今日は晦日、明日は大晦日と年の瀬が迫り、日本列島は明日からシベリア寒気団の南下に伴って寒波が押し寄せ、天気予報では北海道から九州まで全国各地に相当な雪が降るといっているので、お正月にかけてとても寒い年末年始となるらしい。
私は、自然食八百屋の移動販売の年内最後の営業で車を走らせていたのだが、町に家々の玄関先に「注連縄」が飾ってあるところがめっきり少なくなったと感じだのである。
経済の動向とでも言うべきなのか、人々の節約癖?がここまで行き渡ったとでも言うべきか、当然二十年近く前のバブル期と称された頃には、家々に注連縄飾りだけでなく、門松や正月飾りが結構華やかであったと記憶しているし、我が家でも近くの障がいしゃの作業所で作られた「注連縄」を届けていただいた数年間は玄関先に飾っていたし、ある年には友人が創作的に作ってくれた「門松」も玄関を飾ったこともあったのである。
玄関先の「注連縄」だけでなく、今から思うと年の暮れから行き交う自動車のナンバープレート付近につけられた「自動車用注連縄」も目だっていたのだが、最近はほとんど見なくなったばかりか、スーパーや近くのお店でも大量に積み上げられていた「注連縄」が見当たらなくなっているのである。
そもそも、「注連縄」とは、神社の神祭具で、宗教的な紙垂(しで)をつけた縄であり、「標縄」や「七五三縄」とも表記するのだが、一般的には「しめ縄」でもわかるのだが、多くの日本人がどういう気持ちで、この風習を見習ってつけていたのかは甚だ疑問である。
神社神道では、「社(やしろ)」、神域と現世を隔てる結界の役割を意味するもので、注連縄は、二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印ともなっている場合があるのである。
お旅所や海の岩礁、奇岩などにも「注連縄」が張られ、よく知られる「夫婦岩」に張られた「注連縄」は有名だが、日本の正月、家々の門、玄関、出入り口などに飾る注連縄は、「厄や禍を拭う結界」の意味を持ち、大相撲の最高位の大関の中で選ばれた力士だけが締めることを許される「横綱」も、この注連縄である。
また現在でも雷(稲妻)が落ちた場所で、特に水田などでは青竹で囲い、注連縄を張って五穀豊穣を願う慣わし行事が各地で行われている。
この起源は、日本神話の天照大神の天の岩戸からといわれ、稲作信仰と神道の根幹をなし、縄の材料には刈り取った稲の稲わらを干したものか麻が使われていて、古神道の自然崇拝や山や森を守る「神奈備」とも関係し、神が宿るとされた場所には「注連縄」を飾って証や印としていたのである。
そんな由緒がある「注連縄」なのだが、一般的には「正月飾り」のひとつとして一般化し、年の暮れから七草粥を食べる正月七日までか十五日の小正月まで飾るという慣わしで地域や家庭によって異なる場合があるが、縁起物であり祈りと願いが秘められているのである。
私は、自然食八百屋の移動販売の年内最後の営業で車を走らせていたのだが、町に家々の玄関先に「注連縄」が飾ってあるところがめっきり少なくなったと感じだのである。
経済の動向とでも言うべきなのか、人々の節約癖?がここまで行き渡ったとでも言うべきか、当然二十年近く前のバブル期と称された頃には、家々に注連縄飾りだけでなく、門松や正月飾りが結構華やかであったと記憶しているし、我が家でも近くの障がいしゃの作業所で作られた「注連縄」を届けていただいた数年間は玄関先に飾っていたし、ある年には友人が創作的に作ってくれた「門松」も玄関を飾ったこともあったのである。
玄関先の「注連縄」だけでなく、今から思うと年の暮れから行き交う自動車のナンバープレート付近につけられた「自動車用注連縄」も目だっていたのだが、最近はほとんど見なくなったばかりか、スーパーや近くのお店でも大量に積み上げられていた「注連縄」が見当たらなくなっているのである。
そもそも、「注連縄」とは、神社の神祭具で、宗教的な紙垂(しで)をつけた縄であり、「標縄」や「七五三縄」とも表記するのだが、一般的には「しめ縄」でもわかるのだが、多くの日本人がどういう気持ちで、この風習を見習ってつけていたのかは甚だ疑問である。
神社神道では、「社(やしろ)」、神域と現世を隔てる結界の役割を意味するもので、注連縄は、二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印ともなっている場合があるのである。
お旅所や海の岩礁、奇岩などにも「注連縄」が張られ、よく知られる「夫婦岩」に張られた「注連縄」は有名だが、日本の正月、家々の門、玄関、出入り口などに飾る注連縄は、「厄や禍を拭う結界」の意味を持ち、大相撲の最高位の大関の中で選ばれた力士だけが締めることを許される「横綱」も、この注連縄である。
また現在でも雷(稲妻)が落ちた場所で、特に水田などでは青竹で囲い、注連縄を張って五穀豊穣を願う慣わし行事が各地で行われている。
この起源は、日本神話の天照大神の天の岩戸からといわれ、稲作信仰と神道の根幹をなし、縄の材料には刈り取った稲の稲わらを干したものか麻が使われていて、古神道の自然崇拝や山や森を守る「神奈備」とも関係し、神が宿るとされた場所には「注連縄」を飾って証や印としていたのである。
そんな由緒がある「注連縄」なのだが、一般的には「正月飾り」のひとつとして一般化し、年の暮れから七草粥を食べる正月七日までか十五日の小正月まで飾るという慣わしで地域や家庭によって異なる場合があるが、縁起物であり祈りと願いが秘められているのである。