先祖代々と父親と兄が眠る、我が家の墓所に、年に何回お参りするだろうかと考えれば、私の21歳の時に父親を亡くしているので、それまではあまり積極的ではない「墓参り」だったが、父親や家族と共に年に一度は行っていた。
自分が結婚し所帯を持ってからは、若い頃東京に8年間生活していたので、この間は夏休みに帰る時と、年末暮れに帰郷した時の2回だった様に思う。
近年は母親が高齢化し、実家でずっと一人住まいなので、自分ひとりで墓参りには行かないので、私が春と秋のお彼岸の前後と、夏のお盆前と年末の一年の締めくくりと、都合がつきさえすれば、年に4回も「墓参り」をすることになっているのである。
今回の「墓参り」も、母と共に都合のつく姉妹に呼びかけて、本日11時に「お墓」に集合と携帯メールでお知らせしたところ、三姉妹のうち二姉妹が夫を伴って参加してくれたのである。も一人の姉夫婦も2日前に「お墓」に立ち寄ってくれたそうで、今年は母と共に、兄弟全てが連れ合いを伴って「墓参り」してくれたことを大変喜んでいる。
戦前は大阪阿倍野の斎場周辺にあった先祖の墓だが、大阪市営墓地として戦後東住吉区の瓜破の墓地に移され今に至っているのである。我が家の墓所には、先祖代々の墓と釈名がついた、私にとっては祖父、祖母と伯父さんたちの墓が正面左右に並んでおり、その小さな墓所の北側に、新たに父が亡くなった1969年5月に、父と兄を納骨した墓石を立てたのである。
いまどきの墓といえば、多くは小さな区画の墓地が整然と並んでいる墓所が多くて、先日、久しぶりに行った家内の父の墓所も、大阪市が建設した巨大な「泉南メモリアルパーク」と称する墓地公園であり、まったく違った印象の墓地である。
中にはお寺さんの納骨堂の中に、コインロッカーの様に収められている「墓所」もあるし、一方では沖縄で有名な「亀甲墓」と称される巨大な墓所を、各家が所有している地方もあって、「お墓事情」は千差万別である。
幸い、わが実家の墓所は、我が実家から車で20分程度の場所にあるために、現在89歳になった母にしても、私たちが車で送迎さえすれば、気軽に「墓参り」ができる距離なので、大変ありがたく年に4回も行く気になれば、行けるから感謝である。
日本人にとっての「お墓」は特別な意味を持っており、今日も多くの「お墓参り」の家族連れの姿が周辺を行き来して、いつもは殺風景な墓地周辺が色とりどりの花で飾られて賑わっていた。
昼前に「墓参」を終えて、母と三夫婦の七人で、賑やかな昼食の時を外食で持ったのだが、日曜日の昼下がりの少し広めの和風のレストランが満員で20分ほど待たされたが、ゆっくりと歓談することができたのも幸いであった。
実は、お盆の墓参りは私にとっては恒例となっている、中国内蒙古へのツアー前の恒例行事となっており、明後日から10日間「命の洗濯に」に、7人の参加者メンバーと共に、中国内蒙古自治区克旗のモンゴル大草原に生活する遊牧の民との交流を求めて、旅立つ前の「祈りの時」なのである。
今年も元気に内モンゴルへ旅立ちます。感謝と安全への祈りを、日頃の健康と幸せの感謝の祈りと共に墓前に捧げて、いつも出発しているので、これもライフワーク的ファミリーイベントとなっているのである。
やっぱりお盆に先祖代々のお墓をお参りすると、何故か気持ちが落ち着くし、現代を生きる子孫としての最低の努めと感謝の証として、納得できる行為であり、ほっとできるものである。感謝。
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