ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

組織と自己保身

2011年06月23日 | とんでもない!
 東北大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の一連の放射能漏れ事故に対する、東京電力、経済産業省原子力安全保安院、そして政府、国会議員、ついでにマスコミと呼ばれるメディアの大半が、どのような姿勢や考え方で、このチェルノブイリ級と称される「原発事故」に対して対応してきたのか、多くの国民ならびに特に目に見えない放射能汚染の恐怖から避難を余儀なくそれている福島県を中心とした住民の皆さんにはどう打つっているのだろうか。

 私の場合は京都府南部に生活していて、特に危機的な放射能汚染の恐怖は感じてはいないが、もし京都府の北東部に位置する福井県の原発銀座と称される原子力発電所群のひとつでも同様あるいはそれ以上の原発事故を起こしたら、当然南に位置する私たちの地域も約70キロから100キロ離れているとはいえ、風下になったとしたら相当の恐怖と共にいたたまれない気持ちで不安な日々を過ごさざるをえなくなることであろう。

 とにかく日本の原発政策を推進してきたのは、昭和30年代半ばからの自民党政権と財界、そして読売新聞社を筆頭とするメディア媒体が推進力となって、アメリカ、フランス、ロシアなどの原発先進国と言われた国々の古いシステムを中心に多額の国費をもつぎ込んで導入し、「原子力は安全」という作られた神話で国民を騙し続けてきた結果が、今回の福島原発のレベル7の事故を招いたといっても過言ではあるまい。

 著述家、広瀬隆氏はあらゆる機会に、この原発利害が世界的な経済のバックボーンとなっている、ロスチャイルド社と称する企業を背景とした、世界的経済優先の企業利益が優先された策略に乗せられた先進国を中心とする各国の政治指導者の愚かさにも起因していると暗に指摘されている。

 今から17年前に発刊された「地球のゆくえ」と題する広瀬隆氏の著作の末尾に近いところでも、原子力問題についての見解が書かれているのだが、「何年も経たずに、第二のチェルノブイリ事故が、全世界のどこかで起こることは間違いない。その可能性が一番高いのは、日本である。原子炉はひどく老朽化して、国民はそれを知らずにいる。」と書いていたのである。

 彼は、続けて「日本の三大危機は、原発事故、戦争に巻き込まれること、自然が崩壊していくこと」だが、これから日本人が高い意識を持って行動すれば、戦争と自然破壊は食い止められるが、最も近い将来の悲劇として必然的に起こるのは、原発事故だろうと断言している。

 そのような危機的警鐘を語ったり、書いていた著述業や評論家?、原子力研究者、専門家も他にもいたと思われるが、ほとんどのテレビマスコミや新聞などには登場する機会も与えられず、少数派の反原発運動家として扱われたり、無視されてきたのではなかっただろうか。

 すなわち、多くの有識者と称される著名人は、今なお「原発廃止」を語ることすらタブーの如く慎重というよりも、自己保身のために一切を語らない立場かノーコメントあるいは、現在も原発は必要な科学技術だと言い放っている有様なのである。

 つまり、電力会社を中心とする大企業がスポンサーとなっているテレビ番組やCMに出演したり、または提携企業や公的出資がなされている団体や組織に関与している立場の人のご機嫌や立場を尊重するという言い回しで、結局自分自身の意見や考え方ではなく、「お金を出しているバックボーン」に気を使っての発言や宣伝に大いに協力することが当たり前になっていたのである。

 名前をあげればきりがないほどいるのだが、星野仙一、三宅久之、草野仁、勝間和代、ビートたけし、北野大、大前研一、弘兼憲史、茂木健一郎、養老孟司、堺屋太一、アントニオ猪木、中畑清、住田裕子、渡瀬恒彦、幸田摩音、荻野アンナ、岡江久美子、吉村作治、大宅映子、森山良子、木場弘子、藤沢久美ら(週間金曜日・4/26号、原発震災より)あまりにも多くの著名人が本人の意思と関係ないかもしれないが利用されてきたのである。

 最近のテレビ、新聞報道は少し変化を感じてはいるが、菅直人首相をはじめとする政府首脳も野党自民党の谷垣総裁、山口公明党代表、その他の国会議員の大半のコメントや批判を聞いていたら、やっぱり「我が党は・・・」か「私は違う・・」とでも言いたいのかすべての言葉が「自己保身か組織保全」のための言葉としてしか思えないものばかりなのである。

 東京電力や原子力安全保安院の関係者の記者会見やコメントの数々も、避難されている人々の思いなんかよりも、自分たちの組織の継続、存在理由を最優先に、株主総会やマスコミの質問に対する回答マニュアルまで想定しての、防衛対応を繰り返していると言っても過言ではあるまい。

 何故に、こうまで日本人の「えらい人?」は、姑息な手段を使ったり、不信感をより増幅するような虚偽の対応を繰り返すのだろうか。

 いずれ分かるだろうに、その場を何とか回避することに終始するのがやっとこさと言った、みえみえの自己保身と組織防衛に全てのエネルギーを使っている様子であり、東大をはじめとする国立大学を優秀なる成績で卒業したエリートと称される人たちの、あまりにも小さな虚栄心と自己保身の姿勢には驚きを通り越して、呆れるばかりなのである。


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