ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

大宇宙の中に

2006年08月29日 | ガリバー旅行記
 内モンゴル草原から帰って、多忙と言うべきか現代社会の中での仕事に戻りつつ、いつしか頭の中には、あの大草原の夜に展開された大パノラマ的満天の星空が思い出されてくるのである。

 ほんの数日前、真夜中の満天の星を見上げながら、いくつかの「流れ星」を見ては、子どもの様に「何かお祈り、願い」をと思ったり、3つ以上流れ星を見てからゲルに戻って眠ろうと心に決めて、モンゴルの初秋の草原の冷えを堪えて佇んでいたものである。

 あの草原の真上に展開する眼前の大きなパノラマの如き「満天の星」とは、我々の命が誕生した地球からの眺めなのだが、いわゆる太陽系と称される宇宙のほんの一角に過ぎないのである。

 銀河系宇宙と呼ばれる多数の星団の中の一つの銀河系の中に太陽系宇宙があって、その中に2000億個もの恒星を初めとする無数の星団があるのだが、人類はねその中で8つの☆だけに「惑星」という特別な称号を与えることを改めて確認したらしいのである。

 つまり水星、金星、地星、火星、木星、土星、天王星、海王星の8つを「惑星」と称し、今まで仲間として呼称していた「冥王星」は惑星外として「矮惑星」とすることを決定したのである。

 大きさが地球にとっての「月」の様に小さくて、周辺の星の中で群を抜く存在感が乏しいというのが、その理由らしいのである。

 まさに地球の人間どもの考えることは、小さくて勝手ではなかろうか。

 私は、内モンゴル草原の大海原を見渡しながら、特に360度地平線の闇の中に、無数の星がちりばめられていて、私達にとっては巨大なパノラマとしか表現できないスケールなのだが、この視界に入っている地球からの眺めも、まったく太陽系の一部であり、金星、火星はすぐに見つけることが出来るが、他の惑星すら肉眼ではなかなか見ることが困難なのである。

 そんな状況の中で、小学生の時代から親しんできた「水金地火木土天海冥」の9つの太陽系の惑星群の中の「冥王星」だけを、いまさら仲間はずれにすることなんて可笑しな戯言の様にも思えてならないのである。

 何を中心に、何を基本的な価値として『物』や『存在』を見るかは、見る人の勝手で自由ではあるが、この果てしない大宇宙の中にある多数の銀河系の中の、ひとつの太陽系宇宙において、その中のひとつの星である「地球」に生命体として生きる「人類」が勝手に、「冥王星」とある星を名づけた上で、惑星の定義からはずすという「仲間はずれ」を決定するなんて、どう考えても可笑しいのである。

 限りない宇宙、果てしない宇宙空間の中の小さなひとつの銀河系に存在している我々の「太陽系」というちっぽけな宇宙の中の一つの豆粒の様な「地星」に住んでいる存在でしかないのに、毎日、家庭、職場、地域で、偉そうなことを言い続けている人間が可笑しくてたまらなくなるではないか。

 小さな命を、この地星に与えられた一人として、果てしない大宇宙の中のひとつの存在であることを、改めて自覚したいものである。
コメント (1)
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