ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ゆめ・夢・YUME.

2009年03月12日 | 感じたこと
 最近、「春眠暁を覚えず」とでも言うのでしょうか、私は朝方に夢を観ることが多くなり、いい心地の時間を過ごしていて楽しくて仕方がないのです。

 やはり「奈良東大寺二月堂」の「お水取り」の行事が済まないと、関西では「春が来た」とは言いがたいのですが、今日などはさすが「お水取り」の季節になり、日中は気温よりも暖かく感じる「春の日差し」を感じる天気になりました。

 そのせいでしょうか、最近の朝の目覚めはとってもすっきりしていて、大変気持ちがいいのですが、それにはもうひとつの理由がありました。

 その理由とは、とっても心地よい夢を朝方見ていることが多いために、朝の起き抜けがとってもさわやかなのです。

 先日も仕事場の仲間たちと昼食を共にしながら、今朝ま見た夢の内容について話していましたが、朝一番にはしっかりと覚えていたはずの夢の内容が昼ごろにはすっかりと忘れていて、少し残念な気持ちになってしまいます。

 先日の夢は、なぜか子供時代に返ったような夢で、何人かの親しい友達たちと暖かい昼下がりだと思われますが、みんなハダカんぼでじゃれあう様に遊んでいる夢でした。

 夢には前後関係や理屈はいらないもので、とってもハダカが気持ちよくて、誰の顔も笑顔でした。

 社会人になってから、私は子供たちと遊ぶプレイリーダーという仕事を十数年やっていたのですが、その頃に改めて学ぶ機会を持って、大阪のとある社会館で、週に一度の夕刻に、教育学や心理学を学んでいる頃がありました。

 しかし、仕事を終えて夕食もとらずに大阪への自動車運転中に何かを食しながら会場へと急いでいたので、いつも講義が始まる頃には、少々眠たくなってしまい、なかなか講義をちゃんと聞くことができないことが多くありました。

 でも心理学の先生のお話の中で、今もしっかりと記憶に残っているのが、夢についてのお話でした。

 先生の「夢」についての講義の要点は、人間の頭の中にある「旧皮質」と呼ばれる先祖代々のDNAの部分と、この世に誕生した後の記憶などを納めた「新皮質」部分が脳内にはあって、「夢」は、この旧と新を橋渡しすることが自由な物語だとの話でした。

 つまり、私たちが見る「夢」は、自分が経験したり体験したりした記憶がなくても、自分の中にある旧皮質のDNAが記憶している経験や体験が「YUME」という架け橋で自由に行き来して、私たちの脳裏に登場して「ゆめ」となって出てくるのだそうです。

 私が現在、よく見ている「ゆめ」たちは、いつの時代かわからない壮大なゆめもあり、本当に夢のような「YUME」もあるので、大変興味深くて楽しくてたまらないのです。

 さて、今晩の眠りも、きっと朝方に何処から誰が経験したのか定かではない「ゆめの様な夢」を見るために休むみたいな心地で、明日の朝が楽しみでたまりません。

 こうした「楽しみ」も自分が心身ともに健康でいられるおかげだと思い、感謝、感謝の毎日と朝を迎えられる幸せをかみ締めているのです。
コメント (1)
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