ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

何で皆が塾や大学へ?

2005年06月08日 | 日本の課題
 今日のお昼は、いつもは高齢者のためのお弁当を月に2回ボランティアで配送しているので、そのつながりの「ふれあい給食会」にはじめて参加して、美味しい昼食を、いつもは届けるだけのお年を召した方々や民生委員さんたちと一同に会していただいたのである。

 今日のお食事は、ちらし寿司にじゅん菜などのお吸い物に、ほうれん草のおひたし、メロンと甘夏のフルーツであった。私の隣にお座りのご夫人は、今年80歳といわれるOさんで、初めて御目にかかったのが、いろいろと話が弾んで、愉しく食事の時をもてたのである。

 80歳になると言われる彼女は、地元の旧村といわれる地域に60年間お住まいで、何と約2キロ近くを自転車で会場の老人ホームまで来られたという、元気な方であった。実は嫁がれて現在地に来られたのではなく、戦争末期に疎開で現在地に転居されて、今も独身で独居生活をされているというのである。

 その彼女との話しの中で、「何で誰もが塾に行って、大学に行かなあかんのやろ」「猫も杓子も大学行っても、ちっとも世の中良くならないね」と言う感慨深い、彼女なりに現代の日本社会のひずみや問題点を的確に指摘している発言に、私もほぼ同感だったので、話が弾んだのである。

 「宮大工になるためには、高校行ってたら、遅いそうな」と、専門的な技術や経験を会得するには、中学出て、すぐ弟子入りするくらいで、素直な気持ちの少年が師匠などに使えて、特殊な技術や経験も学ばなければ、間に合わないのだそうである。

 高校、大学と卒業しても、大半の学生は自分が学んだり、研究した学問、テーマなどを活かせる職業につくことが出来ないし、ましてや知識や生意気な発言だけでは、仕事にならない場合がたくさんあって、企業は新入社員の再教育と研修期間を、相当長期間必要とせざるを得ないのである。

 こうした現代の社会事情と「学歴偏重社会」をしっかりと感じておられて、昔の様に幼児期から、学童期にかけて、しっかりと自然の野山や鎮守の森での中なので、遊ぶこどもたちがほとんどいなくなったことにも言及されていたのである。

 そんな中で面白い話しもされていた。近くのお宮さんの賽銭箱からお金を持ち出して、子供達が冷たいキャンデーを買って夏場遊んでいたが、自分達は大目に見て見守っていたそうである。「どうせあんたらが大人になったら、お宮さんの面倒を見なあかんのだから」と、なるほど長い目で見て、地域での役割や関わり」を見据えた見解だと,感心した次第である。

 とにかく、最近のこどもたちが外で遊ばなくなったことは、現代社会での人間関係や自然との関わり方も含めて、実地で学ぶことが少なくなったことであり、学校や塾でいくら勉強ができても、将来の社会で役立つ人間になれるかどうか、不安だと指摘されているのであった。

 その通りだと私も同感であり、昭和初期のお生まれのご高齢にも関わらず、とっても自然な感性と人間の生き方の価値観をお持ちの方だと思い、また別な機会があれば、ゆっくりとお話しを聴きたいものだと思って、再会を祈って「さよなら」舌のである。
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1 コメント

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学歴社会 (kororin)
2005-06-09 07:51:45
すごいですね。年齢には関係ない思考をもたれていますね。今、みんな、周りと一緒でなければ不安・・・何が不安なんだろう。

個性が無い世の中。枠の中に入っていたら安心なんだろうか?

私も、その渦の中にいますが・・・。

どうしたらいいんでしょうかね?

いかに楽しい人生を送っているかを重視して生きたい私です。
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