ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

超高齢者の失踪?

2010年08月05日 | 感じたこと
 先日の113歳のはずの母親が実際は住民票登録された住所に住んでおらず、長期間、年金が支払われていて、敬老給付金なども支給されていたのに、既に死亡していて白骨化した遺体が発見されたという、とんでもない事件の発覚から、全国各地の自治体が緊急に100歳以上の住民の安否確認を行ったところ、多数の所在不明者が出てきた。

 十数年前に、ダスキンのCMを契機に一躍時の人となった「金さん、銀さん」の姉妹も既に故人となられているが、その後も「長寿世界一」と称される日本の超高齢者、すなわち100歳以上の人口は増加し、数年前から3万人を超えて、今や5万人に迫る勢いだと報じられていた。

 しかし、今回の事件がきっかけで全国各地の自治体の調査の詳細がわかると、ひょっとしたら実際の100歳以上の生存者?、すなわち、生きて生活されている方々がどれほどおられるのか、判明することになると思われる。

 実際のところ、長寿と言っても、「寝たきり」や「植物人間」同様の状態の方々も多くおられると思われるし、ましてや戸籍上は「生きている」ことになっているが、実際は既に死亡されている方々も多くいることになると思われる。

 2010年、今年も「長寿世界一」の国、ニッポンの女性の平均寿命はほぼ85歳に達しようとしているし、男性ももう少しで80歳に達するという、統計上の数値とは言え、確かに世界的な長寿の国であることは間違いないのだが、その実態は怪しくもある。

 食糧事情の発展や現代医学の治療や延命技術の向上もあって、少なくとも日常生活をつつがなく送れる生活者として「生きている」方々が増加していることは、とても喜ばしい限りだが、「生きているか死んでいるかわからない」と家族や子供たちが「消息不明」と称する様な状態の方や、施設や病院で死を待つだけの方がいるとすると、どうも「長寿世界一」も喜べない側面がある。

 今回の報道を契機に、多数の超高齢者の消息不明、すなわち「何処にいるのかも生死も分からない」という事実を語る、年老いた子供さんたちやご家族、親戚筋の方々のインタビューがいくつか紹介されていたが、全く不可解なことである。

 要は、自分の父や母、中には兄弟姉妹や親戚のおじさん、おばさんとしても、肉親と言われる家族や関係者が、その方との関わり、相性、因果関係、経済的関係の相違や反発などがあったとしても、何処に住んでいて、生きているか死んでいるかも知らないという状況が、あまりにも多いことに驚くのである。

 人間の今ある「生活」は、自分自身だけの「生」ではなく、親、兄弟、そして多くの友人、知人、地域の人々によって支えられていて、今があるのだと思うのだが、経済的なことだけでなく、まったく自分だけの「生活」しか関心がなかったり、孤独な生き方を好んでいるのか、全く説明以前の「非人間的」状況も当たり前と言った「言い訳」や「理由」を述べられている。

 結局、一歳と三歳の我が子を餓死させた、若い母親と同様に、「命」というものを全く顧みない、とっても寂しい現状が日本社会に間違いなく広がっているという、危機的社会である。
コメント (2)
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