ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

山男にゃ惚れるなよ!

2006年02月25日 | テレビマスコミ
NHK土曜ドラマ「氷壁」の最終回「山男の伝説」を観た。

 井上靖原作の「氷壁」のドラマ化は過去にも何度もあったし、映画も撮られているが、私は古本で「氷壁」を少し手にとって読んでみただけで、今回のドラマも全部観れたわけではなく、約半分だけでストーリーの全てはわからない。

 しかし、男の山にかけるロマンと恋という永遠のテーマであるので、結構興味深く観たのである。

 今晩の最終回は、K2に一緒に登頂を試みたクライマー二人のうち、一人が悪天候で登頂断念後に、墜落死したことに関わる裁判の最終段階で、若き生きて帰ったクライマーと装備を提供したスポンサーのスポーツ用品会社の社長の若き夫人との不倫関係が暴露された後の最終章であった。

 昔から「山男の歌」の有名な歌詞にもあるが、「山男にゃ惚れるなよ」が定説となっているらしいが、何故に山男に女性が惚れてはいけないのだろうか。

 この「氷壁」も、社長の若き夫人、美那子役の鶴田真由を二人の若き登山家、K2で墜落死した北沢役の山本太郎と主人公奥寺役の玉木宏が恋仇として競い合う中で、北沢が山で死に奥寺を慕い身を寄せる、八代美那子という設定になっている。

 この若き夫人が若き登山家である奥寺に惚れて、一旦八代家や財産全てを捨てて、アルバイト生活の奥寺のところに転がり込むのだが、結局はクライマー奥寺の、再度のK2挑戦を前に別れを告げて戻っていくのである。

 再度言うが、真の山男は雪山や世界最高峰に近い山への挑戦を続ける場合には、恋人や妻を捨てる覚悟で登ら無ければならないのか。

 世間では、そのように言われているし、小説「氷壁」でも、そのように言わしているのだが、二者択一的にしか考えられない男もいるだろうが、いくら集中する必要があっても恋人や妻への愛情を抱いて、生きるエネルギーを持ち続けて大きなチャレンジを成功させる原動力とする男もいるだろう。

 全ての山男が、女、子どもを忘れて「山にだけ惚れて」山のぼりをするのではなく、命の危険を危惧しながらチャレンジする時は家族や仕事を忘れる程、集中力を発揮する必要があるということなのだろう。

 厳しい寒さと空気が薄い、世界の最高峰に並ぶチョモランマやK2をはじめとする神々しい山々は、俗世間の欲や邪念を持ち込んでいては一瞬の気の緩みで、命を落としかねない危険性をはらんでいるのは、想像が付くのである。

 テレビドラマ「氷壁」の最終回を見て、やっぱり山男達全てが家族や恋人たちと別れたり、二者択一的な選択をして山を選ぶのではなく、魅力的な山々の素晴らしさに惚れて山にチャレンジするのであって、山から帰れば普通の男に戻れるのではと思うのである。

 そういう私などは、まともな雪山や三千メートル以上の山にも登ったことも無い素人なので、こんなことを語る資格も無いのだが、やっぱり小説、ドラマに出てくる脚色、演出としての「台詞」が、いつのまにか女性達へのメッセージとして、「山男にゃ惚れるなよ」となってしまった様に思うのである。

 山男も大いに女性に恋をしたらいいし、女達も山男であろうが無かろうが、人間としての男性に恋をしたらいいのである。職業や趣味に惚れるのではなく。

 

 
コメント (1)
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