ガリバー通信

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小泉靖国参拝

2006年08月15日 | とんでもない!
 戦後61年目の敗戦記念日、遂に、やっぱり小泉首相は、意地の靖国参拝を強行した。

 首相になって5年半、毎年「公約」の靖国参拝を繰り返したが、一番「敗戦記念日」である8月15日に行きたかったのであろう思いを、任期1ヶ月余になった今日、実現したのである。

 とんでもないことである。

 そもそも「靖国」なんて国が国策の戦争を肯定する上で、政治的に作った「招魂社」を基点とする「国家神道」的施設が問題なのである。

 いかなる戦争も「正義のため」として、時の国家権力が国民を兵士に駆り立てて非業の死を迎える時に、「靖国で会おう!」なんて約束事で、個人の尊い「命」を捧げさせるための「呪文」の様なものとして、人為的に作られたものなのである。

 そんな「靖国神社」に祀られているという多くの御霊と言うが、具体的な遺骨や遺品が埋葬されているわけではなく、記帳された「戦死者の名前」が奉納され、祀られているといわれているに過ぎないのである。

 「A級戦犯」として絞首刑に処された東条英機元首相を初めとする14人の合祀された人々の「分祀」は出来ないと、靖国神社は言っているらしいが、人間の人為的行為である「祀りごと」なのだから、誤りや訂正はいくらでも可能なのである。

 戦死したとして誤って祀られていた兵士や、韓国籍の人たちや「祀られられたく
ない人々」は、分祀もしくは、台帳から抹消すれば済むはずである。

 『宗教』としての「まつりごと」そのものが、精神的『気持ち』の行為なのだから、現在を生きる人々の「気持ち」を大切にして、改めるべきことは改めるべきなのである。

 つまり「合祀」が誤りだったのだから、まず「分祀」という手続きをして、それから「国家神道」としての「宗教」と政治の分離をどの様にするかを検討すればいいのである。

 小泉首相の「公約」など、全くナンセンスな「幼児的発想」「頑固さ」以外の何物でもない。

 「自民党をぶっ壊す!」と威勢よく首相になった小泉首相の「公約」など、いつの間にかどうでもよくなってしまうほど、構造改革や規制緩和という名の下で、多くの外交軋轢と内政的には「格差拡大」を進めてきたに過ぎないのである。

 第二次世界大戦の敗戦記念日に、自らの意地と公約を実現したという、小泉純一郎なる人物、そのものが自ら、先の大戦を起こしてしまった日本政府と軍部と同等の考えを露呈したに過ぎないのである。

 ちょうど朝のNHKテレビ小説「純情きらり」では、戦地に徴兵された恋人や弟への思いで揺れ動く、桜子という主人公を中心に、戦時中の国民の「気持ち」が綴られている。

 誰もが「お国のため」なんかで、死にたくない。死なせてはいけないのだ。

 「靖国」に祀られても、何も解決しないのである。

 ※明日から10日間、恒例の内モンゴルツアーのためブログ「ガリバー通信」は、夏休みです。
コメント (1)
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