以降話題が続いているというのである。

 「オワリはじまり」

 もうすぐ今日が終る やり残したことはないかい

 親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい  

 一生忘れないような 出来事に出会ったかい

 かけがえのない時間を 胸に刻み込んだかい  

 夕飯時 町 人いきれ、「ただいま」と「おかえり」の色

 せわしない木漏れ日 花びら、「おはよう」と「さよなら」の音

 ありふれた日々が 君や僕の胸に積もって光る

 もうすぐ今日が終る やり残したことはないかい

 親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい    

 今動きだしたものや もう二度と動かないもの

 今灯り出した光や 静かに消えていく光

 この夜の向こうで 新しい朝が世界に降り始めている

 旅立ちの時は いつだって少し怖いけど 

 一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい   

 かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい  

 もうすぐ今日は終る もうすぐ今日は終る

 かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

 これも希望のかたちだって ちゃんと分かっている   

 思い出に変わるのは きっと最後の最後さ

 笑って「さよなら」を言えたらいいな   

 またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないか   

 残された日々の短さ 過ぎゆく時の早やさを 

 一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい  

 かけがえのない時間を 胸に刻み込んだかい

 もうすぐ今日は終る もうすぐ今日は終る

 かけがえのない時間を 胸に刻み込んだかい

 
 私に久しぶりに衝撃的な言葉を送り込んでくれた「かりゆし58」だが、皆さんにとっても、きっと思い当たるふしが一杯あることではないでしょうか。

 ぜひ、じっくりと聴いて、今感じること、素直に声に出したり、行動を起こしましょう。

 今日はもうすぐ終ってしまうのですから。
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5時間25分の熱戦。

2010年08月01日 | プロスポーツ
 昨夜の阪神甲子園球場へ、20数年来の友人の誘いで土曜日のナイターなので、いつもの有機八百屋の移動販売の営業を早々に切り上げて、何と阪神VS中日の試合開始に間に合って、タイガースファン同士だが、初めて3塁側内野席で観戦した。

 初回に新井の二塁打で二点を先制して気持ちのよい試合展開になると思ったのに、すぐに若き先発鶴投手が同点にされて、六回には2点ホームランを打たれて、阪神は劣勢になった。

 電車で球場に行ったこともあって、今回は今年三度目の甲子園だが初めて生ビールを飲みたいとタイミングを見計らっていたのだが、劣勢のためチャンスがないので、七回の攻撃前に発想の転換で逆転を信じて、二人で生ビールで乾杯したら、強力な助っ人ブラゼルが33号を左中間に打ち込んで一点差となった。

 再三再四、阪神は塁上を賑やかすのだが、ここ一本のタイムリーが出ず、苦しい展開となったが漸く同点にしたかと思うと、九回の表に一点を入れられ、厳しい戦いを強いられたのだが、9回の裏ツーアウト満塁から浅井の間一髪セーフの内野安打で同点になり、サヨナラゲームを期待したのだが、あえなく清水が三振に倒れて延長戦となってしまった。

 私たちは20数年前に同じ子どもたちの活動現場で出会っていたので、当時の子どもたちの一人が球場近くの焼き鳥屋さんに嫁いでいているというので、延長戦は球場を後にして、彼女との出会いと阪神の勝利を信じて焼き鳥屋のカウンターで談笑していた。

 23時を過ぎたのでお互いの自宅へ帰る終電車が気になったので店を後にした頃、ちょうど甲子園球場の熱戦は5-5の引き分けに終わって、球場から阪神甲子園駅への周辺は大変な混雑となり、梅田行きの電車に乗るまでに20分近くがかかってしまった。

 辛うじて満員の臨時急行に乗車は出来たのだが、乗客の話題は今日の試合のことよりも、帰宅できるかどうか、携帯での終電時刻の確認であった。

 大阪の堺からのファン、茨木からの親子連れ、そして名古屋~新幹線でやって来たという、母親は中日ファン、娘さんは阪神ファンという親子など、様々だが皆んな家まで帰れるかが心配であった。

 名古屋からの親子は大阪のホテルを予約していて、泊まって帰るのだと言うからいいのだが、茨木、堺のファンは何度もチェックし心配そうであった。

 私の場合も終電車に間に合わない公算が強まったので、何とか友人宅までは行けそうなので家内にメールし、止む終えず友人宅に止まると打電した。

 しかし、友人の勘違いで彼の自宅への終電車もないことが大阪駅に入ってから判明し、思案の挙句、大阪駅周辺での宿泊先探しとなってしまった。

 幸い、天然温泉つきのカプセルホテルが安く泊まれると分かって、二十数年前にスタッフとして子どもたちのキャンプで同じ場所で泊まって以来の、男同士の外泊となってしまった。

 お陰で、積もる話も深夜の2時近くまで話せ、懐かしい知人にも会えて、とっても愉しい半日となったのだが、今期最長の5時間25分のお陰で一泊二日のナイター観戦となった。
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